そして踏み出す、大きな1歩。1
気が付くと、目の前に横向きの炎の揺れる暖炉があった。
起き上がってみると、そこは小さな小屋のような所で、僕は暖炉の前に置かれたソファで横になっていたようだ。
「あ、目が覚めたみたいだね」
後ろから突然声をかけられそちらを振り返ると、窓際に置かれた木のロッキングチェアに座った金髪碧眼の青年がいた。
彼は僕に微笑むとゆっくりと立ち上がり、こちらへと歩いてくる。
「あの……えっと……」
あなたは誰?
ここはどこ?
なんで僕はここに?
たくさんの疑問が頭の中をぐるぐるとめぐり、何から聞くべきか迷ううちに、彼は僕のすぐそばまでやってきた。
ソファの背もたれを挟んで向かい合う形になる。
「聞きたいことは山ほどあるだろうけど、まず落ち着こうか」
彼はふと右手を持ち上げ、人差し指と中指を合わせる。
白く綺麗な指先。無意識に、視線がそちらへ行く。
パチン
指を鳴らす。
その音にはっと我に返った僕は、先程までは確かに何も持っていなかった彼の左手に白いカップが現れていることに気がついた。
彼はそれを僕に差し出す。
「あ、ありがとうございます……?」
受け取ったカップの中には光沢のある白い液体。温かいようで、湯気が出ている。
「ただのホットミルクだよ。遠慮せずに飲むといい」
断るのも相手に失礼だろう。ここは彼を信じて、飲むことにしよう。
ホットミルクには、はちみつが入っているのかほんのり甘くて温かく、飲み干した頃には僕も落ち着きを取り戻していた。
「さて、まずは自己紹介といこうか」
彼は僕が飲み終わるの待って、話を始めた。
「俺の名前は、ディオニュソス。君たちの言うところの《イデア》の管理者と言ったところかな」
「ギリシャ神話の……?あなたは神様なんですか……?」
ディオニュソス。ギリシャ神話における神様の1柱……だったはず。
「君たちの世界の神話では、豊穣と酒の神とされているね。まぁ俺は神じゃないから、ディオ、とでも気安く呼んでくれ」
そう言って苦笑いして続ける。
……何も無いところからいきなりホットミルクとか出す人が神じゃないとか言っても説得力にかけていると思うんだけど……
「で、君の疑問に答えようか。まずはここが何処か、かな?」
ディオニュソスはいつの間にか手に持っていたカップを傾ける。
……やっぱり神様なんじゃないだろうか、この人。
僕の視線に気付くと、カップを軽く持ち上げて、紅茶だよ。飲むかい?と差し出されたが、やんわりと断る。
ディオによると、ここは僕達の世界とイデアとの境界。僕達の世界とイデアには通路のようなものがあり、普通そこを通って人や物が行き来する。
こちらの世界で発生している『神隠し』も、この通路がこちらの世界で突発的に発生したことが原因らしい。
彼はここからイデアを見守っているのだが、突然現実世界から僕が「イレギュラー」な方法で通路を無理やり繋げて、イデアに転送されてきた。
そこで彼は転送されてきた僕を捕まえて、どんな人物か、なんの目的で送られてきたのか、それを調べようと思ったらしい。
正直、今の自分が置かれている状況は全く理解が追いついていない。
でも、逆に現実からあまりにもかけはなれているということと、先程のホットミルクのおかげか、だいぶ落ち着いた思考ができるようになっていた。
「えっと、僕は……逃げてきたんです。神聖省の革新派から」
落ち着いた頭で、自分の中でも今置かれている状況を整理しながら、説明する。
彼は僕らの世界の神聖省について知っていた。故に、今僕が置かれている状況は簡単に理解してもらえた。
「なるほどね……やはり、人間って言うのは愚かなものだね……結局、自分達のことしか考えていないんだ。目的のためなら、誰だって犠牲にする。そういう人間達は、本当に嫌いだ」
先程までの微笑みは消え、その青い目には剣呑な光が宿る。
なんだろう?ただ怒っていると言うよりは……憎んでいる……?
ただ、僕の置かれている状況を生み出した人間に本気で怒ってくれる彼は、本当に優しい人なんだろうな、と思った。
そして僕は、彼に隠す必要は無いと判断し、僕の持っている能力についても正直に話した。
「絵に描いたものを取り出せる能力……ね」
それを聞いたディオは少し考える素振りを見せたが、何事も無かったかのように話を進める
「まぁ確かに、そのギルとやらの考えは間違いじゃない。イデアに行けば、君たちの世界に居るよりは見つかりにくいだろう」
でも、と彼は続ける。
「まだ足りない。このままだと見つかる可能性より、死ぬ可能性の方が高い。こちらには、そちらの世界より危険が多いんだ」
僕の足は動かない。そういった危機から逃れることも難しいだろう。
イデアは、例え理想郷だとしても、天国では無いのだ。
「少し見せて、その脚」
ディオは僕の正面まで来て、脚を見る。
ただ、見る。それだけ。
そうしていたのは10秒くらいだろうか。大きく息を吐いて、僕に告げる。
「やはり、このまま君をイデアに行かせるわけにはいかない」
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