第5話 帰宅部 1年B組 橘穂乃果

 僕の住んでいる街は田舎ではない。じゃあ、都会かと言うとそうでもない。私鉄は走っていないけど、一面の田園風景って訳でもない。程よく都会で、程よく田舎とでも言えばいいだろうか。


 市内には進学に困らない程度に、色々な学科の高校がある。駅前にはオシャレなカフェやファーストフード店が出店している。


 その一方で、市内の中心には古くからの市営住宅が立ち並び高齢者世帯が住み続けている。そのせいで若者は住む場所を郊外に追われ、わかりやすいドーナツ化現象が起こっていた。


 僕はこの街が好きだ。海もあるし山もある。少し郊外に出れば田園風会もある。写真を撮るのには困らない様々な一面を見せてくれるこの街が大好きなのだ。


 唯一不満があるとすれば、カメラのレンズなどを売っているお店が少ないということ。昔ながらの写真屋さんはあるものの、品揃えでは圧倒的な物量を誇る家電量販店には敵わない。だから、僕はカメラのレンズを購入する時には遠くまで出かけなければならなかった。


 電車で2駅いくと、僕の街よりも少し大きな都会がある。そこよりさらに向こう。電車で1時間くらいの所にある大都市まで行かなければいけないのだ。


 その街には、全国展開している大きな家電量販店がある。カメラ関係の品揃えも多いし、店員さんもカメラのことに詳しい。だから、僕は時々そこまで遠出をして欲しいレンズを物色するのだ。


 夏休みのある日。僕は特にやることもなかったので、久しぶりに遠出をしてレンズを見に行こうと思い立った。愛用のカメラをバッグにしまうとそれを肩から掛けて家を出た。


 駅に着くとちょうど電車が着いたところだった。発車までまだ少し時間があるが、僕は4人掛けのボックス席に陣取って窓から外の景色を見ていた。


 電車で1時間と言えば、なかなかの遠出になる。しかし、僕は車窓からの景色を見るのが大好きなのでそれほど苦にはならない。1時間の間に海岸線、街並み、田園風景、河川敷と様々な表情を見せてくれるので、ちょっとした映画でも観たような気分になるのだ。


「ジリリリリリ」


 発車のベルが響く。その時、一人の女性が駆け込んできて僕の向かいの席に座った。


「はぁはぁはぁ」


 女性はかなり長い距離を走ってきたのだろう。前方にうつむいて苦しそうに息をしていた。


「はぁはぁ」


 電車が動き始めて少しすると、女性は落ち着きを取り戻したのかゆっくりと顔をあげた。そしてその目が僕を捕らえると敵意を示す色を帯びた。


「あ……」

「ま、柾木くん……」

「こ、こんにちは……」

「こ、こ、こんにちは……」


 その女性は同じクラスの橘さんだった。僕と同じようにあまり人と話すのが得意じゃないタイプのようで、いつも図書室で一人でいるイメージだ。たしか部活はしていなかったと思う。


 橘さんはまるで旅行にでも行くかのような大きな荷物を持っている。これを持って走ってきたのなら、そりゃ息も切れるってものだ。


「な、なに?」

「あ、いや、ごめん……」


 僕がじろじろと見ていたせいか、橘さんを警戒させてしまったようだ。でも、気のせいだろうか。僕に気づいてからずっと敵意をむき出しにされている気がする。


「た、橘さんはどこまで行くの?」

「柾木くんは?」

「ぼ、僕は博多までだけど……」

「エエッ、博多まで行くの?」

「う、うん。そんなに驚くことかな?」

「あ、いや、そうじゃないけど……」


 コミュ障同士の会話はなかなか大変だ。リードをする人間がいないので会話も途切れがちになる。きっかけになればと繰り出したパスもうまく通らない。


「で、た、橘さんはどこまで?」

「わ、私も博多までよ……」

「そ、そうなんだ。い、一緒だね」


 そう言ってニッコリしたつもりだけど、橘さんはますます警戒色を強めて僕を睨んでいる。


「お、大きな荷物だね。な、何が入ってるの?」

「な、何だっていいでしょ」


 橘さんの目がさらに厳しくなった。やばい地雷だったようだ。それをまともに踏んでしまった僕。どうもこの辺の見極めが甘いのが僕の悪いところだ。


「ご、ごめんなさい……」


 彼女は返事をしてくれない。かなり怒っているようだ。これ以上会話を続けてもいい結果にはならないので、僕は窓からの景色に目を移した。車窓の景色に意識を集中しようとしても彼女から放たれる刺すような視線が痛い。


