第2話 生徒会長 3年A組 赤岩鈴音

「何を撮っているんですか?」


 天使の声が頭上に降り注いできたとき、僕は学校の花壇に咲く色とりどりのパンジーを撮影していた。厳密には、パンジーの花びらの上にいた蟻を接写していたのだ。

 だから僕の格好は花壇の横で腹ばいになりカメラを構えるという、見るからに怪しい格好になっていた。


 声をした方を振り返ると、2人の女性が立っていた。傾きかけた太陽が2人を背後から照らしている。まるで後光が差しているかのようだった。


「あ、えっと、その……」


 素直にパンジーを撮っていたと言えばいい。何も悪いことはしていないのだから。それでも僕の口は、僕の心の内をうまく表現してくれない。

 言葉にならないなら、せめて態度だけでもと、体を起こして相手に向き直る。だけど、それが2人の前に正座をする格好になってしまった。


「何を撮っていたのかしら?」


 2人のうちの髪の長い方の女性が、改めて聞きなおしてくれた。


「パ、は、花を撮ってました」

「花を?」

「何、この子。キョドッてんだけど……」


 もう1人の茶髪の女性が僕をいじってきた。この手の攻めに耐性がない僕は、うつむいて時が過ぎるのを待つしかできない。


「もう加奈さん。そんな言い方をしたらかわいそうですよ」

「だって面白いじゃん」


 加奈と呼ばれた女性は、楽しそうに笑っている。多分、すべてにおいて、こんな感じなのだろう。人が傷ついていようがおかまいなし。面白いが正義。自分本位の今どき女子。僕の1番苦手なタイプ。


 僕に助け舟を出してくれたこの女性を僕は知っている。先月、僕がこの学校に入学した時に生徒を代表して歓迎の言葉を述べてくれた生徒会長。名前はたしか、赤岩鈴音先輩。


「驚かせて、ごめんなさいね」

「あ、いえ、大丈夫です」

「1年生かしら?」

「は、はい。い、1年B組の柾木です。し、写真部です」

「まぁ」


 赤岩先輩の目が大きく見開かれた。


「写真部?そんな部活、あったっけ?」


 加奈先輩は飢えた肉食獣が新しい獲物を見つけたかのように食いついてきた。


「加奈さん、写真部はありますよ。昔はコンテストに入選するくらいの部活だったみたいです。ここ数年は部員がいなくて活動していなかったようですが……」

「へぇ、そうなの?さすが鈴音、詳しいね」

「あなたが、写真部を復活させてくれた新入生なんですね。色々と大変でしょうが、頑張ってくださいね」


 背中まで伸びた柔らかそうな黒髪。いつも笑みを絶やさない大きな目。その名の通り鈴のように響く声。

 成績優秀で先生からの受けも良い。もちろん、男子からの人気も高い我が校のマドンナ。ご両親は医者と弁護士をしているらしくリアルにお嬢様なのだ。そんな先輩が僕を知っていてくれた。さらにエールまで送ってくれている。この喜びを素直に言葉として表現できたら、どんなにいいだろう。


