第9話 不安的中

「おおっ!」


「改めて見てみると、人がいっぱいですね〜♪」


屋台の開店を決めた幹太とアンナは、翌日のお昼前に漁港へやって来た。

いまは朝、まだ暗いうちに漁に出た漁船が一隻、また一隻と港に戻って来ている所だ。


「とりあえずは昨日仕込んでおいたスープでやってみよう。

日本で入れといた氷のおかげで保冷が効いてたから、今日いっぱいなら大丈夫なはずだ」


幹太は港の入り口の端っこにスペースを見つけ、そこで屋台を組み立てながらそう言った。


「はい…でも大丈夫でしょうか?

この島の皆さんに、幹太さんのラーメンを食べてもらえるか、私、心配です」


アンナは昨日屋台を開くことを決め、この港へ来るまでずっと不安そうだった。


「食べてくれるかどうかは、やってみないとわからないよ。

とりあえず日本では、ちゃんと食べてもらえる味になってるのはアンナも知ってるだろ?」


「…はい」


アンナはなんとかそう返事を返す。

ここでラーメンが受け入れられるのかどうか、あまり心配してないように見える幹太に、アンナの不安はますます増すばかりであった。


「まずは値段を決めないとだな。

アンナ、この世界の麺類ってどのぐらいの値段なんだ?」


幹太にそう聞かれ、アンナは唇に手を当てて考える。


「ん〜正直に言うと、私、あんまり外でお食事をした事がないんですよね…。

特に屋台のお店は、お忍びで出かけた時に前を通るぐらいで、日本に行くまで自分で買った事はありません」


「そりゃそっか〜」


この世界ではアンナはお姫様なのだ、なかなか外食の機会はないだろう。


「でも、高級なお店だったと思いますが、日本のお米のような物から作った麺のお料理を食べた事がありますよ」


「それは幾らだったんだ?」


「たぶん十八シルバぐらいだっかかと…。

日本円で言うと、千八百円ぐらいですかね」


「高っ!めっちゃ高いなっ!」


高級中華ならまだしも、日本の屋台でそんな値段でラーメンを出しても、たぶん誰も食べてはくれない。


「そうなんですよ。屋台のお料理のお値段は分かりませんが、こちらの世界で外食というのはとてもお金がかかります。

この世界に飲食店が少ない理由一つは、そこにあるのです」


「確かにここに来るまで、飲食店は少なかったなぁ。

でも、普通に仕事している人はいるんだから、必ず安い食堂とか屋台とかはあるだろうけど…」


地球の世界では、どこの国でも基本的に屋台の料理は庶民のためのものだ。


「んー、全く参考にならん。

とりあえずサービス価格で三シルバでいいかな?

それでも食べてくれなかったら、また考えてみよう」


「はい!じゃあそれでやってみましょう!」


幹太の言う通り、やる前から不安がっていてもしょうがないので、アンナは頭を切り替え、張り切って屋台を手伝おうと決めた。


「よっしゃ、じゃあ開店するよー!」


幹太は久しぶりの白衣に袖を通し、店先に暖簾を出した。


「来ないな…」


「ええ…」


しかし、屋台を開店してはみたものの、一向に客か来る気配がない。

港にいる漁師たちは、皆、不審そうな顔で幹太達の屋台を見ながら通りすぎるだけである。


「これは呼び込みをするかな…」


幹太はそう言って、威勢良く呼び込みを始めた。


「さぁっ!いらっしゃい!

誰もが食べられるとっても美味しい料理!ラーメンだよ!

この国で食べれるのはここだけだ!」


「いらっしゃいませー!暖かいラーメンはいかがですかー!」


アンナも幹太の見よう見まねで、呼び込みを始めた。


しばらくして、昨日、屋台を引き出すのを手伝ってくれた漁師が屋台の店先にやってきた。


「やっぱり昨日のにいちゃん達じゃないか!

この三シルバってのは本当か?