 無言の時間が過ぎていく。その間も電車は何事もなかったかのように駅に停車し、また走りはじめる。


 十分ほど経っただろうか。不意に彼女がスマホを取り出して操作をはじめた。何かメッセージでも届いたのだろう。その時、彼女の膝に置かれていたバッグが電車の揺れでバランスを崩して床に落ちていった。彼女は懸命に手を伸ばしたが、スマホを操作していた分、反応が遅れた。


「ドサッ」


 床に落ちた衝撃でバッグから何かが飛び出した。派手な橙色をしたカツラみたいな何かだ。

 彼女は慌ててそれを掴むと乱暴にバッグへと押し込んだ。そしてまた敵意をむき出した目で僕を見てきた。


「み、見た?」

「う、うん」

「な、何が見えた?」

「む、オレンジ色のカツラみたいな……」


 彼女は大きなため息をつきながら体を前に折り曲げた。膝と体に挟まれたバッグが苦しそうに形を歪める。

 次の瞬間、勢いよく体を起こして座り直す。その目には敵意は感じられない。


「あーあ、バレちゃったかぁ」

「エッ、エッ?」

「そうよ、私はコスプレが趣味なの」

「エッ?」


 何か文句でもあるのとばかりに胸を張りながら彼女は続けた。


「笑いたければ笑えばいいよ」

「エッ、そ、そんなこと……」

「いつだってそう。小学校の時の麻美ちゃんも、中学の時の香ちゃんも、みんな私がコスプレイヤーだって知ったら離れていったわ」

「あ、あの……」

「コスプレって、そんなにいけないもの?そんなに悪いことなの?」


 彼女の声がどんどんヒートアップしていく。自分の声でさらに怒りが増幅していっている感じだ。


「今日だって博多のコミケに行くの。そこで大好きな『マジカル・カクテル』のカシスオレンジちゃんのコスプレをするの。悪い?」

「あ、あの……」

「どうせ、あんただってカメラを抱えてコミケ会場でコスプレイヤーを撮るつもりだったんでしょう?」

「ち、違います……」


 橘さんはおとなしいタイプだと思っていた。僕と同じで人と話すのが苦手で、ひっそりと生きている人だと決めつけていた。まさかこんなに激しい気性の持ち主だとは思わなかった。


「た、橘さん。ぼ、僕の話を聞いてください」


 僕は彼女を落ち着けようとして彼女の両手を握った。彼女は金魚のように口をパクパクさせたあと話すのをやめた。その代わり耳まで真っ赤になって俯いている。

 それを見て慌てて手を放す僕。僕の耳も彼女と同じくらい真っ赤だろう。


「た、橘さんは、ご、誤解をしています……」


 橘さんがゆっくりと顔をあげる。僕は橘さんをしっかりと見ながら、言い聞かせるようにゆっくりと話を続けた。


「ぼ、僕は橘さんのことを、わ、笑ったりしません」

「う、嘘よ……」

「嘘じゃないです。す、好きなことに一生懸命な人を、わ、笑ったりしません」


 橘さんはビックリしたような目で僕を見ている。


「ほ、本当に?」

「はい」

「信じていいの?」

「はい」

「何なの、神なの?」

「エッ?」

「あ、いや、ごめん。何でもない」


 橘さんは少しだけ嬉しそうに笑った。

 

