第48話 ブリッケンリッジ中央市場
それから数日後、
やっと熱も下がり、体調も回復した幹太はアンナにお願い事をしていた。
「私を市場に連れて行って下さい、王女様!お、お願いします!」
昨晩、王室付きの医者から外出を許可された幹太は、朝イチでアンナにそう言って頭を下げた。
「ふふっ♪もちろんですよ、幹太さん。
では今日は皆さんで市場に行きましょう」
幹太は頭を上げて、ホッした表情を浮かべた。
「あ〜良かったぁ〜。
実は寝てる間も市場が気になって仕方なかったんだよ♪」
「そうですね♪
私も、幹太さんよく我慢してるなぁ〜って思ってました」
「ははっ♪まぁかなり辛かったよ。あー本当に楽しみだ♪」
そしてその後の朝食の時、アンナがシャノン、由紀、ソフィアの三人の女性陣を誘って、全員で市場に行く事が決定した。
それぞれが一度部屋に戻り、準備が出来次第、王宮の正面玄関で集合するはずだったのだが、幹太以外のメンバーがいなかなかやって来ない。
「あれ、遅いな…?なんか時間とか決めてたんだっけ…?」
「おーい!幹ちゃーん!」
幹太がそんな風に思っていると、玄関ホール奥の階段を、由紀が弾むように降りて来た。
「ホイッホイッホーイっと。
ふぅ〜ゴメンね、幹ちゃん。お待たせしました」
由紀は日本にいる時と同じように、赤いショートパンツにアメリカのどこかの大学の黄色いジップアップパーカーを着ていた。
足元はスポーツ少女らしく素足に見えるソックスにスニーカーである。
「おう。アンナ達はまだ?」
「アンナとシャノンはすぐ来ると…、あっ来た!」
そう由紀に言われて、幹太が階段の方を見るとアンナとシャノンが玄関ホールに降りてくる途中であった。
「お待たせしましたー!」
「すいません。アナの部屋に寄っていたら遅くなってしまいました」
シャノンはいつもの黒と紫の軍服。
アンナは日本でよく着ていた、短いデニムのスカートに白のブラウス姿である。
「あ、アンナ?その格好で大丈夫なの?」
一国の姫のあまりのラフな格好に、思わず由紀がツッコミを入れた。
「私もいつもの外出着にして下さいと言ったのですが…」
アンナの後ろに立つシャノンも困り顔である。
「今日は姫でなく、姫屋の店員として市場にいきます!
だから絶対に王女とバレないようなお洋服で行くんです!」
アンナはそう言って腕を組み、むふぅ〜っ鼻から息を吐いた。
プリンセス改め、いち経営者のアンナは今回の市場の案内に相当気合いが入っていた。
とそこへ、
「お、お待たせしました〜」
と遅れてソフィアがやって来た。
ソフィアは幹太達が最初に出会った時と同じ、えんじ色のスカートを履き、上はボタン部分にヒラヒラのフリルが付いた紺色のブラウスを着ている。
「お、お部屋からここまで来る間に迷ってしまいましたぁ〜。
皆さん、申し訳ありません〜」
ソフィアはかなり慌てたらしく、顔は上気し、額と少し着崩れた胸元には汗がながれている。
『そ、ソフィアさんっ!やっぱりえんじ色が素敵っ!!』
その溢れ出る色気にヤラれた幹太は、思わず鼻の下を伸ばす。
「幹ちゃん...どこ見て…?あっ!幹ちゃん!!」
由紀がなぜか急にユルんだ幹太の目線を追っていくと、その先に色気満載のソフィアがいる事に気付いた。
「もうっ!油断も隙もないっ!
