第8話 クラス委員長 1年B組 丸中ひな

 新学期。夏休みが終わったこの日は、日本中の学生という肩書きを持つ人が最も憂うつそうな顔をしている日。

 それでも、教室に集まれば夏休みに起きた出来事の報告や旅行の土産話で盛り上がりを見せる。


「全然、宿題が終わってないんだよね。

マジ、ヤバイって……」

「めっちゃ焼けてるじゃん。どこで焼いたの?」

「ねぇ、自由研究、一緒にやったことにしない?今度、奢るからさ。お願い」


 僕の夏休みは取り立てて報告するようなこともないし、報告する友達もいない。だから、いつものように席に座って存在感を消している。

 周りのノイズが透明になった僕をすり抜けていくような不思議な感覚に包まれていた。


 新学期の1日目はセレモニーのようなものだ。本格的な授業は明日からで、今日は全校集会と掃除だけ。

 僕たちは時間になると体育館に移動するように命じられた。


 9月になったとはいえ、まだ太陽は夏の暑さをまとっている。鉄板を乗せただけの簡素な屋根はすでにホットプレート状態だ。申し訳程度に開けた窓では全然足りず、僕たちはサウナに閉じ込められたようになる。


 そんな中でも校長先生の話は短くなる気配はない。1人、2人と倒れる生徒が出てもお構いなしだ。普段から「他人に気を配りなさい」と言っている先生がこれなのだから笑えない。


 ようやく、僕たちがこの地獄から解放された時、時計は10時半を回っていた。何とか蒸しあがらずにすんだことに胸をなでおろしながら渡り廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。


「マサッキー、ちょっと……」


 僕の耳にぎりぎり届くくらいの小声で呼びかけてきたのは橘さんだった。橘さんの後をついて行くと体育館横のひと気のないエリアに連れていかれた。


「あのさ……こ、この前はありがとう」


 僕の目をまったく見ないで言う橘さんは、僕と同じく人と話すのが苦手な人。だから、しょうがないのだ。


「あの後、たまちゃんとは前みたいに仲良くなれたよ」

「そ、そうなんだね」

「あと、あの時、飛び入りしてきた子と3人で活動することになったんだ」

「へ、へぇ。すごいじゃん」

「マサッキーのおかげだよ、ありがとう」


 ぺこりと頭を下げる橘さん。ここまで僕たちは一度も目を合わせていない。


「それだけ言いたくて……じゃあ」


 橘さんは身を翻して走り去りかけた。そして去り際に一言。


「あのこと、誰かに話たら許さないからね」


 迫力あるセリフを残して行ってしまった。結局、お礼が言いたかったのか釘を刺したかったのかわからない。僕は橘さんの真意を考えながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 その後は掃除をして、夏休みの宿題を提出して、この日は終了。明日から本格的にはじまる新学期のためのリハビリみたいなものだ。


 家に帰っても特にやることもないのでカメラを抱えて街に出た。水族館近くの、この前、堀部さんの家族を撮影した時の公園がいい雰囲気だったので、そこに行くつもりだ。

 海に近いその公園は海鳥も飛んでくるし、色とりどりの植物も植えられている。


 時刻は2時過ぎ。さすがに真夏の炎天下では公園で遊ぶ子どもの姿はない。潮の香りを運んでくれる海風にも熱気がこもっている。


 僕は屋外で撮影する時はアウトドア用のハットをかぶるようにしている。有名なアウトドアブランドのハットはツバの部分が広いので、かなり気に入っている。

 色はカーキ色であご紐も付いている。カメラを両手で構えている時に突風が来ても飛ばされる心配はない。


 この公園は僕の住んでいる街の中では1番大きな公園だ。公園の真ん中部分にはイベント用の大きな屋根付きのステージがある。普段、使われていない時はダンスをする人たちが練習場として使っている。


