Ⅲ
店を出たアーサーたちは、横丁の入り口へ移動しながらも次の行動を決めかねていた。
「さて、これからどうするか」
リン・ユーが腕を組み、考えていると、
「事件のあった前年に当たる一七八七年に移動したらどうでしょう。その頃と今の街並みを比較したら、何か手掛かりを得られるかもしれない」
アーサーの提案にシャルロットが頷く。
「確かに、事件の前の年に行けば安全だし、今との違いも分かりそうね。聞き取り調査も可能かしら?」
「過去ではなるべく人との接触を避けたい。何が歴史を変えてしまうか、分からないところがあるから。僕たち時の民には『時空の大罪』という掟が存在します。歴史を変えてはならないことはもちろん、他にも『過去の人間に未来のことを告げてはならない』というものがあります。くれぐれも未来を匂わせるような言動は慎んでください。僕たちにとっては過去のことでも、当時の人々にとっては未来の出来事だから」
「了解よ、アーサー」
「分かりましたわ」
「時間もない。さっさと連れて行け」
アーサーは大通りを挟んだ横丁の向かいにある茂みまで三人を誘導し、懐中時計の針を百二年前に合わせた。
「三人とも、僕の肩に手を。今からとてつもない速さで時間を移動することになるので、目を閉じてください。人によっては酔うかもしれないから」
アーサーに言われたとおり、三人は彼の肩に手を置き、目を閉じた。ウィンディもマリアの肩に乗り、尾で自分の両目を隠す。
アーサーの「着いた」という合図で、三人は彼の肩から手を離した。
「これが、百二年前のフィラネッツェ横丁? この茂みから見えていた景色だけでも、変わっているように見えるわ。さっきはあの辺に民家なんて見えなかったもの」
シャルロットが茂みの斜め向かいにある民家を指して言った。
「そりゃ一世紀も時間がたっていりゃ、変わっていたって何の不思議もない。ましてや、町の半分以上が吹っ飛んでいるんだ……なおさらだろう」
「ここからは二手に分かれよう。マリア様とリン・ユーは横丁の右側の並びを、シャルロットと僕は左側を。店の並びや特徴などを簡単にメモしてください。終わったらこの茂みに戻りましょう」
「そうしましょう。ユー、一緒に来なさい」
リン・ユーが文句を言う前にマリアは彼を連れ、右側の並びへと向かう。
「僕たちも行こう」
アーサーもシャルロットと横丁へ向かって歩き出した。シャルロットが店の名前を読み上げ、アーサーがメモを取っていく。
「仕立屋に宝石店、パン屋……一番奥が銀行か」
「銀行はそのままなのね。少なくとも、銀行と人形店は変わっていないってことかしら」
メモを取り終わり、先ほどの茂みへ戻る。
まもなく、マリアたちも戻ってきた。互いに取ったメモの内容を確認するが――。
「さっきの人形店、この時代にはなかったぜ」
リン・ユーの言葉に、アーサーとシャルロットは目を丸くした。
「おかしいわね。それとも、さっきの人の思い違いかしら?」
「まあ、この一年、二年先に出来ている可能性もあるが。何とも言えん」
横丁から三マイルほど離れたディアマーレ南部へと向かう。南側に行くにつれ、民家の数が増えてきた。
「民家がたくさん。あの塔は?」
シャルロットが指さした先を一同は見上げた。塔は、空に浮かぶ雲へ向かって高々と伸びているように見える。塔を目指し、黙々と歩いていくと、教会に行き着いた。教会の門は閉ざされている。
「ここは恐らく……セント・ナザリア教会――事故のあった大元ですね」
アーサーは扉に近づき、耳を澄ませた。中から聖歌が聞こえてくる。教会の外観からはどこか重々しい雰囲気が伝わってくる。門の上にある半円アーチには現地の芸術家が描いたと思われる絵画や彫刻が施されていた。
「町の半分というと、ここからフィラネッツェ横丁より南側の部分か……」