 とそんなやり取りがあったのが数分前のこと。


「じゃあ、マサッキーは何しに博多まで行くのさ?」


 この数分の間に僕と橘さんの距離感は急激に縮まったようで、僕の呼び方は『マサッキー』になっていた。僕はあまりの展開に戸惑うばかりでおろおろするばかりだ。


「マサッキーはさ、コスプレイヤーを撮りたいとか思わないの?」

「う、うーん、考えたこともなかったですねぇ」

「そっかぁ……」


 橘さんの説明だと人気のコスプレーヤーになると馴染みのカメラマンが固定でついているらしい。その数が多いほど人気のコスプレーヤーということになるのというのだ。


「た、橘さんにもカメラマンはついているんですか?」

「私?私なんかを推しにしてくれるカメラマンなんていないよ」

「そ、そうなんですね……」


 一瞬、また地雷を踏んだかと思ってヒヤッとした。しかし、今回は大丈夫なようだ。もしかしたら彼女の警戒心と一緒に地雷原も去っていったのかもしれない。


「ねぇ、マサッキー、あんた今日ヒマなの?」

「ま、まぁ時間はありますけど……」

「よし、じゃあ、私がコミケに連れて行ってあげよう」

「エエッ!」

「いいじゃん。楽しいよぉ」

「で、でも……」


 こうして僕は人生ではじめてコミケに行くことが決まったのだった。


 コミケの会場は海の近くにある国際会議場。地下鉄で行く方法もあるのだが、バスの方が近くまでいける。僕たちは橘さんの荷物のことも考えてバスで行くことを選択した。


 バス停を降りると会場までは目と鼻の先。多くの人が会場を目指して歩いていた。これほど盛り上がっているとは思っていなかったので、少し面食らってしまった。


 会場の入り口を過ぎると、何かアニメキャラの立て看板が立っていた。橘さんはその看板に釘付けになっている。若干だけど鼻息も荒くなっているようだ。


「た、橘さん。あの……」

「ごめん、マサッキー。ちょっと待ってて」

「この看板って……」

「そう、私が大好きな『マジカル・カクテル』のリーダーのスクリュードライバーちゃんよ」


 何だろう。橘さんの目がキラキラしている気がする。


「ねぇねぇ、マサッキーのカメラで一緒に撮ってよ」

「あ、はい」


 僕は言われるままに立て看板の横でポーズをとる橘さんの姿を撮り続けた。しばらく撮り続けていると橘さんは満足したのかポーズをとるのをやめた。そして一言。


「はぁ、至福だわぁ」

「お、お疲れ様……」

「ねぇ、撮ったヤツ、見せてよ」

「あ、はい」


 僕はカメラを再生モードにして、撮った写真を液晶に映し出した。


「おぉぉぉぉ、よく撮れてるじゃん。さすが、いいカメラだと違うね」

「あ、ありがとうございます」

「よし、マサッキーはここでちょっと待っててね」

「エッ?」

「ちょっとトイレで着替えてくるからさ」

「あ、了解です」


 同級生相手に「ですます調」は変じゃないかと自分でも思っている。しかし、なかなかため口にはなれない。この辺が、コミュ障といわれるゆえんなのだろう。

 橘さんを待っている間も、立て看板の横でポーズをとって写真を撮っている人が沢山いた。『マジカル・カクテル』というアニメはきっと大人気なのだろう。


「おっ待たせぇ」


 十分くらい待っていると、橘さんが戻ってきた。しかし、その姿はすっかり別人のように変わり果てていた。


 髪はオレンジ色のウィッグで、ツインテールのように左右で結んでいる。カラコンを入れた瞳は妖しく輝いている。衣装はオレンジ色をベースに白いフリルのついた可愛らしい衣装。その衣装の胸元が大きく開いていて、橘さんの胸元が見えている。さらにミニスカートからは健康的な太ももがのぞく。


 僕は思わず目をそらした。でも、心臓はドキドキと興奮していた。


「マサッキー、どう?」


 僕の前でくるりと回って見せる橘さんは本当にアニメのキャラのように見えた。ただ胸元とか太ももとかのリアルな感じが僕をドキドキさせる。ローアングルから撮りたくなる気持ちもわかるってもんだ。


「う、うん。いい。すごくいいと思いますよ」


 僕は目線を外しながら橘さんに答えた。


「よし、じゃあ、マサッキーのためにポーズをとるよ。さぁ、撮影会しよ」


 そう言うと、僕の腕をつかんで会場の奥に引っ張っていく。腕に胸が当たっているので、僕はまともに歩けたもんじゃない。橘さんってこんなに胸が大きかったんだ。

 心臓のドキドキが橘さんに気づかれるんじゃないかと思えば思うほど心臓の鼓動は大きく強くなっていった。


 ていうか、橘さんってこんなに積極的な娘だったっけ?学校では僕と同じようにコミュ障でおとなしい印象だった。友達もそんなに多くないはず。少なくとも僕は彼女が友達といるのを見たことがない。

 そんな彼女が今は別人のようになっている。本当に魔法少女として変身したみたいだ。


「よし、この辺にしよう」


 橘さんは会場の片隅、比較的人の少ないところを撮影場所に選んだ。そして僕の前で色々とポーズをとりはじめる。

 ファインダー越しに見る彼女はアニメキャラそのままに可愛らしく魅力的だった。ポーズをとる度に揺れる胸が刺激的だ。


 しばらく2人きりの撮影会をしていると背後からいきなり声をかけられた。


「あら?穂乃果ちゃんじゃない。こんな所で撮影会?」


 その声を主を確認した橘さんの顔がサッと強張る。


「た、たまちゃん……」


 たまちゃんと呼ばれた女性は橘さんと似たような格好をしている。ただ髪の色がグリーンでポニーテールにしているところ。全体的にグリーンベースになっているところが異なる。


