第7話 お嬢様学校 1年 堀辺胡桃

 夏休みの最後の週。僕は駅前のカフェで待ち合わせをしていた。そう言うと何だかめちゃめちゃリア充な感じがするけど、そんな事はない。待ち合わせの相手は中学校時代の僕の唯一の友人の男子だからだ。


 戸賀崎くんとは中学2年生の時にはじめて同じクラスになった。その頃の僕はもうすでに空気として生きるすべを身につけていたので、クラスでも存在感なく過ごしていた。

 戸賀崎くんは誰とでも仲良く話せるタイプの人だけど、その中でも僕を選んでくれた。カメラが趣味という共通点があったからだ。

 僕が風景写真が好きで、彼は人物を撮るのが得意だった。お互いにテクニックを教えあったりもした。


 そんな戸賀崎くんから、昨日の夜、急に会えないかとLINEがあった。相変わらず、特に予定もない日々を過ごしていた僕は即答で了解の返事をした。それで、その待ち合わせ場所がこのカフェなのだ。


 全国展開する有名チェーン店のカフェは、夏休みの日中となるとヒマを持て余した学生で溢れかえる。スマホを覗き込んではイチャイチャするカップル。夏休みの宿題に没頭する女子。それらに追いやられ窓際で所在なげにコーヒーをすするサラリーマン。


 そんな中に僕が1人で座っている。僕としてはかなり勇気を振り絞っている。約束の時間はもう過ぎているけど、戸賀崎くんから連絡はない。

 こんな時、僕のLINEに異常が起こっているんではないだろうかと思ってしまう。自分のスマホだけが壊れていて戸賀崎君からの連絡が届かないのだと思うのだ。だから、ついスマホをチラ見してしまう。

 そうやって、僕が何度目かのスマホをチェックしていると不意に背後から声をかけられた。


「柾木、ごめんごめん」


 振り返ると戸賀崎君が笑いながら立っていた。横に見知らぬ美少女を連れて。

 約半年ぶりに合う戸賀崎君は少し明るい茶髪になっていた。コンタクトにしたのかメガネも掛けていない。耳にはピアスが光っている。


 垢抜けることを大人になると言うのなら、彼はこの半年で大人になっていた。僕は取り残された感じがして少し寂しくなった。


「いやぁ、遅れちゃってごめん。ちょっと出かける時に手間取っちゃってさ」

「そ、そうなんだね」

「それにしても、柾木は変わらないなぁ」

「そ、そうかな?戸賀崎君は、ちょ、ちょっとイメージが変わったね」

「あぁ、これ?」


 戸賀崎君はそう言って自分の頭を指さして笑った。


「まぁ、座ろうか。俺はちょっと飲み物を注文してくるよ」


 戸賀崎君は隣の女性に席を勧めておいて注文をしに行ってしまった。


 女性は僕の向かいに座ってこちらを見ている。この状況、他に人が見たらデートをしているようにしか見えない。いらぬ誤解を招いてしまうのは非常に困る。クラスで質問攻めに遭うと空気としては生きられないからだ。


 女性は肩から背中にかけて柔らかそうな黒髪を自然に流している。顔立ちは少し幼さを感じさせる顔立ちで小動物に近い印象だ。多分、アイドルとして活動しているんだと紹介されたら信じてしまうだろう。

 不意に彼女と視線が合った。ごく自然ににっこりとほほ笑む彼女を見て、目を伏せてうつむいてしまった。気まずい時間が流れる。まるで僕の周りだけモノトーンの世界になってしまったかのように思えてくる。


「おっ待たせ。カフェオレでいいんだよね」

「あ、うん。ありがとう」


 戸賀崎君は彼女から注文を聞かないでもカフェオレを注文してきた。このやり取りだけで2人の関係が見えてくるというものだ。


「じゃあ、久しぶりの再会に乾杯だな」

「あ、うん」

「乾杯!!」


 そう言って3人でカップを合わせる。


「あ、あの戸賀崎君。こ、こちらの女性は?」

「あぁ、話してなかったっけ?」

「う、うん……」

「俺の彼女だよ」


 戸賀崎君の彼女。予想通りの回答だ。でも、ほんの半年前までいつも一緒に過ごしていた友人に彼女ができたなんて聞かされると、何だかとても差をつけられてように感じる。


「はじめまして。堀辺胡桃です」

「あ、柾木純也です。よ、よろしくお願いします」

「彼女さ、桃蘭女子なんだよ」

「え、エエッ、桃蘭なの?」


 私立桃蘭女子学院。さして自慢する物のないこの町で、唯一、自慢できる名門私立女子高。かなり歴史のある学校で僕の母や伯母さんの桃蘭出身だ。中学校から短大まである一貫校。伝統のセーラー服とエンジのスカーフは男子の憧れの的なのだ。

