第59話 経験の使用法

そして翌日、


『美味しいんだけど…なんだろうなぁ〜?』


由紀は賄いのラーメンを食べながらそう思っていた。


『試食の時もなんか引っかかったんだよね…』


お昼のピークを過ぎ、お客の少ないこの時間に幹太達は交代で食事をとっている。

エプロンを外しラーメンを食べる由紀の後ろでは、幹太とソフィアが屋台に入って接客をしていた。


「私、大丈夫でしょうか〜?」


「大丈夫。ちゃんとできてるよ、ソフィアさん」


まだ少しキッチンでの仕事に慣れていないソフィアは、色々と幹太に確認をとりながらラーメンに具を乗せていた。


「ん〜幹ちゃ〜ん、やっぱり私このラーメン好きじゃないのかも〜」


「お〜う、やっぱりか」


日本にいる時、幹太の試作したラーメンはまず由紀と由紀の家族に試食してもらっていた。

その頃から、美味しくない時は美味しくないとちゃんと言ってくれる由紀の存在は、幹太にとってとてもありがたいものであった。


「その…好きじゃないってのは、由紀好みじゃないって事なんだよな?

どこが合わないか説明できるか?」


「う〜ん、美味しいんだけど…なんだろ?ファミリーレストランで美味しい食事をしてるっていうか…そんな感じなの〜」


由紀は眉間を揉みながら、なんとかそう今の自分の感覚を言葉にした。


『レストランで美味しい…?美味しいならば良くないか?しかもレストランだし…』


幹太はラーメン屋をやる事に誇りを持ってはいるが、何もラーメン屋が一番の料理店だと思っていない。

ラーメン屋台にはラーメンの屋台なりの気軽さがあるし、レストランにはレストランで様々な料理を食べれるという利点がある。

レストランみたいと言われて良いイメージこそあれ、それほど悪い印象は幹太にない。


「ん〜ゴメンね、幹ちゃん。なんだかハッキリしなくて…」


「いや、いいんだ。ありがとう、由紀。

由紀のその感覚が重要かも知れないから、またなんか分かったら教えてくれ」


「うん。とりあえずは…そうね、おじさんの餃子は最高かな♪」


由紀は一転、パッと明るい笑顔でそう言った。


「ハハッ♪そうだな、由紀は親父が大好きだったからな」


ラーメンを食べている時とうって変わった由紀を見て幹太は苦笑した。


「ち、ちがうよ!

大好きなおじさんのレシピで…だ、大好きな幹ちゃんが作ってるから…だよ…」


由紀は自分で言っている内に恥ずかしくなってきたらしく、後半はほとんど言葉になっていなかった。


「それじゃ幹太さん、私もお昼をいただきますね〜」


由紀の次はソフィアが昼食をとる番だった。


「今日は他の屋台に行ってみましょう〜」


そうしてソフィアははす向かいの麺料理屋に行き、透明な温かいスープの中に米粉麺が入ったベトナムのフォーの様な料理を買って戻って来た。


「私、これ食べてみたかったんです〜」


姫屋の屋台に戻ってきたソフィアはそう言ってさっそくズルズルと麺を啜った。


「あっ♪すごく美味しいです♪

なんだか姫屋のラーメンに似ている気もしますが〜」


「えっ?そうなの?」


ソフィアの言葉に由紀が反応した。


「よかったら由紀さんも食べてみますか?」


「本当?それじゃ一口もらっていい?」


「はい、どうぞ〜」


由紀はソフィアが差し出す器を受け取り、まずはスープを一口飲んだ。


「うん、後は麺ね…」


そして次に麺を食べ、ゆっくりと味わった。


「ありがとう、ソフィアさん」


由紀はソフィアに器を返し、頬に手を当てて何やら悩み始める。


「そうね…これは…」


そう言ってしばらく黙り込んだ後、突然バッと顔を上げて、隣に立っていた幹太の手を引いた。


「幹ちゃん!私、今の姫屋のラーメンがなんで嫌なのか分かったかも!」


「えっ!本当に!?」


「うん、あのね、これはラーメンなんだけど…幹ちゃんのラーメンっぽくない気がするの!」


由紀は興奮気味に牛骨スープの入った寸胴鍋を指差して言う。


「そりゃどういう…?