こんな値段の料理の店は初めてなんだが…?」


どうやら三シルバは屋台の料理としてもかなり安いらしく、漁師は若干不安そうにそう聞いてきた。


「はい♪本当ですよ。今日だけの特別価格です♪」


アンナが得意の笑顔で言う。

漁師と、ついでにアンナの隣に立つ幹太も一緒に、その笑顔にデレっとしてしまう。


「ぜひ食べていってください!」


しかし、次の瞬間幹太はハッと我に返り、逃してなるものかと畳みかけた。


「んじゃ、一つ頼むよ」


漁師は暖簾をくぐりイス座った。


「「はい!いらっしゃい!」」


幹太とアンナにとって、この世界初のお客さんである。


『やっぱりアンナは凄いなぁ〜。

あの笑顔から逃れられる人なんていないんじゃないか…』


引き続き笑顔で漁師と話すアンナを見ながら、幹太はそんなことを思った。


「そんじゃやりますかっ!」


幹太は白衣の腕をまくり、調理を始める。

今日のメニューはナルト、メンマ、チャーシューの乗った醤油ラーメンのみだ。

作り慣れたメニューだけあって、あっという間に一杯のラーメンが完成した。


「はい!お待ちどー!」


美味しそうに湯気の立つラーメンが、漁師の前に置かれた。


「なんだこの麺は?なぜこんなに黄色いんだ?」


始めて見るラーメンを前にして、漁師は怪訝な顔をした。


「そういう食べ物なんです♪大丈夫ですから食べてみて下さい♪」


とアンナ言われ、漁師はおそるおそるラーメンを口にへと運ぶ。


「う、美味いっ!これはなんだ!?

初めての味だぞ!?

しかもこんなに弾力のある麺は初めてだ!」


ラーメンを一口食べた漁師は、顔を紅潮させて叫んだ。


『よしっ!』


幹太は自分の予想通りの反応に、カウンターの下でガッツポーズをする。


『…米粉の麺も美味しいけど、丁度いい弾力を出すのは難しい。

ラーメンの麺のモチモチの食感は、たぶんこの世界の人にはたまらないだろうな…』


「いやぁ〜これはいいなっ!

よし!港に戻ってみんなにも教えてやろう」


そう言って、漁師は初めてラーメンを食べた時のアンナと同じような笑顔を浮かべた。


「あんた達夫婦を助けてよかった。

しかしこんなものが三シルバなんて、本当に生活は大丈夫なのか?

見た感じ新婚っぽいが?」


前日の魚屋の女将さんと同じく、幹太の指輪を見た漁師は、がっつり勘違いをした質問をした。


「いや、俺たちは…」


と、幹太は夫婦でないと否定しかけるが、


「ハイ、今日は昨日のお礼でサービス価格ですからっ!

