男は深々と被っていたシルクハットをおもむろに取り、不敵な笑みを浮かべる。


「アーサー、あなたの知り合いなの?」

「蛇のような目をした男……僕がラントの街で会った御者だ」


 男は黒い髪を気怠そうに掻き上げ、二人を見下ろしていた。


「蛇? おいおい、人の顔を見たとたんにそれはないだろう? なるほど、お前はアーサーっていうのか。俺はバルトロ。まあ、いちいち手にかける人間の名前なんて、覚える必要もないか。正直面倒だし。間に合ったのがお前の運の尽きだったな。でなけりゃ、少しは寿命だって延びていただろうに」


 バルトロは人の目も構わずに大きな欠伸をした。


「先ほどの銃声音と線路に落ちてきた岩は、あなたの仕業ですか?」

「ああ、コイツでちょいとな」


 バルトロはアーサーに拳銃をちらつかせた後、懐からマッチとタバコを取り出して火をつけ、吸い始めた。


「僕を馬車に乗せたのは、この列車に乗せる必要があったから? だったら、初めからラントの街で僕を襲った方が早い。あなたの意図が分からない」

「簡単な話だ。白昼堂々、あんな街ん中でコイツをぶっ放してみろ。街はちょっとした大騒ぎになる。俺は面倒事が嫌いなんだよ」

「僕を標的にするってことは、フラン兄さんをさらったのはあなたの仲間ですか? だったら今、彼がどこにいるのか、連れ去った目的は……ゲホッ、ゲホ……教え……」


 バルトロの吐き出すタバコの煙で、アーサーはむせこんでしまった。


「あなた、例の誘拐犯の一味かしら?」


 シャルロットがバルトロを睨みつけ、アーサーの前に出る。


「誘拐犯……っておい、いったいどんな話が出回っているんだ? ははは、その表情……なかなか威勢の良い嬢ちゃんだ。手始めにお前から片付けちまうか」


 バルトロは持っていたタバコを口の端にくわえ、拳銃を構えた。


「……邪魔だ」


 中から漆黒の弾丸が飛び出す。


「危ない!」


 アーサーがシャルロットを庇おうと、とっさに前へ出た。弾が当たることを覚悟し、目を閉じる。

 だが、弾の感触はなかった。


「おや? そんなはずは……」


 困惑にも似たバルトロの声を聞き、アーサーは恐る恐る目を開けた。

 弾丸はアーサーの足元に落ちている。


「おかしいな……うっ、コイツは」


 バルトロは額を押さえ、はずみでくわえていたタバコを床に落とした。「チッ」と小さく舌打ちをし、落ちたタバコの火を靴でもみ消す。それから、アーサーとシャルロットの全身を上から下へと交互に見比べた。シャルロットの胸元辺りで視線を止める。


「そうか、嬢ちゃんのそのペンダント、ただの宝石ではなさそうだ。俺と同じ、欠片の持ち主ってわけか」


 アーサーがシャルロットの方へ目をやると、ペンダントに付いている桃色の石が光っており、空中には剣の絵が描かれたカードが浮かんでいた。


「ソードのカード……確かタロットカードって奴だったか? とすると……嬢ちゃん、占い師か?」

「だったらいったい何だと言うの?」


 シャルロットは、落ち着き払ってバルトロに尋ねた。


「いや、単に面白いと思っただけだ。欠片によってそれぞれ持っている能力が異なる。原因は石の方か、はたまた持つ人間によるものか……考えただけで面白くないか? 元は一つのストーンなのにさ。まあ、いずれにしてもお前が能力者であることには変わりない……フォンテッド卿への手土産には丁度良い」