由紀、頼むから落ち着いてゆっくり話してくれ。

いいか、一度スーハースーハーするんだ」


スーハースーハーとは、幹太と由紀が幼い頃から使っている深呼吸の愛称だ。


「うん!了解!

ス〜ハァ〜ス〜ハァ〜」


由紀は幹太に言われた通り、大きく深呼吸をする。


「だからね、私達はラーメンを知っているから、これが今までこの世界に無かったラーメンだって思っているでしょ?」


「うん」


「ですね、私は幹太さん達に会って初めて食べました〜」


由紀の興奮ぶりを見たソフィアも、お昼ごはんを中断して会話に参加する。


「そうね、ソフィアさんが初めて食べたのは焼きチャーシューの醤油ラーメンだったんだっけ?」


「そうですけど〜」


「それでこれまで見たことも食べたこともない、新しい料理って思ったのよね?」


「えぇ、はい」


「たぶんだけど…ソフィアさんが食べたものを含めて、幹ちゃんがこっちの世界に来てから作ったラーメンは、ぜーんぶ日本のラーメンを基本にしてたんじゃないの?」


「そりゃそうだよ。

だから今回も…んっ、あれ?ちょっと待てよ…?」


由紀にそこまで言われて、幹太はようやく何かに気づき始める。

言われみれば幹太は、今回の牛骨醤油角煮ラーメンを、こちらの世界の料理と味を照らし合わせて作った。


「いい、幹ちゃん。

私達にとってはこれはラーメンだけど、こっちの世界の人とっては少し麺の違うだけの食べ慣れた料理なんじゃない?」


「そうだ…それだよ!」


由紀の違和感とはこれだった。


「うん、私、やっぱり分かった。

この牛骨醤油角煮ラーメンって、すっごく美味しいけど幹ちゃんのラーメンっぽくなかったんだ…」


日本人である由紀と幹太は、かん水の麺と骨や野菜で取ったスープを使った料理がラーメンだと知っている。

しかし今回のラーメンは、幹太が思い切りこちらの世界に合わせて作ってしまったため、麺の食感もスープの味も、周りにある米粉麺を使う他の屋台の料理とあまり変わりがない。

なのでこちらの世界の人々は、姫屋の牛骨醤油角煮ラーメンを新しい料理とは思わず、よく見る普通の麺料理の一つと認識してしまったのだ。


「そっか…あんまり味が変わらないなら、元々食べ慣れた店に行くよな。

そりゃ売り上げも微妙になるわ」


「えぇ、餃子だけが売れたのも納得ですね〜」


この市場の客が他の店で麺を買い、餃子を姫屋で買ったのはそういう理由である。


「ちょっと王都ってのを意識し過ぎたのかなぁ〜」


幹太は自信なさげな表情で頬を掻く。


「そうだよ、幹ちゃん!

私はいつもの幹ちゃんっぽいラーメンが好き!

大丈夫!今までのラーメンだってこっちでちゃんと人気があったんだから!もっと自信を持って!」


由紀は正面から幹太の両手を握ってブンブン振った。


「そうですよ〜幹太さん。

ジャクソンケイブのご当地ラーメンだって、村の名産品を使っていましたけど、出来上がったラーメンはちゃんと幹太さんの味がするラーメンでした〜」


そう言って、なぜかソフィアは幹太を後ろから抱きしめた。

最近の彼女は幹太に対して、かなり攻めの姿勢なのだ。


「ですから自信を持って下さい、未来の旦那さま〜♪」


幹太は一瞬で悩みを忘れ、背中に突然やってきた幸せな感触にデレッと鼻の下を伸ばした。


「あっ!ちょっと!どさくさに紛れてなにしてんの!?

だったら、わ、私もっ!」


負けずに由紀も、正面からがっちり幹太に抱きつく。

ソフィアほどではないが、程良く柔らかな由紀の感触に幹太の意識が持っていかれた。


『ハ〜イ♪ゆーちゃん♪

いつの間にこんなに成長を…っていかんっ!』


幹太は頭を振って正気を取り戻す。


「ふ、二人共!厨房は危ないからっ!はなれて!」


「フフッ♪幹ちゃん♪恥ずかしがってる?」


「あら〜可愛いです〜♪」


「も、もういいからっ!

