[7.2] ZIXZA —— ③

「……あれ?」

 お昼休み。僕の四つ前の席に大きな山があった。いつもならないはずの山が。

 微動だにしなかった山がずずんと崩れて、うずくまった。

 山の正体は伊東君。正直、この大きな身体やまのお陰で板書ができないこともあった。でも、だからといって、折角一番後ろの席にいるんだもの、僕は代わったりはしないよ。……しっかし、机に突っ伏しても、存在感あるよなぁ。

 でも、本当に珍しい。いつもなら、昼ご飯食べたら、ふらっと何処かにいなくなる伊東君が机にうずくまってるなんて。何かあったのかな。そう言えば、佐寺さんも近くにいないし。

「伊東君、どうかしたの?」

 流石に気になって、思わず声を掛けた。

 山がいきなり動いて、僕の方に顔が向いた。その表情かおは悔しいのやら、情けないのやら、頭が痛いのやら——まぁ、とにかくどちらにしてもよろしくない表情がごちゃ混ぜになっていた。

「なんだ、金見か。……って、金見か! オメーちょっとツラ貸せよ」

 どこかどろんとしてヤル気なさそうだった目が、一気にくわっと開く。

「……へっ!?」

 藪から棒に「顔貸せ」ってどーゆーことだよ!

 一瞬たじろいで、僕は一歩退く。こめかみから、汗が流れた。

「さ、さいならーっ!」

「別に、締めたりする訳じゃねーよ。まずは付き合え!」

 踵を返したところで、伊東君に首根っこ捕まれた僕は、伊東君にズルズル引っ張られて、校庭脇の土手にまで連れてこられた。

 ここに来るまで、伊東君は一言も喋らなかったけど、元気がない所為か、ちょっと背中が丸まっていた。

 土手で腰を下ろして、伊東君はそのまま寝転がった。

「……ん? 金見も座れよ」

「う、うん」

 何の話が飛び出すのか、冷や冷やもんだ。

「じぐざ——」

「はい!?」

 素っ頓狂な声が出た。どうして、伊東君の口からZIXZAジグザの名前が出てくるの? もしかして、「ジグザグがどーの——」とかって話なのか?

「いや、そのZIXZAとかってゲームを、幸に教え込んだのはお前なのか?」

 なーんだ、佐寺さん経由か。あー、驚いた。……そーだよなぁ、伊東君がボドゲやるなんて話は聞いたことないし。

「教え込んだっていうか、この間の放課後にさ、神無月さんとZIXZAをやったんだよ、佐寺さん。そのルールの説明を僕がやったけどさ。……彼女、強いね。初挑戦で見事に神無月さんに勝ったんだ」

 その途端に、伊東君の顔が情けなく歪んだ。な、何があったって言うのさ。

「か、金見ーっ! 俺に、俺に稽古を付けてくれ!」

「へっ!?」

 寝転がってた伊東君が、バネ仕掛けみたいに飛び跳ねて、僕に向かって這いつくばった。

 藪から棒のお願いに、僕の頭には一瞬はてなマークが満載になったけど、伊東君がボソボソと話し出したことを一言で言えば、こういうことだ。

 ——佐寺さんに勝ちたい!

 どうやら、佐寺さんもZIXZAが気に入ったようで、神無月さんから買ったところを訊いて、自分でも購入したようだ。まぁ、僕も同じように買ったんだけどさ。

 で、佐寺さんにせっつかれて、渋々付き合わされたZIXZA——なんだけど、どうやっても佐寺さんに勝てないみたい。いくら渋々付き合いでやらされたからといって、ただの一勝も収められずに馬鹿にされるのが堪えてるみたいだ。

「勝つ度にドヤ顔見せられてよ、『おにーちゃん、弱い!』なんて言われんだぜ? 冗談じゃねぇや! このままじゃ、『兄の威厳』って奴がだな——」

 もう、ほとんどが愚痴だった。強面の伊東君がこんな風にくだ巻いちゃうんだから、よっぽど悔しいんだろうな。にしても、幼馴染みで本当の兄妹じゃなくても「兄の威厳」なんてあるの?

