第47話 指輪物語

結局、翌日なっても幹太の体調は戻らなかった。


「ん〜やはり一日では治りませんでしたな…まだ熱があります」


王宮付きの医者が、水銀の体温計を振りながら言う。


「こりゃ咽頭炎ですな。

おそらく疲れが溜まっておったのでしょう。

声が出しにくかったり、しばらく熱が高かったりしますが、それほど心配はありません」


「あ、ありがとうございます、先生」


医者の診断通り、幹太の声は少し枯れていた。


「では、私は戻ります。お大事にして下さい」


そう言って医者は幹太の部屋から出て行く。

幹太の部屋にはアンナ、シャノン、由紀、ソフィアの女性陣四人が集まっていた。


「やっぱり喉か…。お医者さん、しばらくかかるって言ってたね」


幹太は小さい頃から、喉から体調を崩す事が多かった。


「ですね。では幹太さんのお世話当番を決めましょう」


アンナはなぜか既にクジを準備していた。


「はい!では皆さん一斉にどうぞ!」


アンナはクジを握った手を三人の前に差し出す。


「あの…アナ、私は他の仕事が…」


「シャノン、皆さんで、一斉に引くんですよ」


「はい…分かりました」


「じゃあ行きますよー!せーの、はいっ!」


三人が引いたクジにはそれぞれ番号が振ってあり、一番を引いたのはソフィアだった。

続いてアンナの手に残っていたクジが二番で、由紀は三番、シャノンが四番をそれぞれ引いていた。


「では最初はソフィアさんでお願いしますね。

後で給仕の方がお水や食べ物を持って来てくれるので、受け取っておいて下さい」


「はい、分かりました〜」


「幹ちゃんをよろしくね、ソフィアさん。

よし、そんじゃ私は女性衛士の皆さんの所に行ってきます。

シャノン、今日はどうするの?」


「今日は私もご一緒します」


「了解。だったら一緒に行こう」


由紀はシャノンを連れて幹太の部屋を出て行く。


「えっと、私もこれからお父様の所へ行ってきますね。

お昼には交代に来ますので、それまでよろしくお願いしますね、ソフィアさん」


「えぇ。いってらっしゃい、アンナさん〜♪」


そう言って二人に続き、アンナも部屋を出て行った。


「ふぅ〜面倒かけちゃってごめんな、ソフィアさん」


「いえ、いいんですよ、幹太さん。

私も旅の途中で体調を崩した時にお世話になりましたから〜。

そうでなくても、幹太さんとアンナさんには返しきれないほどのご恩があります〜」


ソフィアは幹太のベッドの脇に置かれたイスに座った。


「ご恩なんて…別に気にしなくていいよ。

でも本当にここにいて大丈夫?どこか見に行きたい所でもあったんじゃない?」


幹太のそんな言葉を聞いて、ソフィアは眉を寄せ、少し困った顔で笑った。


「いえ、その…この王宮に来てから色々と圧倒されてましたから…正直に言うと、ちょっとゆっくり整理する時間が欲しかったんです〜」


「あぁ…なんか分かるなぁ〜それ」


確かに幹太もこの王宮に来て以来、身分不相応なこの場所にいる事がなんだかとても落ち着かなかった。


「そうなんです。

ですから幹太さんには申し訳ありませんが、ここに一緒に居てもいいですか〜?」


ソフィアは上半身を起こしてベッドに座る幹太の手を取り、上目遣いでお願いする。


「も、もちろんだよ。こちらこそよろしくね」


「良かった〜♪」


そう言いながらソフィアは無意識に幹太の手を引き寄せて、自分の胸元に押し付けている。


「そ、ソフィアさん、その…手が…」


幹太は病気とは別の理由で、頭がボーっとしてきていた。


「じゃあこの果物を頂きましょう〜♪」


ソフィアはベッドサイドテーブルに置かれたカゴから林檎を一つ取り、鼻歌を歌いながら剥き始めた。

剥いている間に、なぜかダバダバと必要以上に果汁が滴り、ソフィアの白いワンピースのおヘソの辺りが透けている。


『ダメだ、このままだと余計に熱が上がりそうだ…』


「はーい♪綺麗に剥けました〜♪

幹太さん、あーん♪」


最終的に薄いブルーのスカートまでスッケスケにになった状態のソフィアが、久しぶりにリラックスした表情で幹太に迫る。

そして幹太の予想通り、その後もソフィアは何度か本領を発揮し、幹太の熱は一向に下がらなかった。


一方、


その頃、アンナは父親であるトラヴィス国王の私室を訪れていた。


コン、コン!


