幕間 三日の夜空と怪盗の調べ

「はぁ・・・どうするかなぁこれ・・・」

怪盗は某国郊外にある廃墟に、ランタンをつけて、1枚の絵を広げていた。天井が抜け、月明かりに照らされるのは、シルクハットの怪盗と、上質な紙の上に敷かれた、一枚の絵。

笑顔と題されたこの絵を、この日、怪盗はまんまと盗み出すことに成功したのだ。

その目的とは、この絵を用いて、この絵の作者、つまりキリカについての情報を探すことにあった。

彼にとっては、この絵はキリカのことを知る手段にすぎないが、この国にとっては希望の象徴である。

ゆえに、この日を入れて3日後に返すという約束の下、猶予がない状況であり、怪盗は焦っていた。

「とりあえずっと!」

怪盗は立ち上がると、絵を踏みつけないように気を付けながら、ランタンをもって廃墟の奥に進む。

しばらくのち、怪盗は高く積み上げられた大量の本を、崩れそうになりながらも持ってきて、足元に置いた。

「昔ながらのしらみつぶし調査をしますか・・・」

怪盗が持ってきたのは、各国の美術史に関わる本だ。年表から公式に出版された目録。それこそ、子ども向けから学者向け、趣味雑誌から学術書までより取り見取りの本の群れだ。

「もしかしたら別名義で絵を発表しているかもしれない。この絵の画法をもとに、探してみますか」

怪盗は、発刊の新しいものから、それも、この国から距離的に近い国の美術史が書かれた本から、調査を始める。

「うーん・・・それっぽいのはこの本には見当たらないか・・・キリカのキの字もない。この絵の発表時の年齢から考えて、そう遠くには行けないはず。なら、年代からわりだして、ショートカットができるな・・・」

怪盗は今手にしていた本を投げ出すと、本の山を整理し始めた。怪盗の調査している現在から、5年より過去に発刊されていた本は、すべて脇へとける。残った本は、発刊年数の新しい順から下に積み上げ、1年ごとに別の山へと積み替える。

とはいえ、この作業は、効率的に行っても時間がかかるものだった。怪盗の用意した本は多く、ただ本を、笑顔が書かれた5年前より後か前かで分けるだけでも、終わるころには朝日が昇り始めていた。さらにそこからの仕分けが終わるころには、昼を過ぎていた。怪盗はサンドイッチをかじりながら、調査を再開する。怪盗は、本を一冊ずつ、丁寧に丁寧に、本を読破していく。一見無駄に見えるかもしれないこの調査方法。本来であれば、挿絵とその作者だけ見れば、もっと効率的に仕事が進むわけだ。だが彼には、それ以上の価値を、この調査に見出していた。本、それも学術書は、その分野の知識の宝庫である。もちろん著者が人間である以上、間違いは切っても切れない付き物ではあるが、その間違いも含めて、知識に他ならない。だが、本に書かれているのは、単なる情報としての知識だけではない。例えば、同じ著者の論文が、10本あったとしよう。それを読み解いていけば、純粋なその分野の知識のほかに、その著者の人生を、うかがい知ることができる。さらに、その論文に、著者以外の登場人物がいれば、その人物の人生をも、ひも解くことが可能である。

怪盗は知ろうとしていた。ターゲットの、その足跡を。その人生を。その想いを。

加えて、純粋な学術的知識は、交渉の際、有利に交渉を進めるためのカードとなる。情報によっては、切り札になることも。交渉のカードは多ければ多いほうがいい。切り札となれば、なおさらだ。

ゆえに怪盗は、丁寧に本を読む。2日目の日が沈み始めたころだ。そろそろランタンの火が恋しくなり、夜明けのカウントダウンが始まるころだ。

怪盗はようやく、その足跡をつかんだ。

「あった・・・こいつは3年前。ここから北か・・・」

それは、おおやけに発表された絵だった。笑顔から見て、実に2年ぶりに、表舞台に姿を現したのだ。

「こいつはなかなか曲者だ・・・今まで聞いた情報だと、彼女は画家としての活動を公にしていない・・・絵だけが独り歩きしている。学術書にもそれらしい情報はあるものの、目撃情報としては賞味期限切れだ・・・」

怪盗は、さらに3年前に発刊された本の山を崩し、脇へとよせる。これより過去の本は、もはや不要だからだ。

さらに怪盗は本を読み進める。しかし、怪盗の期待もむなしく、2年前に発刊された書籍には、その名前は一切出てこなかった。

半ばあきらめかけていた時、脈が薄いと思われていたある一冊の本から、意外な情報を引き出すことができた。

「平和の使者・・・奮闘するもむなしく失踪・・・キリカ氏の活動と実績・・・」

その本とは、なんと美術史を取り扱う書籍の中でも、マイナーな情報を扱う雑誌だった。

怪盗はその情報を、食い入るように眺め始める。

発表された絵は非公開とされ、挿絵は乗ってはいなかったものの、本人と断定できるだけの証拠が、いくつも書かれていた。

「情報はいつ出た・・・1年前・・・出どころは・・・北か・・・」

北の国。怪盗は、その国についてのことは、遠く響くうわさほどに聞いていた。争いが絶えぬ不毛の雪国。泥沼化した内乱が続く、血が大地に染み、炎が民の暮らしを焼く、地獄のような国。