次回からはちょっと高くなると思いますが、また来て下さいね♪」


と、食い気味にアンナが言って、強引に話を逸らした。

そして幹太に身を寄せて、漁師には聞こえない様に彼の耳元で囁く。


「…幹太さん、夫婦の店という誤解はそのままで行きましょう。

もしかしたら優しいお客様が増えるかも知れません」


本当の理由が別にある事は明らかなのだが、幹太はそれに気付かない。


「う、嘘を吐くのは…」


「幹太さん、誤解を解かないだけで嘘ではありません。それでいいですか?」


「りょ、了解」


幹太は血走った目でアンナに迫られ、渋々その提案を呑んだ。


その頃、遠く離れたシェルブルックでは、


「ハッ!なにやら良からぬ予感がっ!アンナー!」


と、由紀が遠くの空に叫んでいた。


そこからは一人、また一人とお客さんがやってきた。

どうやら本当に先ほどの漁師が宣伝してくれたようだ。


「「いらっしゃいませー!」」


日本でやるのと同じように、二人は元気良く挨拶をする。

屋台のカウンターが埋まるほどお客さんが来るまでに、そう時間はかからなかった。


「幹太さん、これなら船が来るまでなんとかなりそうですね♪」


アンナは二人の屋台の好調な出だしに、ニコニコしながらカウンターを拭いていた。


「うーん、どうだろ…?」


しかし、一方の幹太は浮かない表情をしている。

しばらくして一旦お客さんがいなくなり、幹太とアンナは並んで洗い物を始めた。


「…やっぱりだ」


次々どんぶりを手に取りながら、幹太が呟いた。


「幹太さん、何か気になることがあるんですか?」


「ちょっとこれ見てみて」


幹太は洗う前のどんぶりを一つ取り、アンナに見せた。


「えっと…これがなにか?」


アンナは幹太がなにを伝えたいのか、全く分からなかった。

幹太が手に持っているどんぶりは、日本でアンナが手伝っていた時に見た食べ終わりのものと、大差ないように見える。


「麺は全部食べてくれるんだけど、他は残していく人がほとんどなんだ」


お客のほとんどが腹ペコの漁師だったのにもかかわらず、確かにどんぶりの中には麺以外のスープと具が残してあった。



「あぁ、言われてみれば確かにそうですね…。

今日は日本でやっている時よりも、慎重に器を下げないと溢してしまいそうだった気がします。」


「そうなんだよ。麺は食べても、みんなスープにはほとんど手をつけないんだ」


その事に、幹太は開店後しばらく経ってから気づいた。

麺を褒めてくれるお客さんはいるのだが、他の具やスープを褒めてくれた人はいない。


「たぶんこれじゃすぐにお客さんは来なくなる。

なにかこの島の人達に合う、スープや具を考えないとダメだと思うんだ」


そう言って、幹太は食べ残しのどんぶりを見て悩み始めた。


『幹太さん…』


アンナは浮かれていた自分が恥ずかしくなった。

こちらの世界と日本の食文化の違いは自分の方が分かっていた筈なのに、それを知らない幹太の方がお客さんの反応を見て危機感を感じ、改善しようとしている。


『この若さで…一体どのような経験を積んだらこうなるのでしょう?』


転移の事故の偶然であったが、自分と一緒に来てくれた人が幹太で良かったと、心から思った。


食器洗いも終わり、その後ポツリポツリと来ていたお客の波も途切れた時、見るからにガラの悪い漁師と思える数人の男達が幹太達の屋台にやってきた。

彼らは屋台裏を取り囲み、ニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべている。


「オイ、こんな汚い店で食い物売ってんのか!目障りだ!どっか他でやれ!」


とガタイの良いリーダー格と思われる男が怒鳴った。

髪型を一歩間違えば、世紀末に突かれて死ぬタイプの風貌だ。


「か、幹太さん」


いきなり怒鳴られたアンナは、思わず幹太の後ろに隠れた。

アンナは人生を生きてきて、こんなに乱暴な言葉で怒鳴られた経験がなかったのだ。


「なんだぁ〜可愛い女じゃねぇか!しばらく俺に貸せよ。そしたらここを使っていいぜぇ〜」


と、世紀末野郎は見ため通りのゲスい発言をする。


「ギャハハ!そうだなっ!俺もお相手してもらおっと!」


「次はオレだぜぇ〜」


取り巻きの連中もそれに合わせて騒ぎ出し、かなりの小物感を醸し出していた。

しかし、そんな連中を目の前にしても、幹太の様子はいつもとあまり変わっていなかった。


「お前らお客じゃないなら帰ってくれ。

