第二編 独白
第六章 闇に堕ちた亡霊
Ⅰ
私は、水の国南端に位置するディアマーレという港町で育った。当時、町の人形職人としては非常に名高いメラトーニ・ダッチェに七歳で弟子入りし、家計を支えてきた。
メラトーニは父親の旧友で、病に伏した父に代わり、私や家族の面倒を見てくれていた。
私が十五歳になった年の春、
「カスト、今日でお前がこの工房に来て何年になる」
「丁度八年になります」
メラトーニはいつになく笑顔だった。私の作品を眺めながら、
「八年か。なあカスト、そろそろ独立してはどうだ?」
私は持っていた錐を机に置き、彼の顔をまじまじと見つめた。
「今、何と……」
「ははは、驚いたか。お前も今日から一人前の人形職人だ。俺が保証しよう」
「親方……」
予期せぬ話に何と言葉を続けたら良いか分からなくなってしまったが、
「ありがとうございます。とても光栄です」
と、咄嗟に答えたのを今でも覚えている。メラトーニに認めてもらえたという喜びはあったが、それ以上に彼や兄弟弟子たちの元を一人離れる不安や戸惑いの方が遥かに勝っていた。
「そうと決まれば、お前の新しい工房探しだな。実は今朝方、フィラネッツェ横丁の代表から手紙が届いてな、横丁に一件空きがあるから弟子を一人寄越してはもらえないかと申し出があったんだ。これも何かの縁だと思うぞ、一度行ってみてはどうだ?」
差し出された真っ黒な封筒には白字でこの工房の住所が綴られており、隅には太陽を彷彿とさせる模様が施されていた。思えば、真っ黒い封筒に白字など、奇妙なことこの上ないが、当時の私は差し出されるまま、封筒から便箋を取り出し、目を通した。
拝啓 メラトーニ・ダッチェ殿
水の国一番の繁華街と称されるフィラネッツェ横丁ですが、この春に石工のオーナーが高齢で引退したことに伴い、一件の空き店舗が出てしまいました。
そこで、町一番の人形職人として名高いあなたへ一つお願いがあります。
あなたの愛弟子を一人、店舗のオーナーとして独立させてはもらえないでしょうか。
あなたが手塩にかけて育てた弟子であれば、我が横丁でも一、二位を争うほどの人気店に成長することでしょう。
良い返事をお待ちしております。
敬具
フィラネッツェ横丁代表 J・F
「親方がそうおっしゃるなら、そうさせていただきます」
この時の私は、たった一通の手紙が己の……いや、町の運命を変えることになろうとは、夢にも思わなかった。
「そうだ……あれを渡さないとな」
メラトーニは部屋の奥から茶色い小箱を取り出して、私に差し出した。
「師弟の証として、お前に指輪を進呈する。かの有名なダンテ・カルロッサの作品だ」
まばゆいばかりの光を放つ紫色の石がついた指輪。あまりの美しさに、私はしばし見とれていた。
「あのダンテの指輪を……大切にします!」
宝石職人であるダンテの制作した指輪は、大変貴重で非常に高価な物だった。メラトーニとお揃いの指輪を手にし、人形職人として更に精進することを心に誓った。
工房から帰った後、父と母に店のことを話すと、二人は大変喜んでくれた。特に、寝たきりの父からは、
「お前に模した人形を作っておくれ。お前が家を空けている間、人形をお前の分身だと思って病に打ち勝ちたい。いつまでも、母さんやお前に苦労ばかりかけるわけにはいかないからな」
私は父に一日でも早く渡そうと、その日から自分そっくりの人形を必死に作り始めた。
店は古い店舗を改装したため、一か月も経たないうちに開店することが出来た。看板には人形を模したレリーフを掘り、店名は代表の勧めで「ルーチェ人形専門店」とした。「ルーチェ」とは、この国の言葉で「光」を意味する。フィラネッツェ横丁の光となるべく、私はただひたすら人形を作り続けた。
そんなある日、店に一人の男が現れた。男の見た目は四十歳ぐらいで、真っ黒いコートに身を包み、シルクハットを深めに被っていた。
「いらっしゃい」
