異空間へ飛んでいるような気分にかられ、アーサーが目を開けると、異なる色の羽根の生えた四人の天使が彼を囲み、まっすぐこちらを見つめている。最初に本を持った赤い羽根の天使がアーサーに近づいた。その天使は本をぱらぱらと開き、厳かな様子で彼に告げる。


「汝はこれから数多の試練を乗り越えなくてはならない。覚悟は出来ているか?」

「勿論です、天使様。僕は何としてもフラン兄さんを助けたい……いや、必ず助け出します。例えこの先、どんな大きな障害が待ち受けていようとも!」


 アーサーが真剣な眼差しで答えると、四人の天使たちは彼の体に触れる。


(体の中が熱い――何だ、この感じは。まるで自分の体内で何かが動いているようだ)


 今度は、ラッパを持った白い羽根の天使が告げる。


「不安がることはない……お前の心の中を覗いているだけだ」

「……僕の、心の中を?」


 緑色の羽根の天使が天に向かって杖を掲げると、辺りに心地よい風が吹く。緊張でがちがちに固まっていたアーサーは、全身から力が抜けていった。

 最後に、剣を持った金色の羽根の天使が言う。


「清らかな心を持つ少年よ。立ち止まらず、前へ突き進むが良い」


 天使たちから神々しい光が放たれた。






 気が付くと、アーサーの目の前には青々としたのどかな田園風景が広がっていた。

 風が吹き、収穫間際の小麦が折り重なるように穂を揺らす。


「……こ、ここは?」

「アーサー、あなたも無事に通れたのね」

「シャルロット、ということは君も」

「入るのをだいぶ躊躇していたようだがな」


 声のする方へ二人が振り向くと、リン・ユーが腰に手を当てて立っている。


「さて、マリア様がお待ちかねだ。あの白い邸宅にいらっしゃる」


 前方に見える真っ白な屋根と外壁の屋敷を指さした。


「いちいち嫌味な男ね。そんなことばかり言っていたら、あなたの言うマリア様っていう人に愛想つかされても知らないからね!」


「ふん、てめぇに心配なんかされる筋合いはねぇよ、ぎゃあぎゃあ喧しいクソ女が」

「何ですって⁉ だいたい、そのスカートみたいな服は何? 女の子じゃあるまいし」


 シャルロットがリン・ユーの服を指さした。


「あ? れっきとした祖国の戦闘服だ。女の服と一緒にすんじゃねぇよ」

「それなら僕の国でも民族衣装にスカートがあるよ。男女関係なくはいているね」

「あら、そうなの?」


 はじめは二人をなだめていたアーサーだったが、シャルロットが屋敷に着くまでリン・ユーのことを聞こえよがしにぶつくさ言うので、屋敷に着く頃には無言になっていた。


(はぁ……早く着かないかな)


 ようやく屋敷に着き、リン・ユーがドアノッカーを鳴らす。


「はいはい、ただいま」


 と、中から声がする。扉が開き、エプロンをつけた壮年の女性が三人を出迎えた。


「ハンナか。客人だ」


 リン・ユーが仏頂面で告げると、ハンナはメガネの縁をくいと手で持ち上げ、アーサーを凝視する。


(な、何だ? この人……)


 アーサーは思わず目をそらし、一歩、二歩と下がってしまった。するとハンナは、「はぁ」と呆れたような声を出し、首をぶんぶん横に振った。次いでシャルロットを上から下までじっと見つめ、頷く。


「そちらのお嬢さんはともかく、あなたのその格好は……」


 アーサーはラニーネ急行での出来事を思い出し、やや俯いたが、ハンナは続けた。


「上から下まで泥だらけ。リン殿と同じく、やんちゃな殿方とお見受けしますね」

「あっ、すいません。これは……」


 アーサーが足を踏み外した話をする暇もなく、


「マリア様から伺っております。『御客人を丁重にもてなすように』とのことでしたので、先にこちらへご案内しましょう。どうぞ、中へ」


 ハンナが案内した部屋には背の高いタンスが置かれており、彼女がタンスの扉を開けると、中にはたくさんの服がかけられている。


「坊ちゃまが昔お召しになっていたこの服なら、あなたにちょうど良いかもしれませんね」


 ハンナは一着の服を取り出し、アーサーに差し出した。


「あの……坊ちゃま、というのは?」


 アーサーが恐る恐る尋ねると、ハンナはぶっきらぼうに答えた。


「マリア様から、直接お聞きになっては? さあ、もたもたしないでてきぱきと! 着替え終わったら、さっさと部屋の外へ出てくださいまし!」


 と、部屋のカーテンをぴしゃりと閉めてしまった。






 部屋の外では、シャルロットが待ちくたびれた様子で不機嫌そうに立っていた。

 ハンナに導かれ、応接間へ入ると、中央にはテーブル一つと椅子二脚が置かれている。

 そこから小さな階段を二段上がった場所でマリアが装飾の施された椅子に座り、三人を笑顔で迎えた。彼女の右隣にはリン・ユーが自身の右側に大刀を置き、床で胡坐をかいている。また、反対側には小さな椅子が置かれており、上にウィンディが体を丸めるようにして昼寝をしていた。


