第23話 言葉では表せない存在
その腕を見た瞬間、
その腕だけは今までの腕とは意味が違う。
今まで
方法や理由が解らないが、彼は右腕に
篠田の
確かにそれはすごい。
翠の見たことのない浄霊方法だし、一人一体という数の制限のある
だが、それだけである。
それは、篠田が言う『想像を
攻撃方法は、
それなら、
しかし、今出した腕は理解できなかった。
《アンナ》と呼ばれた、
この腕がもたらす効力を
周りを支配する空気が変わる。
それから
微かに光っているのに、暗く、終わりを感じさせる、闇夜に思える。
じっとりと嫌な汗が
それは、恐怖、憎しみ、
頭では解らないのに、体が知ってる。
いや、体でもない、もっと奥深くのものが、その腕を全否定していた。
細胞でもない。
DNAでもない。
知らないことのはずなのに、それを知っている。
言葉に表すことの出来ないそれの、一番近い、
生を受けて産れて来た者、死に
翠は恐怖で歯を鳴らしながら、自分の体を抱きしめた。
この場で鬼と彼の対決を見ていて、鬼が危なくなって助けに行けば、霧ヶ峰の鬼が
それは翠も解っている。
しかし、そんな考えなど翠の頭からは消え去り、逃げることで一杯になる。
早く逃げないと危ない。一秒たりともこの場に居たくなかった。
翠は二人から目を離し、一気に駆け出す。
あれほど重かった体は、悲鳴を上げながらも言うことを聞いてくれる。命が危険にさらされ、身体がそれを理解しているのかもしれなかった。
ザッ、ザッ、ザッと雨に濡れた草を踏みしめ、八坂神社の境内に
囲いを見上げていた篠田と、悪霊を囲っていた
雨の
砂那は二人を通り過ぎ、木陰までやって来ると、ポケットの中のこぐろを出してあげ、そっとその場に寝かせた。
「ここなら大丈夫と思うけど、危なくなったら逃げてね」
そう、こぐろに言い聞かせ、自分は社務所の前までやって来ると、コートからダガーを取り出し、お札を刺していく。
その数、八本。
砂那の所持している半数のダガーを、指と指の間で
「あなた達も逃げてね。最悪、これからここで、霧ヶ峰の人喰い鬼と戦闘になるから」
顔も向けず、篠田と辰巳にそう
「出てきて、我が
砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れ、全ての大剣を構える。
そして、木陰に寝かされこぐろは少女の姿をとり、立ち上がると、おぼつかない足取りで、砂那の前にやって来る。
それはまるで、彼女を守るための様に。
「こぐろ?! ダメよ寝てなさい!」
慌ててこぐろに話しかけるが、こぐろは手の爪を猫のように尖らせ、囲いに向って一つ「シャーっ」と鳴いた。
それは、蒼に言われたからではない。こぐろにも砂那のやろうとしている意味がわかったのだ。だから、彼女の前に立った。
使い魔の気持ちがサブマスターの砂那にも流れて来たのか、渋々頷く。
「こぐろ………解った。ただし、これは命令です。危なくなったら逃げること!」
砂那はそうこぐろに言い聞かせると、再び囲いを見上げた。
その様子を見ていた篠田は、仕方が無いかとでも言いたげに、首を一つ鳴らすと、砂那の横に並び、ステンレス製の安い串を腰バックから取り出し、それにお札を刺した。
その行動に、辰巳は思わず「マジかよ」と呟き、うなだれる様に肩を落とした。
篠田から聞いた話によれば、この囲いの中では、暴れ神を
方法は解らないが、大丈夫だと篠田はのんきに言った。
なのに、今、この二人のやっていることは、出て来た暴れ神と戦う準備である。
こんな危険な暴れ神と戦うなど考えていなかった辰巳は、自分の運の悪さを
まったく
しかし、ここで囲い師として力の
だからと言って、砂那のあんな顔を見せられては、逃げ出すことは出来なかった。
「くそっ! なんでこんな事に………言っとくけど、俺では戦力にならないからな、あんまり期待するなよ!」
