第23話 言葉では表せない存在




 その腕を見た瞬間、みどりは一歩後ずさりした。


 その腕だけは今までの腕とは意味が違う。


 今までそうが出していた腕は、翠にも理解ができた。


 方法や理由が解らないが、彼は右腕に式守神しきしゅがみの腕を取り入れていて、それを使い攻撃しているのである。


 篠田の式守神しきしゅがみ三火八雷照みほやいかずちでりや、龍のような腕もどこかの式守神しきしゅがみなのだろう。それら以外にも、他に式守神しきしゅがみの腕を持っているかもしれない。


 確かにそれはすごい。


 翠の見たことのない浄霊方法だし、一人一体という数の制限のある式守神しきしゅがみを、複数持っていることは、今までの祓い屋の常識をくつがえすほどの事態じたいだ。


 だが、それだけである。


 それは、篠田が言う『想像をぜっするもの』と呼ぶほどのものではない。


 攻撃方法は、式守神しきしゅがみを持っている術者とあまり変わりがなく、さらに、出せるのは腕だけのようで、同時に何体も出せないようだ。


 それなら、砂那さなや篠田のように式守神しきしゅがみ一体でも、式守神しきしゅがみを自分から離せる状態で持っていた方が使い勝手もいいし、式守神しきしゅがみの霊力も上だろう。 