「お座りください」


 マリアに促され、アーサーとシャルロットが着席する。


「服のサイズがぴったりだったようで何よりですわ」

「ありがとうございます。すいません、急に屋敷へお邪魔した上に、お気を使わせてしまったようで」

「構いませんわ。では、改めて自己紹介をさせてもらいますわね。私はマリア。この桃源郷の領主です。こちらはハンナ、他の世話人たちと一緒に私の身の回りの世話をしてくれています。そして、リン・ユー、私の護衛をしている者です。アーサーさんとシャルロットさんでしたわね」

「先ほども尋ねましたが……なぜ、僕らの名を?」

「私は人の心を読むことが出来ます。あなたにお会いした時、心の中を読ませていただきました」


 アーサーは額に触れられた時のことを思い出した。


「そうか、あの時に。では、あなたの弟と言うのは……」

「お察しの通り、フランシスのことですわ」

「やはりそうでしたか。あなたに初めてお会いした時、フラン兄さんと目が似ているような気がしました」

「フランシスを兄弟のように慕っていただいて光栄ですわ。十年前まで私とフランシスは、風の国の王位継承者として宮廷におりました」

「お姫様だったんですか?」


 シャルロットは目を丸くした。


「フラン兄さんが……王子?」

「ところが、父が病に倒れると宮廷内では不穏な動きが見られました。幼かった私たちに代わって、王位を継承しようとする者が現れたのです。父は私たちの身を案じ、宰相のシャルトーに命じて宮廷の外に出しました。しかし、追手の動きは素早く、途中で弟とはぐれてしまいました。偶然私は世話人数人とこの桃源郷へたどり着きましたが、弟の消息はつかめないまま。探しに行きたい気持ちと、追手に見つかるのではないかという恐怖……恐怖の気持ちの方が勝っていたと思います。ですが、本日あなたとお会いし、ようやく分かりました。弟は、確かに生きていたのですね」

「はい。しかし、今は捕らわれの身……どこにいるのか、生きているのかさえも、分かりません」


 アーサーはがっくり肩を落としながら答えたが、すぐに顔を上げ、マリアの目を見つめた。


「ですが、僕はフラン兄さんを助けるために、今回旅に出ました。フラン兄さんが生きていると信じたい……いや、兄さんは必ず生きていて、僕が助けに来るのを待っていると思います」

「あなたは、そこまで弟のことを……弟を思う気持ちは私以上かもしれません。血の繋がっているこの私よりも。私は今まで逃げてきました。追手から逃れることばかりを考え、ただひっそり、この谷で生きていけば良い、と」


 マリアの目から大粒の涙が零れた。


「それで、外部からの侵入を恐れていたんですね」

「それにしても、ノワール渓谷の奥にこんな田園風景が広がっているなんて。まるで異世界だわ」


 シャルロットは窓からの景色を眺めながら呟いた。

 リン・ユーは嘆息し、面倒臭そうに答える。


「時空の狭間――正確には、ここは谷の中であって、そうではない……てめぇの隣にいる時の民なら、知っていても良さそうなものだが」


 リン・ユーの放つ冷たい視線に、アーサーはたまらず眉尻を下げた。


「時の民として、僕はまだ半人前……知らないことの方が多い。ですが、フラン兄さんを助けたいという気持ちは誰よりも強いと自負しています。ただ、問題はフラン兄さんがどこに連れていかれたか、手がかりと言えるものがほとんどなくて……」


 布袋に入れていた黒い羽根を取り出す。


「羽根の生えた少女が風の国の方向に飛んでいったことと、家の近くに落ちていたこの羽根ぐらいです」


 リン・ユーは目を皿のようにして驚いた。


「その羽根……まさか堕天使の?」

「堕天使? 天使が神様に反逆して悪魔になったっていう話?」


 シャルロットの問いに対し、リン・ユーは首を横に振った。


「俺が各地を流浪していた時だが、錬金術で死んだ人間の魂を召喚すると、そいつの背中に黒くでかい羽根が生えるという話を聞いたことがある。それを堕天使と呼ぶ。まあ、死んだ人間を生き返らせること自体、天命に反逆したことになると思うが……とは言え、あれはただの言い伝えだと思っていた。だいたい、リスクが大きすぎる。そいつをやってのけるような人間が、果たしてこの世にいるのか?」

「……いるわ。ジャックウェル・フォンテッドよ」

「ジャックウェル・フォンテッド?」

「シャルロットがさっき言っていた錬金術師のことだね。だいぶ昔の人だと思うけど」


 と、アーサーが答えた。


「ええ、今から百年以上前に活躍した人よ」


 シャルロットの「百年」という言葉を聞いたマリアは目をぱちくりさせ、リン・ユーは呆気にとられたような声を出した。


「おいおい、それが本当ならかなりのじいさんってことになるぜ。そもそも、そこまで長生きする人間がいるのか?」

「ラニーネ急行で聞いたのよ。バルトロという男が、ストーンをフォンテッド卿の手土産にするって」


 アーサーは腕を組み、思案した。


「……ストーンを手土産に、って言っていたけど、確かストーンは元々一つの塊だったよね。欠片を全て集めることが目的だとすれば?」

「強大な力を握ることになるわ。待って、フランシスさんは風の国の王子様だけど、時の民の集落に移住したのよね? ということは、アーサーと同じ時計を持っているってこと?」


 シャルロットはアーサーの懐中時計を指さした。


「ババ様が渡しているはずだ。ってことは、その力を使ってフォンテッド卿は過去と未来を行き来している可能性があるね」

「そうだとしたら、今までの逸話も説明がつくわ。歴史が変わった可能性も捨てきれないわね」

「歴史が……変わる?」

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