第328話 最終確認

「ハハッ♪こりゃ一本取られたな」


「へっ?どしたの、幹ちゃん?」


と、由紀は突然笑顔を浮かべた幹太に聞いた。


「いやさ、あっち…」


そう言って、幹太は向かいの屋台を指差す。


「わっ!すっごい並んでる!」


「だろ」


「あ、もう誰か食べてる…」


由紀は持ち前の視力で、向こうの屋台の前に座る二つの人影をよく見る。


「あれは…姉妹メイドさんだね」


「うん。この香りからすると、先に今日のメニューを食べてるみたいだな…」


「えぇっと…この位置からだと何を食べてるかわからないけど、リアクションからして初めて食べてるっぽいね」


ミンとリンの食べている物は、二人の体に隠れて見えない。

しかし、満足げな顔で向かい合って話す二人の表情が、由紀にはバッチリ見えていた。


「うん。俺にも美味しいって喜んでるのはなんとなくわかるぞ」


「じゃあ、ウチも誰かに食べてもらってみる?」


「ん〜?」


そう聞かれた幹太は、再び相手の屋台を見つめる。


「…いや、やめとこう」


「えっ!いいの?

アンナとかクレア様とかに食べてもらえば?」


「そうだな。そりゃ効果はあるかもだけど…」


「けど?」


「向こうに人が並んでるのは、あの二人のおかげだけじゃないだろうし…」


「だけじゃないって、他に何が…あ!そっか!」


「やっぱり由紀にもわかったかな?」


「うん。香りだね♪」


そう言って、由紀は鼻をヒクヒクさせる。


「たぶんそうだな。

みんなまず香りに釣られて向こうの屋台を見て…」


「で、見てみたら、二人の可愛いメイドさんが見知らぬ料理を食べてるってワケだ♪」


「そうそう。その通りじゃないかな」


「そっか…」


由紀は振り返り、スミレ屋の屋台の中を見る。


「そっか…ラーメンには、お客を引くほどの香りはないんだもんね」


「カレーに比べたらって話だけどな。

まぁ豚骨ラーメンの匂いが好きって言う人もいるけど、さすがにカレーの香りほど、万人に好かれる匂いじゃないからなぁ〜」


「フフッ♪幹ちゃん、あの匂い苦手なんだもんね♪」


「そうだな。っていうか、俺だけじゃなくて、ラーメン屋やってて豚骨スープの匂いが苦手な人ってけっこういると思うぞ」


「ラーメン屋さんなのに?」


「うん。現にウチの親父なんか、あの匂いがダメで一切豚骨ラーメン屋には入らなかったからなぁ〜」


「えぇっ!正蔵おじさんも!?」


「うん。親父も」


「…そういえば、幹ちゃんのお家からあの匂いはしないよね?」


「親父のスープは鶏ガラと野菜がメインのスープだったから、そりゃしないさ」


「それに、私もたまにしか豚骨ラーメンのお店には行ってない…かも?」


「ハハッ♪そりゃそうさ♪」


そう言って、幹太は由紀のポンポンと肩を叩く。


「そりゃそうって…どういうこと?幹ちゃん?」


「そりゃ俺と由紀は、親父にそう洗脳されてるんだよ」


「えぇっ!正蔵おじさんが…いつの間に!?」


「いつの間って言ったら、たぶん俺たちが生まれた時からだろうな…」


「う、う〜ん…そう言われると確かに、昔の幹ちゃんちと同じ匂いがするラーメン屋さんは気になるよーな?」


「だろ。俺も、ラーメン屋の裏通った時に親父の匂いがすると、思わず入っちゃうもん」


「匂いとか香りが一番記憶を呼び覚ますって本当なんだね♪」


「そうだな。しかし、今はそれどころじゃないな…」


「うん。これは対策を考えないとね」


「お二人ともどうしたんですか〜?」


そこで悩む二人の元に、両手で抱えるほど大きなフタ付きのバットを持ったソフィアがやって来た。


「あ、ごめんソフィアさん。重くなかった?」


そう言って、幹太はソフィアが持つバットを受け取る。


「フフッ♪大丈夫ですよ〜♪」


「あれ?その上着…」


「あ、これですか〜?」


ソフィアは幹太が学生時代に着ていた、ボクシング部ロゴの入ったコーチジャケットの胸元を引っ張る。


「幹ちゃんのそれ、久しぶりに見た♪」


「うん。ちょっと肌寒い時に便利だから、こっちに持ってきてたんだけど…そっか、ロシュタニアンだと色々作業がしづらいから?」


