第25話 黒と赤
「わ、私っ!本当に目が回りそうですっ!」
「が、がんばれっ!アンナ!」
アンナは今まさに忙しくて目が回るという言葉通りの状況であった。
チャーシューが放つ魅惑の香りにやられた大勢の人々は、最初こそ遠巻きに屋台を見ていてなかなか店に入らなかったが、次第に一人、又一人と姫屋の屋台の前に注文にやって来た。
「アンナ!麺、四つ上がったよ!よろしくお願い!」
「はい!」
開店してしばらく経った今となっては、屋台の前に行列ができるほどである。
「こりゃフードコート方式にして正解だったな!」
「はい!それでもギリギリですっ!」
幹太はラークスにいた時、これからアンナと二人で屋台を営業するやり方を考えなおすことにした。
まず屋台の店先で注文を取り、そのままお客にラーメンの出来上がりを待ってもらう。
そして、完成したラーメンを自分で席に持って行ってもらうという、フードコート方式で姫屋を営業することにした。
もちろん、食事を終えた食器も同様に屋台に返してもらう。
「戸惑う人はいないみたいだな」
「えぇ!一応、同じ方式の屋台もありますから!」
念のため、アンナに注文方式の説明を書いた看板を作ってもらったのだが、それほど心配は要らなかったようだ?
昨日まで、幹太はこれでアンナと二人でも店を回せると踏んでいた。
「う〜ん、こりゃなんとか間に合っている感じだな」
「は、はい!でも一向に列は減りません!」
アンナは額に汗をかきながら、ラーメンにチャーシューを乗せている。
「いや、今回のスープとチャーシューはかなり相性が良かったから予想はしてたんだが…」
「試食の時から美味しかったですからね〜。
はい!お待たせしましたー!姫屋チャーシュー麺です!」
とアンナが大声でお客を呼び、トレーに載せたラーメンをカウンターから出した。
「おっ!やっときた!」
待ちきれないといった表情で待っていたお客の前に出されたのは、厚めに切ったチャーシュー四枚と茹でたほうれん草、そして仕上げのきざみネギが乗った黒いスープのチャーシュー麺であった。
「こりゃ美味そうだ!」
お客さんはニコニコしながら、ラーメンを受け取ってテーブルに向かって歩いて行く。
今回の幹太のラーメンスープは、基本的に鳥と豚骨のミックススープだ。
鶏ガラは前回のパーコー麺と同様に足も含めて丸ごと使っている。
そして豚骨は、よく使われるゲンコツと呼ばれる豚の足の上側の部位だけでなく、足の下側の骨も使ってダシをとっていた。
『今回はチャーシュー麺だから醤油味の少し濃いめスープで行こう!』
アンナと二人、ラークスの市場にチャーシュー用の豚肉を仕入れに行く途中でそう思い付いた幹太は、肉屋の主人に豚骨も扱っていないかと聞いた。
「あるよ。あんまり売れないから裏にしまってんだ。」
肉屋の主人はそう言って、店の裏に豚骨を取りに行った。
アンナはそれを見計らい、幹太の袖をクイクイと引いて聞いた。
「幹太さん、確か日本の屋台でやっていたラーメンも豚骨を使ってましたよね?
今回は同じスープをつくるんですか?」
「う〜ん、全部一緒じゃないけど似たようなものかな。
今回のラーメンには鶏ガラだけだとサッパリし過ぎだし、豚骨だけだとチャーシュー麺にはしつこすぎる。だから鶏ガラが六割、豚骨が四割って感じでいこうと思ってるんだ」
店主の言う通りこの世界ではあまり豚骨の需要がないらしく、幹太はほぼ捨て値で手に入れた。
「後は醤油とグルタミンがあるからタレも大丈夫そうだし、これでなんとかなるかな…」
市場からの帰り道、すでに幹太の中では次のスープのイメージが出来上がってきていた。
ラーメンのスープは、様々な物から出汁を取ったベースのスープと、それぞれのどんぶりに入れるタレの二つから構成されている。
そのタレの違いで醤油、塩、味噌など、ラーメンの味の種類が変わるのだ。
「ん〜と、チャーシューの味に負けないタレにしないとダメなんだよな」
幹太は昨日、宿に帰ってすぐタレを作り始めた。
「えっと、昆布はどこだったかな…。
おっ!あったあった」
「最初は昆布だけなんですか…?」
幹太のそばで仕込みを見ていたアンナが聞いた。
「うん。色の濃さをみたいんだよ」
まずは昆布を使って出汁をとる。
醤油ダレに使うため、かなり濃く取るのがポイントだ。
「これにチャーシューのタレと同じ分量の醤油と酒をよく混ぜてっと。
あとはこれも入れてみるか…。
ただ俺…これの仕込み苦手なんだよな…」
幹太はそう言って、一枚のプルプルとした白い板状の物を取り出した。
「か、幹太さん?な、なんですか、それ?