「フォンテッド卿? あら、どこかで聞いたことがあるわね」

「へぇ、伯爵も結構な有名人のようで。ならばなおさら、お前たちを片付けないわけにはいかないな」


 バルトロが銃を構えたまま一歩ずつアーサーとシャルロットへ近づく。二人は一歩、また一歩と後ずさりした。


「どうした、お二人さん。威勢が良いのは最初だけか?」

「万事休す、か……」


 アーサーが再び窓へ目をやると、車掌と乗務員たちが巨大な岩を取り除こうと力いっぱい押していた。


「あの岩をどかすことが出来れば」


 アーサーは唇を噛み締めた。


「諦めるのは早いわよ、アーサー」


 シャルロットが一枚のカードを投げた。

 すると、みるみるうちに土の壁がバルトロの周りを取り囲んでいく。


「皆伏せて」


 カードをもう一枚外へ投げると、岩は「ガラガラ」と大きな音を立ててカードの中へ吸い込まれ、跡形もなく線路から消えた。

 外で作業していた乗務員たちからは歓声が上がる。


「出発だ、石炭をガンガン燃やせ!」


 スコップを荷物車へ放り込み、急いで車内へ乗り込んだ。


「逃げるわよ」


 シャルロットはアーサーの洋服の袖を引っ張り、隣の食堂車を目掛けて全速力で駆けた。


「こんな子どもだまし、俺に通用すると思っているのか?」


 バルトロは土壁に向かって拳銃を何度も発砲し、大きく出来た楕円形の穴から抜けて二人を追う。


「発車!」


 車掌の声とともに汽笛が鳴った。

 列車が走り出し、足元が大きく揺れる。突然の揺れで、アーサーはよろめき、食堂車へ入る直前で転んでしまった。


「アーサー!」


 一足早く食堂車へ入ったシャルロットが振り返り、アーサーの体を起こそうとする。


「僕は大丈夫。シャルロット、先に行って」

「おい、小僧……自分の置かれている状況が分かっているのか?」


 アーサーが見上げると、バルトロが苛立たしげに眉をひそめて立っている。右手に持つ拳銃が不気味なほどに黒く輝いていた。


「もう逃げ場はない。諦めるんだな……お二人さん」


 バルトロがアーサーに銃口を向けた時、アーサーのポケットから青白い光が漏れ出し、太陽の光のように強い輝きを放った。


「……何だ、この光は!? クソッ、前が……前が、見えない」


 バルトロは拳銃を暴発させた。

 弾丸は車両の連結部分を貫く。連結部分を破壊されたバーラウンジ車は隣の食堂車から徐々に離れ始めた。


「アーサー、つかまって!」


 シャルロットの差し出した手にアーサーは無我夢中でつかまり、食堂車へ飛び乗った。次第に離れゆくバーラウンジ車へ懐中時計を向ける。


「これから三日間、あなたはここから抜け出すことは出来ない。時間の止まったその空間で、三日三晩もがき続けることになるだろう」


 すると、バルトロの動きは止まり、窓辺で揺れていた花瓶も、カウンターに置かれたワイン瓶やグラスも、バーラウンジ車の中にある全ての物が止まった。

 その刹那、彼は嘲笑ともとれるような表情を浮かべていた。列車は更に速度を上げ、彼を乗せたバーラウンジ車は、あっという間に見えなくなってしまった。


「間一髪だった。バルトロのいる車両だけ時間を止めたから、しばらくは安全かな」

「さっきの岩が山を登っていくところもそうだったけど、今みたいに時間を止めたことといい、時の民が時間を操るという話はどうやら本当のようね。まるで狐につままれた気分よ」

「僕からすれば、君のペンダントの方がよっぽど不思議だよ。巨大な岩を吸い込んだり、土の壁を作ったり……とても考えられないな」

「そうかしら? それはそうと、まったく……あの車両が最後尾だから良かったけど、もし他に人が残っていたら大変なことになっていたわ。ところで、さっきの光は何?」

「もしかしたら、これかもしれない……」


 アーサーはポケットに手を入れ、白い布を取り出した。布からは青白い光が漏れ出している。


「やっぱり……ババ様からお守りに、って持たされた玉だ」


 布を広げ、中にある瑠璃色の玉をシャルロットに見せた。


「すごくきれい。なんだか強い力を感じるわ。この玉って、まさか……」

「シャルロット、玉がどうかした?」


 シャルロットは呆気にとられた表情でアーサーの顔を見つめた。


「アーサー、もしかして玉の伝説を知らないの?」

「伝説って、龍が生んだ二つの玉の話のこと? ババ様からは村の宝って聞いたけど……」

「時空の番人がこんな大事なものをあなた一人に持ち出させるなんて。でも、今ので分かったわ……伝説は本当だったのね。……あら?」

「どうしたの?」

「何か落ちているわ」


 シャルロットの指さす先に目をやると、四つ折りに畳まれた羊皮紙が床に落ちていた。アーサーは羊皮紙を拾い、中身を読み上げた。



 黒き谷、迷いし風の子羊に聖女の導きあり



「黒き谷、子羊、聖女……いったい何のことだろう」

「黒き谷というのは恐らく、ノワール渓谷のことだわ。入ったら二度と出られないと言われている場所よ。けれど、どうしてそんなメモが?」

「集落の近くにある迷いの森と一緒か。この時計が役に立ちそうだ」


 アーサーは懐中時計を見つめていた。


「アーサー、あなた正気? まさか、行くつもりじゃないでしょうね?」

「僕はいつだって正気だ。フラン兄さんの居場所を示す手掛かりかもしれない」

「よしなさいよ。仮にそうだとしても、罠だったらどうするの? さっきのバルトロって男のこともあるし」

「たとえ罠だとしても、自ら行動を起こさなければ何も変わらない。君が僕を占ってくれた時に言っていたよね? 女帝……僕がこの旅で出会う人物かもしれないって。なんとなくだけど、聖女っていうのが、これに当たるような気がするんだ。その聖女様へ会いに、僕は行くよ」


 一夜が明け、車窓からアントワーヌの街並みが見えてきた。山の方にはいくつかの高い塔や修道院がそびえ立ち、海は朝日に照らされてひと際眩しく、街並みを水面へと映し出している。

 初めて見る街の景色にアーサーはすっかり見とれていた。

 そして、列車は定刻より約二時間遅れでアントワーヌ駅へ到着した。


「本当に行くの?」

「もしかしたら、そこでフラン兄さんを連れ戻せるかもしれない。一か八か、賭けてみるよ。短い間だったけれど、色々とありがとう」


 アーサーはシャルロットに背を向け、駅の改札を出ようとした。すると――。


「アーサー、私も行くわ!」


 アーサーは、驚いた表情でシャルロットの方を振り返る。


「駄目だ、君を危険な場所に連れて行くわけにはいかない」

「あら、あなたよりは十分戦力になると思うけど?」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべるシャルロットに、アーサーは言葉を返すことができなかった。

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