第27話 救出作戦

翌朝、


「ふぁ〜。ん〜?なんだこの音?」


御者台の上で寝ていた幹太が目を覚ますと、キッチンワゴンの後ろ側からガサゴソと音が聞こえた。


「アンナかな…?」


幹太は荷台から聞こえくるのかと思い、幌を開けて中を覗く。


「し〜です、幹太さん…。静かにこっちに来てください…」


ワゴンの中ではアンナもすでに起きていて、荷台の一番後ろで口元に指を立てて幹太を呼んでいた。

幹太は言われた通り、静かに御者台から荷台の一番後ろまで移動し、アンナの隣にやってくる。


「…おはよう、アンナ。どうかした?」


「…おはようございます幹太さん。

ちょっと外を見て下さい。気をつけて…静かにですよ…」


そうヒソヒソ声で言われた幹太は、アンナのそばに顔を寄せて、幌の隙間から外を覗いてみた。


ガサッガサ!

バリッ!ガッ、ガリッ!


外では大きな黒い影が、あらかじめ外に置いてあった食材を漁っていた。


「ありゃ熊だ…。それもかなり大きい」


幹太は大声を出しそうになるのを必死に堪えてそう言った。


「昨日の夜、幹太さんが食べ物を外に出したのは、これが理由だったんですか?」


そう言うアンナの表情も青ざめている。


「うん、そうだよ。やっといて良かった…」


昨晩、色々と落ち着いた幹太が帰ってきてまず始めたのは、持っている食材を全てワゴンの外に出すことだった。

幹太は中学生の頃、子供達だけのサマーキャンプで北海道に行った事があった。


森の中でテント泊する時に現地ガイドのお兄さんが、


「熊が来るから絶対にテントに食べ物を入れちゃだめだぞ!」


と幹太達に言っていたのだ。


幹太は巨木の森の風景からそのサマーキャンプを思い出し、いざという時のために食材や食料を外に出しておくことにしたのだ。


「とりあえず…このまま自然に居なくなるまで待とう」


「はひ…それしかありませんね…」


それからしばらくの間は、二人にとって生きた心地のしない時間が続いた。


「あっ、やっと気が済んだみたいだ…」


「本当です…」


熊は一通りの食料を食べ終えて、その残骸の周りをグルグルと歩き回った後、森の中に去っていく。


「ふ〜、びっくりしましたね、幹太さん。」


一先ずホッとしたアンナが、そう言いつつ幹太の方を見ると、間近に同じく振り向いた彼の顔があった。


「ご、ごめん!」


「す、すいません!」


とお互い謝りながらパッと離れて、二人は反対を向きなからモジモジする。

実は先ほどまで、アンナはしゃがんで外を見る幹太の上にのしかかり、肩に頭を乗せるような形で幌の隙間を覗いていた。

あまりの緊迫した状況に、お互いがそんなに接近していることに気がついていなかったのだ。


『い、いかん!昨日ことを思い出してしまった!』


『き、昨日の事を思い出してしまいました!』


幹太の脳裏に昨晩のアンナの柔らかな感触が蘇る。

アンナもアンナで、裸の状態で幹太に力強く抱き抱えられたのを思い出してしまっていた。


「ま、まぁとりあえずしばらくは馬車の中で静かにしていよう。

まだ近くにいるかもしれないからな…」


「そ、そうですね。しばらくは静かにしていましょう」


二人はお互いに顔を赤くしながらそう言って、その後、動悸が収まるまでとても静かに過ごす事になった。


「あー、こりゃ酷いな…」


「ですね…」


しばらくして、動悸が落ち着いた幹太とアンナが熊が食材を漁っていた辺りに行ってみると、周りには豚骨や鶏ガラが散乱していた。


「ん〜、クーラーボックスは手付かずみたいだな。

もしかして、匂いが漏れてないから分からなかったのかな?」


「そうですかね?でも、スープの材料は全滅みたいです…」


アンナはしゃがんで、熊の齧った鶏ガラを指でつまみながら言った。


「とりあえずは前に仕込んだ分があるから、次の町に着いて営業する分は大丈夫なんだけど…」


「えぇ。念のために泉で冷やしておいて良かったですね」


「まぁとりあえずはこの惨状をどうにかしちまうか」


「はい!お片付け頑張っていきましょう!」


幹太とアンナは、散乱する食材を使える物と使えない物に仕分けて、再び馬車に積み込む。

二人は二時間程かかって全ての作業を終え、昨日の泉に離しておいた馬を馬車に繋いだ。


「ふぅ〜、では幹太さん、出発しますよ」


「うん、よろしくお願いします。」


アンナが手綱を叩くと、馬車はゆっくりと進み始めた。

それからしばらくの間、馬車は昨日と同じ巨木の森の中を走って行く。

相変わらずの幻想的な風景を、興味深く眺めていた幹太が、ふとアンナに話しかけた。


「アンナ、今日行くストラットンってどんな町なんだ?」


