本編

[1.0] 自己紹介

「——ひ、ひゃいっ!」

 出てきた声は見事にひっくり返っていた。

 担任の塩谷先生に名前を呼ばれたから、満を持しての自己紹介だったはずなのに、どーしてこーなった……。

 いや、決して緊張してた訳じゃ無い。気合充分の返事だったんだ。単に気合を入れ過ぎただけのことさ。

 でも、周りからはくすくすと笑い声が聞こえる。

 くっそー、最初が肝心だってのに! だが、こうなった以上は「ウケを狙った」って思われるような態度を取らなければ!

 まずはこれから僕のステージとなる、教卓に向かおう。

 ……うわっ!

 今度は、黒板前の教壇に躓いてしまったじゃないか! ……だが、ここは慌てず騒がず、ニヤリと不敵に微笑むのだ。

 だけど、教室の中はまたも沸き立ってしまった。

 ぐぬぬ……これでは、高校デビューが台無しになってしまう。

 僕は教卓の前に立ち、未だに笑いの残る教室に向かって、どっかの国の大統領よろしく、両手をかざして静聴を求めた。

 すーっと教室が静かになる。

 ふっふっふ……これで僕のペースに持ち込めたってところだな。それじゃあ、自己紹介といこうか。

金見芳隆かなみよしたかといいます。厚岸あっけしの隣の浜中から来ました。趣味は読書で、何でも読みますが、特にSFとマンガが好きです。それとボドゲ——ボードゲームが大好きです! よろしくお願いします」

 一礼を残して教卓ステージから去る。席に戻る途中で、頬が緩みそうになったけど、そこは何とか我慢する。

 か、完璧だ! 今の自己紹介は一週間前から文字に起こして色々と推敲した上に、すらすらと淀みなく言えるように暗記して、息継ぎのタイミングや間まで考えた力作なのだ。

 まぁ、少々アクシデントはあったけど、今ので失点は全てクリア! 僕の高校デビューは概ね成功ってところだな。

 そんな感じで、満更でもない気分で余裕たっぷりに席に着いた。

 今名乗った通り、僕の名前は金見芳隆。これまた話したことだが、厚岸の隣にある浜中町という田舎からやってきた。この光陵高校のある釧路も札幌に比べれば小さいけど、僕の住んでた浜中はもっと小さい。

 でも、誰でも知ってる有名人が浜中町の出身だったりする。浜中町はあの高名な漫画家、モンキー・パンチさんの出身地なのだ!

 それに、小さいながらも浜中は酪農と漁業の町としては全国レベルなのだ。ハーゲンダッツやカルピスの工場もあるし、天然昆布なんかは日本有数の生産量を誇るのだ! ……っていうけどさ、やっぱり僕は少しは都会に出てみたかったりする。

 とは言え、札幌の有名校なんか行けるはずもなく、身の丈に合わせて釧路光陵高校にした。……実のところ、身の丈に合わせた、なんて言ってるけど、結構受験勉強はひーこら頑張ったと思う。

