Ⅲ
乗客たちは唖然としたように互いに顔を見合わせた。それから、燃えた石炭のように顔を赤くさせる。
「何だと、小娘が!」
「大体、列車の切符自体、合法的に手に入れたものかわかりゃしないじゃないか!」
などと罵り始め、騒ぎを聞きつけた車掌が慌てて彼らの元へ駆けつけた。
「お客様、落ち着いてください」
車掌がその場をなだめようとするが、騒ぎが収まる気配はない。
少女は乗客たちの怒声など気にもとめず、カードの山から隠者と書かれた一枚のカードを引いた。
「誰かのお使いで来たんじゃないかしら」
近くの乗客たちに見えるようにカードをちらつかせる。
「いったい誰の使いだと言うんだ?」
乗客たちはざわついた。
アーサーは首から下げた懐中時計を握りしめ、大きく息を吸った。
「僕の名前はアーサー。時の民長老アイビスの使いでこの列車に乗りました」
乗客たちからはどよめきの声が上がる。
「アイビス殿じゃと?」
「あの時空の番人と言われる? でまかせを言っているんじゃないだろうな?」
困惑した表情を浮かべる乗客たちの様子を見て、車掌が笑い出した。
「その方がおっしゃっていることは本当ですよ。アイビス様からご予約を承ったと、駅員から聞いております。一番良い部屋を用意するように、とのご要望で。首から下げている金色の懐中時計が何よりの証拠。この方が時の民であることの証です」
乗客たちの視線がアーサーの懐中時計に集中する。
車掌は言葉を続けた。
「お言葉ではありますがお客様方、人を身なりで判断してはなりませぬ。どんなに綺麗な衣装や装飾を身に纏っていても、紳士や貴婦人たる者、心がそれでは……一等室、いや、この豪華列車には不釣り合いでございます」
車掌の言葉を聞いた乗客たちの大半は、その場で小さく頷き、そそくさと食堂車を後にした。
「車掌さん、ありがとうございました。それと、ごめんなさい。僕がここに来たことで車内の雰囲気を悪くしてしまったようで……」
アーサーは深々と頭を下げた。
「左様なことはございません。これを機に、お客様方のお考えが改められることを願うばかりです。時には勇気をもって他人と向き合うことも必要なことですよ」
車掌の言葉に頷くアーサーの元に、先ほどの少女がやって来た。
「あの人たち、少しは懲りてくれたらいいんだけど」
「さっきはありがとう。君のおかげで助かったよ。船でもお世話になりました」
「どうってことないわ。かえってすっきりしたもの。この列車に乗ってから、飽きもせず人の悪口ばかり言う貴族たちにうんざりしていたところよ。あなた、アーサーって言ったわよね。どこまで行く予定なの?」
「アントワーヌ駅まで」
「アントワーヌね、風の国一番の街だわ。丁度私もそこまで行く予定だったの。あらっ、船でもあなたと散々話をしていたのに、私としたことが……自己紹介が遅れたわね、私はシャルロット。旅の傍ら、占いの仕事をしているわ」
車掌はアーサーとシャルロットの近くのテーブルにホットミルクとチョコレートを置いた。
「シャルロット様の占いはよく当たると、旅人たちの間では評判のようです。では、ごゆっくり」
「まあ、そう言ってもらえるなんて光栄だわ。車掌さん、ありがとう」
「ありがとうございます、車掌さん」
チョコレートは二種類置かれており、二人は甘い香りに誘われるように着席した。アーサーは色の濃い方を一つ手に取り、口に入れた。ほどよい甘みと苦みが口の中いっぱいに広がる。それからホットミルクに口をつけ、安堵の溜息を漏らした。
「別々に食べるのも良いけど、ホットミルクにチョコレートを入れて飲んでも美味しいのよ。あなたが食べたのはビターの方かしら? 私は甘い方が好きだから、こちらを入れるわね」
そう言うとシャルロットは、ホットミルクに色の薄いミルクチョコレートを落とし、口に含んだ。
「美味しい、温かくて気持ちが落ち着くわね。あっ、そうだわ、鬱憤を晴らさせてくれたお礼に、あなたを占ってあげる」