 それはさておき、前にボドゲは勝敗じゃないって言ったけど、負けっ放しってのはつまらないよね。

 僕はOKのサインを出していた。

「そーかぁ、助かるぜ! 早速と言っちゃなんだが、今日どーだ? ちょっと教室で待っててくれれば、迎えに行くぜ! 先に、放送部の武元との約束があんだよ。あ、心配すんな。そいつぁ、すぐに終わる。で、場所だが……そーだ、俺んでやろう。んで、晩飯は俺ん家で喰ってけ!」

 文字通り伊東君が「破顔」して、僕の手を握って一気に捲し立てる。その顔の「壊れっぷり」に僕は思いっきり気圧けおされちゃって、笑いを堪えるのが精一杯。それでも、なんとか「うん」って返事はしたけどね。

 そしたら伊東君、「幸め、憶えてろよォ」と握り拳を震わせていた。

「あ、水刺すようで悪いんだけど、一つだけ」

「お? 何かあるんか?」

「ん、あるというか、ないというか。このZIXZAに限らず、多くのゲームには『必勝法』ってのはないからね。それだけは憶えておいて」

「……お、おう」

 そう返事しながらも、何処か納得のいってない風の伊東くん。「どうしてだよ!」と言わんばかりだ。

 その表情かおにちょっとクスッとして僕は説明を続ける。

「ZIXZAみたいなゲームは、特に実力が物を言うんだ。純粋に『強い人が勝つ』んだよ」

「なしてだよ。幸が全勝して俺が全敗ってのは、単に俺が弱いからなのか?」

「まぁそうだね。でも、余りにも極端すぎるとは思う。でも、何となく分かるよ、佐寺さんが勝ち続けているのには理由。恐らくそれは、『伊東くんのことを知りすぎている』からかな?」

 幼馴染みで、十年以上一緒だって言うんなら、年季の入った夫婦みたいなモノじゃないのかな。僕には全然想像も付かないけどね。

 伊東くんの性格や仕草、癖、考え方……等などが佐寺さんの頭の中に刷り込まれている。だから、次にどのサイコロを動かすのかとか、どの勝利条件を狙っているとかが、手に取るように分かるんだろうな。

 その上、言っちゃ悪いけど、伊東くんは単純明快だしね。

「むう」

 腕を組んで唸った伊東くんは、今度は少し納得のいったような顔をしていた。


            ◇


「さて、芳隆くん。始めましょうか?」

「あ、神無月さん、それが——」

 放課後、教室の人間が半分を切った頃、神無月さんがいつものように声を掛けてきた。

 そこに、僕の言葉を遮るように、伊東くんがいつものように鞄を担いで現れた。

わりいな、神無月。今日は金見、俺が借りるぜ?」

「……伊東くん」

 神無月さんの声のトーンが一気に下がり、ちょっと俯き加減になる。

 ……な、なんだ、この抑圧感プレッシャー

「——!」

 伊東くんと神無月さんの間に、何だかどす黒いモノが渦巻いているじゃないか! ……あ、目の錯覚なのか!?

「あら、みゆだけじゃ物足りなくて、芳隆くんにも手を出す気?」

「ハァ!? 神無月、オメー、何言ってンだよ」

 何とも刺々しい声の応酬だ。正に一触即発——そんな雰囲気が漂い始めてきたぞ! ……まずい、まずいってば!

 僕の知らない神無月さんと、僕の知らない伊東くんが対峙している。

 ぐ、ぐおおぉ……ここは僕が止めなくちゃ!

 間に入るのが憚られる抑圧感だけど、ここは!

「あ、いや……神無月さん? 僕が伊東くんに頼んだんだよ! ……い、伊東くん、空手習ってるって佐寺さんが言ってたでしょ? で、僕もちょっとやってみたく……思ったんだ」

 まったくのでっち上げだけど、よく分からないことで不穏なことになるのはよくないよ。

 背中に汗掻きまくりの状況で、身振り手振りで神無月さんに説明。ところどころに、伊東くんがそれに合わせて一言入れてくれるんだけど、その都度に神無月さんが、伊東くんを睨め付けるんだよー、怖いよぉ。

 でも、不意に神無月さんがフッと笑って、掌を返した。

「了解、分かったわ。今日のところは私が引きましょう」

 胸を撫で下ろした。と同時に、溜息が漏れた。

「——でも、明日は付き合ってよね、ZIXZA」

「も、もちろん!」

 断るつもりは毛頭なかったけど、断ってたらどーなってたんだろ? 

 ……いや、怖いことは考えないようにしよう。 

 神無月さんは僕の頭をポンポン、と軽く撫でるように叩いて、学生鞄を掴む。

「ん、よろしい! じゃ、また明日ね。……伊東くん、芳隆くんのこと、よろしくね。……変なこと吹き込まないでよ? で、今日の分は貸しにしておくわ」

「あ、ああ……」

 何か呑まれたような伊東くんの返答。

「それじゃねー♪」

 神無月さんは後ろ手に学生鞄を持つと、鼻歌交じりに去って行く。

 僕と伊東くんはしばらく無言で、神無月さんの姿の消えた戸口を見つめていた。

「……なぁ、金見。怖くなかったか?」

「メッチャ怖かったよぉ! ゲームの邪魔されただけで、あんなに怒るなんて」

「……それは違うと思うぞ」

 何故か呆れたような伊東くんは、溜息交じりに頭を掻いていた。

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