「あらぁ、この子、顔が真っ赤じゃん。鈴音に照れてるんじゃない」


 加奈先輩は容赦なく僕の急所を突いてくる。指摘されると、ますます赤くなるのが僕の顔。自分でも情けないくらいに顔が赤くなっているのがわかる。


「ほらほら、加奈さん。あんまりいじめちゃダメですよ」

「わかってるよ。でも、この子、面白いんだよね」

「それより加奈さん。折角だから一緒に写真を撮ってもらいません?」

「いいけど……そんなのスマホで良くない?」

「あら、スマホとは全然、違いますよ」

「エッ、そうなの?」


 赤岩先輩は、優しく僕に微笑みかけてくれた。まるで「さぁ、説明なさって」と言われている気がした。


「あ、あの……」


 2人の視線が僕に集まる。それだけで心臓が早鐘を打つ。その分、全身に血が廻るのだが頭の回転は速くならない。


「す、スマホのレンズは人間の目に近いレンズになっています」

「人間の目?」

「は、はい」

「それはどういう意味ですか?」


 2人が交互に声を発する。


「に、人間の目に近いレンズなので、め、目で見たのと同じような写真になるんです」


 話している声が自然とビブラートになる。緊張はピークを超えている。


「そのカメラだとどういう写真になるんですか?」

「こ、このタイプのカメラは、れ、レンズが交換できるので、レンズのタイプによって色々な写真が撮れるんです」


 ここまでの説明で、もう息も絶え絶えだ。


「た、例えば、こ、これを見てください」


 僕は説明を諦め写真を見せることにした。さっきまで撮っていたパンジーの写真だ。


「こ、この写真みたいに、せ、接写することができます」

「まぁ、綺麗」

「すごいじゃん」


 やっぱり口で説明するよりわかりやすいのか、反応も上々だ。


「つ、つ、次の写真は背景がボケています」

「本当、素敵ですねえ」

「カッコいいじゃん。雑誌のモデルみたいだな」


 この前、体育館で撮った女子バスケ部キャプテンの写真はイイ感じに背景がボケていた。


「でも、これならアプリでできるんじゃね?」

「加奈さん、アプリでやったのでは意味がないですよ」

「そんなもん?」

「はい、味が違います」

「そっかぁ……」


 そして次の写真。


「さ、最後が広角レンズで撮った写真です。さ、左右が、か、かなり広くなっているのがわかるかと思います」


 屋上から撮った街の風景だ。暮れてゆく夕日に染まって美しく輝いている。


「さすが写真部ですね。どれも素晴らしい写真だと思います」

「うん、見直したよ。すごいじゃん」

「あ、ありがとうございます」


 褒められると、それはそれで恥ずかしい。結局、顔が赤くなってしまう。


「あ、あの、どこで撮りましょうか?」

「あら、そうね。やっぱり、校舎を背景にかしら」

「じゃあ、鈴音、こっちこっち」


 加奈先輩が半ば強引に赤岩先輩の手を引っ張っていく。僕はその様子もファインダー越しにとらえていた。すでに撮影ははじまっているのだ。

 校舎を背景にポーズをとる2人。このようなシンプルな構図だとあまりカメラの性能を発揮できない。


「次は花壇の前ね」

「はいはい」


 加奈先輩は次々と場所を変え、ポーズを変えて写真を撮るように要求してきた。にっこりと笑顔で写る2人の記念写真。赤岩先輩は、優しそうな微笑を浮かべ、まるでモデルさんのように清楚で美しかった。

 ただファインダー越しに追っていると、一瞬だけ、ほんの一瞬だけど愁いを帯びた瞳になるときがあることに気づいた。原因は何かわからない。でも、その一瞬をとらえた写真が残っているので、僕の気のせいではない。僕はその写真を2人に見せることはしなかった。見せてはいけない写真のような気がしたからだ。


「いやぁ、いっぱい撮ってもらったね」

「そうですねえ」

「モデルさんになった気分だよ」

「あはは、加奈さん可愛いから……」

「もう、鈴音に言われたって嬉しくないよ。鈴音には勝てないもん」

「そんなことないですよ」


 撮影を終え満足そうな2人を僕は遠巻きに眺めていた。


「どうもありがとうございました。おかげで楽しい時間を過ごせました」

「うん、メッチャ楽しかったよん」

「あ、いえ、その……」


 お礼を言われているのに、なぜかペコペコしてしまった。


「と、撮った写真は、ど、どうすればいいですか?」

「そうですねえ、加奈さん、どうしますか?」

「どうでもいいよ。鈴音に任せるよ」

「じゃあ、あなたが良く撮れていると思う写真を何枚かプリントしてもらえますか?」

「あ、はい」

「加奈さんと私の分なので2枚ずつお願いします」

「わ、わかりました」

「できたら、教室まで届けてくださいますか?」

「エエッ……わ、わかりました」


 プリントをするのは部室にあるプリンタを使えばできる。用紙は自分の家で使っているのを持ってきてある。部費がないので自分で用意するしかないのだ。ただ先輩の教室に行くというのはハードルが高い。上級生の教室に行って赤岩先輩を呼ぶ。どう考えても無理そうなSランクミッションだ。


「では、よろしくお願いします」

「写真部、楽しみにしているよん」


 そう言い残して2人は去って行った。


 夕暮れの部室。西日が差してオレンジ色に染まる。そんな中、パソコンに取り込んだデータとにらめっこしている僕。いつも思うのは僕はかなり優柔不断だということ。コンテストに出す写真もギリギリまで悩むのだ。ましてや今回は憧れの生徒会長からの依頼。悩まない方がおかしい。


 校舎を背景に撮った写真は記念写真っぽくて面白みがない。花壇の前でしゃがんだ写真は俯瞰の構図で面白いけど角度的にスカートの中が見えそう。見ているだけでドキドキしてくる。去っていく2人の背中を撮った写真は逆光でイイ感じになっている。これは入れたい。後は僕が勝手に撮った写真が数枚。その中に悲し気な赤岩先輩の写真もある。