彼女はそう告げるとカードを入念にシャッフルし始めた。当たるも八卦、当たらぬも八卦……普段のアーサーならそう考えるのだが、車掌によく当たると言われた上に、フランシスが何者かの手で連れ去られた今、固唾をのんで結果を見守るしかなかった。やがて、三枚のカードが「しゅっ」と音を立て、同時にテーブルへ飛び出してきた。
「カードが、勝手に……」
アーサーは目をぱちくりさせながら、シャルロットの手やテーブルの隅に目をやった。見たところ、紐のようなものは見当たらないし、彼女が手で触って出したわけでもない。アーサーは驚きを隠せなかった。
「あら? 驚いた?」
「うん、とっても。手品かと思ったよ」
シャルロットはくすくすと笑った。
「あなたって面白い人ね。占いの結果が出たわ。左から順に死神、女帝、審判。いずれのカードも、これからあなたの身の回りで起こることを暗示しているわ」
「死神? 物騒なカードだね」
アーサーは青ざめた顔でカードを見つめた。
「確かに、あまり良いカードとは言えないわ。でもね、再出発や始まりという意味もあるの。隣に出ている女帝は、あなたがこれから出会う人を暗示しているのかもしれない。最後の審判は結果を表しているわ。最終的な決断はあなた自身で下すことになる。つまり、良い意味でも悪い意味でも、あなた次第ということよ」
「僕次第、か……何としても、フラン兄さんを助けなければ」
アーサーは唇をぎゅっと噛み、自らの拳を握った。
シャルロットは先程の三枚をカードの山へ戻すと、更にもう一枚引いた。
「その人はあなたにとって大切な人なのね。何者かに連れ去られた……そういうところかしら?」
カードには悪魔と書かれていた。
「その悪魔を追うために、僕はここへ来た。どんな困難が待っていようと、必ず連れ戻して見せる」
「悪魔と言えば、こんなものを拾ったわ」
シャルロットは鞄から黒い羽根を取り出した。
「烏……いえ、もっと大きなものが空を飛んでいた。人のような……」
アーサーは瞠目した。
「その羽根、ババ様に見せられたものと同じだ! そいつがフラン兄さんをさらったんだ……それをいったいどこで?」
「船に乗る前だったかしら。まあ、これだけでは何とも言えないけど、今回の誘拐事件と何か関係がありそうね」
「なるほど……これから先が見ものですな」
二人が振り向くと、目深に帽子を被った紳士が立っていた。彼からはほのかに甘い香りが漂う。アーサーはラントの街での出来事を思い返した。
「あなたはまさか、ラントの街で見かけた……」
紳士はおもむろに帽子をとり、アーサーの顔を見る。
鷲鼻に鋭い目つき、間違いない……アーサーは確信した。
「勘のいい少年だ。君にはこれから先、大きな障害が待ち受けていることだろう」
「障害? もしかして、フラン兄さんのことを何か知っているんですか?」
と、アーサーが言い終わる前に、
「では、神のご加護があるよう……」
紳士は持っていた煙玉を放ち、身を隠した。
煙を吸い込んだアーサーは、咳き込みながら先程の紳士を探す。
「待て! あなたは、いったい……」
立ち込める煙の中、足音を頼りに隣のバーラウンジ車へ向かってアーサーは走った。
「アーサー、待って! 煙が邪魔で見えないわ」
シャルロットは食堂車の窓を全開にした。煙は徐々に外へ流れ、視界が晴れる。彼女がアーサーの元へたどり着いた時には、アーサーは車両の中央で呆然と立ち尽くしていた。
「誰もいない。そんなバカな……人間が消えるなんてありえないんだ」
「アーサー、落ち着いて。どこかに隠れているのかも」
その時だった。
外から一発の銃声が響き渡った。直後、「ドン!」という大きな音とともに近くの山が崩れ、雪崩のように岩が転がってくる。
運転士が慌ててブレーキをかける。「キー!」という耳障りな音を立てながら、車体は大きく揺れた。
「急ブレーキです! お客様、しっかりおつかまりください」
「うわっ!」
車掌が大声で叫んだ時には、アーサーの体は吹っ飛んでおり、列車の壁に思い切り背中を打ちつけていた。
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