第22話 右腕の無い少年



 砂那さなは最後のお札を地面に刺して、立ち上がると、足をもつれさせた様によろめき、近場の木にもたれ掛かった。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 先ほどから体が変だ。少し走っただけで直ぐに疲れがやってくる。擦り傷以外の外傷は無いものの、あの外人の九字切りで、思いのほかダメージを受けたのだろうか。


『砂那』


「はぁ、っ………そう、じゅ、準備出来たよ」


 息を荒くしたまま、イヤホンマイクに呼びかける。


『息が荒いぞ、大丈夫か?』


「えぇ、大丈夫、これで終わらせるわ!」


 砂那は気丈きじょうにそう返すと、木から体を離し、コートのポケットから五十芒星ごじゅうぼうせいを書いた紙を取り出し、意識を集中していく。


 風邪をひいたときの様に、体がだるい。しかし、あとわずかで終わりだ。気を抜かず、ミスをしないように、昨夜の練習通りにやれば出来る。


 そう自分に言い聞かせ、砂那は力を振り絞り、左指で五十芒星ごじゅうぼうせいえがいて行く。





「ほう、やるな。流石さすがは蒼が肩入れするだけのことはある」


 ベネディクトは山を見下ろしながら、砂那の五十囲いに、素直に驚いていた。


 幼いながらにこの結界を張るとは、末恐ろしい。


 本当は囲い師になりたかったが、全く才能が無くあきらめた彼にしては、これを近場で見るのは複雑な気分だろう。


「まったく、こんなもの見せられたら嫉妬しっとするよなぁ、蒼」


 ベネディクトは少し皮肉った様子で、そこには居ない蒼に対して言った。





「やられたな」


 篠田は感心したように、五十囲いを見上げた。


 彼女の正確な年齢は知らないが、自分があの年齢あたりの時には、まだ五十囲いは出来なかっただろう。


「それも、あのおっさんの九字切りを受けてなお、囲えるか」


 彼女が霧ヶ峰の鬼をはらえば、篠田の思惑おもわくは外れ、全てが台無しになる。彼の計画の、唯一の計算外が砂那だった。


「………だがな、ここからだぞ折坂 砂那おりさか さな。多角の囲いは、囲うよりはらう方が困難だ。ここで祓えたら俺の徒労とろうで終わりになる。まっ、頑張りな」


 篠田は社務所の日陰から出て、雨に打たれながら五十囲いを見上げて、他人事のように呟いた。


 その様子を見ていた辰巳たつみはイラついたように篠田に声を掛ける。


「少しはお前も手伝えよ!」


「囲いが発動したんだ。もう悪霊が出てこないだろ」


「周りを見てみろ! さっき出て来たのが一杯居るだろ!」


「その程度なら、ほぉっておいても大丈夫だ」


 篠田は屁理屈へりくつばかりを並べて、全く手伝おうとはせず、山を見上げたままだ。


 辰巳は溜め息を吐くと、篠田に頼ることを諦め、辺りを漂う悪霊を囲って行った。





 異変に気付いた霧ヶ峰の鬼は、攻撃の手を止めると辺りを見渡した。同じく、木の陰に隠れて二人の戦闘を盗み見していたみどりも、顔を上げてそれを見る。


 淡い光が山を囲っていた。


「――――凄い。………折坂………あなた、ここまで凄い囲いを張れるんだね」


 篠田は作戦のために、この山を囲わないと言っていた。ならば、囲ったのは蒼と一緒にやってきた砂那なのだろう。


 篠田も囲い師として凄いのだが、この山を囲う砂那も凄い。


 今まで張られていた、あの素晴らしい結びよりは劣(おと)るものの、それに近い結界を張っているのである。


 翠は、自分がその域にたっするまで、何年かかるのか解らなかった。


 いや、ひょっとすると、辿たどり着けないかも知れない。囲い師のなかでも、そこに辿り着ける者は少ないだろう。


「………まだまだ、遠いわね」


 例(たと)え翠が、篠田や砂那より強力な、霧ヶ峰の鬼を式守神しきしゅがみにしたとしても、囲い師として彼等にまだまだ追いつけないだろう。でも、何時いつかはそこに辿り着くと翠はその囲いを見ていた。


 そして、鬼はひどく顔をゆがませると、蒼に顔を戻した。


 自由を奪われることは、鬼にとってそこまで苦痛ではない。大きな神社にまつってもらえるし、お供え物もある。しかし、過去に自分を結んだ結び師よりも若く、とくの薄い術者からの攻撃が許せなかった。


