第四章

漆黒の弾丸

 アーサーたちがディアマーレに到着した頃、風の国のとある居酒屋で、一人の女性がカウンター席にたたずんでいた。彼女はブロンド色の髪を頭上で丸め、青いドレスを身に纏っており、胸元には大きな水色のブローチを付けている。他にもイヤリングやネックレスといった宝飾品を身に着けており、頭上から照らし出されるライトでそれらが鮮やかに光り輝いていた。目元の青いシャドウとブルーピンクのルージュが彼女のバラのような美しさを引き出している。そのきらびやかで豪華な出で立ちはまさに、「歩く宝石」と言っても過言ではない。

 どれくらいの時間待たされているのだろうか――単に待つのが嫌いなだけかもしれないが――眉間には三本のシワ、頬杖をつき、片手には空になったカクテルのグラスを苛立たしげに揺らしながら持っている。


「まだお越しになりませんね」と、カクテルグラスを磨いていた亭主が話しかけた。


「ええ、本当に……今頃、どこをほっつき歩いているのかしら」


 そこへ、店の扉のベルが鳴った。

 シルクハットを深めに被ったその男は女性のいるカウンター席に近づく。


「よぉ、ルクレツィア。その様子だとだいぶ不機嫌だな……ラニーネ急行の一等室をキャンセルにされたのがよっぽど気に食わなかったかな?」


 男は「どかっ」と大きな音を立て、ルクレツィアの隣に座った。


「冗談はおよし。これも伯爵様からの命令……やむを得ない。私が言いたいのは、お前の到着が遅れたことよ、バルトロ」


 バルトロは胸ポケットからタバコとマッチを取り出した。タバコに火をつけ、吸い始める。


「悪かったな、レディを待たせちまって」

「これだけこの私を待たせたからには、収穫はあったんでしょうね」


 ルクレツィアは刺すような目でバルトロを睨みつける。生半可な理由では決して納得はしないというような気迫さえも醸し出していた。


「ははは……そう怒るなって。当然だろう、手ぶらじゃ帰らないさ。心配せずとも、例のブツは奴の手に渡ったはずだ」

「はず?」


 ルクレツィアの眉がぴくりと動いた。


「ああ……アンタともあろう人が、フォンテッド卿からの電報には目を通したんだろう?」


 今度はバルトロがルクレツィアの顔を見た。


「ええ、もちろん。その後にもう一通……本当に大丈夫なんでしょうね?」


 ルクレツィアは四つに折りたたまれた2枚の紙を小さな鞄から取り出し、カウンターに広げた。


「なるほど、思ったより報告が早かったってわけか。奴はフォンテッド卿のお墨付きだ、問題はないさ……それに、万が一の時は脳天目がけてコイツをぶっ放してやるよ」


 バルトロは拳銃をちらつかせた。


「相変わらず、容赦ないわね」

「おいおい、毎度のようにレーヴを凍らせちまうアンタには言われたくねぇな……雪の国のお妃様。まあ、頭に元が付くけどな」


 へらへら笑いながら言った。


「お黙りっ!」


 ルクレツィアはぴしゃりと告げ、カウンターを思いっきり叩いた。


「冗談だっての。レディのたしなみとして、その反応はいかがなものだい? いちいちそんなんでかっかしてっと、眉間のシワがまた増えちまうぜ……まあ、四十二にしちゃ、なかなかのべっぴんさんだと思うけどな」