 しかし、今出した腕は理解できなかった。


 《アンナ》と呼ばれた、あわかがいている普通の腕。


 この腕がもたらす効力をみどりは知らない。なのに、それを見ただけで全身に鳥肌が立ち、胸が圧迫あっぱくするほど鼓動こどうが早くなり、息苦しくなった。


 周りを支配する空気が変わる。


 それからみ出る様に感じる禍々まがまがしさ。


 微かに光っているのに、暗く、終わりを感じさせる、闇夜に思える。


 じっとりと嫌な汗がにじむ。


 それは、恐怖、憎しみ、嫌悪感けんおかんと言った様な、様々さまざまな感情がき上がってくるが、言葉にすればどれも違った。


 頭では解らないのに、体が知ってる。


 いや、体でもない、もっと奥深くのものが、その腕を全否定していた。


 細胞でもない。


 DNAでもない。


 たましいと言っても良い物が言っている。それはこの世に存在してはいけないもの。


 知らないことのはずなのに、それを知っている。


 言葉に表すことの出来ないそれの、一番近い、まとた言い方は―――――



 生を受けて産れて来た者、死にき魂だけになった者、すべての存在の――――――《てき》――――――



 翠は恐怖で歯を鳴らしながら、自分の体を抱きしめた。


 この場で鬼と彼の対決を見ていて、鬼が危なくなって助けに行けば、霧ヶ峰の鬼が式守神しきしゅがみになってくれると言うのが、篠田の所論しょろんだ。


 それは翠も解っている。


 しかし、そんな考えなど翠の頭からは消え去り、逃げることで一杯になる。


 早く逃げないと危ない。一秒たりともこの場に居たくなかった。


 翠は二人から目を離し、一気に駆け出す。


 あれほど重かった体は、悲鳴を上げながらも言うことを聞いてくれる。命が危険にさらされ、身体がそれを理解しているのかもしれなかった。





 ザッ、ザッ、ザッと雨に濡れた草を踏みしめ、八坂神社の境内に砂那さなが現れる。


 囲いを見上げていた篠田と、悪霊を囲っていた辰巳たつみはそれに気付いたが、二人とも押し黙ったまま口を開けなかった。


 雨のしたたりで解りにくいが、彼女の目が少しだけ赤くなっていたからだ。


 砂那は二人を通り過ぎ、木陰までやって来ると、ポケットの中のこぐろを出してあげ、そっとその場に寝かせた。


「ここなら大丈夫と思うけど、危なくなったら逃げてね」


 そう、こぐろに言い聞かせ、自分は社務所の前までやって来ると、コートからダガーを取り出し、お札を刺していく。


 その数、八本。


 砂那の所持している半数のダガーを、指と指の間ではさんで全て持ち、顔を上げると、自分の張った五十囲いをキツイつり目で睨んだ。


「あなた達も逃げてね。最悪、これからここで、霧ヶ峰の人喰い鬼と戦闘になるから」


 顔も向けず、篠田と辰巳にそう忠告ちゅうこくする。


「出てきて、我が式守神しきしゅがみ八禍津刀比売やがまつとひめ


 砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れ、全ての大剣を構える。


 そして、木陰に寝かされこぐろは少女の姿をとり、立ち上がると、おぼつかない足取りで、砂那の前にやって来る。


 それはまるで、彼女を守るための様に。


「こぐろ?! ダメよ寝てなさい!」


 慌ててこぐろに話しかけるが、こぐろは手の爪を猫のように尖らせ、囲いに向って一つ「シャーっ」と鳴いた。


 それは、蒼に言われたからではない。こぐろにも砂那のやろうとしている意味がわかったのだ。だから、彼女の前に立った。


 使い魔の気持ちがサブマスターの砂那にも流れて来たのか、渋々頷く。


「こぐろ………解った。ただし、これは命令です。危なくなったら逃げること!」


 砂那はそうこぐろに言い聞かせると、再び囲いを見上げた。


 その様子を見ていた篠田は、仕方が無いかとでも言いたげに、首を一つ鳴らすと、砂那の横に並び、ステンレス製の安い串を腰バックから取り出し、それにお札を刺した。


 その行動に、辰巳は思わず「マジかよ」と呟き、うなだれる様に肩を落とした。


 篠田から聞いた話によれば、この囲いの中では、暴れ神を式守神しきしゅがみにするために、上高井の孫娘と、それを阻止しようと、先ほど会った篠田の知り合いが入ってるはずだ。


 方法は解らないが、大丈夫だと篠田はのんきに言った。


 なのに、今、この二人のやっていることは、出て来た暴れ神と戦う準備である。


 こんな危険な暴れ神と戦うなど考えていなかった辰巳は、自分の運の悪さをなげいた。


 まったく安部あべに見込まれ、それを手伝ったのが運のきだ。


 しかし、ここで囲い師として力のおとる辰巳が加わった所で、足を引っ張ることは有っても好転はしないだろう。


 だからと言って、砂那のあんな顔を見せられては、逃げ出すことは出来なかった。


「くそっ! なんでこんな事に………言っとくけど、俺では戦力にならないからな、あんまり期待するなよ!」


 そう弱腰な断りを入れてから、砂那の隣に並ぶと、辰巳も小ぶりなナイフにお札を刺す。


「流石に、ここで逃げたら囲い師の名が泣くよな」


 篠田は茶化ちゃかしたように言う。


「好き勝手言いやがって!」


 そんな二人には何も告げず、砂那はイヤホンマイクに向かって呟いた。


「蒼、危なくなったら囲いを解除するから、直ぐに言ってね」


 蒼からはいい返答が来たのだろう、砂那は少しだけ口元をゆるめ頷いた。


 そんな彼女に対して篠田が話しかける。


「心配することは無い、ハルはこの程度の相手に遅れは取らねーよ」


 砂那と辰巳は篠田を見た。


 いつものように軽口を付いていたように聞こえたのだが、その顔は真剣で、睨んだように砂那の張った五十囲いを見ていた。


「だから気楽にいこうぜ」


 そう言って振り向いた顔は、いつもの表情に戻っていた。





 霧ヶ峰の鬼はその腕を見た瞬間に動きを止めた。


 危険を感じているのか、先ほどの様に攻めて来ない。


 そんな鬼に対して、蒼は無防備に歩いて近づき、ふところに入り込む。


 負の要素ようそが高いと言えど、流石は大きな神社にまつられてた霧ヶ峰の鬼だ。


 蒼の腕が危険なことを解りながらも、一度だけ、ピクリと身体を震わせたが、後退すること無く右腕を上げると振り下ろした。


 蒼はその鬼の右腕の第二関節に、アンナの腕で手刀を食らわす。


 まるでナイフでバターを切る様に、微かに光りながら鬼の右腕は切断され、空中に舞う。


「アンインストール」


 素早く、蒼はアンナの腕を消して、ちゅうを舞う鬼の切り落とした右腕に、自分の短くなった右腕を向けて叫んだ。


「インストール、霧ヶ峰の鬼!」


 その途端に、蒼の胴回りほど有りそうな、太い大きなその腕が、彼の右腕にくっ付く。


 蒼は霧ヶ峰の鬼の腕をったのである。


 霧ヶ峰の鬼は右腕を失ったが、直ぐに右腕が現れ元の姿に戻る。霊体とは本来、形を持っていない。だから粘土の様に形を変えることが出来る。しかし、神掛かみがかった存在や、強力な霊力を持ったものは、有る程度は姿が決まっている。だから、霧ヶ峰の鬼も元に戻ったのだ。