 偏差値はそれほどでもないけれど、桃蘭出身というだけで女子のブランド価値は跳ね上がるようで、社長夫人に収まった人も少なくないという。


「彼女にさ、柾木の話をしたら会いたいって言うからさぁ。今日、来てもらったって訳」

「そ、そうなんだ。何で僕なんかに……」

「うふふ、たっくんの中学時代の友達って聞いたら、何だか会ってみたくなっちゃって」


 そう言って彼女は少し照れたようにはにかんだ。

 戸賀崎君は卓也と言う名前だ。だから、彼女にはたっくんと呼ばれていた。何だかこっちまでムズかゆくなってくる。


 そこからは彼女に色々と中学時代のことを質問された。緊張していた僕は何をどう答えたかは覚えていない。面接だったらきっと落とされていただろう。僕の答えに笑顔で答える可愛らしい彼女。それを見つめる余裕たっぷりの戸賀崎君。2人との間にはカフェのテーブルしかないのに、随分と距離があるように感じる。


「ごめん、ちょっとトイレ」


 

 1時間くらい話していただろうか。戸賀崎君が席を立ってトイレに行ってしまった。その時を見計らっていたかのように、彼女が僕の方に顔を近づけて小声で話しかけてきたのだ。


「柾木くん、お願いがあるの」

「え、な、何かな?」

「たっくんには内緒でLINEを交換してくれない?」

「え、エエッ……」

「お願いごとはLINEで伝えるから。お願い」


 僕の前で手を合わせて頼み込む彼女。戸賀崎君には内緒と言う一言が物凄く罪悪感を感じさせてくる。だから返事に迷ってしまった。僕に戸賀崎君を裏切ることはできない。それ見かねた彼女は、テーブルナプキンにボールペンで何かを書き込んで僕に差しだしてきた。


「私のLINE。たっくんが戻ってくる前に早く……」


 彼女の言葉には有無を言わせない迫力があった。桃蘭女子と言えば清楚で可憐なイメージだったが、今の彼女には何だか鬼気迫る物さえ感じる。僕はしぶしぶテーブルナプキンを受け取ってポケットにしまった。


「ありがとう。柾木くんにしか頼めないことなの。お願いします」


 テーブルナプキンを受け取ったことで僕が了承したことになったのだろうか。彼女からは謎の迫力は消え去っていた。


「たっだいまぁ」

「あ、お、おかえり」


 戸賀崎君がトイレから戻ってきた後も、彼女は何事もなかったかのように話し続けた。僕はポケットの中が気になってしまって話が全然、頭に入ってこない。もしポケットの中身を戸賀崎君に見られてしまったら。そう思うと怖くてたまらない。平然としていられる彼女を見て女性は怖いなと実感した。


 夕方までゆっくりカフェで過ごしたはずなのに、僕はぐったりと疲れていた。カフェを出た後、戸賀崎君から一緒に晩ご飯でも食べないかと誘われたけど、僕はそれを断って家に帰った。


「ふ、2人のデートを邪魔しちゃ悪いから……」


 自分としては気の利いた断り方だったと思う。この半年間で僕の成長した姿を少しだけ見せられたのではないかと思う。


 家に着くと自分の部屋にこもってLINEのアドレスがかかれたペーパーナプキンを眺めてみる。少ししわが寄っているけどちゃんと判別できるレベル。読めなかったという言い訳は通用しそうにない。


