第27話 謎解きの始まり

 前日の雨空とは打って変わっての晴天の下、シーカは目いっぱい伸びをした。昨日はシーカもかなり疲れてしまったらしく、柊の家に着くなり眠ってしまったのだ。そうして起きたのは正午過ぎ。完全回復したシーカはいつも通り上機嫌だった。


 結局、深華に事情を話して一緒に千夏の家に向かうという方針は変わらなかった。まずは深華とコンタクトをとることから始めなければ話にならないが、生憎私の携帯が手元にない以上、彼女と直接連絡は取れない。そのため、彼女が日課にしていると思われる、私の殺害現場へのお供えのタイミングで接触することに決めた。


 そういうわけで、柊とは夕方に落ち合うことになっていた。シーカにも一通り事情は話してあるので、夕方まで穏やかに過ごすだけだ。天気が良くてよかった。

「それにしても、昨日は大変だったんだね。お疲れ様だよ、花菜ちゃん」


「でもこれで、だいぶ核心に迫ってきたよ。シーカが体を貸してくれるおかげだね」


「お役に立てているようなら何よりだよ」


 シーカは眩しいほどの笑みでそう答えて見せる。彼女には純粋無垢という言葉が本当によく似合う。私は、どれだけ彼女に励まされているだろう。


 二人でベンチに座って、すっかり見慣れた公園の風景を眺めた。流れ行く雲の形を動物に例えたり、地面に絵を描いたりして遊ぶ彼女はとても幼く見えた。いや、実際に幼いのかもしれない。見た目は中学生くらいに見えるが、精神はもっと幼くても不思議はなかった。無邪気に遊ぶ彼女を見ていると、母性本能のようなものがくすぐられて穏やかな気持ちになる。公園で子供を遊ばせる母親は、こんな気持ちで子供を見るものなのだろうか。


 シーカが地面に描きつけた猫の絵を見て、不意に昨日出会った太った三毛猫のことを思い出す。あの猫は、シーカの友だちなのだろうか。


「ねえ、シーカ。私ね、昨日、言葉を喋る猫に会ったよ」


「え?」


 地面に絵を描くための枝をぽとりと落として、彼女はこちらを見上げた。大きな目を見開いて、心底驚いているようだ。


「太った三毛猫なんだけど、シーカの友だち?」


「……たぶん、友だち。あんまりかわいくない猫でしょ」


「シーカに比べたら、そう見えたかな」


 シーカの率直な物言いに思わず苦笑してしまう。やはり、シーカの仲間だったのか。


「その猫、何を言ってたの?」


「確か、この度はお気の毒にとか、そんな話だよ」


「律儀だなあ」


「あと、友人も私の死を悲しんでいたとか。それってシーカのことかな?」


「ああ、それは……」


 シーカは手放した枝を再び手に取って、地面にぐりぐりと線を描き始めた。


「それは多分、上谷くんのことかな。ほら、お葬式の時にちょっと話したけど、上谷くんは私たちのような存在に敏感だって。その上谷くんと仲良くしているのが、その太った三毛猫なの」


「上谷くんが……」


「このこと、柊くんに言ったら、またやきもち焼きそうだね」


 シーカは私をからかうように笑うと再び絵を描き始めた。今度は先ほど見た雲を描いているようだ。


「それから、その三毛猫も予定不調和の命がどうとか言ってたよ」


 以前、上谷くんも口にしていた言葉。いまだにその意味は分からない。だが、何度も繰り返し聞くくらいなのだから、シーカにまつわることなのだろう。


「シーカは、予定不調和の命なの?」


 言ってから、核心に迫ることを聞きすぎたのではないかと不安になる。彼女は地面に描く手を止めることなく、私に背を向けたまま呟いた。


「そうだよ」


 初めて、この話題についてはぐらかすことなく答えてくれた気がする。ただ、答えた彼女の声はどことなく暗かった。


「予定不調和……って、何が? ごめん、デリケートな話なのかもしれないけど気になっちゃって」


 シーカは不意に立ち上がり、こちらを振り返る。先ほどまでの無邪気な笑顔とは一変して、真剣そのものの表情だった。まるで猫が獲物を狩るときのようだ。


「予定不調和の命って言うのは、文字通りそのままだよ。定められた予定から外れちゃった命。意味わからないと思うけどね」


 シーカは私を和ませるようにふっと笑ってみせた。


「私がどんな予定から外れちゃったのかは、今は言えない。花菜ちゃんの言う通り、とても繊細なことだから」


 シーカの白い手が、そっと私の手をとる。


「でも、約束する。いつかきっと話すよ。花菜ちゃんにも、柊くんにも。だから、今はこれで」


 無邪気な彼女が何を抱えているというのか。非常に気になるところではあるが、彼女も無理をしてここまで話してくれたのだろう。これ以上追及するのは野暮な気がした。


「……ありがとう、話してくれて」


 シーカはすぐににっこりと笑ってみせた。話題を引きずらないさっぱりとしたところは、彼女の長所だ。花が咲くように笑う彼女に、私もそっと微笑み返した。







 晴れていただけあって、夕焼けは目に焼き付くように強く街を照らしていた。幽体のままの私は、無事に柊と合流し私が殺害された現場まで来ていた。シーカは黒猫の姿に戻り影から見守ってくれているらしい。


 事件からかなり経つというのに、現場にはいまだにお供えの花やお菓子が絶えない。深華のおかげだろうか。毎日は流石に来ていないと思っていたが、この様子を見ると日課にしている可能性が高い。ここまでしてくれていることへの申し訳なさと、感謝でいっぱいになる。