ちょっと見た目は美味しそうじゃないですけど…?」
「そうだなぁ〜仕込む前はちょっとグロいよな。
あー!もう、しょうがない!背脂取りますか!」
そう、これは豚の背脂である。
幹太はそれをいくつかの冊に切り分けて、宿の外にセッティングした鍋とコンロの中に入れて火をつけた。
「うわっ!やっぱり強烈だ!」
「く、臭っ!臭いですっ!」
背脂はその仕込み中に強烈な匂いを放つ。
いくら外でやっているとはいえ、幹太とアンナはその匂いから逃れられない。
「あー匂いに酔いそうだ」
「ちょ、ちょっと気持ちわるいです…」
幹太は日本で屋台をやっている頃から、この匂いが最高に苦手だった。
「そろそろかなぁ〜?」
しばらく経って、幹太が匂いに耐えつつ鍋の中を覗いてみると透明な油の中に白い粒が浮いていた。
「うん。まぁ、こんなもんかな」
それを網で掬って濾せば背脂の仕込みは完成である。
「あんまり入れ過ぎないようにしないと…」
幹太は慎重に完成した背脂を醤油のタレに混ぜていく。
よく見てみないと、出来上がったタレに背脂が入っていると分からないぐらいの分量だ。
そうして最後に幹太は完成したタレの味見をする。
「よし!これで大丈夫。今回のスープはこれでいこう」
「はい♪」
こうして姫屋チャーシュー麺のスープは完成したのだ。
「私、完成したラーメンを見た時はスープが真っ黒で驚きました!」
アンナは目まぐるしく手を動かしながら幹太に言った。
「ははっ♪そうだな。今回はスープも透き通ってないし、タレも濃いから本当に真っ黒だもんな」
「不思議ですね〜。あれだけ濃いのに、私、全部食べちゃいました」
「まぁさすがに食べすぎ注意だけどな。
たまに食べるラーメンならこれは最高だよ」
そう話しながら、幹太とアンナはチャーシュー麺を食べているお客さんの方へ目を向けた。
そこには、
「なんだこれは…、こんな物食べた事がないぞ!」
「この上に載った豚肉から流れる油とスープの塩っからさが合わさって本当に美味い」
「この黄色い麺はなんだ?食感が今まで食べてきた麺類と全然違う、歯ごたえが最高だ」
などと言いながら、額に汗をかき、一心不乱にチャーシュー麺を食べるお客さんの姿があった。
「しゃっ!やったな!アンナ!」
「はい♪幹太さん♪」
二人は笑顔で向かい合い、パンっとハイタッチしてすぐに調理に戻った。
その後も幹太とアンナは、会話する暇もなくチャーシュー麺を作り続ける。
「アンナ!これでラストだ!」
しばらく経って、そんな怒涛の時間に終わりが訪れた。
「はーい!了解です。
すいませ〜ん!次のお客様で最後になりま〜す!」
アンナは大声でまだ列に残る人達に謝った。
「あぁ、もう少しだったのに…」
「なんだよ〜残念。仕方ない、他行くか…」
などと言い残して、お客は残念そうに帰っていく。
幹太はそんな彼らの背中に向かって、
「本当に申し訳ありませんでしたー!」
と重ねてお詫びをした。
「「ありがとうございましたー!」」
最後のお客を見送り、アンナが暖簾を外した後、二人は屋台のテーブルに並んで座ってやっと一息ついた。
「いやぁ〜スープと麺を少なめに仕込んで正解だったよ。
あれがずっと続いてたら、たぶんもう店が回らなかったな」
そう言って、幹太は額の汗をタオルで拭う。
「ですね〜。後半のお客さんは少し待たせてしまいましたからね。
本当に限界だった気がします」
アンナの方も汗だくになりながら、クーラーボックスから取り出した水をコップに入れて、ガブガブと飲んでいる。
幹太は初めのうち、
『美味しそうな水飲んでんな〜アンナ…』
と思ってボーッとアンナを見ていたが、視線を彼女の口から少し下げたところでビキッと彼の表情が固まる。
『アンナさん!赤って!』
喉から流れる水と仕事の汗で、アンナの白いシャツから赤い下着が透けていた。
仕事中はエプロンを着けているので、誰からも見えていなかったのだ。
『はっ!いかんっ!
周りに人は……よし、いない。
とりあえず他の人に見られてなくて良かった』
なぜ自分だけオッケーなのか分からないが、幹太はとにかくそう思った。
彼はそのまま視線を逸らすことができず、水を飲むごとに上下するアンナの胸元を見つめてしまっていた。
「幹太さん?お水飲まないんですか?」
「はんっ!?な、なんだって?」
アンナにそう言われ、幹太はやっと視線をテーブルに移す。
幹太の目の前には、アンナが飲んでいる物と同じ氷の入った水のコップが置いてあった。
アンナの透けブラに気を取られすぎて、今までコップの存在に気付いていなかったのた。
「あ、ありがとう、いただくよ。」
幹太はそう言って水を飲みつつそっぽを向いた。
『幹太さん、なんか様子がおかしいような…?』
アンナはさっきまでボーッと自分の方を見ていた幹太が、急にそっぽを向いた事を不思議に思っていた。
『顔も赤いですし…もしかして熱中症?
