「これはいったい……日食?」


 これまでに見たことのない空の色に、アーサーは息をのんだ。


「『時の後継者がこの地を訪れた時、紺碧色に光り輝く食が起こり、玉座に聖剣現れる』この地方に古くから伝わる言い伝えですよ。玉と、それによって償還される剣の話を後世に残したものです。恐らく伯爵は、この言い伝えの意味を誤解していたのでしょう。二人がこの街を破壊した時、皆既日食が起こっていた。そして、玉を持っていたのは風の国の後継者ではなく、時の民であるあなただった。商いを得意としていた水の国は、大国である風の国の手中に収められていたと言っても過言ではありませんからね」

「だから伯爵はフラン兄さんを……フラン兄さんは風の国の第二王位継承者で、時の民の一員でもある。フラン兄さんの持つ時計を使って過去に遡り、剣を自分の物にしようとしたのか……」


 アーサーは、ふとゴンドラで聞いた歌の一片を思い出した。


「『広がるは紺碧色に輝く空』、『聖なる剣が夜明けを待ち望む』……『聖なる剣』って……まさか」

「ゴンドリエの歌を聞きましたか。そう、歌にある『旅人』があてもなく探していたのは他でもない……この剣ですよ。『青き瞳』とはすなわち、あなたの持っていた玉そのものだ」


 瑠璃色の玉を置いた場所には剣が刺さっていた。玉を囲むように七色の宝石が散りばめられた金色の柄――剣はこの世のものとは思えないくらいに美しく、アーサーは声を殺し、じっと眺める。


「剣を抜きなさい……その剣はあなたの物だ」


 アーサーは頷き、剣を抜き取った。


「リン・ユー、僕も加勢します!」


 アーサーがリン・ユーの元へ駆け寄ろうとした時、ルクレツィアはカストへ氷の礫を放った。


「しまった!」


 アーサーはすぐに引き返したが、カストの体はみるみるうちに凍り始めた。


「その言い伝えとやらは本当だったようね、カスト。やはりお前はここで私に粛清されるべき。伯爵様には私から伝えておいてあげる――裏切り者の醜い最期をね」


 ルクレツィアは持っていた傘を氷の剣に変え、大刀を振り回すリン・ユーに応戦していた。


「へっ、言ってくれますね……ルクレツィア。今回のことは、あなたにとって私を葬り去る好機、だったと」

「カストさん!」


 アーサーは時計をカストへかざし、時間を戻そうとした。

 だが、時計の針は反時計回りに少し動いた後、すぐに元の位置へ戻ってしまう。


「どうして……さっきまで動いていたのに」


 その後も数回試みたが、結果は変わらなかった。


「あなたは力を使いすぎた。その時計も……少し休んだ方が良い。手掛かりを得るためとはいえ、敵である私を守ろうとするとは」

「それは違いますよ。あなたは、僕たちと一緒です。失った人のことを思う、その心が。ただ一つだけ違うとしたら、その人がこの世にいるか、いないか。僕らは、その人がこの世で生きているという望みがあるから、いや、信じているから救い出さないといけない。伯爵を倒してほしいと言った、あなたのことも含めて」

「……あなたの言葉に、少し救われたような気がします。またいずれ、会い……」


 カストの体は全身が凍り付き、氷像と化した。


「あの裏切り者も少しは役に立ったようね。大層お疲れのようだが?」


 肩で息をするリン・ユーを見て、ルクレツィアは鼻で笑う。


「ぬかしやがる。少なくとも、お前のようなクソ野郎ではなかったはずだ……あの人形職人は。私情はどうあれ、仲間だろう? 何とも思わねぇのか?」


 リン・ユーの問いかけに、ルクレツィアは「裏切り者に用はない」と、即答した。その表情は氷のように冷たく、声には憤りさえも感じられる。

 リン・ユーは先ほどのカストとの一戦もあり、体力を消耗していた。今の彼にはルクレツィアの攻撃をかわすのが精一杯だった。


「この氷さえ、何とかできれば。ただ闇雲にカードを投げれば、かえってリン・ユーが危ないわ」


 シャルロットは、足元の氷で未だに身動きが取れないでいた。

 マリアが、肩に乗ったウィンディに呼びかける。


「ウィンディ、シャルロットさんを助けてあげて」

「コーン」


 ウィンディはシャルロットの元へ行き、彼女の顔を黙って見つめる。首を傾げる仕草を見せた後、首輪の鈴を彼女の足にくっつけた。シャルロットの足についた氷はみるみるうちに溶けていき、彼女はその場に座り込む。