 柊もコンビニで私の好きなお菓子を買ってきて、お供えしてくれた。前にもこんなことがあったが、隣にいるのにお供えされるのはやはり妙な気持ちだ。


 時刻は十六時半を過ぎ、そろそろ深華がやってきてもおかしくはない時間帯だった。しゃがみ込んだ柊と私の影が長く伸びる。影の私たちはいつもこうしてくっつきあって、仲睦まじい。


「黒川先輩じゃないですか」


 そう声をかけてきたのは、深華ではなかった。どことなく気怠そうな雰囲気が、言葉からも伝わってくる。


 声のほうへ向き直ってみれば、上谷くんと深華がいた。この二人の組み合わせとは珍しい。相変わらず深華は、遠慮のない怪訝そうな視線を柊に向けている。


「二人で揃っているなんて珍しいな」


「部長命令で、御園さんを送るように言われているので。物騒な世の中ですしね」


「いい迷惑とはこのことね」


 深華は涼やかな顔で、コンビニの袋から缶ジュースを取り出すと、柊の隣を陣取ってお供えをし、手を合わせた。上谷くんもそれに続く。


「毎日来てるのか?」


「用事がない限りは、ですが」


 深華は立ち上がると早々にこの場から去ろうとする。その後ろ姿に、柊はすかさず声をかけた。


「御園さん、君に頼みたいことがある」


 長い髪を揺らして、彼女は振り返る。彼女の表情は、明らかに柊を警戒していた。


「優秀な黒川先輩に頼まれるようなことなど、私にはないと思うのですが」


「花菜の事件に関わる大切なことなんだ」


 私の名前が出た瞬間に、深華の顔色が変わった。戸惑いと僅かな恐怖。彼女の表情から読み取れるのは、そんなところだろう。


「花菜の……?」


「その話、俺にも聞かせてはもらえませんかね」


 上谷くんはしゃがんでいた体勢から立ち上がり、柊と向き合う。彼が関わってくるのは予定していなかったが、今日、深華と一緒にここに来た以上、避けられないことだったのかもしれない。


「関係あることだから聞くが、上谷は……柚原さんと仲はいいのか?」


「男子生徒の中では、一番仲がいい自信がありますよ」


 千夏のコミュニティがほぼ茶道部だけだと考えれば、自然と上谷くんが一番仲のいい男友達にはなるだろう。千夏自身も上谷くんに対しては、私たちに接するのと同じように付き合っていたし、仲が悪い印象もない。メンバーに上谷くんが関わってきたところで、特に支障はないように思えた。


「……わかった。じゃあ、上谷も協力してくれ」


 溜息交じりに柊は言う。柊にとってはこの上なく付き合いにくい二人と協力することになりそうだ。先が思いやられる。







 私たちは現場から移動して、駅前のカフェに来ていた。以前、夏条先生と私の父が会っていたのと同じお店だ。今日も今日とて、店内は主に若者で賑わっている。


 私たちは四人で一つのテーブルに座り、柊に買ってもらったドリンクを片手に向かい合っていた。昨日発覚したことを、ようやくして二人には伝えたところだ。上谷くんはただ静かにその話を聞いていたが、深華はかなり戸惑っているようだった。


「千夏が、そんなことを? あんな、優しい子が……何かの間違いじゃないんですか」


「それを確かめるために、直接会いたいんだ」


 私だって、千夏が関わっているなんて何かの間違いであってほしいと思う。あの子は、自分から悪いことなどできない子だ。


「そうですよ、御園さん。まず、ほぼ間違いなく、柚原さんが橘さんを殺したなんてことはないんですから」


「アリバイは立証されたのか?」


「はい。あの日の放課後、柚原さんと話していた生徒からも証言が取れましたし、購買のレシートの記録や、彼女が撮ったという夕焼けの写真の時刻からして嘘はついていないと思われますよ」


 よかった。疑っていたわけではないが、彼女の身の潔白が証明されたことに安心する。これで話を聞きに行くことに多少抵抗を感じなくなった。


「千夏が花菜を殺したなんて恐ろしいこと、よく言えるわね」


「御園さんがそれを懸念しているのかと思って可能性を払拭してあげたのに、その言い草はないでしょう」


 そのまま軽く口論を始める二人を前に、柊は甘いと酷評したドリンクを口に運んで溜息をついた。二人を止めることもなくただ眺めている。彼らをあしらうことは諦めているのかもしれない。


「……俺の前では別に構わないが、柚原さんの前でもそんな調子じゃ、進む話も進まないぞ」


「一理ありますね」


 上谷くんはそう呟くと、蜂蜜入りのミルクティーを口に運んだ。彼はかなりの甘党らしい。


「柚原さんは今、どんな調子なんだ?」


「高校には、相変わらず来てませんけど、メールを送ったら返ってきます。いつも通り元気な調子とはいきませんが、世間話のような内容にもちゃんと付き合ってくれます」


 深華のことだ、きっと毎日でも連絡を取っているのだろう。本当に仲のいい相手を見捨てるようなことは決してしない。


「俺たちが会いたいと言ったら、会ってくれるだろうか」


「そればかりは、メールを送ってみないことには何とも言えません。千夏は先輩のことが苦手みたいですし……最近は特に先輩に怯えてましたから。大方、その証拠類を夏条先生に横流ししてしまった罪悪感でも感じていたのだろうけど……。それに、あなたは花菜のことになると何をするかわからないですからね」


「相変わらず散々な評価だな」


 柊は苦々しく笑ってみせた。人によっては柊の視線は確かに冷たく感じるかもしれない。千夏はその極端な例なのだろう。


「とにかく、文面には気を付けて送ってみます。日取りが決まったらお知らせしますね」


 だから不本意ですが連絡先を教えてください、と深華は携帯を取り出す。彼女に言い返すことはもう諦めているようで、柊はおとなしく連絡先を交換し合っていた。

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