第17話 突破口

幹太がルナにお説教をされていた頃、宿を飛び出したアンナは、こちらの世界に転送された時に着いた砂浜にいた。


「はぁ、はぁ…こ、こんな所まで走ってきてしまいました…」


アンナは突然の幹太の態度に動揺して、思わず宿を飛び出してしまったものの、ここまで来る間にだいぶ落ち着きを取り戻していた。

先ほどまで流していた涙もすでに止まっている。


「あぁ…また幹太さんに心配をかけてしまいますね…」


アンナは砂浜に腰を下ろした。


「これからどうしましょうかね…」


そう呟いて、顔を上げ海を見てみると、灰色に見える砂浜の先には濃紺の海があり、そこに月明かりが一本の光の筋を作っていた。


「…綺麗」


アンナは自然にそう呟いていた。


「幹太さんは本気で怒鳴ったわけではないのに…」


幹太が思いがけず、強い口調で言ってしまったことはアンナにも分かっていた。


「幹太さん、ずっとお疲れでした…」


自分のために昼間は漁港で屋台を出し、夜にはラーメンの改良をする。

毎日、毎日、心も身体も休まることがない。

そんな疲れきった時に、つい口をついて出てしまった言葉だったのは重々承知していた。


「謝らないといけませんね…」


自分は幹太の助けになっていない。

アンナがそう思うのは、この島に来てから何度目だろう。


「幹太さんの世界にいた時からずっとお世話になりっぱなしでしたからね。

私、もう見放されてもしょうがないのに…」


それでも幹太は自分を見放さない人だと、アンナは確信している。

それがたとえ自分以外の人間であっても、彼はそうするだろう事も分かっていた。


「どうすればいいのでしょう…?

島の役所に駆け込んで私はアンナ王女だと言ってみますか…」


しかし、王女だと言っても証明するものがなかった。

幹太に送った指輪の柄は、王家特有のものではあるが、自国でもそれ知っている国民は少ない。

それ以前に自分の身分を使ってこの場を切り抜けようとする行為は、いままでの幹太の努力を裏切ることになるのだ。


「…やはりこれは二人で乗り越えるべき障害ですね。

大き壁を乗り越えれば自然と二人の距離は縮まっていくはず…。

いいえ!今はそれどころではないのです!」


そんな若干の妄想が始まるほど、アンナは落ち着いてきていた。


「さて、本当にこれからどうしましょう?

何も考えずに飛び出してきてしまいましたからね…。

とりあえず、ご心配をかけた皆さんにどうやって謝るか考えながら帰ることにしましょう」


アンナはパンパンとお尻に付いた砂を払いながら立ち上がった。


と、その時、


「もしかしてアンナちゃんかな?」


と背後から男性の声がかかった。

アンナがそちらへ振り向くと、明かりで自分を照らす大きな人影が見える。


『まさか誘拐…?いま名前を…あっ!』


アンナは少しだけ身構えたが、その隣にある小さな影を見て、フッと身体の力を抜いた。


「あっ、やっぱりアンナお姉ちゃんだ!」


男の隣にいたのは、宿の娘のリンネちゃんであった。


「リンネの父、ニコラ・ ヘルガセンです。

ここ半月ほど漁に出てたからはじめましてだね、アンナちゃん」


ルナの夫、リンネの父のニコラはそう言って手を差し出した。

年齢は三十代後半から四十代ぐらい、ワイルド系の長髪のちょいワルおやじといった感じだ。


「はい。お世話になっています。

アンナ・バーンサイドと申します」


アンナはニコラと握手する。


「お姉ちゃん、今日はリンネと一緒に寝るんだよ!」


リンネはもう片方のアンナの手を引いて嬉しそうに言った。


「こら、リンネ!