「いえ〜、なぜかクレア様がソフィアは着てなさいとおっしゃったので〜」


「う、うん…そりゃソフィアさんは着てないとダメでしょ…」


と、若干引きつりながらそう言う由紀からは、コーチジャケット隙間からハミ出そうなソフィアのオッパイがバッチリ見えていた。


「た、確かにこりゃちょっとヤバいかもな…」


そう言う幹太も、ソフィアの胸元を見て鼻の下を伸ばしている。


「フフッ♪で、何を考えなきゃいけないんですか〜?」


「あ、いや…なんでもないです」


幹太は改めて、自分の陣営の女性陣を見る。


『うん…やっぱり作戦なんていらないな』


改めてそう思いながら、幹太は屋台の中に戻った。


「えぇっと…そんじゃあまぁ最終確認するか」


「は〜い♪」


アンナは手を挙げて返事をして、積み重なった麺箱の一つ持ち上げる。


「麺はめっちゃオッケーです!」


「うん…なんかいつもよりギッチリ並んでる気がするけど、まぁオッケーか…」


「フフッ♪では、次ですね♪」


アンナは麺箱を戻し、屋台の裏手にまわって二重に重ねられた寸胴鍋のフタを開けた。


「幹太さん、スープは決まってますか?」


「うん。味はきっちり決まってる。

あとはちゃんと冷えるかだけど…」


それを聞いたアンナは、内側の鍋の鍋肌に触れた。


「…冷え冷えバッチリです♪」


「おし!そんじゃあ次は…これだ」


幹太はそう言って、屋台の調理台の上にあるどんぶりの中身を確認し、先ほどソフィアが持ってきた大きなバットのフタを開けた。


「具もオッケー」


「はい♪」


「そいじゃあとは食器と客席…」


「ですね」


そう言って二人が屋台の前を見ると、客席側にいたゾーイとアルナが両手で大きくマルを作っている。


「オッケーみたいです♪」


「食器も大丈夫そうだし、そんじゃあとりあえずこっちも試しに一杯作ってみるか?」


「はい♪ぜひ♪」


そうして二人は、この即席屋台での最初の一杯を作り始めた。


「では、麺を…」


「アンナ、今日は何分でいくつもり?」


「ひとまずは三分…いえ、三分十五秒でいきます」


「三分十五な、オッケー」


「では…」


アンナは麺箱から出した麺を軽く揉み、ほどくようにして麺湯へと投入する。


「しかし、茹で時間が三分過ぎるって、やっぱり今回の麺ってけっこう太いんだな」


幹太は珍しく麺湯の中を覗きながらそう聞く。


「ですね。私もこんなに太いの初めて作りましたから…」


今回、アンナはスミレ屋のラーメンに合わせて準備した麺は、JIS規格で14番、ミリ表記でいうと2.2ミリというかなりの太さのあるものであった。


「冷やしでこれはけっこう珍しくないか?」


「確かにさっぱり系ラーメンスープには細麺が基本ですけど、あの具に合わせるにはこのぐらいでないと負けてしましますから…」


アンナは取っ手のついたL字状の麺ザルを持ってそう言う。


「今回はテボじゃないし、麺担当のアンナに負担をかけてるな」


盗品市場でいくつか姫屋のテボを買い戻せはしたものの、大量のお客を捌くには数が足りなかったのだ。


「そうでした!それですけど、お客様が一杯になったら方法を変えるつもりですから大丈夫ですよ♪」


「やり方を変える?」


「はい。今回の場合限定ですけど…」


そう言って、アンナは寸胴鍋の横に置かれたザルを見る。


「あぁっ!なるほど、お客がたくさんで冷やしならそれが一番か!」


「ですです♪クレアが観てた動画…ですか?

それにその方法で麺を揚げている方がいて…」


「そりゃたぶん日本そばの動画だろうけど、いい時間で揚げられるなら中華麺でも同じだろ」


「えぇ。そう思って、ホテルから借りておきました♪」


とそこで、アンナの目の前にあるキッチンタイマー代わりのスマホから、三分十五秒を告げるアラームが鳴る。


「アンナ!いきまーす!」


そしてアンナは、勢いよくL字の麺ザルを麺湯に差し入れた。

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