でも…そうだな、今日は早めに店じまいにして、新しいラーメンの食材を見つけに行こう。

由紀、ソフィアさん、手伝ってもらえるか?」


幹太はまだ少し赤い顔でそう二人に頼んだ。


「もちろん♪」


「はい、お手伝いします〜」


「ありがとう。それじゃさっそく片付けますか」


「「はーい♪」」


そうして店じまいを始めた幹太は、久しぶりにイキイキとした表情をしていた。


その後、市場が終わるギリギリの時間まで買い物をしていた三人は、夜になってやっと王宮に戻った。


「やっぱりラーメンといえば豚だよな…」


「そうね、確かに豚だね」


「また豚さんですか〜?」


三人はそのまま新しいラーメンの試作を始める。

今回も色々と調理が多いため、王宮のキッチンを借りていた。


「そうだ幹ちゃん、後からアンナが来るって」


「おう、了解。んで豚だが…」


幹太はズドンと大きな豚バラのブロック肉を調理台の上に乗せた。


「角煮は角煮のままでいこうかと」


「あら、幹ちゃん?そこは変えないの?」


「うん。角煮は変えないけど、味をもっと和風にしようと思います」


「幹太先生〜和風とはなんでしょうか〜?」


胸元のユルいVネックのセーターにひらひらフリルのエプロンを付けたソフィアが手を上げて幹太に聞く。

最近、幹太達の中ではこの学校ネタがプチブレイク中だ。


「い、いい質問です、ソフィアちゃん。和風とは先生と由紀ちゃんの故郷の味で…、」


というかこの生徒、かなりエロス度が高い。

なぜ彼女が寝間着のVネックのセーターの上にエプロンを付けているのか、幹太先生にはさっぱり分からなかった。


「き、基本はお醤油とお砂糖とお酒を使います。あ、あとは生姜などを…」


幹太は必死にエプロンからハミ出す胸から目を逸らそうとするが、本能が邪魔をしてなかなか上手くいかない。


とそこで、


「はーい、先生!じゃあ私、生姜を擦りまーす!」


由紀が手に持ったボールで幹太の視線を遮った。


「で、では由紀ちゃん、よろしくお願いします。

それじゃ先生はブロック肉を焼きます」


幹太は北京鍋に油引き、豚バラのブロック肉を丸ごと焼く。

ジューっと音を立てて、肉の脂身に一気に焦げ目が付いていく。


「これ、ローラさんが言うにはブリッケンリッジ特産の豚らしいんだけどな」


「ふ〜ん、そうなんだ。さすがローラさん、詳しいんだね」


それは週末の青空市場で、


「角煮はブリッケンZで作ったらいいわよ♪」


ラーメンに乗せている角煮を見たローラがそう幹太に言ったのだ。


「ブリッケンZー!?」


幹太の脳裏に赤いスカーフを巻いた、ベテランアニソンシンガーが浮かぶ。


「豚の品種よ。油の風味もしつくこくないし、煮物にしても煮崩れしなくて最高なの♪」


そう聞いた幹太は今回新しい角煮を仕込むに当たって、ブリッケンZのバラ肉を選んだ。


「あとはこれを和風の煮汁で煮込んで終了だ」


「和風だとずいぶん簡単なんだね〜」


「です〜」


「いや、手順は少ないけど、丁寧にタイミング良く全てをこなすのは結構難しいんだよ。

これまでの中華風だって、仕込みにかなり時間がかかってたからな。

まぁとりあえず、煮込んでる間は一休みしてようか?」


今日の幹太達は昼間の姫屋の営業と、その後の仕込みの買い物などで息つく暇もなく働いていた。


「だね〜さすがに疲れたよ」


「はい、私もちょっと疲れました〜」


そうして三人がキッチンで茶を飲んでいると、公務を終えたアンナが食堂にやって来た。

よほど公務が退屈だったのか、三人の前に現れた彼女の顔はやる気に満ち溢れている。


「お待たせしました幹太さん!