「お父様!アンナです!入りますよー!」


アンナが扉をノックして部屋に入ると、トラヴィス国王はいつもの礼服ではなく私服を着て、奥に置いてある実務用の机に座っていた。


「おぉアンナ、おはよう。昨日はゆっくり休めたのか?」


トラヴィスは国王ではなく、父親モードでアンナに優しく話かける。

国民には知られていない、子煩悩なトラヴィス国王の一面である。


「おはようございます、お父様。

ええ、ちゃんと休めました」


「それで今回の旅はどうだった?

何かこの国の役に立つ事はあったのか?」


「はい、もちろん!

ここへ帰って来る間にも色々な場所でやってみましたが、かなり効果があると思います!」


アンナは興奮気味でトラヴィス国王の手を取った。


「お、おお、そうか。それは良かった。それで…うん?」


トラヴィスがグイグイと迫るアンナの勢いに押されつつ内容を詳しく聞こうとした所で、自分の手を握る娘の細い指が目に入った。


「アンナ?ゆ、指輪はどうしたんだ?

…まさか失くしたのかっ!?」


シェルブルック王国の女性は、十六歳になると指輪を作る風習がある。

そして自分が婚約する時、相手の男性にその指輪を贈るのだ。

一応…王女だけあって、アンナの指輪は一般的な物よりも手が込んでおり、指輪の柄も王族であるアンナ固有の百日草を意図した、複雑な細工がされていた。


「いえ、あの…お父様…」


「いいか、アンナ。あれを作った職人はもう亡くなってしまった…もうあんな立派な指輪は二度と作れんのだ…」


そう言ってトラヴィスは机に肘をつき、頭を抱えた。


「ですから…その…」


「まぁお前が異世界に行くって言った時に、『指輪なくしそうだなぁ〜いやだなぁ〜』と思ってはいたが…あぁ、まさか本当に失くすとは…」


トラヴィスは落胆のあまり、某怪談話の達人のようだ。


「ですから違うんですっ!お父様!

さすがの私もあんなに大切な指輪を失くしたりしません!

ちゃんと好きな男性に贈りました!」


アンナは全く他の可能性考慮せず、完全に指輪を失くしたと思い込む自分の父に向かって思わず叫んだ。


「へ?好きな男性?」


「…は、はい…」


なんとかそう返事をするアンナの顔は耳まで真っ赤だ。


「ん…?アンナに?」


「そ、そう、私に…です」


アンナは指先をモジモジと絡めながら俯いた。

父親に好きな人が居ると報告する事が、まさかこんなに恥ずかしい事だとは思ってもみなかった。


「た、大変だっ!早くジュリアとローラに報告しないとっ!」


第一王妃のジュリアはビクトリアとアンナの母親であり、第二王妃のローラはシャノンの母親である。


「え、お父様?報告って?」


「と、とりあえずアンナちゃんはここで待っててね!」


あまりの予想外の出来事にテンパったトラヴィス国王は、幼い頃のアンナに話しかける口調でそう言い残し、私室を飛び出して行ってしまう。


「お、お父様…?」


そして、部屋に取り残されたアンナは、


『あぁ、お昼に幹太さんの所に戻るのは無理そうです』


と思っていた。


そしてその晩、


王宮では女性の、女性による、女性のための最高意思決定会議が開かれていた。

会議場はなぜか王宮の庭園にある、第二王妃ローラの管理する山小屋風の私室である。


「では、会議を始めまーす♪」


議長は長い金髪を一括りにまとめたジュリア王妃だった。

彼女は小柄で細身の体型によく似合う、シンプルなデザインの青いワンピースの寝巻きを着ている。

そして他の集まったメンバーも、それぞれみんな寝巻で集まっていた。

つまりこの最高意思決定会議は、会議とは名ばかりのパジャマパーティー女子会であった。


「あれ、幹ちゃん当番は?」


「今はシャノンの番ですけど、幹太さんが寝るのを見届けた後にこちらに来ると言ってましたね」


テンション高めのジュリア王妃の手前、由紀とアンナがヒソヒソ声で話す。

二人は日本にいた時から使っていた、ノースリーブとショートパンツという寝巻き姿だ。


「うちの子…来ないのかしら…?」


とソワソワと不安そうに扉を見つめる第二王妃ローラは、上下黒のよくあるパジャマタイプの寝巻きを着ていた。


「あの…私がシャノンさんと当番を代わってきたほうが…その、王妃様と同席って〜」


そのローラ王妃の隣には、いつもの寝巻きを着たソフィアが座っていた。


「大丈夫よ、ローラ!きっとシャノンはすぐに来るわ!

