Ⅲ
彼女がかつて過ごした場所は一面に広がる銀世界――雪の国の宮廷だった。森の国の出身だった彼女は政略結婚のため、雪の国皇帝の元へ嫁いだ。広大な大地を持つ国だが、極端な寒さのために永久凍土の面積が広く、作物や資源は乏しかった。そのため、国外からの支援や輸入に頼らざるを得なかった。
だが、彼女の夫である皇帝は政治に対してあまりにも無関心であった。
「ゾフィー様、このままでは王家はおろか、国が滅びてしまいます。皇帝陛下は政治へ関心をお示しになりません。あなた様からもご説得ください」
「臣下の分際で偉そうに……私へ指図などしないでちょうだい!」
「ですが、このままでは本当に……」
「しつこいわね!」
怒り狂ったルクレツィアの体からは冷気が放出され、傍にいた臣下はたちまち凍ってしまった。
「……何? どういうこと?」
ルクレツィアはわけが分からず、その場で頭を抱えていた。すると、床がみるみるうちに凍っていく。偶然居合わせた他の貴族やその臣下たちは、「魔女だ!」などと叫んで一目散に逃げてしまった。
その夜、皇帝は自室へ彼女を招いた。
「ゾフィー、臣下を凍らせたという話は本当か?」
「だとしたら、一体何だと言うの?」
「そのブローチを手にしてから、お前は変わってしまったようだ」
ルクレツィアはドレスの胸元につけたブローチを誇らしげに見せた。
「綺麗でしょう? とても気に入っているわ。金細工の縁取りに大きな水色の石、一流の宝石職人が作っただけのことがある」
「だが、お前の体や顔からとてつもない冷気を感じる。今にも凍らされそうだ。その石がお前を魔女に仕立て上げているのだろう? 余はそう信じたい。お前には非がないと……今すぐそのブローチを外しておくれ。これは……余の命令だ。従ってくれ」
皇帝はルクレツィアの目をまっすぐに見つめ、懇願した。だが――。
「馬鹿なことを言わないで! 皆で私を魔女呼ばわりする! 分からないのよ……自分でも」
寝台で項垂れていたその時、「ミシッ」という、軋んだような音とともに悲鳴が聞こえた。彼女が恐る恐る顔を上げると、皇帝の体は凍りついていた。
「……どうして?」
「陛下!」
皇帝の悲鳴を聞き、護衛二人が部屋の中へ入ってきた。
「これは……」
惨状を目の当たりにした彼らは、呆然と立ちすくむも我に返った。まっすぐルクレツィアの方へ詰め寄る。
「ゾフィー様、あなたを魔女として連行します」
「やれるものなら……やってみなさい!」
ルクレツィアは体中から冷気を放出し、たちまち二人を凍らせてしまった。
彼女が部屋から出ようとすると、扉から漏れる異様な冷気を察知した別の護衛たちが待ち構えている。
「もう、何もかも……こうなったらすべて凍らせてあげるわ!」
彼女は狂ったように、人や物、宮廷の中のあらゆるものを凍らせ続けた。
彼女に凍らされた人々の顔に浮かぶのは、まさに恐怖のどん底に叩きつけられたような表情。ルクレツィアは高笑いをした。
「私を魔女呼ばわりするからこうなるのよ! いい気味だわ!」
気が付くと、彼女は宮廷の外に出ていた。周りに人影はなく、真っ白な雪景色だけが果てしなく広がっている。
「……帰る場所もないわね」
途方に暮れたような、わけの分からない笑みがこみ上げてくる。
わずか十五歳で国境を超え、結婚。両親からの十分な愛情を注がれることもなく、国家が他国との同盟を築き、安寧を保つための道具に過ぎなかった。自分の意思とは反し、機械的に用意された皇帝という夫の存在――結局は国同士の思惑に振り回されただけ。彼女の欲した愛情は、ここでも満たされることはなかった。代わりに彼女が得たのは、皇后という地位。皇帝に望めば、ドレスや宝飾品など欲しいものは何でも得ることが出来た――ただひとつ、愛情を除いて。
だが、それも今となっては過去のこと――宮廷を飛び出し、孤独となった彼女は絶望感にさいなまれた。
「愛情はおろか、自分の居場所さえもなくしてしまった。大好きだった服やアクセサリーも……あるのはこれだけ」彼女は身に着けていたブローチを握りしめた。「……この先、どうしたらいいのかしらね。こんなことなら、銃殺された方がマシだったかしら……悲劇の皇妃として」
その時、誰かが雪を踏みしめるような音が聞こえてくる。
追手だろうか、と彼女が振り返ると、その人物はすでに己の目の前にいた。突然の出来事に驚きを隠せない様子の彼女に構うことなく、紳士は言葉を紡いだ。
「わしの元へ来ると約束をすれば、お前に居場所と新しい名前を与えてやろう。そうすれば、お前のその能力を存分に発揮させることも出来る」
「私の……居場所と新しい名前? あなたはいったい……」
「ジャックウェル・フォンテッド……通りすがりの者だ」
伯爵はルクレツィアに宝石や服、酒、食べ物……考えうる限りの贅沢は何でも与え続けた。
彼女はそれに応えるように、伯爵の命令には忠実に従い、躊躇なく人々を凍らせてきた。氷像と化し、恐怖におびえる人々の表情を見ては、高笑いを浮かべて。
「私は一生、怖い女のままでいいのよ。伯爵様だけは、こんなにも私のことを愛してくれている。それがたとえ、女としての私ではなく、ストーンの能力に適合した――武器としての私だったとしても……」
鏡に映った自分に言い聞かせる。それで満足、なのだと――。
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