 僕はこの公園の海寄りのエリアで撮影を開始した。海鳥を撮りたかったのと、少しでも涼やかな海風に触れたいと思ったからだ。

 しかし、この日は海鳥の姿はなく、冷たい海風も存在していなかった。


「こう暑いと、なかなかいい被写体がいないなぁ……」


 屋根付きステージは日陰になっている。そこに足を投げ出して座りながら、どうしようか考えていた。


「今日はもう帰ろうかな……」


 大体、こんな日は無理してねばったところでいい結果は生まない。それなら、思い切って切り上げた方が賢明な時もある。


「じゃあ、あと1時間だけ、いや30分だけやって、ダメなら帰ろう」


 今度は公園の駅側のエリア。花壇と噴水があるエリアに行ってみた。我が物顔で花壇を占拠しているヒマワリの合間から、気の早いコスモスが顔を出していた。少数派のバラも負けじとアピールをしていた。


 花と噴水は良い被写体になってくれた。噴き上がる水は常に違う表情を見せてくれるので飽きることはない。花たちも海風に揺れたり、蝶と戯れたりして意外な一面を見せてくれた。


 気がつくと予定していた1時間を大きく過ぎていた。それだけ熱中していたということだ。


 茂みの方から噴水を撮影していた時のこと。僕の耳に微かな鳴き声が聞こえてきた。


「ミャア、ミャア」


 最初は空耳だと思った。それほどまでにか細くて弱々しい声だったのだ。しかし、撮影に集中すればするほどに僕の耳に鳴き声がはっきりと聞こえるようになってきた。

 僕は声のする方へ行ってみることにした。


 僕が撮影していた場所から、もう少し奥へ行った方。ツツジの植え込みの下のところに不自然に置かれたダンボール箱があった。

 僕は恐るおそる近づいていくと、ゆっくりダンボール箱の蓋を開けた。


「ミャア、ミャア」

「ミィ、ミィ」


 そこには2匹の子猫がいた。三毛猫と白黒のブチ猫。暗闇に閉じ込められて不安だったのだろう。太陽の光を浴びたことで急に元気に鳴きはじめた。


「捨て猫かぁ……こんなところに、可哀想に」

「わぁ、可愛い子猫ちゃんだね」


 突然の声に僕は飛び上がった。実際、宙には浮いていないが、覗き込んでいた時の背筋がシャキッと伸びたのだ。

 見るといつの間にか僕の隣にクラスの女子が膝を抱えてしゃがんでいた。


「あ、委員ちょ、いや、丸中さん」

「あぁ、今、委員長って言おうとしたでしょう?」


 ぷくりと頬を膨らませているこの娘は僕のクラスのクラス委員長、丸中ひなさん。生徒会長の赤岩さんのような優等生タイプではなく、明るく元気でエネルギッシュにクラスを引っ張ってくれるタイプの委員長だ。


