Ⅱ
城内はパイプオルガンの音色が響き、天井から吊り下がったシャンデリアの明かりで満たされていた。奥には二階に続く階段があり、ホールの中央には銀の装飾が施された椅子が一脚置かれている。そこには、ルクレツィアが不機嫌そうに頬杖をつきながら座っていた。
「おやおや、こんな未明にぞろぞろと。伯爵様のおっしゃる通り、ここで待っていた甲斐があったようね」
「兄さんは? フラン兄さんは、いったいどこですか⁉」アーサーは声を荒上げた。
「フラン? ああ……あのフランシスという坊やのことね。今頃は地下牢で眠っていると思うわ。それにしても、困った子たちね。眠りを妨げられた、とニンファーたちが随分荒れていたわ。レーヴが暴れるほどにね」
「……ニンファーに、レーヴ?」
アーサーの問いに、ルクレツィアは腕を組み、答える。
「睡蓮の湖に入ろうとしたでしょう? レーヴはいわば、
パイプオルガンの音が消え、代わりに「ゴー」という風の音が響いた。
「……血も涙もない氷の女が」
どこからともなく発せられるおどろおどろしい声は、先ほど湖で聞いた声と同じもののようだった。
だが、どんなに目を凝らしても、やはりその姿を見ることは出来ない。
「あらレーヴ、何か気に障るようなことでも言ったかしら?」
「人を散々コケにしておいてよく言う。車のエンジン音が聞こえる度に、私はいつもうんざりする。昼夜問わず、睡蓮の咲かない時期にまで湖を氷漬けにするのだからな」
「あら、あなた人だったの? 初めて知ったわ。湖ごと凍らせれば、否が応でもおとなしくなるでしょう。例え、城の門番でも」
「勝手にしろ! ……私はお前を好かん!」
レーヴがそう吐き捨てた直後、アーサーの隣をとてつもない勢いで去って行く風があった。先ほどアーサーたちの通った扉が開く。再び閉まる音を聞き、アーサーは振り返った。
「いなくなったんでしょうか。あれが僕たちに悪夢を……」
ルクレツィアはゆっくり椅子から立ち上がった。
「見苦しいところを見せたわね……まあ、おかげで邪魔者もいなくなったことだから」
彼女は、忘却の丘と同様に床を氷で覆い始める。
ウィンディは威嚇の声を上げ、アーサーは剣を構えたが、
「……アーサー、ウィンディ、マリア様を連れて先に行け」
リン・ユーが先頭に立ち、体から炎を放出させた。氷に覆われた床を溶かしていく。
「何をもたもたしている……さっさと行け!」
アーサーは瞠目した。自分の名を呼ばれたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは――。
「何を言っているんですか、リン・ユー! 忘却の丘の時にマリア様がおっしゃっていましたよね? 単独行動は慎め、って。あなたから見れば僕は戦力外かもしれませんが、一緒に戦わせてください!」
リン・ユーは鼻で笑った。
「餓鬼が何を言い出すかと思えば……その逆だ。てめぇは、二度も俺たちを救ってくれた。マリア様に勇気を与えただけではなく、俺の命までも。てめぇらを追って、必ず上に行く……マリア様を頼んだ」
「ユー……」
マリアは声を震わせた。目には大粒の涙が浮かんでいる。
リン・ユーはマリアに背を向けた。
「必ず、あなたの元に参ります。臣下としての務めを果たすまで……しばしの別れです」
「コーン」
ウィンディは一声鳴くと、目の前にいたアーサーをくわえて背に運び、奥の階段へ向かった。
「ウィンディ、降ろしてください!」
アーサーが降りようとすると、ウィンディは横目で睨んだ。彼を見つめるその大きな目は、「信じよう」と、訴えかけているようだった。
「ウ、ウィンディ……そうだね、リン・ユーなら必ず来る」
「伯爵様の元へは、行かせない!」
ルクレツィアがウィンディに氷の礫を放った直後、リン・ユーはそれを拳で打ち砕いた。
「おい女、てめぇの相手は俺が務める。命はないものと思え」
「口だけは達者のようね……坊や」
「坊や、だと? そんな可愛いもんじゃねぇぜ、俺はな――」
リン・ユーは口角を上げ、細く切れ長の目をギラギラとさせた。
「あら、そう? 私から見ればあなたは十分坊やよ」
ルクレツィアは傘を氷の剣に変え、リン・ユーに斬りかかろうとする。
彼はすぐさま大刀を抜き、氷の剣を難なく受け止めた。
「忘却の丘の時とは違い、今は俺一人。周りへの被害など考える必要はない。言わば――俺の、やりたい放題だ!」
彼は大刀を力いっぱいに振り回し、ルクレツィアの体を吹っ飛ばす。その勢いで、ルクレツィアは背中を思いっきり壁に打ちつけ、うめき声を上げた。
「……あの時と違って、随分元気そうじゃない。力で争っても、意味がないようね」
「てめぇを倒し、マリア様の元へ必ず行く。約束は果たさせてもらう」
リン・ユーは再び大刀を構え、ルクレツィアの元へ駆けた。
「お前のような坊やに、伯爵様の邪魔はさせない!」
ルクレツィアは壁に手をつき、ゆっくり立ち上がる。
「リスクが大きいのは分かっているが、あれを使うか……伯爵様への恩に報いるためにも」
そう心に誓った彼女は、伯爵と出会った頃のことを思い出した。
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