 蒼はその大きな右腕で鬼を一撃する。


 みずからの腕の一撃だ。


 鬼は大きく足元を乱れさせよろめいた。


 蒼はその腕を確かめる様に、何度も右手を開いたり閉じたりを繰り返してから、鬼に向って口元を緩める。


「アンインストール」


 霧ヶ峰の鬼の腕が消える。


「ダウンロード、アンナ!」


 再び現れたのは、鬼の右腕を簡単に切り裂いたアンナの腕。


 霧ヶ峰の鬼は一歩、後退した。


 鬼の本能が告げる。


 あれに関わっては駄目だと、逃げろと告げる。


 切られたから余計よけいに解る。


 あれに触られると消えてしまうと、魂がうったえかける。


 霧ヶ峰の鬼はそれに従った。


 走り彼から距離を開けようと一目散に山をくだる。しかし、囲われた空間では逃げ切れない。


 そこで鬼は思い出した。


 二週間、口では美味いことを言いながらも、心では喧嘩を売っていた、餌になるだけの無力な人間。


 そいつは言っていた。


『あなたが危なくなったら、私が助ける。だから、その時は私の式守神しきしゅがみになりなさい』


 それはまさしく、わらにもすがる思いだった。





 翠は荒い息のまま足を止めた。


 後ろから救済を訴えかけてくる、霧ヶ峰の鬼。


 助けてほしいのはこっちも一緒だし、あんな存在に自分が太刀打ち出来るとは微塵みじんにも思わない。


 しかし、翠は振り向いた。


 最初はどんな犠牲を払っても、霧ヶ峰の鬼を式守神しきしゅがみにしようと決めていた。


 しかし、蒼が危なくなった時に、思わず砂那に早く霧ヶ峰の鬼をはらえと言ってしまった。


 解っていた。


 彼女にとって霧ヶ峰の鬼は、式守神しきしゅがみになって守ってもらう存在では無く、はらかえす存在と見ていたからだ。


 そう、心のどこかで翠は、本当はこの人を喰う霧ヶ峰の鬼を、人間の敵と見なしていたのだ。


 だから、口で何を言っても霧ヶ峰の鬼は、答えてくれなかった。


 しかし、それなら自分の身の危険を冒してまで助ける道理どおりはない。


 なのに翠は足を止め振り向いた。


 それは、人間にとっての敵よりも、もっと大きなカテゴリーの敵が現れたから。

 魂を持つ者の共通の敵が。


「私は上高井 翠かみたかい みどり! 名を、名を名乗れ!」


 翠はこちらに向かってくる、霧ヶ峰の鬼に問いかけた。


 彼女の頭の中に自分ではない、鬼からの思考が生まれる。


《我は霧ヶ峰の鬼》


「違う!」


 直ぐ様、翠は否定する。


神名しんめいを名乗れ!」


《――――――――》


 その問いかけに、霧ヶ峰の鬼は躊躇ちゅうちょしたようだった。


 しかしその間に蒼が近付いているのか、翠の鳥肌が大きくなる。


「時間が無い、早く!」


《――――祓戸狭霧神はらえどさぎり


「よし! 祓戸狭霧神はらえどさぎりよ契約しよう。私、上高井 翠の式守神しきしゅがみになると忠誠を誓え! ならば、この場から助けてあげる!」


《―――誓おう》


 翠の目の前に現れた祓戸狭霧神はらえどさぎりは、膝をつき忠誠を誓うように頭を下げる。


祓戸狭霧神はらえどさぎりが、私の式守神しきしゅがみになることを許可する」


 祓戸狭霧神はらえどさぎりは翠の後ろに回り込むと、ゆっくりと姿を消す。


 そして、祓戸狭霧神はらえどさぎりを追っていた、蒼がその場に姿を現し、翠を見て驚いたように直ぐに右腕を自分の後ろに隠す。


 翠は一言だけ呟いた。


「バケモノ!」

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