第13話 麺打ち

「あれ…?まだ暗いな…」


翌朝、まだ空が薄暗い時間に、幹太は目が覚めた。


『アンナ…?やっぱりまだ寝てる…』


幹太とアンナは、相変わらず一部屋で生活している。


「だんだんこの生活にも慣れてきたなぁ〜」


まだ先行き不透明なこの状態では、二部屋借りる余裕などない。

その他の出費も、屋台の仕入れ以外は、頑張ってなるべく抑えた生活をするというのが、二人の共通認識であった。


「あ〜やっぱり広々寝た方が楽だわ〜」


この部屋を借りて最初は、アンナの強引なお誘いにより、二人は一緒のベッドで寝ていたのだが、ベッドが狭くて余計に疲れるのと、幹太の理性が限界だったのとで、今は幹太がベッドの下に毛布を敷いて別々に寝ている。


「ふぁ〜さて、お姫様はどんな様子かな〜?」


幹太はアクビをしながら起き上がり、すぐ隣のベッドで寝ているアンナの顔を覗いた。


『おはようアンナ…』


静かに眠るお姫様を起こさないように、幹太は小さな声で挨拶をする。


夜になると海風が通り、少し肌寒くなるのだが、アンナは一切毛布をかけていない。

少し身体を丸めながら、幸せそうな顔で眠りこけている。


『うわっ!ヤバい!』


そのままボーっと見つめていた幹太は、慌てて視線を逸らした。

アンナの宿で借りた浴衣のような寝巻き裾が、太もものきわどい所まで捲れていた。

さらに胸の辺りも、その先端が見えそうなほどノーガードである。


『うぅ…アンナ、こっちに来てから警戒感が全くないんだよな…。

…いや、あれ?日本にい時から無かったか…?

でも、しっかし綺麗な足だ…って、いや!いかん!こんなのバレたらアンナどころか、由紀にもヤラれる!』


一部屋である弊害は、しっかり幹太を襲っていた。


「そんじゃあ起きますかね…」


幹太は部屋の外にある水道で顔を洗い、きっちり身支度を整えてから下の階へと降りた。


「よっしゃ!さっそく朝の仕事を済ませますか!」


そして彼は、宿の厨房を借りて仕込みを始めた。


「えっと、まずは麺か…。

小麦粉とあとは…そうだ!これがこっちで見つかったのは奇跡だな」


幹太は透明な液体の入った瓶を、キッチンの中央にある調理台に乗せた。


「あぶない、あぶない。

かん水がなきゃラーメンは作れなかったもんなぁ」


ラーメンの麺は基本的に小麦粉、塩、場合によって卵と、そして最後にかん水という、中華麺を練る時に使う独特の水を使って作る。

幹太の言う通り、これがないとラーメンは作れない。


『海辺の井戸の水で麺を作るとコシが出るって女将さんから聞いた時は、まさかとは思ったんだけど…』


そうなのだ。

宿の女将であるルナさんが、地球の生パスタに似た麺を作る時、海辺の井戸の水をわざわざ汲みにいくのだという。


「普通の水を使うのとはコシがぜんぜん違うのよね」


と、ルナさんは言っていた。

かん水とは、簡単に言えばミネラルが豊富に含まれた水だ。

幹太は話を聞いてすぐに、港近くの井戸で水を汲んできた。


「しかし、天然物って、下手すりゃ地球のものよりいいかもな…」


そして、その水で小麦粉を練ってみて驚いた。

日本で麺を打っている時と、ほぼ変わらないコシの生地ができたのだ。


「まずはしっかり捏ねて粘りを出すっと…」


幹太は生地をよく練ってしばらく置き発酵させる。


「破らないように丁寧に、丁寧に…」


そして、出来上がった生地を破れないように慎重に麺棒を使って広げ、それを何度か折り返し、蕎麦作りの要領で包丁で切って麺にした。


「見た目は完璧にラーメンの麺だな。

これなら大丈夫そうだ」


どうやら試作は成功のようだ。

包丁仕上げのためストレート麺ではあるが、生で少し噛んで見ても、味に問題は無かった。

そして、幹太が出来上がった麺を一人前づつに丸めていると、


「…おはようございます…」


と、キッチンの入り口から声がかけられた。

幹太が後ろを振り返ると、アンナよりもふた回りほど小さい少女が、エプロンを付けて立っていた。

髪の毛は栗色で、肩までの長さの緩やかな天然パーマ。

垂れ目で柔らかい表情をした可愛い少女だ。


「おはよう、リンネちゃん。

今日はまたずいぶん早起きだったんだね」


幹太は作業の手を止めて、ニッコリ笑って挨拶をした。

この子の名前はリンネ。

この宿の娘で、掃除や料理など家の仕事の手伝いをしている。


「お母さんから、明日の朝はお兄ちゃんの手伝いをしてきなさいって言われたから…。

ふぁ〜」


そう言うリンネは、まだ少し眠そうだ。


「そうなんだ、じゃあ手伝ってもらおうかな。それじゃ俺も一緒にやるから、新しい生地を練ってくれる?」


幹太は再び優しく声をかける。


「…はい」


二人は並んで生地を練り始める。


「イチ、ニッ、キュッキュッ♪」


「そうそう、いい感じだよ」


最初は眠そうだったリンネも、だんだん楽しくなってきたのか、生地を練る手がリズミカルになってきた。


「リンネちゃんが早起きして手伝ってくれてるってつーのに、アンナの奴はまだ起きてこないな。

リンネちゃん、アンナが起きてきたら二人でお説教してやろう」


「え、お、お説教ですか…?