ソフィアさん、これ使って下さい」
由紀はソフィアにタオルを渡しつつ、自分の体で幹太の視線を遮った。
「全員揃いましたねー!ではいきましょー!」
しかし気合いの入りすぎているアンナは、そんな三人のやり取りにも全く気付かず、思い切り王宮の印の付いた馬車に向かって歩いていく。
「シャノン、あれじゃすぐにアンナって気付かれないか?」
「そう…ですね。すぐに気付かれると思います。
いつもお忍びで行こうとするのですが大概バレてますから…」
さすがにこのブリッケンリッジに住んでいる人達はアンナ王女の顔を知っている。
だけにアンナは町に出る時、いつも何かしらの変装をして行くのだが、天真爛漫な銀髪美少女という隠し難い特徴もあり、大抵はすぐに王女と気付かれてしまうのだ。
「でもそんなアナだからこそ、町の皆さんから好かれているのですけどね」
「ははっ♪そっか、確かに国民としてはあんなド天然なお姫様はほっとけなよなぁ〜♪」
「うん。それは私もアンナが日本にいる頃から思ってた」
「ほとんどのお店がアナを王女と分かっていないフリをして対応して下さいますからね。
確かにかなり愛されていますよ」
「皆さん、アンナさんが呼んでますよ〜」
ソフィアがそう言って、馬車で待つプリンセスそっちのけで話し込む三人に割って入った。
「皆さーん!早く!行きますよ!」
アンナはかなり豪華な装飾のされた馬車の窓から、顔を出して叫んでいる。
「おー!すまん!今行く!」
そうしてようやく五人は馬車に乗り、市場に向かって出発した。
馬車は王宮から真っ直ぐ伸びた大通りを、運河に突き当たるまで進み、商店の集まる運河沿いの道を下って行く。
「お、お店がすごく細かく分かれます〜。
金物屋さんと食器屋さんって、同じじゃダメなんでしょうか〜?」
ソフィアは店先にかけられた看板の数に目を回していた。
「そっか、ジャクソンケイブは商店と食堂だけって感じだったな…」
「確かに。お洋服とお野菜が一緒のお店で売ってましたね…」
「ソフィアさんは山の村出身なんだっけ?」
よく考えてみると、由紀はまだソフィアとゆっくり話した事がない。
「はい〜。バルドグラーセン山脈のジャクソンケイブという村から来ました〜」
「そうなんだ。山脈ねぇ〜、できたらこっちの世界に居るうちに、ソフィアさんの村にも行けたらいいなぁ〜」
「はい〜ぜひ来て下さい。
皆さんで作ったご当地ラーメンもありますから〜」
「そうだな、由紀とシャノンさんもいつか一緒に行こう」
「はい♪ぜひジャクソンケイブでご当地ラーメンをみんなで食べましょう♪
さぁ、皆さん!そろそろ市場が見えて来ましたよ〜!」
アンナにそう言われ、幹太が窓の外を見ると馬車の向かう先には、巨大な円形の建物があった。
外壁は地球のヨーロッパの町の様な石造りで、高い円形の壁の上は、傘の様な形の木材と布地でできた、大きな屋根で蓋がしてあった。
「す、すごい!大きさで言ったら日本と変わらないんじゃないかっ!?」
「…だね。少なくとも地元のスーパーよりは大きいよ、幹ちゃん」
馬車はそのまま市場前の広場まで進み、何台もの荷馬車の並ぶ市場の駐車場の様な場所に停まった。
「中はもっとすごいですよ〜♪
早速、いってみましょう」
四人はアンナに続いて馬車を降り、市場の正面にやって来た。
「これが我がジェルブルック王国が誇る、ブリッケンリッジ中央市場です!」
中央市場の入り口にある大きな看板の下で、アンナが誇らしげにそう言った。
「こ、これは中もすごいな…」
「うん。ごめん、こりゃスーパーマーケットどころじゃないね…」
異世界の日本から来た幹太と由紀は、雑然と果てしなく店が並ぶ市場の光景に圧倒されていた。
一般的な日本のスーパーや市場では、野菜や肉や魚などは各コーナーに分かれて売られているが、このブリッケンリッジ中央市場は、その様にきちんとした区分けはされていない。
どちらかと言えば地球のヨーロッパによくある、店先に商品を大量に並べて売る市場に近い。
「たぶんこの市場にいる人だけで、ジャクソンケイブの村人の数を越えてます〜」
ソフィアもこの市場のあまりの人の多さに圧倒されていた。
実際にここには、彼女の村の人口を大幅に越える数の人がいる。
「では中に入りましょう♪
シャノン、貴女は皆さんがはぐれて迷子にならない様に最後について来て下さい」
「分かりました。アナも迷子にならないで下さいね」
「わ、私はなりませんっ!それでは行きますよー!」
五人はアンナを先頭に、幹太、由紀、ソフィア、シャノンの順で市場の雑踏の中に入って行く。
あまりの人混みに、気づけばソフィアはシャノンの手を握っていた。
「す、すいませんシャノンさん〜」
「いえ、構いません。
ソフィアさん、由紀さんとも繋いであげて下さい」
「あっ、はい〜。では、そうしま…」
そう言ってソフィアは由紀と手を繋ごうとしたが、すでに彼女の手は誰かと繋がれていた。
『由紀さん…もう幹太さんと手を繋いでます〜』