ちゃんと説明しないと、お姉ちゃん困ってるだろ」


ニコラはリンネを持ち上げて、アンナから引き離した。


「いやね、ウチの奴からの伝言で、今日は君を家に泊めるって言うんだ。

おれは全然構わないんだけど、アンナちゃん、君はどうかな?」


確かに、アンナは今すぐに幹太と顔を合わせるのは恥ずかしかった。


『…言われてみれば、もうちょっと落ち着いてから戻った方がいいかもしれません…』


アンナはそう考えた。


「ではお世話になります。

よろしくお願いしますね、リンネちゃん♪」


「わーい♪アンナお姉ちゃんとお泊りだ♪」


リンネは早速、家に向かって走りだす。


「あっ!リンネちゃん!気をつけて!」


「リンネ!走っちゃだめだぞ!

あっ、おい!こりゃ〜ダメだ。

アンナちゃん、すまんが急いで帰ろう」


「それが良さそうです。

リンネちゃん!待ってー!」


リンネを追いかけるアンナは、すっかりいつもの元気を取り戻していた。


次の日、


幹太は屋台の前でアンナを待っていた。


『アンナ、ちゃんと来てくれるかな…』


昨日の夜、幹太は部屋で一人、アンナの事を考えていた。


『昨日思いついたことは、ルナさんにお願いしたから…、』


そこまで考えたところで、アンナが宿の庭に入ってくるのが見えた。

アンナは幹太と目が合い、小走りで屋台の前にやってくる。


「あの…おはようございます幹太さん…」


「お、おはようアンナ…」


と挨拶を交わすが、なんだかお互いモジモジしてバツが悪そうである。


「と、とりあえず朝の準備を終わらせちまおう!

い、色々話すのは店が終わった後でっていうのはどうかな、アンナ!?」


この期に及んで幹太は日和った。

しかし、それはアンナにとっても渡りに船な提案である。


「そっ、そうですね!

とりあえず今日も頑張っていきましょう!」


二人は微妙な空気のまま朝の支度を始めた。


「「いらっしゃいませ〜!」」


その後の屋台の営業では、アンナがどんぶりを割ったり、幹太ががっつり親指をスープに突っ込んでお客にラーメンを出したりと、若干ギクシャクはしたものの、二人は概ねいつも通りに仕事をこなした。