「困ったなぁ……」


 思わず本心が漏れる。こんな時、相談できる女友達でもいればいいのだが、あいにくそんな人はいない。


「堀辺さん、何のつもりなんだろう……」


 彼女の真意に思いを馳せてみる。しかし僕に女心を推しはかれる訳はない。何も答えは浮かんでこなかった。


 LINEをしてみれば答えがわかるはず。そう思ってスマホを手に取る。しかし、戸賀崎君の顔が浮かんできて手が止まる。

 頭を振って戸賀崎君の影を振り払ってLINEを起動する。しかし、友達申請直前で指が止まる。まだ2人は一緒にご飯を食べているかもしれない。そんな時にLINEをしたらまずいことになるのではないか。結局、この日は堀辺さんにLINEをすることができなかった。


 翌日。一晩じっくりと考えてみた。友達の彼女と内緒で連絡を取り合うというのはどうしても戸賀崎君に対しての裏切り行為のような気がする。でも、あの時の彼女の真剣な表情が頭を離れなかった。僕へ頼みたいことが気になって仕方がなかった。だから、そのためだけに連絡をすることにした。要件が終われば、きっと彼女だって僕に連絡することもないだろう。


〉おはようございます。柾木です。


 考えてみればLINEなのだから自己紹介する必要はない。それでもつい名乗ってしまうのがコミュ障の僕らしい。同年代の女子とLINEするのに慣れていないのがバレバレだ。

 彼女に送ったメッセージに既読は付かなかった。まぁ、突然送ったのだから、それもしょうがないだろう。

 彼女から返事が来たのはお昼前になってからだった。


》ごめんね、返事が遅くなっちゃって。メッセージしてもらえないかと思ってた。

〉今回だけ特別だよ。

》了解。

〉それで頼みたいことって何なの?

》私を盗撮して欲しいの。


 あまりに突然な申し出に僕は彼女からのLINEを何度も見直した。それでもそこにあるメッセージに変化はない。盗撮して欲しいってどういうことだろう?僕の中ではてなマークが浮かんで消えない。

 もし昨日のカフェでこれを言われていたら僕は動揺して戸賀崎君に怪しまれていたと思う。本当にLINEで良かったと思う。


〉盗撮ってどういうこと?


 返信までの時間の長さが僕の戸惑いを表していた。


》明後日、家族と出かけるから、その時に私を盗撮して欲しいの。

〉無理だよ、盗撮なんて。

》柾木くんにしか頼めないの。お願い。

〉無理だって……


 カメラをやっていると色々と依頼をされることがある。高校に入ってからも、はな先輩にこき使われたり、生徒会長に写真を撮るように頼まれたりしている。

 しかし、今までに盗撮して欲しいと依頼されたことはない。そもそも、堀辺さんが撮られていることを知っている時点で盗撮ではない気がする。


》明後日、朝から水族館に行くの。それからレストランでお昼を食べて、そのあとは公園を散歩する予定。

〉そんな話をされても盗撮はしないよ。

》もしその気になったら10時に水族館の玄関に来て。

〉そんなぁ。


 その後は彼女から返信はなかった。


 1日、ずっと悩んでいた。いっそ、戸賀崎君に相談しようかとも思った。今なら友情に影響はないはず。そう思ってみたけれど結局、言い出せなかった。

 雨にならないかなと願ってみたりした。そうしたら雨を理由に行かなくても済むかもしれない。でも、天気予報は無情にも降水確率0%と断言している。言葉にならないため息が止まらない。 


 そして約束の日、僕はカメラ道具をカバンに詰めて家を出た。10時に水族館の前に行くためだ。今回だけ、今回限りと言い聞かせながら水族館へと向かった。

 10時前に、堀辺さんは家族で水族館に現れた。お父さんとお母さん、そして弟さんの4人家族。にこやかに話す姿は幸せ家族そのものだった。


 彼女は僕の横を何も言わずに通り過ぎていった。ただその目は僕の姿をとらえて微笑んでいる。「よろしくね、柾木くん」そう言われた気がする。僕は彼女たちを見失わないように後に続いた。


 水族館の中は薄暗い。だからなかなか写真は撮れない。フラッシュを焚けば一瞬でバレてしまうだろう。暗闇でもフラッシュを使わずに撮影するテクニックはある。でも、僕にはそれだけの道具揃っていないのだ。だから、館内での撮影は早々に諦めることにした。


