第五章 嘆きの人形

 近くの民宿で一夜を明かしたアーサーたちは、ディアマーレの北側に位置するフィラネッツェ横丁へ向かうことにした。町の至るところに水路が張り巡らされているため、ゴンドラを使って横丁を目指す。陽気な漕ぎ手がオールで漕ぎながら歌を口ずさんでいる。



 ゴンドラに乗ってゆらゆらと

 旅人の目指す先いずこやら

 水の中地の中あてもなく探す

 ゴンドラに乗って見上げると

 広がるは紺碧色に輝く空

 太陽の光などお構いなし

 ゴンドラに乗ってやってくる

 青き瞳の見つめる先いずこやら

 聖なる剣が夜明けを待ち望む



「歌が上手ね」


 シャルロットが褒めると、漕ぎ手は笑顔で「グラッツェ!」と答えた。


「この歌は、俺たちゴンドリエが代々口伝えで教えられてきた歌の一つなんだ。特に、お客さんたちみたいに異国から来た人が乗った時には必ず歌うようにしているよ」

「確かに、旅人って歌ってらっしゃいましたものね。お見事ですわ」


 マリアからの拍手を受け、漕ぎ手は照れ笑いを浮かべた。


「朝から褒められると俄然やる気が出るよ。ディアマーレは『水の都』と称されるほどの美しい町だから、ぜひあちこち散策してほしい。フィラネッツェ横丁へはあの船着き場から左に歩けばすぐだよ」

「ありがとうございます」


 アーサーたちは乗船代を払い、フィラネッツェ横丁に向かって歩いた。横丁は賑わいを見せており、様々な店が軒を連ねている。


「素敵ね。あのドレスも、家具もすごく可愛らしい。目移りしてしまうわ」


 ショーウィンドウに飾られたドレスや調度品などを見て目を輝かせるシャルロットとは対照的に、眉間にしわを寄せるリン・ユー。


「おい、俺たちはマリア様の弟君を探しにここへ来たんだ。そんなことに費やしている時間なんざねぇんだよ、クソ女」

「何よ、その言い方! だいたい、あなたはね……」

「まあまあ、ここまで来たんだから、街を見学したり、聞き取り調査をするっていうのも、悪くはないんじゃないかな?」


 アーサーがシャルロットをかばったので、リン・ユーのかんに障ったらしい。


「あ? よくそういう悠長なことを言っていられるな。てめぇにとっても、大事な兄貴分なんだろうが!」と、声を荒げた。


「ユー、それ以上はおよしなさい」

「いいんです、マリア様。リン・ユーの言うとおり、フラン兄さんは僕にとっても大切な人です。血は繋がっていないけれど、大切な家族の一員だから。だからこそ、今は焦ったって仕方がないですよね。まずは情報を収集し、一つでも多くの手掛かりをつかんでいく。それが一番の近道だと思うんです。僕に考えがあります」

「チッ、勝手にしろ……クソ餓鬼が」


 クソ餓鬼――リン・ユーの口の悪さは今始まった話ではない。アーサーは怯むことなく、真剣な眼差しを向け続け、散策と聞き取り調査を皆に促した。

 だが、手掛かりを得ることは、そう容易いことではなかった。横丁の入り口に程近い一軒目と二軒目の店では、


「忘却の丘? つい最近店を開いたばかりだから知らないな」

「遺跡になっていること以外、分からないよ」


 などと言われ、それから一時間以上かけて十軒ばかり訪ね歩いたが、どこも同じような回答だった。

 正午まで後十五分になろうとした時、横丁のつきあたりにある銀行から手前に二件行った菓子屋へ入る。亭主に忘却の丘のことを尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。


「百年前の話っていったら、今この横丁にあるほとんどの店は営業していないからな。一番古い店でここの真向かいに当たるルーチェ人形専門店ぐらいだと思うよ。今はお孫さんが店を任されているはずだな」

「人形店ですか……そこはまだ聞いていないですね。ありがとうございました」

「歴史の勉強なんて、君たちは勉強熱心だな。頑張れよ」


 亭主は、アーサーたちを見送った後、顔に手をかざして変装を解き、すぐさま壁に掛かった電話へ手を伸ばした。


「俺だ、フォンテッド卿。例の報告どおり、奴らはこのフィラネッツェ横丁へやって来た。今頃、ルクレツィアがカストの店に向かっているはずだ」


『バルトロか。お主までわざわざフィラネッツェ横丁へ行ったのか』


「ああ、一応気になったんでな。その報告とやらが正しいのかどうか」


『何だ? わしの言葉が信用できぬというのか?』


「いや、そうじゃない。ただの用心ってやつだ。それよりルクレツィアの奴、ありゃ本気だな。本当にカストをやっちまうかもしれないぜ」


『カストを? ルーチェの稼ぎ頭の一人だということぐらい、あやつも知っておろう?』


「そりゃ、それなりの口実がなけりゃ、むやみに殺しはしないだろうが、いくら人の心に鈍感なアンタでも知っているだろう? あいつらがめちゃくちゃ仲悪いことぐらいさ」


『くだらぬ戯言はよせ。こうしている間にも日は刻々と暮れてゆくのだ。花が閉じる前にとっとと城まで戻って来い』


「はいはい、分かったよ。だが、忠告はしておいたからな」


 バルトロは電話を切り、足元に転がっている遺体へ目をやる。


「どうやら、勢い余ってここの主人を殺しちまったみたいだ……まあ、良いか」


 シルクハットを深めに被り、店を出た。


「んじゃ、お手並み拝見といこうか――爺さん」

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