でも…私は楽しいから大丈夫です。

んっと、アンナお姉ちゃんは遅くまでお仕事をがんばってたから仕方ないかなって…」


リンネは一生懸命生地を捏ねながら、精一杯のフォローをする。


そんなリンネを幹太は、


『ええ子や〜この子はむっちゃええ子や〜』


と、おじいちゃんのような優しい瞳で見つめていた。


「リンネちゃん、何かお手伝いしてくれた礼がしたいんだけど、何か欲しい物はないかな?」


「だ、だいじょうぶです。

ん〜でも、ホントに何かもらえるならば…どうしようかなぁ〜?」


リンネは考えた。

まずお金はいらない。お母さんから貰えるおこずかいで十分だった。

洋服も必要なものはあるし、ほとんどがお気に入りだ。


「…何かないかな〜?あっ!そうだっ!」


それから色々な候補が浮かんでは消え、最後に残った欲しい物を伝える。


「本当に何かもらえるなら、幹太お兄ちゃんをもらいたいです!」


その予想を超える答えに、幹太は練っていた生地を思わず握りしめて固まった。

彼の指の間からは、生地がニュ〜っとハミ出ている。


と、そこで、


「リンネちゃん!それはちょっと待ったー!!」


と、寝起きの半目の状態ままキッチンに向かっていたところ、先ほどのリンネの発言で一気に目が覚めたアンナが、叫びながら厨房へ飛び込んで来た。


「リンネちゃん!お姉さん、まだリンネちゃんがお婿をもらうには早いと思うの!

そやから、もうちょいおっきなってから考えんのはどや?な?な?」


アンナは相当慌てているようで、幹太を庇うようにガッチリ横から抱きついている。


「そ、そうだよ!リンネちゃん!

お婿さんをもらうのは、もうちょっと後で、いいんじゃないかなっ!?」


幹太もリンネの言葉をそのまま受けとり、この可愛い少女の告白に思いきり動揺していた。


「あっ!ご、ごめんなさいっ!紛らわしい事言っちゃって!

私、お兄ちゃんにここで働いてもらいたかったんです。

そうしたら、お母さんの仕事が楽になるかと思って…」


「「あ〜なるほど、そーゆーことね〜」」


リンネの言葉の本当の意味を知って、二人は心底ホッとした。


「ずっとここで働くのは無理だけど、手早くできる料理をいくつか教えてあげるよ。そうしたら、リンネちゃんのお母さんも、少し楽になるかもしれないよ」


「はい♪じゃあそれでお願いします。あ、あと…」


リンネは少し頬を赤く染めて、アンナの耳元に顔を寄せた。


「…幹太お兄ちゃんは、アンナお姉ちゃんの旦那さんだって、私わかってます…」


とアンナにしか聞こえない声で言った。

そして、それを聞いたアンナも同じく頬を染めて、


「ま、まぁ本当は旦那さんじゃないん…い、いえ!いまは運命共同体ということで、夫婦といっても過言じゃないというか〜。

そういうことで、ほぼ夫婦ですっ!」


とりあえずリンネの誤解はそのままにして、アンナはそろそろ麺づくりに参加することにした。


その後、三人は一日分の麺の仕込みを終え、全ての材料を屋台に載せて、幹太とアンナは漁港に向けて出発する。


「んじゃ、いってくる!」


「いってきますね、リンネちゃん♪」


「いってらしゃ〜い!」


リンネは大きく手を振って二人を送り出した。


漁港へ向かう石畳みの道を、二人はゆっくり進んでいく。


「えっと…」


と、そこで屋台を引いていた幹太が、少し躊躇いがちにアンナに話かけた。


「アンナ、ごめんな。

こっちに来てから、旅費を稼ぐのにずいぶん時間かかっちまって。

これじゃ定期船が戻ったとしても、まだしばらくは乗れないもんな。

お父さんのこと、心配だろ?」


幹太はこちらに来てから、その事がずっと気になっていた。


「もうっ!なにを言ってるんですか!幹太さんは十分頑張ってくれてます!

それに…お父様のことですが、たぶん大丈夫です」


アンナは屋台を引く幹太の正面で振り返り、後ろ向きに歩きながらつづける。


「大丈夫ってどういう事?」


アンナはこちらに帰って来てから、自分の国と連絡を取ったりはしていなかったはずだ。


「えっと…他国とはいえ、友好国の国王が病気ならば、何らかの噂や情報が流れているはずなんです。

でもこちらに来てから、お父様の噂なんかは何も聞きませんし、新聞にもお父様のニュースは載っていません」


「…そうなのか?たしかに国王が病気とは宿でも聞かないけど…」


幹太達の泊まっている宿屋には、二人の他にも数人の客がいる。


「はい。なので大丈夫かと…。

いま思えば…シャノンとムーア導師はお父様の事となるととても大袈裟にするんです。

確か昔…お父様が二日酔いになっただけで、医者を何人も呼んだりしてました。

今回もぜったいに大したことないに決まっています!

私、すっかり忘れてました!」


アンナはワナワナとこぶしを震わせ力説する。


「そ、そうか。まぁでも病気じゃないならそれに越したことはじゃないか。

とにかく俺も頑張るから、早くお父さんに会いにいこうな」


「そうですね。なるべく早く無事を確認して、シャノンとムーア導師にお説教をしなければなりません」


アンナは父親の心配よりも、早くこうなった落とし前を二人につけさせたいようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る