第三章 黒い谷の聖女
Ⅰ
アントワーヌ駅の改札を抜け、アーサーは地図を広げた。
「ノワール渓谷はここから南へ約三マイルか」
南の方角へ目をやると、やや遠くに霧がかかっているのが見えた。
「もしかして、あれがノワール渓谷? 結構な大都会のはずなのに、ラントの街より空気が綺麗だね」
「風の国は元々農業で発展した国だから、霧の国とは違うのよ。特に、シャルパーレ地方のワインは有名よ」シャルロットは得意げな表情を浮かべた。「それにしても、あのバルトロって男、何が目的なのかしらね」
バルトロ――突如自分たちの前に現れた殺し屋。時計で彼のいる車両の時間を止め、事なきを得たが、そんなものは急場しのぎに過ぎない。アーサーの脳裏には昨夜バルトロの見せた嘲笑ともとれる表情、そして、彼の言っていた「ストーン」という言葉が思い返される。彼の言葉からするに、ストーンというのは、どうやらただの石のことではないらしい。シャルロットの持つペンダントといい、何か特別な力を宿したものであることには違いない……などと、アーサーが顎に手を添え、考える仕草をしていると、
「どうしたの? 急に黙っちゃって」
「シャルロット、お願いがあるんだけど。ストーンのことについて、教えてもらってもいいかな?」
「ストーン? いいけど、どうして?」
「バルトロの言っていたことがどうも気になって……」
「そういうことね」シャルロットは頷いた。「だったら、打ってつけの場所があるわ……あそこよ」
シャルロットは駅の右手にある図書館を指さした。
「古い歴史書や資料が沢山置いてあるから、あなたの気に召す書物もきっとあるはずよ」
図書館の中央には大きなテーブルとイスが並んでおり、壁沿いに巨大な本棚が立ち並んでいた。本棚には隙間なく本が陳列され、辞書から歴史書、自然科学の類までジャンルが多岐にわたっている。
「凄い数の本だ。ババ様から勉強を教わった時、机に何冊も本を積まれたけど、比べ物にならないな」
「アーサー、これを見て」
シャルロットは本棚から一冊の分厚い本を取り出し、アーサーをテーブルの方へ招き寄せた。本の背表紙には『風の国史記』と書かれている。シャルロットは本のあるページを開き、文章を指した。
「あなたも聞いたと思うけど、世界には白い龍が生んだとされる白い玉と瑠璃色の玉、二つの玉があるとされていた。その玉を求めて、各国の王たちは臣下に探させていたけれど、見つけることが出来なかった。そして、誰もがただの伝説だと諦めかけた十八世紀の後半に、一人の貴族が現れて、王に見せたのが第三の玉とされるストーンだったの。けれど、この玉を巡って世界各地で約二十年にもわたる戦争が起こってしまった。戦争で多くの血を流させたこのストーンのことを人々は後に『ブラッディ・ストーン』と呼んでいるわ。その後、いわくつきの玉として持ち主である貴族の元へ帰ったんだけれど、ある満月の夜にストーンは砕けて、世界中に欠片が散ってしまったと言われているの」
シャルロットの説明を聞き、アーサー自身も続きを読み進めてみる。
若返りの水に石……錬金術の類かと、彼は訝しげに本文をじっと見つめていた。「その男の名は」でページが途切れている。ページをめくり、アーサーは愕然とした。声に出して名を読み上げる。
「ジャックウェル・フォンテッド……」
「そうよ、思い出したわ! フォンテッド卿……ジャックウェル・フォンテッドよ」
シャルロットがやや興奮気味に声を出したので、近くに座っていた四人ほどが彼女に視線を向けた。
「ごめんなさい、私ったら……思い出したので、つい興奮してしまったわ」
きまりが悪そうに言った後、小声でアーサーに語り出した。
「今から百年以上前に活躍した錬金術師の名前よ。『宮廷の異端児』という異名を持ち、不思議な力で宮廷の人々を魅了したらしいの。沢山の逸話が残っていて、錬金術で人々の欲する物を次から次へと目の前に出して見せたり、左右別々の手で書いた文字がそれぞれぴったり重なり合ったり……」
「百年前ってことは、十八世紀の人物? 仮にバルトロの言っていたことが本当だとしたら、その人は何歳になるんだろう。それとも、その人の息子か、孫か……」
「確かにそうよ。けれど、あり得るかもしれない……本で読んだ逸話の数々が本当なら。百年前、ロンターニュ家の夫人がバカンスでディアマーレを訪れた時、フォンテッド卿に面会した記録が残っているの。夫人が『私が初めてお会いした時、彼は四十代半ばだったと思います。あれから四十年近く経つというのに、大して年をとっておられないご様子でした』と。あり得ない話ではないでしょ?」
「本に書いてある若返りの水で生き永らえている? いずれにしても、僕にはさっぱりだな」
アーサーは本を閉じ、元の場所に戻した。その隣には厚さが先ほどの半分程度の本があったが、背表紙は傷だらけで字が読めない。不審に思った彼は、指で背表紙をなぞった。
(背表紙の文字が何か鋭利なもので削られている。いったい何の本だ?)
彼は本を手に取り、表紙を確認した。表紙には「世界の歴史と奇妙な物語」とある。一枚めくると石の挿絵が描かれており、目次には「第三の玉の出現」、「二十年戦争」、「ブラッディ・ストーン」、「雪の国皇后失踪事件」、「太陽の国継承戦争」などと書かれていた。
近くにあったはしごに腰を掛け、更にページをめくる。
シャルロットから聞いた内容で始まり、ストーンの力についても次のように記されていた。
世界各地へ散ったストーンの欠片は一部の例外を除き、放つ光の色や能力を異にしている。欠片の持つ能力の数は原則一つではあるが、まれに二つ持つものも存在する。
また、欠片が大きければ大きいほど大きな能力を持つとされているが、これにも一部の例外が生じる。その例外は寄生型と呼応型である。
寄生型とは、体内に直接欠片が取り入れられた場合を指す。体内のエネルギーと直接結びつくため、瞬時に能力を高めることが出来、最も強力である反面、体力の消耗も最も激しいとされる。
呼応型は、複数の欠片が呼応することでより強大な力を発揮し、例外としてこれらの欠片は同じ色の光を放つ。
一般的には、ペンダントやブローチなどのアクセサリーとして身に着けられることが多いが、いつその力が解放されるかはいまだ未知数である。持ち主の中にはストーンの欠片と気付かずに所持しているケースも少なくはない。
アーサーはぱらぱらと本のページをめくりながら、
(なるほど、ストーンが飛び散った十八世紀末から本が書かれた一八八〇年までの間で、ストーンが関係していると思われる出来事を述べたのがこの本ってことか)
それからしばらく、目次に沿って内容を走り読みするも、次々と出て来るオカルトめいた内容にばかばかしさを感じ、本を閉じてしまった。テーブルで待つシャルロットの元へ戻り、
「ありがとう、少し勉強になったよ」
「その割には、うんざりしているように見えるけど?」
「どうもオカルトめいた内容はちょっと……」
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