これよりアンナ、参戦します!」


「いや、今は一休み中だよ」


「あらっ?」


アンナはズルッとずっこけた。


「そうなんです。アンナさんはお茶要りますか〜?」


「あっ!ありがとうございます、ソフィアさん。

では私にもいただけますか?」


「はい〜♪」


四人はしばらくゆっくりとお茶を飲みながら、角煮の出来上がりを待つ。

そうしている間にも甘辛い醤油ベースの煮汁が煮詰まっていく香ばしい香りが、食堂のキッチンいっぱいに広がっていった。


「…か、幹太さん、もう出来上がってませんか?」


アンナは今日の公務が忙しく、まともな昼食をとっていなかった。

その上、彼女は生粋の肉好きである。


「か、幹ちゃん、私も限界かも…」


健啖家の由紀もかなり辛そうだ。


「私もお腹が空きました〜」


ソフィアは調理台にうつ伏せになりぐったりしている。


「ん〜、そろそろ食べてみるか?」


「よっしゃ!肉です!」


「幹ちゃん!ぜひ!」


「……〜」


ソフィアからはもう返事も聞こえない。


「よし、じゃあ取り出すぞー!」


幹太は屋台で使うトングを使い、少しトロみのついた煮汁の中から、崩れないように慎重に角煮を取り出した。


「「「「うわーおぅ♪♪」」」」


四人は揃って歓声を上げた。

所々に焼き目の付いた豚の三枚肉には、黄金色の煮汁が絡みつき、見るからに美味そうであった。


「た、食べましょう幹太さんっ!

今すぐにっ!早くっ!」


興奮して幹太の腕を掴んだアンナの指が、ギリギリと彼の二の腕に食い込む。


「ア、アンナ!すぐ切り分けるから離して!ちょっ、痛い!痛い!」


「す、すいません。アンナ、取り乱しました。

でも幹太さん、なるべくはやク、い、イソいで…がル…ガルル…」


プリンセスの野生が解放寸前だ。


「それじゃみんな食べてみてくれ」


これまた幹太が角煮を崩れないよう慎重に切り分けて大皿に盛り、試食会が始まった。


「いただきますっ!」


まずはアンナが一際大きな角煮を口いっぱいに頬張る。


「あぁ…これヤッバ♪」


あまりの至福に若干ギャル化するプリンセス。


「私、今まで中華風よりこちらの角煮の方が好きです♪

焼きチャーシューのタレと似てますけど、それより少し甘いこの煮汁が最高です♪」


そう言いつつアンナはかなりのペースで角煮を食べ続けている。


「ん〜♪本当だ、とっても美味しいよ、幹ちゃん。

一度焼いたからかな?煮てるのにとってもジューシー。

やっぱりラーメンのトッピングってこうでないと♪」


「お肉の臭みもしっかり消えてて美味しいです〜♪」



由紀とソフィアにも、和風で仕込んだ角煮は概ね好評のようだ。


「それじゃ俺も一つ」


幹太もそう言ってパクっと一つ角煮を食べた。


「うん、そうだ…これだ…」


幹太は醤油と砂糖、生姜やネギなどの日本でもよく使う食材だけを使い、さらに彼がいままでラーメン屋で培ってきたスキルを総動員して、新しい角煮を仕込んだ。

アンナやソフィアが美味しいと言っている以上、この世界の人間の味覚も地球の人間と変わりはない。


「どうして分からなかったんだろうな…」


幹太が初めに角煮を中華風で仕込んだのは、こちらの世界の馴染み味に近いのではと考えたからである。

しかし由紀やソフィアの言う通り、幹太はもっと自分のラーメン屋台での経験に自信を持つべきだった。

最初からそうしていれば、姫屋が個性のない普通の屋台と思われる事はなかったのだ。


「ん〜時間はないけど、できるだけ頑張ってみよう」


ローラのバザーは次の週末に迫っている。


「よし!バザーの売り上げ一番目指して!三人共改めてよろしくな!」


「はい!アンナ頑張ります!」


「任せて、幹ちゃん!」


「こちらこそよろしくお願いします〜♪」


ガッチリ三人と握手する幹太の頭の中から、すっかり婚約の事は抜け落ちていた。



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