町に向かう一本道をほぼ馬任せで馬車を走らせていたアンナは、幹太の方に向いて得意げに答える。


「ストラットンはクレイグ公国とシェルブルック王国の国境の町ですね。

フットの町と同じく交通の要所なんですが、フットよりもストラットンの方がとっても大きい町です。

ですからたくさん人がいると思いますよ。

あとは…そうですね、町の真ん中が国境なので、こちらからだと町の入り口はクレイグ公国、出口はもうシェルブルック王国になります」


「おー大きい町か〜。そりゃ楽しみだ。

しっかし、やっとシェルブルック王国に入るのかぁ〜。

さすがに自分の国に入れば、アンナの顔を知っている人がいるかもな」


「それなんですけど…。私、一度だけストラットンに来たのがすっごく小さな頃だったんです。

それに、ビクトリアお姉様が一緒だったので、王女として私の印象は薄かったかもしれなくて…」


「そっ、そっか、まぁあれだっ!

で、できたら俺も最後までアンナと旅を続けたいからなぁ〜。

お、俺にとっちゃバレない方が都合がいいかもしれないな〜」


と、幹太は必死でフォローするが、アンナの目からはだんだんと生気が失われていく。

最近のアンナは、王女がらみの話になると急激に自信を失うのだ。


「ア、アンナが一緒じゃなかったら絶対にこんな素敵な旅にはならなかったと思うよ…」


気がつけば、幹太は後先考えずにそんな事を言ってしまっていた。

そんな幹太の言葉を聞いて、それまで俯いていたアンナがガバッと顔を上げ、力強く彼の手を握った。


「幹太さん、分かりました!

王女だなんだはとりあえず置いておいて、二人で旅を続けましょう!」


そう言うアンナの目には力が蘇り、キラキラと輝いている。


「お、おう!まぁお父さんの事もあるから、なるべく早く王都に着くようにしないとだけど」


アンナの急接近に照れた幹太がそう言うと、アンナは急にポカンとした表情になる。


「えっとお父様…?お父様がどう…?

あっ!あ〜はいはい!そうそうお父様!アンナ、すっごい心配ですっ!」


そう、この王女は完全にこの世界に帰って来た理由を忘れていた。


「さぁ幹太さん、森を抜けますよ!」


アンナがそう言って指を指す先には、広大な牧草地が広がっていた。

民家は見当たらないが、所々に小川が流れ、小さな橋が架かっていた。


「おー!意外と早かったな!」


「昨日の内にずいぶん進みましたからね。

向こうにはもうストラットンの町が見えていますよ〜♪」


「おぉ、ホントだ。この分だと昼過ぎには着くかも…って、あれ?」


幹太は一直線に町に向かう街道の手前に、何かが止まっているのを見つける。

二人がそのまま街道を進んでいくと、徐々にそれが何だか分かってきた。


「アンナ、馬車だ。たぶん脱輪してる…」


「はい。動けなそうです」


それは二人の馬車とは違い、幌の無いタイプの荷馬車であった。

車輪の片方が路肩から落ち、見るからに牧草地側へ大きく傾いている。


「こりゃ、とりあえず助けてあげないと」


「ですね」


と、アンナが馬車の速度を落とそうとしたところで、脱輪する馬車の裏側から大きな影が飛び出した。


「アンナっ!さっきの熊だ!」


「っ!!」


いち早く先ほどの熊だと気付いた幹太がそう叫び、アンナはその声に素早く反応して手綱を打って馬車のスピードを上げた。

二人の馬車は猛スピードで脱輪した馬車の横をすり抜ける。


「おいっ!ウソだろっ!?」


だが、二台の馬車がすれ違う瞬間、幹太は傾く馬車の荷台に人影を見た。

その人影は、熊から精一杯離れるように荷台の隅で怯えている。


「アンナ…荷台に人がいた…」


その信じられない光景に幹太の声は震えていた。


「そんなっ!?幹太さんっ!どうしましょう!?」


アンナも顔面蒼白でそう叫ぶ。

それを聞いた幹太は一瞬だけ考えた。


『アンナの無事王都に届けるのが一番だ…、

けど…ここであの人を見捨てたら、たぶん二人とも一生後悔する!』


そして幹太は、隣で手綱を握るアンナに向かって言った。


「アンナ…俺はあの人を助けたい。

アンナはどうだ?」


「もちろん!助けましょう!」


アンナは即答した。

その表情はすでに覚悟を決めたものに変わっている。

アンナ・バーンサイドは王女なのだ。

他国だろうが、命の危機が迫る人間を見捨てる事などできない。


「よし!とりあえず引き返さなきゃ!」


「はい!」


アンナはしばらく真っ直ぐ進み、広くなった場所に馬車を止めて方向転換をする。

その間に幹太は野生の熊と対峙する方法を考える。


『いくらなんでも調理器具じゃ熊に太刀打ちできない。

ん〜どうすりゃいいかな…?