「よーし!閉店しよう!」


「はい」


そして夕方、屋台の片付けを終えた幹太は、アンナを昨日の砂浜に誘った。


『まずはキチンと謝らないとだな…』


と、深刻な顔で考えている幹太の少し後ろをアンナは歩いていた。


『まずは昨日の事を謝らないとですね…』


いつもだったら幹太の誘いに浮かれるアンナも、さすがに今日ばかりはおとなしい。


しばらく歩いて、二人は砂浜に着いた。

そのまま波打ち際まで歩き、海に向かって並んで立つ。


「ここはいつ来ても綺麗です…」


アンナは昨日と同じことを呟く。

海と空が夕日で真っ赤に染まっていた。


「そうだな…すごく綺麗だ」


幹太はそう言って、海を眺めるアンナの横顔を見た。


『ルナさん、アンナの事をよく見てみろって言ってたな… 』


こんなにちゃんとアンナを見るのは初めてかもしれないと、幹太は思った。


『あぁ…本当だ…』


日本にいた頃は透き通るように真っ白だったアンナの肌は、いまでは日焼けで真っ黒だ。

キラキラと太陽を反射するサラサラだった髪も、仕事の汗と油でベトベトになっている。

良く見ると傷跡一つなかった細い指も、水仕事のせいで荒れていた。


『アンナ…こんなに頑張ってくれていたんだな。

それに気が付かないなんて、本当におれは馬鹿だ』


幹太は今更ながら、自分がどれだけアンナに苦労をかけていたのかを知った。

居ても立っても居られなくなった幹太は、アンナの方に向き直り、彼女の肩を掴んだ。


「アンナ!」


幹太に肩を掴まれたアンナも、彼の方へと向き直る。


そして、


「ごめん!」


「ごめんなさい、幹太さん!」


二人は同時に頭を下げて謝った。

そしてすぐに、お互い同じ事をしていると気が付いて、頭を下げたまま顔だけを向けて見つめあった。


「「ぷっ、ふふ♪ふふふっ…♪」」


堪え切れなくった幹太とアンナは、頭を上げて笑い合う。


「あーもう、さっきまで深刻だったのに」


「ふふっ、そうですね、私もです。どうしようかと思ってました」


アンナは目に涙を浮かべていた。


「うん、じゃあ改めて…、」


幹太は再び真剣な表情に戻った。


「アンナ、ごめんな。

いままで君がそんなに悩んでいるとわかってなかった」


そう言って、彼はもう一度頭を下げた。


「こっちに来てから、俺はずっと君に助けられていた。

屋台の手伝いもそうだけど、いつも笑顔で働く君にどれだけ力を貰っていたか。

本当にありがとう」


それを聞いたアンナも、再び頭を下げた。


「幹太さん、私もごめんなさい。

勝手に悩んで飛び出して。

私、もっとちゃんと相談するべきでした」


そこで二人は揃って頭を上げる。


「昨日、ルナさんに怒られたよ。

アンナをもっとよく見てみろって」


「私もです。私はもっと幹太さんと話をするべきだって言われました」


ルナはアンナにもお説教をしていた。


「そっか…そうだよな。

お互いもっと相談しないとだな」


「そうですね…相談、大切です」


幹太はアンナに手を差し出す。


「アンナ、明日からまたよろしくな」


そして、アンナは幹太の手を取る。


「はい。こちらこそです。

さっそくですけど幹太さん、私、そろそろ仕込みの手伝いをしたいです。


「そうだな。じゃあお願いするよ」


その後、しばらく二人は夕焼けを眺めていた。


「ただいま〜」


「ただいま〜です♪」


二人が戻ると宿の食堂のテーブルにたくさんの料理が並んでいた。

幹太とアンナがその状況に驚いていると、奥からさらに料理を持ったリンネがやってくる。


「あっ、お姉ちゃん、お兄ちゃんお帰りなさい!

今日はお父さんが帰ってきたお祝いパーティなんだって!」


リンネはとても嬉しそうだ。


「ただいま♪リンネちゃん。

ふふっ♪そんなんですか、それは楽しみですね♪

幹太さん、私、向こうでお手伝いしてきますね。

それじゃリンネちゃん、行きましょう」


「うん♪」


アンナはそう言ってリンネと手を繋いでキッチンに向かっていった。


夜になって準備が整い、パーティが始まる。

ヘルガソン一家三人と幹太とアンナ、さらにニコラの同僚の漁師達が来ていた。


「では漁の成功と愛する家族に!

そして、若い二人の明るい将来を願って!乾杯!」


とニコラが大きなジョッキを持って号令をかける。

ニコラも他の人々同様に、幹太とアンナが夫婦だと思っている。

この中で夫婦でないと知っているのはルナだけだ。


「乾杯!」


みんなも同じく乾杯をして、ニコラの帰還パーティが始まった。


食事が始まってしばらく経ち、皆それぞれが色々な話に花を咲かせていた。

幹太はリンネと大きなテーブル端に座り、その様子を見ていた。


「いや、凄かった!

