ファインダー越しの彼女
夢崎かの
第1話 女子バスケ部キャプテン 2年C組 河合瑠美
視界を四角に切り抜いたような中にぼんやりとした風景が広がっている。指に力を入れ、ボタンを軽く押すと、ウィウィと電子音がしてぼんやりとしていた景色に焦点が合う。そこには、見慣れた古い体育館の風景が広がっている。
体育館内では、女子バスケ部が練習をしていた。ボールが右に左にと飛び交い、ゴールに向けて放たれたシュートがリンクを貫く。僕はそんな彼女たちの練習風景を撮影していた。
「こら、そこ。盗撮しない」
突然、声をかけられて僕はファインダーから目を離す。そこには女子バスケ部の上級生が立っていた。
「おい、少年。今日、撮影があるとは聞いてないぞ」
「あ、あの……」
急に声をかけられたせいもあるのだが、僕は昔から人と話すのが苦手だ。思っていることは沢山あるのに、それを言葉にして出すことができない。いわゆる、コミュ障というヤツだ。
「なんだ、ハッキリしろよ」
女子の割には男子のような話し方をする先輩だ。ショートカットのヘアスタイルから男子に見られても仕方がないだろう。いわゆるボーイッシュってヤツだ。
「す、すみません……」
問い詰められると挙動不審になる。心臓の鼓動が早くなり息が切れてくる。胸が苦しくなって、ますます言葉にならなくなるのだ。
「お、謝るということは罪を認めるんだな。やはり盗撮犯か」
「ち、違います……」
「じゃあ、何をしてたんだ?」
「ぼ、僕は、しゃ、写真部の1年生、ま、柾木と言います」
「写真部?うちの学校に写真部なんかあったかぁ?」
うちの高校の写真部は部員数1名。つまり部員は僕だけで、廃部寸前の部活動だった。そのため、校内でも写真部の存在を知っている人は少ない。以前は多くの部員がいたようなのだが、ここ数年は部員がいないらしい。今年、数年ぶりの部員として僕が入部したのだが、部活としての予算がないため細々と活動している。そんな部活が存在感を示せるはずがない。
部室も一応あるのだけど、吹奏楽部に半分取られてしまっている。残りの半分は先輩たちが残していった荷物で埋まっているため、部室でゆっくりなど夢のまた夢だ。
「なぁ、写真部ってうちの学校にあったっけ?」
先輩が他の女子バスケ部員に聞きはじめた。
「知らなぁい」
「聞いたことないわね」
「うーん、ないんじゃない」
戻ってきた回答は、どれも好ましいものではなかった。
「あ、うちのお兄ちゃんがいた頃には、あったみたいですよ」
たしか同じクラスの女子が答えてくれた。
「へぇ、うちの学校に写真部ってあるんだな。疑って悪かったな」
「あ、いえ……」
「で、その写真部が何を撮っていたんだい」
「こ、今度、こ、コンテストがあるので、さ、作品を撮っていました」
「ふーん。作品ねぇ、カッコいいじゃん」
バスケ部の先輩は僕の背中をバシバシと叩いた。
「見せてくれないか」
「エ、エエッ?!」
「いいじゃないか。どうせコンテストに応募したら人目に触れるんだろう?」
「ま、まぁ、そうですけど……」
僕は首にかけていたストラップを外してカメラを手に取った。ツマミを再生モードにすると撮影した写真が液晶に表示される。
パスを回している写真、シュートをしている写真、1対1で攻防している写真。引きで撮っているものから、グッと接写しているものまで様々だ。
「ストップ」
先輩の指示で僕は指を止めた。そこには、先輩がシュートしている姿が写っていた。
「これメッチャいい写真じゃね?」
「エッ?あ、ありがとうございます」
「何だよ、もっと喜べよ」
また先輩に背中を叩かれる。この手のいかにも体育会系のノリはどうも苦手だ。
「これさぁ、連写で撮ったのか?」
「は、はい、そうですけど……」
「ちょっと貸してみ」
そう言うと先輩は僕の手からカメラをひったくった。カメラを落とさないかヒヤヒヤしたが、そこはバスケ部。簡単に落としたりはしない。
「この横を押すと次のが表示されるのか。じゃあ」
先輩は右ボタンを連打しはじめた。
「おぉ、動いてるみたいに見えるな」
「や、やめてください。壊れちゃいますから」
「大丈夫だよ、簡単には壊れやしないって」
カメラを取り戻そうと先輩に近づくと、先輩のジャージから芳香剤のような甘い香りが漂ってきた。コミュ障で女子に免疫のない僕は、それだけで何かいけないことをしてしまった気分になる。慌てて先輩から距離をとった。
「なぁ、この写真だけどさぁ」
「あ、はい……」
「何だ、顔が赤いぞ。大丈夫か?」
「だ、だ、大丈夫です。そ、それより、何ですか?」
「あぁ、この写真、このあとシュートは入ったか?」
「そ、それはちょっとわからないです」
「そっか……」
先輩は、アゴに手を当てて何かを考えている風だった。
「撮った写真を並べて、比べたりできないのか?」
「あ、パソコンがあればできますけど……」
「パソコンはどこにある?」
「ぶ、部室にあります」
「じゃあ、取ってきてくれ」
「エエッ?!」
突然の申し出に、ただビックリするだけだった。
「頼むよ、少年。その代わり、女子バスケ部が全面的に撮影に協力しようじゃないか」
「そ、そんなことできるんですか」
「あぁ、これでもキャプテンだからな。まだ名前を言っていなかったな。2年C組の河合瑠美だ」
「ど、どうも」
女子に名乗られるなんて、いつ以来だろう。河合先輩は手を差し出してきて握手を求めている。僕なんかが握手してもいいのだろうか?