ソフィアちゃんはお客様なんだからゆっくりそこに座っていてね!

ということでまずはアンナっ!」


ジュリアはビシッとアンナを指差す。


「は、はい、お母様…」


「芹沢幹太さんでしたっけ?

あなたはその人に指輪を贈った。

ここまではオーケーね?」


「オ、オーケーです」


「それは婚約を受け入れて貰っているという事でいいのかしら?」


「え、えーと、それはまだ…ちゃんと聞いてないと言いますか…」


「指輪を渡したのにハッキリ聞いてないの?」


「その…なんというか…」


とそこで、返事に詰まるアンナを見兼ねたローラが助け船を出した。


「ジュリア、アンナちゃんもそんなに勢いよく聞かれたら困っちゃうわ。

まずは一回座って、落ち着いたらどうかしら?」


そう言ってローラはジュリアの手を引き、ソフィアと反対の自分の隣に座らせた。


「アンナちゃん、好きだって気持ちは伝えたのよね?」


「ええ、それは…まぁ…」


そのアンナの返事を聞いて驚いたのは由紀だった。


「えっ、本当に!アンナ、幹ちゃんに好きって言ったの!?いつ!?」


由紀はそう言って隣に座るアンナの両肩を掴んだ。


「えっと…確かサースフェー島で告白のような事を…って由紀さん!ち、力がすっごいっ!か、肩がっ!」


気づけば由紀の指がギリギリとアンナの肩に食い込んでいる。


「あ、あぁごめん、アンナ。

おもっきり肩を潰してやろうと…ううん、思わず力んじゃった♪てへっ♪」


「もうっ!幹太さんの事になるとたまに見境い無くなりますよね、由紀さん!」


「ごめん、ごめん」


その様子を遠目で見ていたソフィアは、二人のやり取りを見て若干引いていた。


『二人の背後になんだか恐ろしいオーラが見えますっ!

そのうち私もあの中に混ざらなければならないのでしょうか…?』


偶然とは言え、実は幹太とキスをしているソフィアが一番進んでいるのだが、当の本人はすっかりその事を忘れている。


「でもそっか、アンナ頑張ったんだね…」


「あの…すいません由紀さん。

なんだか抜けがけするみたいになってしまって」


「ううん、そんな事ないよ。

私がグズグズしてただけだから。

うん…そうだよね、私も…」


バタンッ!


と由紀が何かを言いかけた所で、小屋の扉が開きシャノンが中に入ってきた。


「はぁ、はぁっ!お、遅くなりました」


彼女はここまで走って来たらしく、ゼイゼイと荒く息を吐いている。


「大丈夫よ、シャノンちゃん。

まだお話は始まったばかりだから。はい、まずはお茶でも飲んで」


ローラが自分の娘にポットから入れたお茶を手渡す。


「ありがとう、母さん」


シャノンはそう言ってお茶を手に取り、アンナの隣に座った。

ジュリアはそれを見届け、コホンと咳払いをしてから仕切り直す。


「それじゃあアンナは自分の気持ちを伝えて、指輪も渡してあるけど、幹太さんに返事は聞いてないって事なのね?」


「は、はい、まぁそうですね」


「それで?この中で他に誰か幹太さんの事が好きな人は居るのかしら?」


ジュリアはなぜかニコニコしながらソフィアをガン見している。


『絶対バレてますぅ〜』


ソフィアは気まずそうに目を逸らしながら小さく手を挙げた。


「うん、もう隠しても仕方ないもんね」


由紀もそう言って、苦笑しながら手を挙げた。


「ま、まさか、シャノンちゃんも…?」


「わ、私は大丈夫よ、母さん」


シャノンはローラの質問になぜか少し焦って答える。


「うーん、そうね…どうしょうかしら…?」


ジュリアは考えた。

幸いアンナに許嫁は居ないので、その辺には問題はない。

国民に対してもアンナが指輪をしていない事など、よほどの王室マニアでもない限りまず気づかれないだろう。

あとは王族と平民との婚姻という問題だが、これもローラとトラヴィスという素晴らしい前例がある。


「まぁこのまま成り行きに任せましょう♪」


その他諸々も踏まえて、彼女の結論はそんなテキトーとも思えるものだった。

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