「だ、誰かいる……」


 辺りを見回すが、人影はない。


「追手かもしれないわ。アーサー、気を付けて」


 二人が辺りを警戒していると、草をかき分ける音と「ヒュー」と吹く風の音がほぼ同時に聞こえた。


「アーサー、上よ!」


 シャルロットが指をさすと、細身の男が大刀を振り回しながらアーサーを目がけて勢いよく降りてくる。アーサーは辛うじて避け、地面に転がり込んだ。起き上がると、男の大刀の刃先は先ほどアーサーがいた場所を躊躇なく突き刺している。


(あと少し気付くのが遅かったら、今頃僕は――串刺しになっていたかも……)


 アーサーの額からは冷や汗が流れていた。


「おい、どこからわいて来やがった」


 男は、大刀の鞘を背負い、東洋風の黒い装束に身を包んでいた。長い黒髪を後ろで束ねており、鋭利な刃物を連想させるような眼光で二人を睨んでいる。


「わ、わいてきたって、虫じゃあるまいし、失礼ね!」

「侵入者がぞろぞろと……まとめて叩き切ってやろうか」


 男は地面から大刀を軽々と引き抜き、振り上げる。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 僕はあなたと争う気は……」


 男はアーサーの言うことに聞く耳を持たなかった。


「問答無用!」


 男が大刀を振り下ろした時にはアーサーは右に避けていた。男はむきになり、何度もアーサーを目がけて大刀を振り下ろす。右に、左に、後ろへ……アーサーは大刀を避けるので精いっぱいだった。


「どうした? 防戦一方か?」


 フランシスから簡単な体術や剣術を教わっていたので、最低限の対処は出来る。だが今は、刀や銃を持っているわけではない。代わりに、時計を使って相手の時間を止め、ここから脱出する方法もあるが、不必要な争いは出来るだけ避けたい。何か方法はないかと思案していたところ、


「待って!」


 と、シャルロットが大声で叫んだ。


「『黒き谷、迷いし風の子羊に聖女の導きあり』……あなたにはこの意味がわかる? 私たちは聖女様を探しにここへ来たの。じゃなかったら、こんな気味の悪いところなんか、誰も来ないわよ」

「……マリア様を? ならば一つ問う。てめぇら、どこの国の者だ?」

「私はシャルロット、風の国の者よ。彼はアーサー、時の民……」

「風の国の者がいたか、ならば案内してやる。だがここから先、異国の民を通すわけにはいかん。今すぐこの谷から立ち去れ。まあ、無事に出られればの話だが」

「無事に、って?」


 シャルロットが尋ねた。


「この谷には蛇や熊などの動物も多く住んでいる。たとえ、そいつらから逃れられたとしても、谷に働いている特殊な力で、てめぇらの方向感覚を狂わせることになるだろう」


 アーサーが懐中時計に目をやると、時計の針はくるくる回り続けていた。どうやらこの男の言うことは間違いない。

 だが、ここで引き下がるわけにもいかない。


「僕は今、大切な人を探しています。その人を見つけるために、何か一つでも手掛かりを得られれば……それだけの思いでこの谷までやってきました。だから、ここで帰るわけにはいかない。どうか一度、聖女様に会わせてはもらえないでしょうか」

「大切な人? はっ、そいつはお気の毒に、としか言いようがないな。今この俺が従うべきお方は、マリア様だけ。ここを通ろうというなら、俺が相手になってやる!」


 男は再び大刀をアーサーの頭上へ振りかざそうとした。

 その時、「チリーン」と鈴の音が鳴り、辺りにそよ風が吹いた。かすかだが、「コーン」と狐のような鳴き声が聞こえる。鈴の音はどこか優しく、次第に大きくなってきた。


「安らぎの鈴、ウィンディか……ということは、マリア様も」


 男は大刀を鞘へ納め、片膝をついた。

 男の前には、耳が大きく、額に緑色の飾りがある猫のような動物と、青い瞳で長い金髪の美しい女性が立っている。女性は緑色の大きな石が埋め込まれたティアラを頭に乗せ、真っ白なドレスを身にまとっていた。ところどころに大小のダイヤモンドが散りばめられていたので、この暗がりでも十分に分かる。


「ユー、この方たちは?」


 女性が尋ねると、ユーは膝をついたまま深々と頭を下げた。


「マリア様をお探しとのことで。ですが、うち一人は時の民……異国の者を立ち入らせるわけにはいきません」


 上の方から様子を眺めていたシャルロットも、一枚のタロットカードを浮かべ、アーサーの隣へゆっくり降りてきた。


「あなたがこのメモにあった聖女様でしょうか」


 アーサーはラニーネ急行で拾ったメモをマリアの前に差し出した。


「聖女だなんて……そんな大それたものではありませんわ。ですが、これをいったいどこで?」

「ラニーネ急行の中で見つけました。捕らわれの身となった僕の大切な人を探しています。何か手掛かりを得られればと思い、この谷へ入りました。どうか力を貸してはいただけないでしょうか」