「ご、ごめん……なさい」

「あはは、冗談。怒ってないよ」

「で、でも……」

「委員長でいいんだって。あだ名みたいなもんだしね」

「あ、うん……」

「私から委員長を取ったら何も残らないでしょ?」

「エッ? いや、あの……」

「あぁ、今、背が低いとか思ったでしょ?」

「エェッ、お、思ってないです」

「じゃあ、胸が小さいとか?」

「お、思ってないです」

「背が低いとか、胸が小さいとか、そんなのは悪口って言うんだよ。個性とか特徴とか言われても嬉しくないし」

「ご、ごめんなさい」


 丸中さんはクラスで1番背が低い。身長162cmの僕の肩くらいだから140cm台だと思う。だから、彼女の言う通り胸も大きくはない。

 ただ彼女の口から出た胸の大きさの話だけで僕はドキドキしてしまい、彼女の方を見られなくなってしまった。


「あはは、だから冗談だって。言ってないなら謝る必要なんかないよ。柾木くんは真面目だねえ」

「そ、そんなことはないよ」

「お、ようやくタメ口になってくれたね。私になんて気を遣わなくていいからね」

「あ、うん……ありがとう」


 丸中さんはおしゃべりだ。よく動く口、くるくると変わる表情、そして雄弁に語る大きな目。僕のようなコミュ障には彼女みたいに会話をリードしてくれる人の方がありがたい。


「それにしても、可愛い子猫ちゃんだね。柾木くんの?」

「い、いや、捨て猫みたいなんだよね」

「そうなの? こんなに可愛い子猫ちゃんを捨てるなんて許せない。地獄に落としてやる」


 丸中さんは両手の指で目を吊り上げて怖そうな顔をした。多分、地獄の鬼のつもりなんだろう。


「ほ、本当だよね。ま、まだ小さいのに……」

「おい、突っ込まないの? そういうの大事なんだよ」

「エッ、あ、ごめん……なさい」

「まだ柾木くんには難しかったかなあ」


 丸中さんは特に気にした風でもなくニコニコしながら子猫を見ていた。


「この子猫ちゃんたち、どうするの?」

「ど、どうしよう?」

「柾木くんの家じゃ、飼えないの?」

「う、うちは無理だよ。ち、父親が猫アレルギーなんだよ」

「そうなんだぁ。うちもマンションだから無理だなあ」


 丸中さんは指先に子猫をじゃれつかせながら、囁くように言った。


「こんなに可愛いのにねえ」


 ただの感想ではない、何かずっしりと重い言葉のように感じられた。


 ポツリ。


 大きめの水滴が僕の鼻先を直撃した。驚いて空を見上げると、いつの間にか鉛色の空が低くたれ込んで広がっている。空気からも雨の匂いを感じとれるほどだ。


「や、やばい、雨だよ」

「本当だあ、ゲリラ豪雨だね。やばい」


 僕は大急ぎでカメラをバッグに片付けた。


「こ、こっちを抜けて、え、駅前のデパートまで走ろう」

「子猫ちゃんはどうするの?」

「あぁ、じゃあ、こ、子猫は委員長が持ってくれる?」

「いいけど、子猫ちゃんと一緒ならデパートには入れないよ」

「あ、そうかぁ……どうしよう」


 軽いパニック状態。そうこうしているうちに、雨粒が落ちてくるペースは早まってきている。


「柾木くん、あっち。ステージの方まで走るよ。あそこなら屋根があるから」

「エッ、あ、うん」


 僕たちはさっき暑さをしのぐために休憩していたステージまで走ることにした。僕はカメラバッグを肩から下げ、それをお腹のところで大事に抱えて。彼女は子猫のダンボール箱を両手で抱えて。それぞれが、今、出せる最速のスピードでステージを目指した。


「はぁはぁはぁ」


 何とか無事にステージにたどり着いた。2人とも全力疾走をしたので息を切らしている。


「あはは、疲れたねえ」

「う、うん。だ、大丈夫?」

「うん。子猫ちゃんは大丈夫だよ」

「い、いや、そうじゃなくて、委員長が大丈夫かなって……」

「あ、私? ちょっと濡れちゃったねえ」


 そういうと雨で濡れた前髪を指でつまんで持ち上げて見せた。丸中さんの前髪は雨で濡れてしっとりと輝いている。その姿に見とれていると、あることに気づいた。丸中さんのブラウスが雨に濡れて透けているのだ。水色の下着がハッキリと見える。僕は罪悪感から目をそらした。


「うん? どした?」

「な、何でもないよ。ちょっと、目にゴミが……」

「大丈夫? 見てあげようかあ?」


 土砂降りの雨の中、公園のステージに取り残された2人。それだけで十分にドキドキするシチュエーションなのに、下着が透けて見えていたり、目のゴミを見てくれようとしたりなんて刺激が強すぎる。この話題から逃げるように話を変えることにした。


「子猫、どうしようか?」

「そだねえ、困ったねえ」


 丸中さんは腕組みをして考え込んでいる。


「そうだ、柾木くん、子猫ちゃん写真を撮ってよ」

「え、いいけど、ど、どうするの?」

「チラシを作って配るんだよ」

「あ、なるほど。い、いい考えだね。で、でも、僕はチラシなんて作れないよ」

「大丈夫。写真だけ撮ってくれたら、チラシは私が作るから」

「い、委員長、そんなことできるの?」

「あはは、やったことないけど、何とかなるって」


 そう言って、にっこりと笑顔を見せる委員長。まるで雨雲の中から太陽が顔を出したような笑顔だった。


「じゃ、じゃあ、ここで撮っちゃおうかな。どうせ、まだ雨はやみそうにないし」

「おぉ、いいね。やろう、やろう」


 僕たちは子猫を1匹ずつダンボール箱から取り出して、撮影をした。よちよち歩く姿、鳴き声を上げる姿、尻餅をつく姿。可愛い写真が何枚も取れた。そのデータをSDカードに移して委員長に渡した。