 自分に歯向かってくる、霊力の乏しい未熟なはらい屋。その癖に中々捕まえられない。もう、怒りも頂点に達している。


 霧ヶ峰の鬼は振りかぶると、大きな拳を蒼に叩きつけた。


 先ほどまでは、捕らえようと腕を振り下ろしていたのが、今はただ蒼を叩き潰す為に振り下ろしている。だから、威力、スピード共に今までとは違う。


 蒼は炎をまとった右腕で、鬼のこぶしこぶしをあてて攻撃を打ち止める。


「霧ヶ峰の鬼よ、悪いがうちのリーダーがはらうまで、足止めさせてもらうぞ!」


 蒼のその右腕が当たるたび、雷光が飛び交い、雷鳴が轟く。しかし、鬼は雷撃にはひるまず、攻撃の手をゆるめない。


 先ほどより激しくなる攻防を、翠は木陰から覗いていた。


 理由か解らないが、その右腕は篠田の式守神しきしゅがみ三火八雷照みほやいかずちでりのはずだ。確かに蒼もその名を呼んでいたので間違いはないだろう。


 蒼の攻撃は翠の常識を超えている。式守神しきしゅがみの腕を持っていることも驚きだし、篠田が視野が狭いと言った訳もうなずける。


 これは、翠の知る限り、どの浄霊方法にもふくまれないからだ。


 霧ヶ峰の鬼は、さらに攻撃を激しくさせていく。左右の大きな拳を振りかぶり、何度も何度も何度も何度も、蒼に向けて叩きつける。これが蒼にしてはが悪かった。


 蒼の三火八雷照みほやいかずちでりの腕は、先ほどの竜の腕よりは強力だし速いが、所詮しょせんは片腕である。


 次第しだいに鬼の攻撃の速さに着いて行けなくなり、けることで精一杯になっていく。


 鬼の攻撃は魂を傷つける。彼の右腕の、式守神しきしゅがみの腕なら防御は出来るが、それ以外の場所は全てけなければ終わりだ。このままでは、彼が鬼の腕に捕まってしまうのは時間の問題だろう。


 翠は思わず、小さく呟いていた。


「………折坂、早く! 早くはらいなさい!」





 砂那は五十囲いを前にして、左手を前に出した。


 後は道を開いて、強制的に霧ヶ峰の鬼をかえすだけで終わりだ。


 戦闘が激しくなって来たのか、イヤホンマイクから聞こえる蒼の息遣いが荒くなる。早く祓ってあげないと、何時までも持たないだろう。


「蒼、今から祓うから、少し離れててね!」


『わっ、解った………距離を開けるからやってくれ!』


 蒼の焦りの声が聞こえてくる。やはり、あまりよろしく無い状況になって来ている

ようだ。


 砂那は意識を、霧ヶ峰の鬼と五十囲いの中心に持って行き、左手を握りしめようとする。


「っ?!」


 しかし、いつもは簡単に握りしめれるそれが、五十囲いのは握り潰すことが出来ない。


 まるでコンクリートで出来てるように固い。


 砂那は歯を食いしばり、さらに強く左手を握りしめる。





『くっ、』


 砂那が祓うと言ってから、何度か霧ヶ峰の鬼と距離をあけるが、結局は何も起こらず、再び鬼は距離を詰めてくる。


『むっ、くっ………』


 雨がしたたる、足場の悪い山の中で、しかも、一撃が当たると終わりな攻撃を、大きく身体を動かせてかわしているので、蒼の息が上がり体力も奪われていく。


 これ以上長引けば、本格的に不味いだろう。


『くっ………』


 イヤホンマイクから砂那のりきむ声が聞こえるが、一向に鬼は祓われない。


「はぁ、はぁ、………砂那っ」


『蒼っ、』


 早くしないと彼が危ないのだ。しかし、砂那の気持ちとは裏腹に祓うことが出来ない。少し休憩して、体調を整えたなら何とか祓えると思うのだが、そんなことは言ってられない。これ以上は、自分の力不足のために彼を危険にさらすわけにはいかなかった。


 砂那は歯を食いしばりながら現状を認めた。


『……………ごっ、ごめんなさい。………駄目っ、駄目なの。握りつぶせない………祓えないの! ごめんね、ごめんなさい』


「砂那………」


 何度も謝る彼女の言葉に、電話越しではあったが、蒼には砂那の表情が読み取れた。


 勝気かちきな彼女の事だ、その台詞を口にすることが、どれほど悔しいことか。


「はぁ、はぁ、無理もないぞ、さっきの九字切りの攻撃が効いているんだ」


 そうフォローを入れながら、蒼は直ぐに次の手を考えだす。


 いくら砂那を言葉で助けても、こちらの危険な現状は変わらない。鬼の攻撃は激しく、そろそろ避けるのも限界が来ている。


『囲いを解除するから、蒼は逃げて! あとはわたしと八禍津刀比売やがまつとひめが仕掛けるから!』


「それは………」


 蒼はその後に続く「無茶だ」と言う台詞を飲み込んだ。


 現在蒼が使っている、篠田の三火八雷照みほやいかずちでりの霊力は、砂那の八禍津刀比売やがまつとひめとほぼ同等だ。その篠田の式守神しきしゅがみの攻撃がきかないのだ。


 片腕と式守神しきしゅがみの本体では話は変わるだろうが、それでも霊力の大きさから考えて、砂那が自分の式守神しきしゅがみで攻撃を仕掛けた所で、今の蒼と同じ結果になるだろう。そこまでこの鬼の霊力は高い。


