アーサーたちは忘却の丘を離れ、ディアマーレの駅まで戻る。ホームで十分ほど待っていると、ローレン行きの列車が入って来た。車内は決して広くはないが、疲れ切っていた三人にとっては、ありがたい休息の時間となる。


「これからですと、ローレンの孤城に着く頃には夜中になってしまいますわ」

「夜中ですか……マリア様、孤城とおっしゃっていましたが、城の周りには何もないのですか?」


 アーサーが問いかける。


「私も、幼い頃に二回ほど行っただけですので、記憶が曖昧ですが。城の周りを湖が囲んでいたと思います。湖には沢山の睡蓮が浮かんでいて、晴れた朝に湖を小舟で渡った時は、花が満開で綺麗だったことを覚えています」

「睡蓮か……初夏から初秋にかけて咲く花のはずだから、ちょうど今が見頃ですね。確か、寿命は三日間ほどだったと思いますが」


(ルクレツィアが去り際に言っていた『』が気になるな。どういうことだろう……)


 アーサーがふとマリアの隣へ目をやると、リン・ユーはすやすやと眠っており、表情はどこか穏やかだった。


「……珍しく静かだと思えば」


 シャルロットがさらわれたことで、当然二人の言い合いはない。

 だが、今となっては昼までのにぎやかだった風景が――たとえそれが二人のつまらない言い合いだったとしても――懐かしく感じられる。


「疲れ切ってしまったのね。無理もありませんわ、二人相手に戦ったのですから。ゆっくり、おやすみなさい」






 およそ二時間後、列車はローレンの駅に到着した。朝に宿で食べたきり、何も食べていないことに気付いたアーサーたちは、駅の近くにある飲食店へ入り、夕食を済ませることにした。

 店内の奥からはトランプのポーカーゲームやダーツで盛り上がる客たちの声が響いており、厨房のあるカウンターでは店の亭主が酒をせっせと作っている。


「いらっしゃい、この時間に若いお客さんとは珍しいね」


 店内に漂う料理の匂いにつられたように、アーサーは腹を鳴らし、顔を赤くした。


「恥ずかしい話ですが、朝食べたきり、何も食べていないことに気が付いたので……」

「そうでしたか、それならゆっくりしていくと良い。どうぞ、空いている席にお座りください」


 亭主は作った酒を別の客がいるテーブルへ置くや否や、マリアの胸元へ目をやった。


「おや? その首飾りは……お客様、こちらへ」


 三人は亭主に案内されるがまま、店の奥にある階段から二階へ上がった。


「まさか王女様がご一緒とは思いもよらず、ご無礼をお許しください」


 亭主は跪いた。


「お顔をお上げください」


 マリアは取り乱した様子もなく、亭主に手を差し伸べる。


「勿体なきお言葉です、姫様。フィリップ王が病に臥されてからというもの、風の国は宰相シャルトー殿の天下。民の多くは重税に苦しみ、国境にあるこの街を超え、水の国へ逃げたと聞きます。その上、王のご息女、ご子息は共に行方不明であると。まさかこのような場所であなた様とお会いできるとは思いもよりませんでした」

「私たちはこれからシャルトーの別荘へ向かおうと考えております。囚われの身である私の弟を救い出すために……」

「弟君が捕らわれの身に⁉ 何たることだ……昔からこの地域では、真夜中の二時半を過ぎると魔物が徘徊すると言われております」

「ま、魔物ですか?」


 アーサーは瞠目した。


「はい、昼間は湖の奥底で眠っている魔物が夜な夜な活動を始め、午前二時半を過ぎた頃、湖を出て周辺の森を徘徊すると……あくまで言い伝えですが。子どもを寝かしつけるために、昔の人間が考えた迷信かもしれません。ですが、一応ご忠告まで。よろしければ、こちらの部屋をお使いください。狭いですが、一晩体を休めるには十分でしょう。後ほどお食事の方もお持ちいたしますので、まずはごゆっくりお過ごしください」


 扉を閉め、亭主は一階へ下がっていく。


「『草木も眠る丑三つ時』って奴か。東洋にも似たような話があるが、あれは迷信だろう」


 リン・ユーは、長椅子に踏ん反り返りながら言った。


「それなら良いですが」


 アーサーは椅子に腰を掛けたまま腕を組み、忘却の丘での出来事を思い返していた。


(オッタヴィアという子どもが、記憶の中に出てきた人形だとしたら、リン・ユーの言っていた堕天使というのも説明がつく……けれど、どうも腑に落ちない。リン・ユーが言っていたように、錬金術がリスクを伴うものなら、そうまでして伯爵が人形に命を吹き込んだのはなぜだろう)


 二、三十分ほどがたち、食事が運ばれて来た。室内が食べ物の匂いで満たされる中、アーサーだけは一向に食事が進まない。その様子を見たリン・ユーが、


「食わねぇのか?」

「どうもそういう気分になれなくて……」


 それを見たマリアの手も止まった。

 リン・ユーが苛立たしげに、


「『腹が減っては戦はできぬ』……食わねぇとこの先もたねぇだろ? 疲れているのならなおさらだ」

「それは……」


 アーサーは返す言葉がなかった。朝から移動が続き、食事がとれていなかったこともそうだが、時を操る力を使いすぎたことで、カストを救い出すことが出来なかった。力が残っていれば、カストを凍らせずに済んだかもしれない。もしかしたら、シャルロットがさらわれることもなかったかもしれない。後悔だけが先に立ってしまう。


「助けたいんだろ? ……てめぇの兄貴分を」


 リン・ユーの「兄貴分」という言葉で、アーサーの目の色が変わる。


「もちろんです、そのためにここまで来たんですから!」

「だったら食え。……足手まといは、御免なんでな」


 アーサーは黙って食事に手をつけた。マリアも安堵の表情を浮かべ、再び食べ始める。

 料理はどれも温かくて味つけもほど良く、空腹だったアーサーたちの腹を満たしてくれた。亭主がウィンディのためにと、味付けをしていない焼いた肉を一緒に持ってきてくれたおかげで、ウィンディもすっかり機嫌を良くした。

 それから二時間ほど仮眠をとったところで、リン・ユーは皆を叩き起こした。


「行くぞ」

「えっ? 今からですか?」


 アーサーは寝ぼけ眼で大きな欠伸をする。部屋に掛けられた時計の針は午前二時を指していた。


「相変わらず悠長な餓鬼だな。今なら恐らく敵の方も寝静まっている。奇襲をかけるなら今のうちだ」

「それはそうですが……もし、家主の方の言っていたことが本当だったら」

「あんなもの、迷信に決まっているだろう……馬鹿馬鹿しい」


 店が閉店していたため、四人は裏口から出ることにした。マリアは出かけに亭主の寝室の前にある小さなテーブルに感謝の言葉を記した手紙と、食事の他、宿を提供してくれたお礼にと金貨を三枚置いて行った。

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