 委員長には見せていないけど、僕の中の最高の1枚は子猫を顔の横に抱き上げて笑う委員長の写真。恥ずかしくて委員長には見せられなかった。


 撮影がひと段落する頃には雨はやんでいた。


「チラシは私が作るから、飼い主が見つかるまで柾木くん、子猫ちゃんをお願いしてもいい?」

「エエッ……ま、まぁ、短期間だけなら何とか親を説得してみるよ」

「ありがとう。さすが柾木くんだね。優しいなあ」

「い、いや……そんなことは……」

「じゃあ、私、急いで帰ってチラシを作るね」


 委員長は笑顔で手を振りながら走り去っていった。

 その後、子猫を連れて帰った僕は渋る親を何とか説得して、子猫を数日間だけ家に置くことを許可してもらった。


 翌日。学校に行くと、まだ委員長の姿はなかった。いつもなら誰よりも早く登校して黒板を拭いたりしているのに。心配していると、委員長は時間ギリギリに教室に飛び込んできた。そして一直線に僕の机にやって来た。


「チラシできたよお。もう駅前で少し配ってきちゃった」


 さすが委員長、仕事が早い。だから時間ギリギリになったのか。

 委員長の様子を見ていたクラスメイトが僕の机の周りに集まってきた。


「委員長、それ何?」

「エエッ、子猫じゃん、超可愛いんですけど」

「私も見たいよぉ」


 僕の机の周りに人だかりができるなんて入学以来はじめてのことだ。それだけで心臓の鼓動が早くなってくる。


「あはは、昨日ね。公園で捨て猫ちゃんを保護したの。誰か飼ってあげてくれないかなあ?」


 委員長の作ったチラシには2匹の猫の可愛い姿が載っていた。三毛猫の方はオスだったらしく、数万匹に1匹の奇跡の子猫との文字が躍っていた。そう言えば、三毛猫のオスは珍しいと何かの本で読んだ記憶がある。遺伝の関係で滅多に生まれないらしい。昨日の子猫がそうだったなんて驚きだ。

 この騒動は先生が来るまで続いた。


 昼休み。委員長が僕の所にやってきて報告をしてくれた。


「三毛ちゃんの方を飼いたいって人が、もう5件も来てるよお」


 でも、その表情はどこな浮かない感じだ。


「な、何か元気ないね。う、嬉しくないの?」

「うーん、ちょっとね」

「ど、どうしたの?」

「私のチラシがいけなかったなあって……」

「そ、そんなことないよ。だ、だって問い合わせがあったんでしょ?」

「三毛ちゃんばっかり良く書きすぎたから、ブチちゃんが残されちゃったからねえ」

「あ、で、でも、まだわからないよ」

「そうだね。もうちょっと待ってみるかあ」


 力なく言うと委員長は自分の席に戻っていった。


 結局、三毛の子猫には多数の申し込みがあり、その中で1番可愛がってくれそうな家庭に引き取ってもらった。しかし、ブチの方には申し込みは来なかった。三毛に申し込んだ人からも、ブチはイヤだと断られたのだ。


「あぁ、やっぱり私のせいだねえ」


 放課後、写真部の部室の机に突っ伏して凹んでいる委員長。そんな委員長の姿に何も言えない僕。


「ブチちゃんには罪はないんだよお。私のチラシが悪かったのお」

「そ、そんなことはないと思うよ」

「ううん、私、自分がチビとか言われるのを嫌うくせに、ブチちゃんには可愛い呼び方をつけてあげられなかったんだよね」

「そ、それは……」

「三毛ちゃんを持ち上げたら、比べられたブチちゃんはたまらないよね」


 僕は委員長を慰める言葉を知らなかった。だから、引き出しにしまっておいた1枚の写真を差し出した。そう、僕が1番だと思った子猫と委員長の写真だ。


「こ、この写真の委員長、すごく素敵だと思う。子猫も生き生きしてるから。この写真で、もう一回チラシを作ってみない?」


 委員長は写真を見て、ビックリしたように僕を見た。その表情は少し恥ずかしそうだ。


「うん、そうだね。もう一回、チャレンジしてみるよ」


 委員長は写真を手にして、部室を飛び出していった。

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