 一家はイルカのショーを見るために屋外エリアに出た。僕は家族の反対側に座って望遠レンズで狙うことにした。

 イルカのジャンプに合わせて歓声を上げる堀辺さん。飛び散るしぶきを大げさに避ける姿。そんな姿を僕は撮り続けた。

 その後のアシカのショーでは、堀辺さんの弟さんがアシカとの共演を果たした。スタッフさんの呼びかけに、自ら立候補したのだ。みんなの前に出ていく勇気はすごいと思う。


 ショーが終わると、今度はペンギンエリア。ここも屋外なので写真を撮ることができた。途中、一瞬だけファインダー越しに彼女と目が合った。ドキッとした。何だろう。あんなに楽しそうな幸せ家族なのに、深い愁いを秘めた目のような気がしたのだ。


 家族はそのまま水族館内のレストランに入った。ここは高いから遠慮したいと思ったがしょうがない。一番安いアイスコーヒーで済ませることにした。

 ここのレストランの特徴はイルカのプールに隣接していること。レストランの壁がイルカのプールになっている。そのため食事を楽しみながらイルカの泳ぐ姿を見ることができるのだ。


 僕の計画ではレストランの撮影が一番難しいと思っていた。だって、食事中にカメラなんか出していたら怪しすぎるだろう。でも、ここならイルカの姿を撮っているふりをすることができる。僕はイルカと一緒に家族の撮影を続けた。


 堀辺さん一家は、水族館を出ると、すぐ横の公園でくつろぎはじめた。ベンチに座る両親と追いかけっこをする姉弟。僕はそんな姿を撮影し続けた。

 最後、一家が通りかかりの人にお願いしてスマホで撮影してくれるように頼んでしたのが印象的だった。きっと幸せ家族の思い出の一ページを飾る写真になるのだろう。


 こうして何とも不思議な僕の1日が終わった。家に帰ると堀辺さんからLINEが来ていた。


》今日はありがとう。

〉どういたしまして。

》イイ写真は撮れた?

〉多分ね。

》じゃあ、2枚ずつプリントしてくれる?

〉2枚ずつ?

》そう。それを明日の朝10時に、また水族館の玄関まで持ってきてくれる?

〉うん、わかった。


 最後まで不思議な依頼だった。


 翌日、まだ水族館へと向かった。すると、今日は堀辺さんの方が先に来ていた。桃蘭女子学院の制服に身を包んで海風に吹かれている彼女は、それだけでモデルさん以上の美しさをたたえていた。


「お、おまたせ……」

「あ、柾木くん」

「こ、これ、写真」


 僕は2枚ずつプリントした写真を入れた封筒を彼女に差しだした。こんな姿を誰かに見られたら絶対に誤解される。戸賀崎君の耳に入ったら大変なことになる。だから、いつ用以上に彼女には近づかないようにして、すぐに帰ろうと思った。


「ありがとう。本当にありがとう」

「い、いや。それじゃあ、これで」


 僕が背を向けると彼女から悲しげな声がした。


「両親がね、離婚しちゃうの……」

「エッ……」


 僕は思わず彼女を振り返った。彼女はうっすらと涙を浮かべて笑っていた。


「離婚して弟は父親と一緒に東京に行っちゃうの。私は母と一緒にこの町に残るんだけどね」

「う、うん……」

「最後に1日だけ、家族らしいふりをしてもらったんだよね」

「そ、そうだったんだ……」


 見た感じではそんな風には見えなかった。幸せが溢れる家族だと思っていたのに。


「で、でも、盗撮する必要はあったのかな?」

「最後にスマホで写真を撮ってもらったんだけどね。どうしても嘘くさい笑顔に見えちゃうんだよね」

「そ、そっか……」

「柾木くんの写真にはウソはないなぁ。すごいよ、君」


 彼女は涙をぬぐいながら話し続ける。


「この写真は弟と2人だけの思い出にするの。もしかしたら、もう会えないかもしれないからね」

「そ、そんなことないよ」


 僕自身、自分の声の大きさに驚いてしまった。当然、彼女の目も大きく見開かれている。


「ありがとう。柾木くんは優しいね」

「エッ……」

「でも、もう少しウソは上手になった方がいいよ」


 そう言い残して、彼女は立ち去っていった。海風に押されるようにひらりと身をひるがえして。僕はそんな彼女を見送るしかできなかった。

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