待てよ…うちで一番危険な物って…そうだ!』


幹太は今までラーメン屋をやっていて、一番危険だった体験を思い出した。


「アンナ、俺は後ろで準備するから、あの馬車に近付いたら声かけてくれ!」


何かを思いついた幹太は、そう言って御者台から転がり込むように荷台に入った。

彼はすぐさま立ち上がり、火を使うために側面の幌を巻き上げる。


「とりあえず寸胴鍋を火にかけて…あとはこれだっ!」


幹太は火をにかけた寸胴鍋に、中華用の大きなお玉で固形のラードを掬って入れる。

鍋の中で強力な火力に晒されたラードはあっという間に液体になり、さらにはふつふつと泡立ち始めた。


「まさかこんな経験が役に立つなんてな…」


幹太は過去に溶かしたラードをひっくり返して、足に大火傷を負った事があったのだ。

そしてその傷跡は、いまだに消えていない。


「これで良し!あとはタイミングだけだ!

アンナー!馬車との距離はどうだー!?」


「はいっ!あと少しです!」


幹太は前方の幌から顔を出して、熊に襲われている馬車の方を見た。

熊は暴れる馬車の馬を襲うのを諦め、荷台の方へ向かっていた。


「ヤバい…あんまり時間がないな。

アンナ!馬車を通り過ぎた所で止めてくれ!

危ないから、いざって言う時は俺に構わず馬車を走らせるんだ!」


「はい!やってみます!」


アンナは必死な表情で手綱を握っている。

そして二人が話している間にも、グングンと二台の馬車の距離は縮まっていった。

幹太はすでに屋台の方に戻り、馬車の止まる時を待っている。


「できる!アンナやりますっ!いまっ!ここですー!」


アンナはここぞと思ったタイミングで思いっきり手綱を引く。


ゴガガッ!ガー!


ものすごい音と共に、姫屋の馬車は急停車した。

荷台にいた幹太は、その衝撃に耐えてすぐに立ち上がり、寸胴鍋の中のグラグラと煮立ったラードを柄杓で掬う。


「よっしゃー!やったらー!」


と、ヤケクソ気味の幹太が馬車の後方から外へ飛びだそうとした時、


ウゥ、ガルゥ…。


と真横から唸り声がした。


「マ、マジで…?」


幹太がゆっくりと顔だけでそちらを確認すると、屋台のカウンターを隔てた馬車の側面に熊の顔が見えている。


「オゥ、マイ…」


ガルゥ…。


一瞬、双方共に何が起こったのか理解できず、幹太と熊はピタリと動きを止めて見つめ合う。


「幹太さーん!すいませーん!真横で止まってしまいました!」


しかし、そんなアンナの声に反応した幹太が一瞬早く動き出した。


「すまんっ!」


そう叫びながら、幹太は熊の顔に煮えたぎったラードをぶっかける。


グァー!ガァー!


と吠えながら、熊は冷えていくラードで頭部を真っ白に染めてのたうち回った。


「よし!今だ!」


幹太は屋台のカウンターを飛び越えて脱輪した馬車の荷台に乗り、震える女性をお得意のファイアーマンズキャリーで抱えて自分達の馬車に戻ってきた。


「うおおー!そーりゃ!」


彼はそのまま荷台の後ろに飛び込む。


「アンナー!」


「はい!行きます!」


アンナはすぐさま手綱を打ち、全速力でその場を離れた。


「ふぅ〜、この辺まで来れば大丈夫でしょう」


しばらくそのまま街道を進み、危険がなくなったのを確認したアンナは馬車を止めた。


「幹太さんっ!大丈夫です…か?」


そう言ってアンナが荷台を覗き込むと、そこには先ほどの女性のスカートに頭を突っ込んで、もがいている幹太の姿があった。


「これどうなってんだ!?なんも見えないっ!なんか柔らかくていい香りがっ!?」


中で幹太が暴れるたびに、女性の長いえんじ色のスカートがボコボコと動く。


「あ、あんっ、だめっ…息が大事なところに…」


幹太に頭を突っ込まれた女性の方もスカートを押さえつつ、なんだか扇情的に身体をビクビクとさせている。


アンナは呆気にとられて一瞬ポケっとその光景を眺めた後、


「もー!幹太さん!またですか!」


と先ほどまで心配も忘れて、思いっきり幹太に怒鳴った。


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