「人前で歳の話をするな。十年後にはお前もそうなる」


 ルクレツィアはふんと鼻を鳴らし、そっぽを向く。

 それを見たバルトロは少々罰が悪そうに苦笑いを浮かべた。


「悪かった、悪かった……少し言い過ぎた。正確には九年だけどよ……ってまあ、冗談はこれくらいにして、例の小僧についてだが……」


 ルクレツィアの態度がごろっと変わった。頬杖をつくのをやめ、まっすぐバルトロに顔を向ける。


「時の民の印である懐中時計の他に、瑠璃色の玉を持っていた。赤毛で目の色はヘーゼル……」

「瑠璃色の玉を? 世界に二つあるとされる、あの玉を子どもが?」

「そう見て間違いないだろう……俺が見た光は」

「だったら、なおさら腑に落ちない」

「ん?」


 バルトロは何のことやらと言わんばかりの顔でルクレツィアを見た。


「伯爵様を悪く言うつもりは毛頭ないけど、こんな回りくどいことなんてしないで、初めから列車の中で片付けて、玉だけ奪ってしまえば良かったものを」

「おいおい、それをやっちまったら意味がないだろう。フォンテッド卿が欲しいのは玉そのものじゃない……まあ、この件で最も詳しいのはカストだと思うけどさ」

「あの皮肉屋が?」


 ルクレツィアは不満げな表情を浮かべた。


「俺とフォンテッド卿がかつて血眼になって探し回った、のありかを、な。まあ俺としても、どうせやるなら、とことんまでいたぶってやった方が何倍も面白い。特に、ああいう目をした純真無垢な子どもはさ」

「お前の悪い癖ね、バルトロ。遊びは勝手だが、くれぐれも伯爵様の逆鱗に触れることのなきよう」

「はいはい、ご忠告をありがとう。にしても、理不尽だと思わないか?」

「何が?」

「カストへの連絡手段だよ。あの店、電話はねぇし、電報だっていつ見るか分かんねぇし。カストの奴、人形を作っている時にリンリン鳴るのがうるさくてかなわないから、そんなものを付けるな、だとかぬかしてさ。本当、職人の考えることなんて、凡人には理解出来ないぜ。まだアンタは良いよな。フォンテッド卿にもらった最新鋭の車なら、あっという間にフィラネッツェ横丁に着くし、城への移動も楽々だ。だが、俺の馬車ならそういうわけにはいかない。夜になりゃ、花が閉じて面倒なことになるしさ」

「その皮肉屋への連絡役は私でしょ? お前は城に戻って伯爵様に状況を報告すれば良い。それに、忘れたの? フィラネッツェ横丁の周りは運河で囲まれているのよ」

「良いじゃないか。のんびりゴンドラにでも乗って、ついでに街ん中を散歩でもしてくれば良い。貴婦人が傘をさして優雅にゴンドラ……絵になるねぇ」


 ルクレツィアは大きな溜息をついた。


「何を悠長なことを言って……まったく、愚痴を言いたいのは私の方よ。お前と話していると疲れてくる。もう良い、飲み直すわ。マスター、をもう一杯ちょうだい」

ってことは……」

「シルバーブレット」

「ジンがベースのカクテルだったか? 相変わらず物好きだな、アンタは」

「あら、そう? そういうお前は、いつもの赤ワインじゃなくて?」

「ああ、そうだ……シャルパーレ地方特産の奴さ。おいマスター、俺にもいつものをくれ」


 そう亭主に告げた後、バルトロは貧乏揺すりを始めた。


「だいたい、名前が気に入らない……」

「名前?」

「カクテルの名前だよ。銀の弾丸なんかより、漆黒の弾丸の方がよっぽどさまになるぜ」

「あら、もしかして怖いの? まさか今回の子どもがお前を脅かすような逸材とか? それとも、どこかでお前のハートを射止めるようなお気に入りの子でも見つけた?」

「は? んなわけあるか。ったく、冗談じゃねぇ」


 バルトロは吸っていたタバコを灰皿に押しやり、ケースからもう一本タバコを取り出した。彼が大きく煙の息を吐くと、ルクレツィアは鞄から扇子を取り出し、ぱたぱたと扇ぎだした。


「お待たせしました、シルバーブレットです」

「ありがとう」


 亭主がルクレツィアの目の前にグラスを置いてまもなく、彼女はグラスを持ち上げ、一気に飲み干した。


「相変わらずの豪快な飲みっぷりだな。まあ、嫌いじゃないけどよ」

「お前に言われたくないわね。明日こそ、あの皮肉屋の青二才を黙らせてくる。減らず口をたたけないようにね。マスター、お代は置いておくわ」


 ルクレツィアは、財布から銀貨一枚を取り出し、テーブルの上に置いた。それから、テーブルに引っ掛けていた青い傘を手に取り、席を立つ。


「返り討ちに遭わねぇように気を付けな」

「あら、心配してくれているの? 珍しいじゃない。けれど、お前に心配されるような私ではないわ」

「おやおや、すごい自信だ」


 扉についたベルの音が再び響く。


「……はぁ、分かっちゃいねぇな」


 店内が客たちの会話でざわつく中、バルトロは出された赤ワインをぐいと飲み干し、大きく息を吐いた。


 ――シルバーブレット、か。

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