あと…これ以上うちのアンナを妙な目で見るなら…」


「なら?ならどーすんだ!?やんのかにーちゃん!?あっ!?」


そんな幹太の言葉を聞いて、世紀末野郎はアンナの腕を掴みにかかった。


「幹太さんっ!」


幹太の後ろで震えるアンナが叫ぶ。

このままでは幹太も自分も、何をされるかわからない。


「ネーチャン!こっちに来いやっ!」


世紀末野郎がそのままアンナの腕に触れようとしたその時、


『パンッ!!!』


っという音が響き、世紀末野郎の顔が弾けるように後ろに退がる。


「お、おいっ!?」


「な、なんだっ!?」


男と男の取り巻きは、一瞬何が起こったのが分からなかった。


「うぅ〜」


しかし、世紀末野郎はそのまま膝から崩れ落ちる。


『幹太さん、今…?』


幹太の背中にピッタリとくっついていたアンナは、一瞬だけ幹太の身体が捻れたことを感じていた。


『あの人を手ではたいた…?』


幹太は体を捻ると同時に、平手で男の顎を打ち抜いていたのだ。

俗に言う掌底打ちというものである。


「「「てんめぇー!何しやがった!?」」」


男の取り巻き、仮にモヒカン舎弟達、それでは長いのでモッヒー男達がそう叫んだ。


「ごめん。アンナはそこにいてくれ…」


幹太は振り返ってアンナの両肩に手を置き、屋台の隅でしゃがませた。


「まったく…めんどくせぇなぁっ!」


再び男達の方へ振り返った幹太は、アンナが聞いたこともない低い声で怒鳴った。


「お客じゃないなら帰ってくれって言ったろ…。

なぁ、早くそいつを連れて帰ってくれないか…?」


アンナからは幹太の顔は見れなかったが、しかしその背中は、静かで強い怒りに満ちていた。


『いつも穏やかな人が怒ると怖いとよく言いますが…。あぁ、なんか胸の辺りがムズムズしますね…』


アンナは初めて見た幹太の一面をちょっとだけ恐れ、そして自分を守るためにその一面を見せたことにめっちゃキュンときていた。

このプリンセスは、やはりチョロいのだ。


「「「このまま帰れるかよっ!この野郎っ!」」」


そんなことをアンナが思っている間に、モッヒー達が一斉に幹太に掴みかかる。


「チッ!やっぱりダメかよっ!」


幹太は素早くバックステップをして、まずは飛び掛ってきた二人の男を躱す。


「うわっ!」


「な、なにしてんだよっ!」


幹太に躱された男達は、お互いにぶつかって倒れる。


「シッ!」


その隙に幹太は短く息を吐き、一人たけ立っていた男の鼻を、またもや掌底で打ち抜いた。


「ウガッ」


男はくぐもった叫び声を上げ、鼻血を吹きながらもんどりうって倒れた。


「なぁっ!もういいだろう、帰ってくれ!」


幹太は荒く息を吐きながら、再び男達に向けて怒鳴った。


「「「ち、ちくしょう!覚えてろよっ!」」」


男達は先に倒された世紀末野郎に肩を貸し、捨てゼリフを吐きながら逃げて行く。


「もう二度とくんなよー!

はぁ〜まったく…アンナ、大丈夫か?」


幹太は何事もなかったようにアンナに聞いた。


「えっ、あ、はい大丈夫です。

あんな幹太さん初めてで、私ちょっとびっくりしちゃいました」


「あぁ、ゴメンな。

屋台やってるとたまにあるんだよ。なぜだか本当にマズいことにはならないんだけど…」


と、頬を掻きながら本当に不思議そうに話す幹太を見て、


『幹太さん、たぶんそれは怒ったあなたが怖いからじゃ…』


とアンナは思っていた。


そうなのだ。実のところ幹太はかなり腕っぷしが強い。

幹太の父、正蔵は若い頃ずっと不良だった訳ではなく、途中から更生するためにアマチュアボクシングをさせられていた。

幹太もその影響で、幼い頃からボクシングジムに通っていたのだ。

十代の頃には、アマチュアのトップであるオリンピックを目標にさらに有名なジムに通い、ボクシングの推薦で大学も決まっていた。

しかし、そのすぐ後に父親が他界し幹太はボクシングの道を諦めざるを得なかったのだ。


「今日はもう店じまいだな。

とりあえず街に戻って、明日の仕入れでも考えよう」


「えぇ、それが良さそうですね。

この時間ならば、まだ市場も開いてます」


「そんじゃ、屋台を片付けて買い物にいきますか?」


「ハイ!」


幹太は過去に調査で行った港町で、どんなラーメンが売れていたかを思い出しながら、アンナと屋台を押して街に戻っていった。

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