「あんなところに行ってたのか・・・彼女は・・・」

怪盗は本を閉じる。

「よし、とりあえずこの線からたどってみよう。次の仕事だ」

怪盗は、広げられた絵に目を向ける。

もはや、翌朝に絵を返さねばならぬ状況であったが、怪盗の仕事としては、一番重要な工程に入っていた。

それは、絵を鑑賞することだった。

とはいえ、怪盗にとって、絵を鑑賞することは、娯楽という目的ではない。

絵を通して、今まで仕入れた情報が、真実であるが、虚偽であるか。情報の信ぴょう性の振り分けを行うためである。

怪盗は、記憶の中にある灰色の街並みという絵と、この目の前にある笑顔という絵を、頭の中で比べてみる。

「あの女王の方の話が信頼できるかはわからないが・・・あの絵とこっちを比べれば・・・会長の話からして画法に差があるはずだ・・・」

怪盗は笑顔の大まかな書き方から、ディティール、さらには絵の細部にわたり、なめ回すように調べる。

「ここの塗り方が違うな・・・女王の方は・・・絵具が絵の中で混ざって美しいグラデーションになっていた・・・特に空の色のグラデーションは自然だった・・・だが・・・こちらでもグラデーションを用いてはいるものの・・・細かく見ると色と色の境界線がはっきりとしている・・・これは明らかに乾いてから色を付けたものであり・・・女王の方の画法とは違うことが証明される・・・つまり・・・会長の話の後半部分は信用できるということだ・・・」

怪盗は調査を続ける。

「この部分は・・・この絵画を売る女性の売っている絵画・・これは・・・過去の作品か・・・おそらくサイズ調整のために細かいところはつぶれてしまっているが・・・彼女の画法を・・・彼女なりに、伝統的な画法の方で再現したのか・・・おっと・・・これは・・・この絵だけ灰色だ・・・おそらく、女王のところでの一件がそうさせたのだろう・・・となると・・・女王の話も・・・おおむね信用できるな・・・さらにこの行商人・・・なぜ物を売っている姿ではなく・・・掃除をしている姿なのだ・・・?確かにこの国では・・・行商人にはいわゆる場所代の納金と、その場所の清掃を義務付けられてはいるが・・・これは・・・写実的に描いた絵なのか・・・当時の経済状況を考えれば・・・行商人が戻ってきていても不思議じゃない・・・なんせ・・・金の生る木として返り咲いたわけだから・・・」

怪盗は調べ上げる。彼女の絵に対する想いを。怪盗は知ろうとしていた。キリカという人物の姿を。その心を。

絵という視覚的情報と、女王と会長から聞き出した、聴覚的情報をすり合わせ、キリカという人物を想像する。

どんな人だろうか。きっと、天真爛漫てんしんらんまんといえるだろう。だが彼女は、社会の見せるリアルな人間の汚さをの当たりにしている。今は何をしているだろうか。まだ絵を描いているだろうか。それとも、絵に絶望してしまっただろうか。あるいは・・・死んでしまったのだろうか。

そうした情報の裏取りが、怪盗には必要だった。

そして、日が昇る。

美術館には、黒いスーツの蝶ネクタイの男が、返却されたであろう笑顔という絵を額に戻している。

「怪盗は約束を守ったわけだな。律儀なやつだ」

コートを着た男が、まだ会館前の美術館に、響く足音を立てながら、現れた。

「これはこれは、会長様。ようこそおいでくださいました。まだ、開館時間前ゆえに、無作法なところはございますが・・・」

「いや、結構。これを堪能したら、私は仕事に戻るよ」

しばらく会長は、額に戻された笑顔を眺めてうなずいている。蝶ネクタイの男は、目を伏せ、姿勢を正し、会長の斜め後ろに立ち尽くす。

「ところで、首尾はどうだ?」

会長が、蝶ネクタイの男に声をかける。

「首尾・・・と申しますと?」

会長は少し黙ると、重く口を開き、声を低くする。

「何かつかんだのかね」

蝶ネクタイの男は、目を伏せたまま答える。

「ええ、とても有意義な情報を得ることができました」

「そうか・・・それは何よりだ。約束を果たしてくれたこと、感謝する」

「いいえ、これは私のわがままですので、むしろ感謝するのはの方です」

「そうか。そうだったな」

会長は、絵を眺めて頷く。

「どうだ。コーヒーでも一杯飲みながら、その成果を報告するというのは」

「申し訳ありません。今日は遠慮させていただきます」

「なぜだ?」

「これからを片付けなければなりませんので」

「そうか・・・残念だ」

蝶ネクタイの男は、一礼すると会長に背を向ける。

「会長さん」

「なんだ?」

「また、来ますね」

「ふん。今度は客としてこい。お前には特別料金で入館させてやる」

「ぼったくる気満々じゃないですか・・・」

「ただで絵を見ていたのだ。それも3日もな。それぐらい払え」

「やれやれ。商人というのは、恐ろしいですな」

「ふん。ものを盗むお前のほうが、よっぽどたちが悪いよ」

「ははは、違いありませんね。それではこれにて」

蝶ネクタイの男は歩き出すと、煙のように消えた。

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老女王と灰色の絵 つばめ @tsubamewing

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