第16話 後悔先に立たず


「よしっ!やりますか!」


宿に帰ってから幹太はいつもすぐに翌日の仕込みを始める。


「今日も鶏の解体からですか?」


「うん」


幹太はここ数日で、何羽も鶏を解体をしているために、無駄なく、手際よく出来るようになっていた。

焼き鳥も仕込むため、なるべく身はキレイに剥がしたほうがよい。

幹太は流れる汗を時々タオルで拭いつつ、真剣な表情で肉と骨の間に包丁を入れていく。


「それじゃ私、洗い物してきますね〜♪」


アンナは汚れた調理道具を鍋に入れて、宿の外にある水道へ向かった。


「さぁ〜綺麗にしますよ〜♪」


これは決して幹太から頼んだ事ではない。

アンナが幹太の役に立てる仕事を、自分で見つけて始めたことだ。


「ふぅ〜とりあえずこんなもんかな?」


しばらくして、幹太は解体を終えた鶏ガラを寸胴鍋に入れて一息ついた。


「お、アンナも終わり?」


「はい。ぜーんぶキレイになりました♪」


「ありがとうな」


「幹太さんも、もう終わりですか?

だんだん早くなってる気がしますけど?」


「うん。こっちも終わったよ。まぁさすがにこれだけやるとな、早くもなるよ」


「すごい量ですもんね」


幹太がいる調理台の上には、解体されたばかりの鶏肉が山と積まれていた。


「そういえば幹太さん、ラーメンの味は変えてみたんですか…?」


「ちょっとずつ味を濃くしてみたけどお客さんの入りに変わりはないんだよなぁ。

そうだ!アンナは今日の食堂で何が気づいた事はある?」


「そうですね…」


幹太にそう聞かれ、アンナは頬に手を当てて考え込む。


「ごめんなさい、幹太さん。

私が気づいたのは、盛り付けの量が多かったということぐらいです。

あとはちょっとわかりませんでした…」


アンナは心底申し訳なさそうだ。


「そうなんだよ。確かに盛り付けの量は多かったんだよな。

体力勝負の仕事の人が多いからそれは分かるんだけど…」


幹太も食堂に入って早々にそれを確認していた。


「でも、ウチだってラーメンを大盛りにできるんだよなぁ〜。

わからない人もいるのかと思って、アンナに大盛りありますの看板を書いてもらったんだけど…」


「それでもあんまりお客さんは増えませんでしたもんね…」


もちろん幹太の店でも大盛りはできる。

元々、看板を書く前から大盛りを頼むお客はいたのだ。


「これは大胆な変化が必要かもしれない…」


幹太は日本で屋台をやっている時、何度か似たような状況に追い込まれた事があった。


「ん〜しかしどうするかな…?

今までのセオリーは通用しなさそうだし…」


日本では、ラーメン文化が広く深く浸透している。

その土地の気候や風土に合わせて、特有のラーメンというものがほとんどの場所にある。

つまり日本にいる限りにおいて、ある程度のラーメンの方程式があると言っても過言ではないのだ。


『こりゃラーメン屋を始めた時以来の危機かも知れないな…』


幹太が屋台を始めた時、父親の店舗で作っていたラーメンをそのまま出していた。

しかし、住宅街にある店のお客と、駅近くの屋台ラーメンを食べにくるお客の好みに違いがあり、当初はあまり客足が伸びなかったのだ。


『確か…あの時はいろんなとこの屋台を研究したっけ…』


このままではいけないと思った幹太は、駅前の屋台のラーメンを食べ歩いて研究し、自分の屋台にお客を呼べるラーメンを完成させたのだ。


「食べ歩こうにもラーメン屋がないんだよな…」


しかし今回は異世界のラーメン文化のない場所での商売である。

もちろんいままでの方程式など通用しないのだ。

幹太は今、この世界でラーメン屋台をやる難しさを思い知っていた。


『あれ…?これってどうすりゃいいんだ…?』


八方塞がりの状況に気付いた幹太はゾッとした。

このままでは永遠に、アンナを送り届けることなど出来ない。


「幹…さん、幹太さん、大丈夫ですか?」


そんな彼に、アンナが心配そうに声をかける。


「あ、あぁごめん、アンナ。

ちょっとボーっとしてたよ」


幹太は慌てて返事をした。

思い込みすぎて意識が飛んでいたらしい。


「私、向こうでお洗濯してきますって言いました」


「…あぁ了解。俺も仕込みの続きをするよ…」


幹太は虚ろな目でそう言って、焼き鳥の仕込みを始めた。


『私は幹太さんのためになにができるのでしょうか…?』


そんな彼の背中を見て、アンナもまた悩んでいた。


その夜、


幹太は今日も宿の厨房を借りて、再びラーメンの改良をしていた。


『思い出せ…なんか引っかかるところがあったんだ』


しかし、もうあらかた思いつく工夫はしてしまっていた。


「あらためて一から魚介でいくか…?

いや、たぶんそうしてもダメだ。

味の問題じゃなくて、もっと違うところなんだ…」


幹太はブツブツと独り言を言いながら、厨房の中を歩きまわる。


「なんでラーメンじゃなくて焼き鳥のが売れるんだ…?