 アーサーはマリアの目を見つめた。マリアの目は宝石のように透き通っており、その美しさにアーサーは思わず息をのんだ。それと同時に、どこか見覚えのあるこの目に一人の人物の顔を思い浮かべていた。


(この人の目――似ている……)


「おいてめぇ、無礼であろう! マリア様に軽々しく近づくな!」


 ユーがアーサーの胸倉を思いきり掴もうとしたところで、


「おやめなさい」


 と、マリアがユーをたしなめる。彼女はアーサーの額に触れ、目を閉じた。

 咄嗟のことにアーサーがあたふたしていると、


「ご無礼をお許しくださいね……アーサーさん」

「どうして、僕の名前を?」


 マリアからしばらく返答はなかったが、不満そうな表情を浮かべるユーが攻撃をしかけて来なかったので、おとなしく待つことにした。マリアの表情は穏やかで、その美貌にアーサーは思わずうっとりした。やがて、マリアの目から大粒の涙が零れる。


「……あなたは、弟をご存知のようね」

「弟? ということはやはり、あなたはフラン兄さんの……」

「詳しい話は後ほど致しましょう。それにユー、これはあなたのしでかしたことかしら?」


 マリアは泥だらけになったアーサーの服を指さした。


「俺がここへ来た時にはもうこの有り様ですよ。というより、元からだと思いますが。隣の娘は知りませんが、どう見ても男の方は庶民の出。初めからズタボロの服を着せられていたのでは?」

「ユー!」


 マリアはユーを再び一喝した。アーサーとシャルロットに微笑みかけ、二人に小声で話す。


「アーサーさんとシャルロットさんかしら? ごめんなさいね、根は良いのだけれど、言葉が悪くて」

「……いえ、助けていただき、ありがとうございました」


 アーサーは苦笑いを浮かべながら答えた。


「この方たちを屋敷までお連れしなさい」


 マリアがこう告げると、ユーは今にも舌打ちをしそうな表情を見せたが、


「御意」


 と、小さく返事をし、左手から炎を出した。

 その時、彼のピアスが一瞬赤く光った。


「ユーも、ストーンの保持者ということ?」


 シャルロットの問いに、ユーはふんと鼻を鳴らした。


「だとすりゃ、いったい何の不思議がある? も、ということは、てめぇもそうか。それと言っておくが、俺の名はリン・ユー様だ。気安く下の名前で呼ぶんじゃねぇ、クソ女が」

「何よ、クソ女って! 凄く嫌な感じ」


 アーサーとマリアがなだめるが、シャルロットはすっかりへそを曲げてしまった。

 谷の中は迷路のようになっており、奥に進むにつれて更に暗くなっていく。リン・ユーが灯した炎のお陰で、なんとか最奥にたどり着くことが出来た。

 アーサーは、持っていた懐中時計に再び目をやる。


「懐中時計の針がまだ回っている」

「この谷はウィンディの力で守られています。外部の者が安易に侵入出来ないように」


 と、マリアは答えた。


「ウィンディ?」アーサーが尋ねた。


「この子のことですわ」


 マリアは自身の肩に乗せている動物を指した。


「さっきリン・ユーが言っていた特殊な力というのは、あなたのことだったのね」


 ウィンディは、アーモンドのような形をした大きな目で、じっと見定めるようにシャルロットを見つめていた。


「谷への侵入を拒むということは、何か理由があるんですか?」


 アーサーの問いかけに、マリアは表情を曇らせながらも答える。


「……昔ここは、風の国では数少ない金の採掘場でした。金を求めて多くの人々がこの谷を訪れたと聞いています」

「聞いたことがあるわ。ここら一帯が大きな山だったそうよ。きっとこの迷路のような道も、人が掘り進めて出来た道なのかもしれないわね」

「でかい山が谷底になるほど掘り進めた……それだけ人間の欲望は果てしないということだ。さて、ここから先は聖域……善の心を持った者であれば難なく通過出来るが、そうではない人間の場合、谷の入り口に戻されることになる。覚悟は良いか?」


 リン・ユーは、アーサーとシャルロットの目を交互に見やった。


「では、私たちは先に。あなた方ならきっと通れますわ」マリアが目の前にある白くて巨大な岩に手をかざすと、きらりと輝く裂け目が出来る。「お待ちしております」と、彼女が再び笑顔を向けた時には、ウィンディと一緒に裂け目に吸い込まれていた。


「き、消えた⁉」


 アーサーはマリアとウィンディの通った岩を二度、三度と見つめている。


「行くわよ」


 シャルロットもマリアと同じように岩へ手を当て、裂け目に吸い込まれた。


「残りはてめぇだけだ。どうした? 怖じ気付いたか?」


 リン・ユーが鼻で笑う。


「……そんなことはありません」


 アーサーは岩に手を当て、目を閉じる。裂け目に体が吸い込まれていくのが分かった。

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