「穂乃果ちゃんにもカメラマンがつくようになったのね」


 その言葉は心からの祝福ではなく、悪明らかに意がこもっている。


「ぼ、僕は橘さんのクラスメイトです」

「はぁ?クラスメイト?身内に頼むようになったらおしまいよね」


 たまちゃんはそう言って笑いながら去って行った。


「あ、あの、何かごめんなさい」

「いいよ、マサッキーのせいじゃないから……」


 橘さんはたまちゃんの後ろ姿を追いながら言った。


「彼女とは同じ『マジカル・カクテル』が好きで意気投合したの。私がカシスオレンジちゃんで彼女がカルアミルクちゃん。2人でいつもコミケ会場に足を運んだわ」

「そ、そうなんだ……」

「でも、彼女ってあの性格でしょ?だからカルアミルクちゃんよりスクリュードライバーちゃんっぽいかなって思ってね。それを彼女に言ったの。そしたら、それが彼女の気に障ったみたいでね。それ以来、ずっと険悪なままなんだ」

「そ、そうなんだね」


 どうしよう。話が半分くらいしか理解できない。でも、橘さんがたまちゃんを怒らせたってことは理解できた。そして多分、橘さんはたまちゃんと仲直りをしたがっている。そう感じた。


「ちょ、ちょっと待ってて」


 僕は橘さんにそう言うとたまちゃんを追いかけた。


「ま、待ってください」


 たまちゃんはすぐに見つかった。あの派手な格好だから探しやすかった。


「な、何よ、ビックリさせないでよ」

「ご、ごめんなさい」

「穂乃果ちゃんの知り合いに用はないわ」

「あ、あの、写真を撮らせてください」

「エッ、私の写真が撮りたいの?」

「は、はい」

「べ、別に撮らせてあげないこともないけど……」


 橘さんを見ていて思ったことがある。コスプレをしている人は写真に撮られるのが好きなのだ。たまちゃんも怒っているものの写真は撮らせてくれるらしい。


「じゃ、じゃあ、こっちで……」


 そう言うと、たまちゃんの手を引いて橘さんのいる方へと向かった。


「こ、ここで、お、お願いします」


 僕は橘さんの前でたまちゃんの撮影をはじめた。橘さんはそれを見てビックリした表情で固まっている。

 たまちゃんは撮られているうちに気分が乗ってきたのか、どんどんいい表情に変わっていった。

 そして頃合いを見計らって僕は橘さんを呼ぶ。


「こ、今度は、ふ、2人で撮らせてください。『マジカル・カクテル』の2人を撮りたいんです……」


 最初は2人とも驚いていた。2人の間にはわだかまりの分だけ距離があいていた。しかし、写真を撮り続けているうちに少しずつだけどその距離が縮まっていく。そして距離が狭まるにつれ、2人の表情が輝くようになっていったのだ。


「おい、『マジカル・カクテル』のコスプレしてる人がいる」

「おぉ、カシスオレンジちゃんとカルアミルクちゃんだ」


 その声を合図に2人の周りに人が増えてきた。気づけば20人くらいがカメラを構えて撮影をしている。

 するとそこに1人の女性が入ってきた。


「あ、ブラッディマリーちゃんだ」

「リーダー登場、待ってました」

「あと2人、スクリュードライバーちゃんとジンライムちゃんがいれば完璧なのに」


 歓声が人を呼び、さらなる盛り上がりを見せる。残念ながら『マジカル・カクテル』が全員揃うことはなかった。それでも最終的には50人以上のカメラマンが彼女たちを撮影していた。


 僕は撮影の輪からはじきだされて、遠巻きに撮影の様子を眺めていた。もう橘さんとたまちゃんの間にわだかまりはないだろう。また前のように仲良くできると確信している。僕のカメラに残る2人のツーショット写真が何よりの証拠だ。


 今日1日で橘さんの色々な表情を見ることができた。コミュ障の橘さん、アニメオタクでアツく語る橘さん、そしてコスプレをしている橘さん。

 夏休みが終わって新学期になったら、彼女は僕の前でどんな表情を見せるのだろう?そう思うと憂鬱な新学期が少し楽しみになってくるのだった。

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