「私に人形を作ってはくださらぬか?」
「かしこまりました。お客さん、名前は?」
男は名乗らなかった。
だが、男からはただならぬ雰囲気を感じた。男の注文を詳細に聞き、制作に当たった。
それから約二週間後、男は布の包みを手に、再び店へと訪れた。
「出来上がりましたかな?」
「こちらが、ご注文いただいた人形です」
「ほぅ、良く出来ておりますな。では、早速……」
男は布から古めかしい髪飾りと、オレンジ色の石を取り出して人形の上に置いた。
「さて……」
男が人形に手をかざした直後、辺りは闇に包まれた。
「……お客さん?」
私は闇の中で問いた。すると、人形は独りでに起き上がり、男と私をじっと見据えていた。背中には黒い羽根が生え、手にはオレンジ色の石がついた髪飾りを持っていた。その髪飾りを人形は自らの髪につけた。
「成功だ」
「これは、紛れもなく私の作った人形。……人形に、命が宿ったのか?」
「いずれ、お前もそうなる……」
闇から解き放たれ、私が我に返った時、男の姿はもうなかった。カウンターの上には、先ほどの人形はなく、代わりに金貨が置かれていた。
「……今のは……何だ?」
私はしばらく茫然としていた。
開店から半年が経った頃、父の様子を見に行くため、その日は午後三時で店を閉め、横丁を後にした。外に出ると、昼間だというのに空が薄暗かった。
父のために制作した人形を手に、足早に実家を目指していると突然、大きな爆発音が聞こえてきた。その瞬間、辺りは真っ暗になり、太陽は月ですっぽり隠れ、僅かにぼけた環のような物が見えた。
「皆既日食? にしても、さっきの爆発音は……」
わけの分からない悪寒が私の背中を走った。それから夢中で走った。町に近づけば近づくほど焦げ臭いにおいが漂う。
町にたどり着くと、目の前に広がるのは瓦礫の山と所々で燃え盛る火。私は声を上げた。
「父さん、母さん……皆、どこ?」
直後、背後から「がらがら」と崩れ落ちる音に加え、私を呼ぶ声が聞こえた。
「カスト!」
振り返ると、私は何者かに体を強く押され、地面に倒れ込んだ。
「痛っ……」
気が付くと、メラトーニが目の前で倒れており、瓦礫の下敷きになっていた。私はしばらくの間、声を上げることも出来ず、茫然としていた。
「良かった……助かった、ようだな」
「お、親方――どうして……」
それから私は、彼に乗った瓦礫の山を無我夢中で避けていた。
「いったい何が起こったというのです。父さんや母さんは? 親方、どうして私なんかを。あなただけでも逃げて下されば良かったのに!」
「弟子が、死ぬ様を……見たくはない。親不孝ならぬ、師匠不幸……というものだろう。お前の親は……残念ながら」
メラトーニが指した先は、他でもない私の実家だった。家は跡形もなく崩れている。
「これは悪夢だ……私は悪い夢を見ているに過ぎない。現実なんかじゃないんだ!」
家の瓦礫を避けようとした時、遠くから崩れ落ちる音が聞こえた。
「カスト……お前だけでも、逃げろ。これを……お前に」
メラトーニは持っていた物を私に差し出した。
「これは、親方の指輪」
「忘れ形見として、受け取っておけ。この指輪を手にすることなど、後にも先にも、ないだろう。ダンテの作品は、ひとつとして同じ物がない。お前の持つ……揃いの指輪であっても、な」
「馬鹿なことを……言わないでください。家族だけではなく、親方まで失ったら……私は」
再び大きな爆発音が聞こえ、メラトーニと私の間を遮るように瓦礫が降ってきた。
「迷うな、逃げろ! 走り続けるんだ!」
人形と、親方にもらった指輪を握りしめ、私は無我夢中で走った。
だが、激しい爆風とともに辺りは炎の海に包まれた。
その時、二つの指輪からは鮮やかな紫色の光が放たれ、光の膜は私の体を包み込んだ。
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