第15話 葬送の始まり

 綺麗な青空だ。私はスーツ姿の柊の隣で、ぼんやりと小さな雲の流れを見つめていた。今日も初夏に相応しい晴れ晴れとした天気で、シーカとともに日向ぼっこでもしたい気分だ。足元では、私と柊に寄り添うようにして、シーカが私たちを見上げている。


 今日は、私の葬儀が執り行われる。清々しい初夏の空の下、会場の入り口に吸い込まれていく黒の群れに、私たちは未だ合流しないでいる。式の開始までは多少時間もあるので、ここにいても何ら問題ではないのだが、懸念事項は柊の瞳の暗さだった。私が死んだ直後並みの暗さだ。シーカもそれが心配なのか、弱弱しい声でにゃあにゃあと鳴き続けている。


 今日のような日は、残された人のほうが辛いに決まっているのだ。私だって、沈み込む柊を見ているのは息苦しくて仕方ないが、それでもきっと、柊が感じている痛みには敵わない。死者は気楽だ。明日も続いていく毎日のことを、想わなくて済む。逃げようと思えばいつだって逃げられる。見たくないものから簡単に目を背けられる。私はただ柊の隣にいて、柊が笑う顔を見ているだけでいいのだ。


 だがきっと、残された人は違うのだろう。白のセーラー服と学生服の集団が、式場へ入っていくのをぼんやりと眺めながら思った。私は彼らに、理不尽な悲しみや嘆きを押し付けてしまったのだ。特に柊はそれが顕著だ。それだけ私を、大切にしてくれた証なのだろう。


 不意に、足元でシーカがにゃあと鳴き、私の注意を引く。シーカはそのまま振り返り、私たちの背後を見てもう一度鳴いて見せる。シーカの視線を追うと、制服姿の五人組が鬱々とした空気を背負って、近づいてきていた。あれはきっと、茶道部のみんなだ。


「シーカ、少し離れていて」


 シーカは短くにゃあと鳴くと、駆けるようにしてこの場を離れた。彼らは柊だとわかれば、間違いなく声をかけてくるだろう。柊が黒猫を連れているというのも、何とも妙な構図であったし、何よりそこに突っ込まれても面倒だ。今の柊は、いつものように飄々と返事を返せるほどの精神状態ではないような気がした。


「柊、後ろから茶道部のみんなが来るよ」


 私がそっと耳打ちすると、柊は暗い目のまま私を一瞥し、小さく笑うように頷いた。一応、私には、何でもないように振る舞ってくれるのだが、無理をしているのは私の目にも明らかだ。


「黒川先輩?」


 部長の声がする。柊は半身振り返り、部長を始め茶道部五名の姿を認めると、相変わらず暗く沈んだ目のまま小さく笑った。愛想笑いに近いのに、なぜか人に緊張を与える笑みだ。普段から人前ではそんな傾向があったが、今日は特にひどい。私が多少なりとも動揺するということは、他の人にとっては息を呑むレベルだろう。現に千夏はびくりと肩を揺らしている。柊に悪気がないのはわかるが、今日はそのあたりも、うまく調節できないようだ。


「久しぶり」


「……花菜ちゃんのこと、残念です」


 部長は軽く俯いてしまう。その肩を、水野先輩が支えた。空は晴れ渡っているというのに、厚い雲が張り詰めたように空気が重い。いっそ雨でも降ってくれれば、この欝々とした雰囲気を洗い流してくれたのだろうか。彼らを見ていると、晴れ渡った空の色が急に白々しく見えた。


 柊はただ香月部長の目を見据えていた。瞳の暗さが視線の鋭さを際立たせ、睨んでいるようにも見えてしまう。目が合った張本人でもないのに、千夏は怯えたように、深華の手を握った。上谷くんと深華は身構えるように柊を見つめている。


「私たち、先に行きます。また、後程……」


 そう言い残して、部長と水野先輩は去っていく。柊はその姿を見送るでもなく、残された三人に視線を定めた。


「君たちは、行かないのか?」


「行きますよ。でも、すごい病みようだな、と思いまして。この間お会いした時より、酷くなってませんか」


 深華は怪訝そうな表情を浮かべていた。千夏に至っては、深華の手を握ったまま、未だに柊に怯えているようだ。もともと、千夏は怖いものが苦手なのは知っていたが、今の柊はそんなに恐ろしいだろうか。