あー!どうすりゃいいんだ!」


幹太の焦りがピークに達した時、扉の向こうから声がかけられた。


「幹太さん…?アンナです。

女将さんがお茶を入れてくれたので…」


と、アンナがそこまで言いかけたところで、


「今ちょっと忙しいから後にしてくれ!!」


と幹太が強い語気でさえぎった。


「っ!」


扉の向こうで、アンナが一瞬ビクッとした気配がした。


「す、すいません。お邪魔でしたね

…」


アンナはそう言ってゆっくりと扉から離れていく。


「ダメだ…気分を変えよう…」


それからしばらくして、幹太は厨房から出て宿の食堂にやってきた。

食堂では女将のルナが一人でお茶を飲んでいる。


「あれ?アンナは部屋に戻りましたか?」


アンナが一緒にいない事を不思議に思った幹太はそうルナに聞いてみた。

いつもこの時間は、アンナはルナとお茶を飲んでいたはずだ。


「泣きながら出ていっちまったよ」


思いもよらないルナの言葉に幹太は驚いた。


「なんでっ!?どうしていきなりそんな事に!?」


幹太に問い詰められたルナは、見るからに不機嫌な様子で幹太に答える。


「…知らないよ。アンタ、あの子なんて言ったんだい?

いつも元気に笑っている子があんなになるなんて…」


幹太は愕然として自分の行動を振り返った。


「お、俺はなんて事を…イラついてアンナに当るなんて」


と、頭を抱えて膝をつく幹太に、ルナが追い打ちをかける。


「…いいかい、アンタ達がいま大変な状況にいるのは大体わかるよ。

ここ帰ってきた時の顔が、日に日に深刻になっていたからね。

でもね…あの子あんな顔をするのは、あんたの事が心配だからに決まってんだ。

それを…それをこうなるまで気付かずにいるなんて…。

本当にアンタはどうしようもないね…」


「……」


静かに力強く怒るルナに、幹太は言葉を失った。


『支えてもらってた…』


アンナはこんな状況でも、いつも笑顔で頑張って仕事をしていた。

それはアンナ自身も違う国に飛ばされ、父親の無事もキチンと確認が取れない状態だったにもかかわらずだ。


「俺、探さなきゃ!アンナに何かあったら!」


幹太は急いで扉にむかう。

しかし、その腕をルナが掴んだ。


「アンタはここで待ちな。

いま焦って出ていったら、アンタの方がどうにかなっちまいそうだ」


「でも!アンナは普通の人じゃないんだ!だからっ!」


こうしている間にも、アンナが危険な目に遭っているかもしれない。

幹太はルナの手を振り払おうとするが、ルナは幹太の腕を離さない。


「いいから!」


と言って、ルナは強引に幹太をイスに座らせた。


「これだから男ってヤツは…。

そんなに心配なら、最初っから泣かすような事をするんじゃないよ!」


幹太は怒鳴るルナの前で、力なくうなだれている。


「あの子が普通じゃないのは、ここいらの連中はみんな気づいてる!

ものすごいの美人で、肌だって、日焼けの一つもなかったからね。

そんで話をしてみれば、頭だってすごくいい。

ちゃんとした家…そうだね、それもとびきりの家柄の子だってね」


ルナに限らず、この付近に住む人間は、アンナが身分の高い人間であることに薄々気が付いていた。

しかし、定期船もないのに突然現れ、屋台で一生懸命に働く姿を見て、何らか事情があるのだろうと考えて見守っていたのだ。


「あの子、私は幹太さんのお役に立てないって言ってたよ。

そんな事はないはずだって、私は散々言ったんだけどね。

大体、あんなにキレイな子が真っ黒に日焼けするまで働くなんて…。

よっぽどあんたの役に立ちたかったんだろうよ」


「あ、あぁ…」


それは、いつも一緒にいたはずの幹太が初めて知った事実であった。

彼は改めて、自分の至らなさに気づく。


『俺は、アンナを心配をしているつもりが、いつの間にか店の事ばかり考えてたんだな…』


由紀がシャノンに話した幹太の本当に悪い癖とはこの事だった。

幹太が父親を亡くし、屋台を始めた頃。

由紀や由紀の家族は何か手伝えることがないかと散々幹太に聞いのだが、幹太は大丈夫だと言うばかりでなんの協力も求めなかった。

しかし、まだ十代の幹太が誰の力も借りずに商売ができるはずもなく、結局、大変な苦労をしたのだ。


『最初っから素直に手伝いを頼んどきゃ、あんな苦労はしなかったんだよな…』


一生懸命なのはいいが、周りの人間が目に入らず一人でなんとかしようとするのは、幹太の悪い癖だった。


『由紀にも散々言われていたのにダメだな、俺は…』


そんな落ち込む幹太を見て、ルナが少し優しい声で言う。


「次にあの子に会う時は、あの子の事をもっとちゃんと見てあげな。

何か気づくことがあるはずだよ」


「はい。すいませんでした。

これからはもっとアンナを大切にします」


「謝るんならあの子に謝んな。

とりあえず、アンタは落ち着いたら部屋に戻るんだよ。

あの子のことは、私が知り合いを総動員して探しているから心配はいらない」


ルナの旦那は漁師であり、すでに漁師の間では幹太とアンナは有名である。

ルナはアンナが出て行ってすぐに、娘のリンネを漁師仲間の集まる酒場に向かわせ、アンナの捜索をお願いしていたのだ。

そしてその話を聞いた漁師達は、すでに捜索を始めていた。


「あの子が見つかったら、今日はうちに泊める。

アンタは一晩、一人できっちり反省するんだよ」


「はい」


と、そこへ、


バンッ!


「おかあさ〜ん!」


と大きな音と共に宿屋の扉が開き、リンネが駆け込んきた。


「アンナお姉ちゃん見つけたよっ♪」


彼女は汗だくになりながら、満面の笑みでそう言った。

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