「ありがとう、ウィンディ。長い時間凍らされていたから、感覚がないわ。そろそろ――私も行かないと、ね……」


 シャルロットはウィンディの頭を撫で、おもむろに立ち上がった。ふらふらした足取りでゆっくりアーサーとリン・ユーの元へ向かう。


「……私だっているのよ。忘れないでちょうだい」


 続いてウィンディは凍ったカストの足元へ行き、匂いをかぎ始めたが、まもなく大きな耳をびくりと動かし、マリアの元へ一目散に戻って行った。


「ウィンディ? どうかしましたの?」


 マリアがウィンディを抱き上げると、ウィンディは、「コーン」と一声鳴いてから、耳と目を動かし、何かを探しているようだった。

 そこへ、上空から黒い羽根が一枚、ひらりと舞い落ちる。一同が揃って空を見上げると、黒い羽根の生えた少女が見下ろしていた。


「あの餓鬼か? クソ餓鬼の言っていた堕天使の女は」

「間違いない……出発前、ババ様に見せてもらったあの子どもだ」


(待てよ……もしかしたら、カストさんの記憶に出てきたあの人形は……)


 アーサーはぞっとしたような目で少女を見上げる。少女の肌は陶器のように白く、銀色の髪を靡かせていた。


「何の用だ、オッタヴィア」


 ルクレツィアはリン・ユーから距離をとり、苛立たしげに少女に尋ねた。


「ルクレツィア、私と一緒に戻って」

「どういうこと? 私は伯爵様に命令されて、わざわざここまで来たのよ……裏切り者がいたようだけどね」


 ルクレツィアは、氷像と化したカストの方に目をやった。


「緊急招集よ。伯爵様が、あなたに戻りなさいと命令しているわ」

「あら、そう。だったら、やむを得ないわね……撤収する。が閉じるとロクなことがない」


 彼女は、近くに止めていた最新モデルの愛車をとてつもないスピードで走らせ、忘却の丘を去った。


「あなたも――一緒に」


 オッタヴィアは、アーサーたちを見下ろしながら歌い始めた。シャルロットの体が宙に浮かんでいく。

 驚いたシャルロットは悲鳴を上げた。


「シャルロットをどうする気だ⁉」


 睨むアーサーに対し、オッタヴィアは無表情で答える。


「伯爵様が、あなたたちをお待ちかねよ」


 彼女はシャルロットを連れ、上空へと飛び去った。


「待て!」


 アーサーはオッタヴィアの背に向かって叫んだが、反応はなかった。


「ババ様の言っていた、天使のような顔をした悪魔……アイツが、フラン兄さんのことを。おまけに、シャルロットまで……」


 拳を握り、悔しさをにじませていた。


「追うぞ、クソ餓鬼」

「あなたに言われるまでもないですよ。絶対に二人を助け出すんだ」


 アーサーは、カストの体に静かに触れた。


「あなたの意志……確かに受け取りました」


 マリアはオッタヴィアの行く先を黙って見つめていた。


「あの少女の飛んで行った方向からするに、恐らくローレンの孤城だと思いますわ」

「ローレンと言うと、僕たちがディアマーレへ行く前に列車を乗り換えた、あの?」

「そうです。あそこにシャルトーの別荘があります。カストさんの記憶に出てきたあの男性は若い時のシャルトーと瓜二つでした」

「シャルトーって……マリア様とフラン兄さんを城から逃がした宰相の?」

「ええ、恐らく……間違いありませんわ」

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