アーサーが腕を組み、呟いていると、リン・ユーが問いかけた。
「おい、中には入れねぇようだが、どうする?」
「そうですね……」
アーサーが噴水の近くを横切った時、ポケットから光が漏れだした。
「眩しいわ! アーサー、ポケットから光が……」
シャルロットが片腕で顔を隠しながら、アーサーのポケットの方を指さした。
「確か、ラニーネ急行の時にも……誰かに見られると面倒だ。いったん戻ろう、ここから現代の忘却の丘へ」
三人は再びアーサーの肩へ手を乗せる。
現代に戻ると、アーサーはふらつき、その場に座り込んでしまった。
「アーサー、大丈夫?」
シャルロットが慌ててアーサーの体を支える。
「大、丈夫……少し疲れただけだから。それより、これは……」
辺り一面に広がる瓦礫の山を目の当たりにした四人は互いに我が目を疑った。フィラネッツェ横丁とは違い、華やかさなど微塵もない。加えて、百二年前のようなのどかな風景とは程遠く、当時厳かな雰囲気を醸し出していた教会は見る影もなかった。
町の様子を詳しく見ようと、アーサーは一歩二歩と足を踏み出したが、地面は砂で覆われており、砂に足が取られてしまう。その上、時折吹く海からの風で砂が舞い上がり、その度に視界が遮られる。おかげで、たった一ヤードを進むだけでも一苦労だった。
「……何か出てきそうね」
「それに、少し寒いですわ」
シャルロットは不安そうに辺りを見回し、マリアは肩に掛けていたストールの端を胸元まで引っ張った。
その様子を見たリン・ユーが自分の着ていた上着をマリアの肩にそっと掛ける。
「確かに、さっきまでと違って肌寒いですね……この砂の影響でしょうか。ラントの街のスモッグと一緒だ」
服についた砂を払いながら、アーサーは必死に前へ進む。
「遺跡と言っても、この辺一帯が廃墟で、瓦礫の山もそのままですわね。百年経った今でも何故、ここはそのままなのでしょうか」
「当時の貴族や豪商たちは競い合うように天へ向け塔を建てたというわ。恐らく、あの教会もそのひとつよ。その行為が神の怒りに触れたと考えられているらしいの。けれど、真相は藪の中ね」
アーサーが噴水の跡地を通り過ぎた時、再びポケットから光が漏れ出した。あまりの眩しさに全員が腕で顔を覆う。
「さっきと同じだ。まさかこの噴水に何か関係が……」
アーサーが崩れた噴水の中を探る。リン・ユーも傍へ行き、一緒に中を確かめた。
「おい、さっきと言い、その光は何だ?」
アーサーはポケットから瑠璃色の玉を取り出した。
「旅に出る前に、ババ様から持たされた玉です」
リン・ユーは驚き入る様子で、腕で目をかばいながら玉を二度見した。
「おい、まさかそいつは、伝説の……」
彼がそう言いかけた時、どこからかカタカタと音が聞こえる。
「何だ?」
アーサーとリン・ユーは辺りを見回すが、音の主は見当たらない。
「チッ、光で見えん……」
まもなくリン・ユーは周囲の異変に気付いた。体が細い糸のようなもので何重にも縛られている。
「いかん! マリア様が……」
だが、彼が動こうとした次の瞬間、刃物で切りつけられるような痛みが走った。
「リン・ユー!」
アーサーがリン・ユーの傷を確認しようとすると、
「やめておけ……動いたらちぎれるぜ。こいつは、見た目はただの糸だが、ナイフのように鋭くて硬い」
「だからと言って、このままにしておくわけには……」
玉の光が弱まり、ようやくシャルロットとマリアの姿を確認できた。
「マリア様!」
「ユー、私たち捕まってしまったようですわ」
「クソッ! おい、誰かいるのか!」
「動くな。動いたら無傷じゃすみませんよ」
風の音とともに、男の声が辺りに響き渡った。
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