でもさっきまで私を見ていたような…?』
アンナが先ほどまで幹太の視線が止まっていた自分の顔の少し下を見てみた。
『あら?なんだか…赤っ!やだっ!ブラが透けちゃってる!』
アンナは幹太が何に目を奪われていかを理解した。
『は、恥ずかしいですっ!ぜんぜん気がつきませんでしで!
でも、でも!ルナさん!今回も効果的面ですよー!』
アンナは再び心の中でサースフェーの師匠に向けて叫んだ。
もちろんこれも、宿屋の女将ルナの作戦の一つであった。
「アンナちゃんは肌が綺麗だから下着は赤でいきな!
でもいいかい、一気に全部見せちゃダメだよ。
あんたがしっかり働いていれば自然に男の目に入る。
男はバカだからね、チラッと見えると下着に必ず目がいくんだ」
アンナはアドバイスを聞いた後、すぐに幹太の仕込み中にリンネと買い物に行き、赤だけではなく黒など様々な色の下着数点を手に入れていた。
「アンナお姉ちゃん、オトナだ…」
ちなみにその時、買い物に付き合ったリンネがそう思っていた事にアンナは気付いていない。
『は、恥ずかしいですけど、ここはちょっぴり攻めどきかもです♪』
そう思ったアンナは立ち上がり、わざと幹太に近づいてコップを取った。
横から幹太に抱きつくようにコップを取ったため、アンナの体の正面が彼の方に向いている。
『か、顔から火が出そうですっ!』
アンナの思惑通り、再び吸い寄せられるように幹太の視線が彼女の胸元に向いた。
「かかか、幹太さん、お水、おか、お代わり持ってきますね」
恥ずかしさの限界と戦いながら、アンナは真っ赤な顔でそう言って幹太から離れた。
「う、うん。あ、ありがとう、アンナ」
同じく、そう返事する幹太の顔も真っ赤であった。
その後、しばらくして二人は屋台の片付けを再開した。
「やっぱり結構どんぶりが残ってるなぁ〜」
台拭きをかける幹太の目の前のテーブルの端に、ラーメンのどんぶりが重ねて置いてある。
「はい、お店のテーブル以外の所にも置いてありました。」
「なんか対策を考えないとな。
とりあえず次回からはラーメンを渡す所にも注意書きをしておこう。」
こちらの世界の屋台は基本的に食べ終えた食器はテーブルに残したままで良い店が多い。
地球のフードコート方式が浸透するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「でもラーメン自体のウケは悪くなかったみたいだな」
「はい♪美味しいって言ってくれる人がたくさんいました♪」
アンナはニコニコしながら、幹太の向かいでテーブルを拭いている。
彼女は汚れ防止と恥ずかしさ回避の為、再びエプロンを付けて片付けをしていた。
「ただなぁ、このままだと人手不足になりそうなんだよなぁ」
「ですねぇ〜。正直、お会計だけでも誰かに手伝ってもらえたらなって思いました」
「リンネちゃんがいればなぁ〜」
「えぇ。リンネちゃんは完璧でしたね〜」
二人の頭の中には、笑顔でチャキチャキと働くリンネの姿が浮かんでいた。
しかし、現実として旅の途中の二人が固定の店員を雇うことは難しい。
「まぁそれは追い追い考えるとして、とりあえずはこのスープと麺の量でやってみよう」
「はい♪アンナ頑張ります!」
「よーし!んじゃサッサと片付けちゃおう!」
「おー!」
二人はテキパキと後片付けをして、すぐに屋台は普通の馬車の形に戻った。
ラーメンを早く売り切ってしまったこともあり、時間はまだ夕方前だった。
「ん〜と幹太さん、どちらのルートでも暗くなってからの移動にはリスクがあります。
今日はこの町に泊まっていくのはどうでしょうか?」
アンナの言う様に、この世界の道路事情では夜の移動はまだまだ危険であった。
「うん。賛成、賛成。
実は俺も、体力的にこれからの移動は辛いなって思ってたんだよ。
できれば明日以降の仕込みもしておきたいしね」
「では、是非そうしましょう♪」
「うん。そうと決まればまずは宿屋を探してっと…後は…そうだ!今日は売り切れ祝いで美味いもんを食べよう!」
幹太はそう言って、アンナの方へ振り返って片膝ついた。
そして、
「今晩は何がご所望ですか?プリンセス・アンナ」
とアンナに聞いた。
「ふふっ♪じゃあ私…んー違いますね。」
アンナはコホンと咳払いをして仕切り直す。
「では、わたくしは牛串を所望します。
幹太、すぐに連れていきなさい。」
「はい。あなたのお望みままにプリンセス」
と、二人はおどけた寸劇をした後、まずは宿屋を探すために町の中心に向かって馬車を進めた。
一見、何事も無かったかのように御者台に座ったアンナは内心、
『やっばっ!幹太さんのプリンセス呼びの破壊力やっばっ!
ってゆーか私、幹太って呼び捨てにしたの初めてでーす♪』
とめちゃくちゃテンションが上がっていた。
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