戸惑っていると、半ば強引に僕の手を握ってきた。ドキンと心臓が高鳴る。河合先輩の手は、想像していたよりも柔らかく温かかった。
「実は3ポイントシュートの精度が良くないんだ。だから、写真で比べてみれば何かわかるかと思ってな」
「な、なるほど……」
「じゃあ、ダッシュでパソコンを取ってきてくれ」
なぜダッシュなのかがわからないが、取り敢えず部室へ向かうことにした。
体育館と写真部の部室は校舎を横切って反対側にある。運動部の部室は体育館の近くだが文化部は逆側に集まっているのだ。
放課後の校舎内には吹奏楽部の演奏の音が響いていた。まだ個人練習中なのか、まとまりのあるメロディーではない。それでも時折、短いフレーズが響いてくる。多分、この曲はどこかで聞いたことがある。
ただ今は吹奏楽部の演奏に聞き入っているヒマはない。急いで部室のドアを開けると、机の上に置いてあったノートパソコンに駆け寄った。無線と電源のケーブルを抜き、蓋を閉じた。A4サイズのノートパソコンだから、あまり重くはない。
部室を出る時、ドアの横に立てかけてあった物が目に留まった。これも使うだろう。反射的にそれを手にして部室を飛び出した。ダッシュをする意味はわからないけれど、少しでも急いであげたかったのだ。
「も、持ってきました……」
体育館に着く頃には、息も絶え絶えになっていた。そんなに本気で走った訳ではない。最初は軽く感じていた荷物が徐々に僕のスタミナを奪っていったのだ。
「おぉ、待っていたぞ、少年」
「はぁはぁはぁ」
「何だ、ずいぶん疲れているな。大丈夫か?」
「はぁはぁはぁ」
息が切れて思うように答えることができない。もちろん、コミュ障のせいもある。
先輩はニコニコ笑みを浮かべながら、僕の息が整うのを待ってくれている。意外に優しい気遣いができる人なんだ。ちょっとビックリした。
「ところで少年、その荷物は何だ?」
「あ、さ、三脚を持ってきました」
「三脚?」
「か、カメラを固定して撮った方がいいかなと思ったので……」
「おぉ、いいな。気が利くじゃないか」
またバシバシと背中を叩かれる。でも、この感じ、最初の頃みたいにイヤじゃない。何だか不思議な気持ちだ。
「じゃ、じゃあ、この辺にカメラを設置しますね」
「わかった。私はこの辺からシュートすればいいのか?」
「あ、もう少し右です」
「ここか?」
「あ、行き過ぎです」
「この辺か?」
「あ、そこです。オッケーです」
河合先輩が合図に合わせてシュートを打つ。1本目、2本目は外れ。3本目は綺麗にリンクをとらえた。
「よし、じゃあ、入った時と外れた時を比べてみてくれ」
「は、はい」
カメラをノートパソコンに繋いでデータを取り込む。1本目と3本目を比べられるように、画面に並べて表示した。
「うーん……」
先輩が画面をにらみながら、唸っていた。
「ダメだな」
「エッ?ダメ?」
「あぁ、連写だと完全にタイミングを合わせられないんだな」
「と言いますと?」
「このシュートの前に膝を曲げた部分をチェックしたいんだが、1番、膝を曲げた時が写ってたり、写ってなかったりするな」
なるほど。1番見たいタイミングでシャッターが切れてないと。
「じゃあ、動画の方が良くないですか?」
「動画か。ビデオカメラはないんだよなぁ」
「あ、このカメラ、動画も撮れます」
河合先輩のつり目が大きく見開かれた。そして満面の笑顔に変わる。
「ほ、ホントか?」
「は、はい」
「カメラなのにすごいな」
「あ、はい」
最近のデジタル一眼レフはほとんど動画は撮れるけど、それは黙っておいた。
「よし、動画でやってみよう」
「は、はい」