 それが解っているのか、砂那は自分の式守神しきしゅがみに言う。


八禍津刀比売やがまつとひめ、付き合わさせちゃうけど、ごめんね』


 蒼は鬼の攻撃を大きく屈んでかわすと、一歩後ろに下がり、右手を鬼に差し出してを広げる。その瞬間に、三火八雷照みほやいかずちでりの腕から鋭いいかずちが鬼めがけて飛び出す。鬼は驚いた様子で、両手でそれを防いだが、霊力の差から考えれば、これもただの足止めにしかならないだろう。


 しかし、足止めでいい。


 蒼は何度もいかずちを放ちながら、鬼を睨んだ。


 砂那にそんな台詞をかすことになった、鬼も、自分も、少しだけ許せなかった。



 ――――余りトラブルは起こすなよ、右腕の無い少年――――



 ベネディクトの忠告ちゅうこくが耳に残る。


 たまに、あの人は予知能力があるのかと疑う時がある。全くその通りになった。しかし、囲いの中なら誰も居ないし、これからすることを霊視をされることは無い。それならさほどトラブルには成らないはずだ。


 蒼は覚悟を決めた。


「………砂那、囲いはこのままでいい」


『このままでいいって………駄目だよ。早く逃げて!』


「いや、このままにしてくれ。俺が鬼を祓うのに必要なんだ」


『祓うのにって………祓えるの?』


「あぁ、この囲いが有るならな」


『………………』


 砂那は下を向いて唇をかんだ。


 確かにこの囲いから、霧ヶ峰の人喰い鬼を出すと、どれ程の被害が出るか見当もつかない。しかし、いくら砂那が魔法のことを知らないと言っても、魔法がそこまで万能なのかと不安が残る。


 砂那は返事が出来なかった。


 五十囲いを失敗した今、砂那に残された手段は、彼女の持つ式守神しきしゅがみ八禍津刀比売やがまつとひめによる攻撃しかない。だが、彼女の見極めから考えると、それでは祓うのが難しいだろう。


「砂那頼む、信じてくれ」


 彼がそう言う。


 昨日か、一昨日か。


 出会ってそんなわずかしか経っていない人物を、信じる信じないなど語れるはずはない。それも、命がけな内容をだ。


 しかし、彼は今まで言った言葉をすべて実行している。単独たんどくで鬼の足止めさえも。


 砂那は顔を上げると、みずから張った囲いを見上げた。


『蒼、だったら約束して、危なくなったら直ぐに言うと』


 彼女は蒼を信じることにした。


 このままで行っても、彼女の力だけで打開策だかいさくは厳しいだろう。それに、自分を認めてくれた人物が、信じてくれと言っているのだ。信じない理由が思いつかなかった。


「砂那、………ありがとう。約束する」


 蒼は鬼に向かって微かにほほ笑んだ。


『蒼、』


「ん?」


『駄目なら、次はわたしがいるから。………だから、無茶をして、死なないで!』


 その台詞に、蒼は一呼吸置いてから答えた。


「………まかせろ!」


 雷撃の攻撃が止まった事で、鬼は両手を下げると、顔を下げ蒼を見た。


 二人の目線が合い、お互いに楽しそうに口元を弛める。


 一瞬、穏やかになったように互いの攻撃が止まる。それは嵐の前の静けさだ。


「そろそろ、終わらせようか」


 蒼の台詞にたいして頷くように、鬼は一つ肩を回した。


「アンインストール」


 蒼も答えるように右腕を消す。


 そして、翠は篠田の言う台詞を噛みしめた。


 そう、ここから篠田の言った通りだった。


『今から行く場所で、君は想像を絶するものを見るだろう』


 それは確かに想像を絶していた。


「ダウンロード、」


 蒼の声が囲いの中に響く。


 その瞬間、何かを感じ取ったのか、結界の中の少ない小動物や昆虫、低級の悪霊たちが、一斉にこの囲いから逃げようと、蒼の周りか離れるようにざわめき出す。

 翠も、まだ蒼が次の腕を出していないのに鳥肌が立ち、鼓動が早くなった。


「――――アンナ!!!」


 現れたのは普通の腕。


 そして、理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る