魚が獲れすぎてゆっくり寝る暇がなかったもんな!」


「よし!大漁を祝って乾杯だっ!」


「「「カンパーイ!!」」」


テーブルの真ん中では、漁師達のグループが今回の漁の成功を祝って、本日何度目かの乾杯が行なっている。


テーブルの後ろのカウンターでは片付けを始めたルナさんが、アンナと話しをしていた。


「アンナ、いいかい。

色々あるけど、やっぱり男は色気に弱い。

普段の短いスカートにエプロンもいいけど、ミニスカートだけが色っぽい服ってわけじゃないんだよ。

例えば…みたいなのはどうだい?」


「ルナさん、それ…いただきます」


と、アンナはルナの言葉をふむふむと頷きながら真剣に聞いている。


『あれは、何の話だ…?』


幹太はなぜか分からないが、これ以上聞いていてはいけない気がした。

そしてその時、大人しく隣りに座っていたリンネが、幹太の腕を引いて話しかけきた。


「ねえねえ、幹太お兄ちゃん。

お兄ちゃんはアンナお姉ちゃんどうやって結婚したの?」


「ふぐっ!ゲホッゲホッ!」


幹太はリンネの唐突な質問に驚き、飲んでいた水を吹き出す。


「あ〜ふぅ、ち、違うよ、リンネちゃん。俺はアンナと結婚してないんだ」


幹太はそう言ったが、リンネは指輪を見て不思議そうな顔をしている。


「そうなの?じゃあアンナお姉ちゃんはお兄ちゃんの彼女なの?」


「ん〜それも違うよ。アンナと俺は大切なお友達だ」


幹太の答えを聞いたリンネは、パァっと目を輝かせた。


「じゃあお兄ちゃん!リンネのお婿さんになって!」


「えぇっ!」


幼いリンネからの求婚に幹太は焦った。


「ねぇお兄ちゃん?リンネじゃダメ?

やっぱりアンナお姉ちゃんみたいに、きれいな女の子がいいの?」


幹太がどうしようか迷っている間にも、リンネはグイグイ迫ってくる。


「リ、リンネちゃん、あのね、リンネちゃんはとっても可愛いよ。

だけど、まだ結婚はできないんだ。

たぶん大人になったら、リンネちゃんにはもっと他に素敵な人が現れるんじゃないかな〜」


幹太はなんとか冷静にそう返した。


「そっかー残念。

うちにいてもらう一番いい考えだと思ったんだけどなぁ〜」


リンネは求婚は、やはり宿屋を思ってのことだった。


「ははっ♪なんだよ〜うちの可愛いリンネが嫁に出来ないってのかぁ〜?」


幹太とリンネの向かいで、一人モグモグ唐揚げを食べていたニコラがニヤニヤしながら言った。


「ニコラさんもからかわないで下さい!リンネちゃんが間に受けたら…」


と、そこまで言い返したところで、幹太はニコラが食べている唐揚げに目を止めた。

それはよく見てみると、唐揚げというより鶏の竜田揚げに近い見た目をしている。


「あの…ニコラさん、さっきからその唐揚げをずっと食べてませんか?」


「おう!ルナの竜田揚げは最高だからな!」


やはり、ニコラが食べていたのは竜田揚げのようだ。


「こりゃ俺の大好物でな。

漁に出る時と帰った時には必ず食べるんだ。

船にも持って行くんだが、初日で全部食べないといけないからな。

翌日っから魚ばっかりで参るぜ。

だいたい…」


ニコラはまだ話を続けているが、ジッと竜田揚げを見つめる幹太の耳には入っていない。


ガタッ!


「これだ!!」


幹太は突然テーブルを叩き、立ち上がって叫んだ。

彼は興奮しているのか、腕がワナワナ震えている。


「だ、大丈夫ですかっ?」


そんな幹太の様子を心配して、アンナが声をかけた。


「幹太さん?突然叫んで、一体何があったんですか…?


アンナはそう言って、ゆっくり幹太に近づいた。

幹太はそんなアンナの両肩をガッと掴み、思いきり引き寄せる。


「アンナ!これかもしれないっ!

うちのラーメンに必要なのはこれなんだ!」


幹太はそう言って、アンナをガクガクと揺さぶった。


『幹太さん!近いっ!またもやちっかーい!

やるかっ!もう次近づいた時にやっとくか!?

いまならほっぺにチューぐらいいけんじゃね!?

あーでもダメ!いけないわ!いまは我慢よ、アンナ』


ギリギリで正気に戻ったアンナは、改めて質問をする。


「えっと、その竜田揚げを新しいメニューにするんですか?

なんだかあんまり焼き鳥と変わらない気が…?」


アンナには幹太がそこまで興奮している理由が分からなかった。


「違うよ、アンナ!

そのままメニューに加えるんじゃない。

まず鶏肉は…あーもう!今すぐ作るから食べてみてくれ!

ニコラさん!ルナさん!ありがとうございます!

二人のおかげでなんとかなるかもっ!

そんじゃ厨房借りますっ!!」


幹太は呆気にとられるアンナから手を離し、材料を取りに屋台へと飛び出していった。


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