幹太と由紀は市場の人混みに入る前に自然と手を繋いでいた。
これは二人が小さな頃、人混みの中へ行く時に二人が迷子にならぬよう由紀の両親が取り決めた事なのだが、幹太と由紀はそれが癖になってしまい、今だに人混みに入ると自然と手を繋いでしまうのだ。
「ソフィアさん、手を♪」
ソフィアが由紀と手を繋ぐのを躊躇していると、由紀が笑顔で空いた反対の手を差し伸べてきた。
由紀にとっては人混みで手を繋ぐのはそれほど当たり前の事だったのだ。
「はい♪ありがとうございます〜♪」
そうしてアンナを先頭にして、四人は狭い隙間を手を繋ぎ、縦に並んで進んで行く。
「これは食材の宝庫だな…」
「えぇ、この国にあるほぼ全ての食材はここで揃います。
お祖父様が人々を元気にするにはまず食べ物だ!とおっしゃって作られた市場なのですが…今だにこの市場だけは活気に満ち溢れていますね…」
「そっか、さすがはアンナのおじいさんって感じ…あっ!アンナ!あっちにデカい肉屋がある!」
「あっ、ちょ、か、幹太さん!」
幹太は空いた片方の手でアンナの手首を掴み、残りの全員も引きずって肉屋の方へズンズン進んで行く。
「さ、最高だ…」
「もー、幹ちゃん!みんな人にぶつかりまくりだったんだよ!」
「うん…ごめん。
でも、肉が…肉がすごいんだよ…」
由紀の抗議もほぼ耳に入らず、幹太は肉屋に魅入ってしまっていた。
「うーん、たぶん同じ部位の肉でも、色々な種類の豚や鶏の物があるみたいだ…」
「えっと…幹太さん、正解です。
しかも産地やどれがどの料理に合うのかも書かれています」
アンナも幹太の隣でフムフムと値札に書かれた説明書きを読んでいる。
「あっ、これ!ジャクソンケイブのキャベツです!」
ソフィアが肉屋から細い通路を挟んだ向かいの八百屋で、キャベツを手に取りながら言った。
「どうやってこんな新鮮な状態で…?」
ソフィアが持つキャベツはまるで今朝採ってきたようなみずみずしさだった。
「どうでしょう…?馬車の荷台を魔法で冷やしながら夜通し走ったのではないでしょうか?」
そう言ってシャノンがキャベツの隣に置いてあったトマトらしき実を手に取り、値札に書かれた産地を見てみると、ジャクソンケイブよりさらに離れた土地の物だった。
「果物もいっぱいあるね〜♪」
由紀は八百屋の裏側にある、果物コーナーに居た。
林檎だけでも色とりどりに数種類が置かれていた。
「うーん、豚骨も何種類かある…。
さすがに豚の種類の違いでスープにどんな差がでるかまではやった事ないな」
「ええ、豚骨についての説明もそこまでは書かれていませんね」
「よし、とりあえず肉屋は分かった。つぎは隣の野菜を見てみよう!」
「はい!行きましょう!」
幹太とアンナはそう言って肉屋を離れ、一足先に八百屋を見ていたソフィア達と合流する。
そしてその後、食材の物色を終えた幹太達一行は、市場の隅にある調理器具の店に来ていた。
「中華鍋が欲しいんだけど…やっぱりないかなぁ〜?」
「そういえば痛んでましたっけ?」
「うん。まだしばらくは大丈夫だけど…そろそろ新しいの見つけとかないとって感じだな」
一見、金属製で丈夫に見える中華鍋も、飲食店で使う場合は一年で数個がダメになる。
毎日鍋を振っている内に、取っ手と鍋の継ぎ目にヒビが入り、最終的には折れてしまうのだ。
大抵の場合は鍋で食材を炒めている時に折れるので、幹太はヒビを見つけたらすぐに交換する事にしていた。
「同じ感じの鍋はあるけど、これは広東鍋なんだよなぁ〜」
広東鍋とは鍋の両側にコの字型の取っ手が付いている中華鍋だ。
幹太が姫屋で使っているのは棒状の取っ手が付いた、北京鍋と言うタイプの中華鍋だった。
「ちょっと聞いてみましょう。
すいませ〜ん、お店の方は…」
アンナは広東鍋を持って店の奥へと入っていき、店主に色々と説明している。
店内が狭いため、残りの四人は遠巻きにその様子を眺めていた。
「シャノン、あの店主、冷や汗かいてないか…?」
「え、えぇ、そうですね。
あれは完全にアナの正体に気付いてます」
「あ〜そりゃいきなりお姫様が自分のお店に来たら焦るねぇ」
「アンナさん、思いっきり銀髪が見えています〜」
しばらく経って、店主との話を終えたアンナが笑顔で四人の元に帰ってくる。
「幹太さん!やりました!北京鍋を作ってくれるそうです!」
「あ、あぁ、ありがとう、アンナ。助かったよ」
それはそうだろう。
自分の国のお姫様が、そのような鍋を御所望なのだ。
店主もあらゆる手を尽くして制作するはずだ。
「ア、アンナっていつもこうなのか…?」
幹太が隣に立つシャノンにヒソヒソ声で聞く。
「はい…ほとんどのお店で破格のサービスを受けてます…」
シャノンはハァ〜とため息を吐きなからそう幹太に答えた。
「これで姫屋の鍋は安心ですっ♪」
そんな事とはつゆ知らず、プリンセスアンナはとてもご機嫌であった。
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