今度は1本目から見事なシュートが決まった。シュートが決まると一瞬だけ目元に笑みが浮かぶ。さっき写真を撮った時に気づいた。
2本目は、リンクに当たったもののゴールとはならなかった。
「よし、今の2つを比べてみよう」
「は、はい。待ってください」
僕が動画の準備をしていると、後ろから覆い被さるように先輩が覗き込んできた。先輩は意識してないんだろうけど、また甘い匂いがしてきて作業に集中できない。
「どうだ?撮れてるか?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ノートパソコンを覗き込む先輩の顔が僕のすぐ横にある。A4サイズのパソコンで良かったと思う。
「ん?」
突然、先輩が僕の方を向いた。至近距離で視線がぶつかり、僕の胸が高鳴る。この高鳴りが先輩にも聞こえたんじゃないかと思えるくらいの距離。そう思うだけで顔が火照ってくる。
「あ、も、もうすぐですから……」
多分、僕の顔は真っ赤だ。それを先輩に見られるのがイヤでパソコンの画面に向き直る。ホントはもう少しだけ、先輩の顔を見ていたかったのに。
「おぉ、いい感じに撮れてるじゃないか」
「そ、そうですね」
「コマ送りとかできるのか?」
「あ、はい。できます」
「じゃあ、ストップって言ったら止めてくれ」
先輩がドリブルをしてきて、ラインの手前で止まる。そこからボールを両手で持ってシュートする態勢になる。
「ストップ」
先輩の声が思っていたより大きくて、一瞬ビクッでなった分、停止ボタンを押すのが遅れた。
「少し戻してくれ」
「は、はい」
「もう少し。コマ送りで戻してくれ」
「は、はい」
まるで映画監督と映像編集者とのやりとりみたいだ。
「おぉ、ここだよ。ここ」
希望通りの画像が撮れていたようで、先輩は満足げに笑っている。
「よし次、もうひとつの方な」
「は、はい」
先輩の欲しい画像がわかったので、次の準備はスムーズに進んだ。先輩にコマ送りで微調節してもらうだけでオッケーが出た。
「あぁ、やっぱりそうかぁ」
ノートパソコンの前で、腕組みをして何やら難しい顔をしている。
「ここのところ、膝がしっかり曲がってるとシュートが入ってるんだよ」
突然、先輩のレクチャーがはじまる。バスケには一切興味はないけど、一応、返事をして話を合わせた。
どうやら、僕の素人の目では判別できないような微妙な違いがシュートの成否のカギを握っているらしい。
「なぁ、少年。もう少し付き合ってくれないか?」
「エェッ……」
付き合ってくれないかというセリフは、まるで告白されたみたいだ。だから、僕の心臓が勘違いをして飛び上がってしまった。
「ダメか?」
急にしおらしく声のトーンを下げる先輩。ずるい。そんな風に言われたら、絶対に断れない。
先輩の前世は猫だと思う。豪快に笑ったり、急に考え込んだり、まるで猫の目みたいにコロコロ変わる。でも、それは気まぐれやわがままではない。だからこそ、キャプテンを務めるほどの人望があるのだ。
「わ、わかりました。や、やりましょう」
「お、やったぁ」
パッと表情が華やぐ。本当に見ていて飽きない人だ。できれば、ずっと見ていたい気もするけど、それは叶わぬ夢だろう。だから、僕の思いは胸の内にしまっておく。愛用のカメラで誰も知らない僕だけの表情を切り取るだけで満足しよう。
「よし、じゃあ、何本か続けていくぞ」
「あ、はぁい」
体育館の中、日が沈むまで2人だけの撮影が続いた。僕は自分の感情をファインダー越しに押し殺して、撮影を続けた。
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