そう弱腰な断りを入れてから、砂那の隣に並ぶと、辰巳も小ぶりなナイフにお札を刺す。
「流石に、ここで逃げたら囲い師の名が泣くよな」
篠田は
「好き勝手言いやがって!」
そんな二人には何も告げず、砂那はイヤホンマイクに向かって呟いた。
「蒼、危なくなったら囲いを解除するから、直ぐに言ってね」
蒼からはいい返答が来たのだろう、砂那は少しだけ口元を
そんな彼女に対して篠田が話しかける。
「心配することは無い、ハルはこの程度の相手に遅れは取らねーよ」
砂那と辰巳は篠田を見た。
いつものように軽口を付いていたように聞こえたのだが、その顔は真剣で、睨んだように砂那の張った五十囲いを見ていた。
「だから気楽にいこうぜ」
そう言って振り向いた顔は、いつもの表情に戻っていた。
霧ヶ峰の鬼はその腕を見た瞬間に動きを止めた。
危険を感じているのか、先ほどの様に攻めて来ない。
そんな鬼に対して、蒼は無防備に歩いて近づき、
負の
蒼の腕が危険なことを解りながらも、一度だけ、ピクリと身体を震わせたが、後退すること無く右腕を上げると振り下ろした。
蒼はその鬼の右腕の第二関節に、アンナの腕で手刀を食らわす。
まるでナイフでバターを切る様に、微かに光りながら鬼の右腕は切断され、空中に舞う。
「アンインストール」
素早く、蒼はアンナの腕を消して、
「インストール、霧ヶ峰の鬼!」
その途端に、蒼の胴回りほど有りそうな、太い大きなその腕が、彼の右腕にくっ付く。
蒼は霧ヶ峰の鬼の腕を
霧ヶ峰の鬼は右腕を失ったが、直ぐに右腕が現れ元の姿に戻る。霊体とは本来、形を持っていない。だから粘土の様に形を変えることが出来る。しかし、
蒼はその大きな右腕で鬼を一撃する。
鬼は大きく足元を乱れさせよろめいた。
蒼はその腕を確かめる様に、何度も右手を開いたり閉じたりを繰り返してから、鬼に向って口元を緩める。
「アンインストール」
霧ヶ峰の鬼の腕が消える。
「ダウンロード、アンナ!」
再び現れたのは、鬼の右腕を簡単に切り裂いたアンナの腕。
霧ヶ峰の鬼は一歩、後退した。
鬼の本能が告げる。
あれに関わっては駄目だと、逃げろと告げる。
切られたから
あれに触られると消えてしまうと、魂が
霧ヶ峰の鬼はそれに従った。
走り彼から距離を開けようと一目散に山を
そこで鬼は思い出した。
二週間、口では美味いことを言いながらも、心では喧嘩を売っていた、餌になるだけの無力な人間。
そいつは言っていた。
『あなたが危なくなったら、私が助ける。だから、その時は私の
それは
翠は荒い息のまま足を止めた。
後ろから救済を訴えかけてくる、霧ヶ峰の鬼。
助けてほしいのはこっちも一緒だし、あんな存在に自分が太刀打ち出来るとは
しかし、翠は振り向いた。
最初はどんな犠牲を払っても、霧ヶ峰の鬼を
しかし、蒼が危なくなった時に、思わず砂那に早く霧ヶ峰の鬼を
解っていた。
彼女にとって霧ヶ峰の鬼は、
そう、心のどこかで翠は、本当はこの人を喰う霧ヶ峰の鬼を、人間の敵と見なしていたのだ。
だから、口で何を言っても霧ヶ峰の鬼は、答えてくれなかった。
しかし、それなら自分の身の危険を冒してまで助ける
なのに翠は足を止め振り向いた。
それは、人間にとっての敵よりも、もっと大きなカテゴリーの敵が現れたから。
魂を持つ者の共通の敵が。
「私は
翠はこちらに向かってくる、霧ヶ峰の鬼に問いかけた。
彼女の頭の中に自分ではない、鬼からの思考が生まれる。
《我は霧ヶ峰の鬼》
「違う!」
直ぐ様、翠は否定する。
「
《――――――――》
その問いかけに、霧ヶ峰の鬼は
しかしその間に蒼が近付いているのか、翠の鳥肌が大きくなる。
「時間が無い、早く!」
《――――
「よし!
《―――誓おう》
翠の目の前に現れた
「
そして、
翠は一言だけ呟いた。
「バケモノ!」
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