「この表情だよなぁ……」


 僕は入学してから笑顔の赤岩先輩しか見てこなかった。でも、何だかこの悲しげな表情の赤岩先輩の方が自然な気がする。この不思議な感じの正体は一体何なのだろうか。


 翌日、僕は悩みに悩んだ結果をそれぞれ封筒に入れて持っていた。例の赤岩先輩の写真を渡すかどうかはまだ悩んでいる。

 昼休み、ご飯を食べ終わったら先輩の所に届けようと思っていた。ご飯を食べているとクラスの女子が赤岩先輩の話をしているのが聞こえてきた。


「赤岩先輩って素敵よね」

「うんうん、わかる。憧れるわ」

「私のお姉ちゃんが中学の時一緒だったんだって」

「そうなの?いいなぁ」


 クラスの女子3人の会話に僕の耳はダンボになっていた。コミュ障の僕はクラスの中では空気になっている。だから昼休みにご飯を食べるのも1人ぼっち。今はその分、思いっきり耳をすませることができる。


「でもね、中学の時の赤岩先輩は今とは別人だったみたいなんだぁ」

「エエッ!そうなの?」

「うん、おとなしくてとても生徒会長なんかするタイプじゃなかったってお姉ちゃんが言ってた」

「そうなんだぁ。意外だね」

「かなり陰キャだったみたいだよ」

「ふーん、ビックリだね」

「高校受験も、かなりの難関私立を受けたみたいなんだけどね」

「うんうん」

「面接がダメで落ちちゃったみたいなんだよね」

「それで高校でキャラ変?」

「そうそう。メッチャ頑張ってるみたい」

「そうなんだぁ。でも、その方が逆に好感持てるなぁ」

「だよねぇ、わかるわかる。何でもできちゃう人よりいいよね」

「頑張れば変われるんだって自信が持てるよね」


 3人の会話が赤岩先輩のゴシップに終始しなかったことに僕は安堵した。同時に赤岩先輩の悲しげな表情の正体が何となくわかった気がした。


 上級生の教室は僕の教室から2フロア上にある。この学校の上級生に知り合いはいないので、3階に行くことははじめてのことだ。廊下で談笑している上級生の視線が僕に突き刺さる。ひそひそと僕のことを話す声が聞こえるような気がした。


 3年A組。教室は廊下の一番奥にある。そのため廊下を突っ切らなければいけない。何度、途中で引き返そうと思ったことか。無事にA組の教室の前まできた自分を褒めたかった。


「あ、あの……」


 声が小さかったのか、1人目の人にはスルーされた。


「あ、あの」


 ドアの近くで談笑していた女子が僕に気づいてくれた。


「何、何か用?」

「あ、あの、赤岩先輩をお願いします」

「鈴音、鈴音ってば。何か男の子が来ているよ」


 教室の奥の方。多くの生徒に取り囲まれていた赤岩先輩が僕の方を見てくれた。すぐに気づいてくれたようで、笑みを浮かべて近づいてきてくれた。


「こんにちは、たしか柾木くんでしたかしら」

「あ、はい」

「どうしました?」

「き、昨日の写真ができあがりました」

「早かったですね。ありがとうございます」


 僕はポケットの中から封筒を2通取り出した。そして名前を間違えないように注意して赤岩先輩に手渡した。周りから見たら、ラブレターを渡して告白しているように見えるのだろう。ひそひそと話す声が大きくなった。

 先輩は僕から封筒を受け取ると、嬉しそうに封を開けた。その瞬間、笑顔が消え驚いたように目が見開かれる。そして、まるで怖い物でも見るような目で僕を見てきた。


「そ、その写真が一番、せ、先輩らしいと思いました」

「これが?私らしい?」

「は、はい。すみません……」


 怒られると思った。やっぱり、渡さない方が良かったと後悔した。でも、もう遅い。


「ふふふ、写真部さんはさすがですね」

「エッ?」

「本当の私を撮られてしまいましたわ」


 目の前に立つ先輩は、もういつも通りの優しい笑みをたたえた先輩に戻っていた。


「この写真は、加奈さんにも?」

「い、いえ、先輩だけです」

「そう、ありがとう」

「か、加奈先輩には、加奈先輩が1人で写っている写真が入っています」

「気を遣わせちゃったかしら?」

「い、いえ。大丈夫です」

「この2人で写ってる写真も素敵ですね」

「あ、ありがとうございます」


 赤岩先輩が心から嬉しそうに笑ってくれた。


「加奈さんには、私から渡しておきますね」

「あ、じゃあ、これをお願いします」


 僕は加奈先輩宛の封筒を手渡した。


「これからも沢山、素敵な写真を撮ってくださいね」


 そう言うと赤岩先輩の手が僕の頭に伸びてきた。頭を優しく撫でられる。頭を撫でられるなんて、母親以外にはない。僕は固まるしかできなかった。顔は昨日の夕陽よりも真っ赤だっただろう。僕は胸のときめきを抱えながら、赤岩先輩を見送った。

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