「……流石に葬儀当日となるとね」


「まあ、別に先輩がどうなろうと構いませんけどね。花菜の後追いするなら、周りに迷惑をかけない方法でお願いします」


「花菜の葬儀に、ずいぶん物騒な話題だな」


「先輩ならありうると思いまして」


「どうだろうね」


 柊はどこか自嘲気味に笑って、深華を見据える。


「お望み通り、私たちももう行きます」


 深華は長い髪をなびかせて、柊のすぐ横を通り過ぎていく、千夏は終始びくびくとした様子で、軽く柊に会釈をして式場へと向かっていった。


 残されたのは、柊と上谷くんだけだった。妙に居心地の悪い空気が流れる。


「詩歌さんは、今日は姿が見えないようですね」


「あいつは体調が優れないから休ませた」


 上谷君を前にすると、一気に柊の態度が変わった。個人的な感情というよりも、この間の一件のせいか上谷くんをひどく警戒しているようだった。直感や第六感というものの存在を認めたとして、おそらくその部類では上谷くんには敵わない。まさか、私やシーカのことがばれるようなことはないだろうが、上谷くんならその一歩手前くらいまでは追及してくる可能性もあり得ないとは言い切れない。


「詩歌さんがいないと途端にそんな調子なんですね。この間は平気そうだったのに」


「まあな。あいつがいると、気が紛れる」


「そうですか」


 柊と微妙な距離を保ったまま、上谷君はぼんやりとこちらを見つめていた。気のせいだと願いたいが、時折その視線が私のほうへも向けられているような気がしてならない。


 不意に、上谷君が視線を逸らしたかと思うとふっと微笑んだ。その視線の先には、少し離れたところでこちらを見つめるシーカがいる。この距離で、彼女に気づくのか。やはり上谷君はただものではない。私も柊も、またしても絶句するしかなかった。


「可愛い猫ですね。首輪をしていますけど、先輩の猫ですか」


「そのようなものだ」


 シーカもこのただならぬ状況を察したのか、軽く駆けるようにして戻ってくる。シーカは丸い二つの目で、じっと上谷君を見つめていた。上谷君はそっとかがみこみ、シーカを抱き上げる。ずいぶん慣れた手つきだった。


「僕の家にもいるんですよ。飼っているわけじゃありませんが、時折ふらっと現れる三毛猫が。母曰く、僕の祖父の代からいるらしいんですけどね」


 ますます、私たちは何も言えなくなる。それは、本当の話だとしたらシーカの仲間ではない。どうして平然と、異様に長生きな猫の存在を受け入れられるのだろう。


「橘さんも、猫が好きでしたね。もしかして、橘さんと一緒に飼っていたんですか」


「確かに、花菜によく懐いていた」


 ここまで妙な話になると、私たちにはもう手も足も出ない。後で上谷くんのことについては、シーカに尋ねるとしよう。それ以外に手の打ちようがない。


「じゃあ、この猫も寂しいですね。名前は……。へえ、シーカっていうんですか」


 十年前の私が張り切ってリボンに刺繍なんてするから、いよいよ面倒な状況になってきた。そもそもリボンの端の、それも裏側に刺繍してあるものに気づくほうがおかしいのだが。上谷君の観察眼は、流石としか言いようがない。


「妹さんの名をつけるなんて、先輩はよほど詩歌さんを溺愛しているようですね。まあ、どことなくこの猫、詩歌さんっぽいですし、ナイスネーミングだと思いますよ」


 柊は一度だけ小さく溜息をつく。最早、相槌を打つことすら諦めてしまったようだ。あいにく私も何も言えない。式の開始が近づいていることでも口実にして、この場は切り上げてしまったほうがよいだろう。


「じゃあ、俺ももう行きますので、お返ししますね。シーカさん」


 そう言って上谷くんは、シーカを柊に手渡すと、軽く会釈をして去っていった。もうほとんど、葬儀の参列者は式場に入ったようで、辺りに人影は見当たらない。それを確認して、柊はもう一度大きく溜息をついた。


「上谷のことは、また後で考えよう。今は花菜の葬儀に集中したい」


「そうだね。……シーカももう、行ったほうがいいよ。私は、柊についてるから」


 シーカは柊の腕の中で、一度だけにゃあと鳴くと、飛び降りてそのまま駆けていった。私たちは、そんな彼女の後ろ姿を見送る。上手く隠れながら葬儀の様子が見えればいいが。


「そろそろ行こう。直に始まるはずだ」


「わかった。……柊、無理しないでね」


「無理でもしないと、最後まで乗り切れない」


 冗談めかして柊は小さく笑うと、式場に向かって歩き出した。その後ろ姿に、なぜか影を感じてしまう。柊と深華の会話を聞いたせいだろうか。深華が言うほど、本当に柊は追い詰められているのだろうか。彼が無理やり作ったような笑顔を見て、安心してしまっている私は愚か者なのかもしれない。新たな不安が、心の奥に沈んでいく。私は、柊に何をしてあげられるだろう。きゅっと胸が痛むような感情を抱えたまま、私は柊の後を追った。

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