 その甲斐あって、光陵ここには見事に合格、晴れて高校生になった。

 で、今日は入学式。今は入学式前のオリエンテーションって奴で、自己紹介をやっているところなのだ。

「ねぇ」

「——!?」

 隣からいきなり声が掛けられた。正直、驚いたんだけど、ここはそんなことをおくびにも出さずに、ゆっくりとそっちに向く。

 僕の視界には薄らと笑みを浮かべた顔があった。腰まで届きそうなロングヘアーを背中で束ねた眼鏡女子が、頬杖を突いて僕を見ていた。

 眼鏡の向こうに見える澄んだ瞳に、何処か見透かされたような感覚を覚えた。

「な……な、何かな!?」

 想定外の展開に、またもや僕の声はひっくり返っていた。席に着いてからの小声だったのがまだ救いで、普通の声なら間違いなくクラス中の失笑を買っていたに違いない。

 ……あ、危なかった。

 だけど、声の主である眼鏡女子には聞こえちゃったみたいで、彼女は「ぷっ!」と噴き出していた。

「君って楽しいね」

「そんなこと、ないと思うけど……」

「ふーん、ところで——」

 彼女の口が次の言葉を番えようとしたとき——

「次は……こいつの読みは『かんなづき』でいいのか?」

 塩谷先生の声がした。

 そこに間髪入れずその娘が手を上げる。

「あ、はーい。その通りです。『神無月花波かんなづきかなみ』と読みます」

「よーし、んじゃ神無月、お前の番だ」

「はい」

 神無月さんはすっとその場に立ち上がって、ゆっくりと歩き出す。

「——また、あとでね」

 何とも優雅に教卓に立つ神無月さん。

「先に名乗ってしまいましたが改めまして。神無月花波です——」

 流麗な口調の自己紹介。けど、僕の耳にはまったく入っては来ない。

 その理由は、何だかよく分からないけど、胸の高鳴りが止まらないんだよ! さっきの「また、あとでね」かとも思ったけど、あんな有り体の言葉でこんな風になるはずはない。恐らくはアレだ——あろうことか神無月さん、僕に向かってウインクを残していったのだ。女の子に縁の無い生活をしていた訳じゃ無いけど、ウインクなんてされたのは初めてだ!

 何なんだ、あの人は?

「——ねぇ、君。……見くん?」

 誰かが僕を呼んでいる。

「金見くん、大丈夫?」

 誰だろう、この声は。聞いたことあるような……無いような——

「うわわわわわぁっ!」

 目の前には、僕を覗き込んでいる神無月さんの顔があった。

 僕の素っ頓狂な声に目を丸くした神無月さんだったけど、すぐにクスッと笑う。

「ホントに面白いね、君。何だか、顔が赤いよ? そんなに暑い? ……何でボーッとしているのかは知らないけど。そんなだとチカちゃんに叱られますよ?」

 などと、どっかの番組みたいなことを言って、またもクスクス笑う。

「ほっといてよ! ……で、何か用?」

 ちょっとムカッときたから、つっけんどんになってしまった。でも、神無月さんは涼しげに言った。

「別に何も。入学式が始まるって放送入ったから教えてあげただけ。クラス全員体育館に行っちゃったから、残ってるのは金見くん一人だけ」

「——!」

 ぐわーん! 何てこった! 僕はどんだけ硬直してたんだ!?

 自己紹介もみんな終わっちまってるなんて有り得ない、有り得ないよ……ああ、折角の高校デビューが台無しになっちまうじゃないか!

 ……でも、あれ?

「僕一人って……神無月さんもここにいるじゃない」

「私は、隣になったよしみで教えてあげたの。……それじゃ、私も行くから。じゃぁね、ごゆっくり」

 神無月さんは踵を返して手を振る。

「あ、あの……ありがと」

 僕は俯き加減でぼそっと行った。

 どうにも空回り気味の僕を、神無月さんはわざわざ教室に残ってまで気に掛けてくれたのに、随分と子供っぽい対応をしてしまった。

 だから、気恥ずかしくて、そんな言葉を口に出すのが精一杯だった。

 神無月さんの足が止まっていた。そして、くるりと僕に向き直る。

「……ふーん、御礼くらいはちゃんと言えるんだ。じゃ、こちらもちゃんと応えないとね——どういたしまして!」

 神無月さんはわざとらしい大仰なお辞儀をした途端、僕を見てニヤリと笑った。

「えいっ!」

「——痛っ!」

 神無月さんが僕にデコピンをかましてきた!

「大袈裟だなぁ、金見くんは。軽くやったのに」

「そーゆー問題じゃないから!」

 何なんだ。一体全体、何なんだ!

 流石に僕も憤慨して、ちょっと声を荒げてしまった。けど、神無月さんは全く気にも留めてなかった。

「怒るときはちゃんと怒るんだね。……ん、元気があってよろしい!」

 腰に手を当てて、神無月さんが笑った。

「まずは、入学式に出てこようか。話はそれからだね。さぁ、行きましょ?」

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