第21話 前哨戦




 みどりは疲れが取れない身体にむちを入れながら、そうの後を追うように、木をつかみながら山を登って行く。


 昨夜、少量のおかゆを取り、布団で眠った事で、多少の生気が顔に戻ってきた。


 衣装は昨夜まで着ていた、あの巫女衣装を再び着て、やはり目が悪かったのか、本日は赤ぶちの眼鏡をかけている。


 雨雲のうえ、さらに木の枝か光をさえぎり、結びの結界の中は日暮れのように薄暗い。その中をまだ悪霊がただよっていて、木々の間から視線が感じたり、後ろから何が着いてくる気配が後をえないが、今は無視して進んだ。


 頭の中には昨夜聞いた、篠田の言葉が何度も浮かんでくる。


『二つの約束をして欲しい。一つは、時が来れば今からいてもらう式守神しきしゅがみを、一度だけ俺の指示通りに出してくれ』


 それは、式守神に憑いてもらうにいたって、最初から約束している内容なので迷いなく頷く。


『そしてもう一つは、今から行く場所で、君は想像をぜっするものを見るだろう。しかし、それを口外こうがいせず忘れる事。この二つが守れるなら、式守神しきしゅがみの契約をなんとしても成功させる』


 珍しく真剣な顔で、篠田は翠が頷くまで待った。


 意味が解らないので、否定も肯定も出来ない事だが、翠の目的は式守神しきしゅがみいてもらう事だ。


 口外するなと言われれば、別に他人に言う必要もないし、そんな事ぐらいは守れる。翠は戸惑いながらも頷いた。


 これからここで、一体何が起こるのか。


 篠田の言う想像をぜっするものとは何なのか。


 翠は少しだけ曇った顔で、山の頂上をみる。


 頂上はまだまだ先で、急がなくてはそれに間に合わないかもしれない。しかし、身体がうまく着いてきてくれない。


 翠は疲れで足を七度ななど止めた後に、やっと目の片隅にその姿を見つけた。


 体を木の物陰に隠し、荒い息を落ち着かせて、そこから少しだけ顔を出して様子をうかがう。


 攻防こうぼうを続けている二つの存在。


 まず目に飛び込んできたのは、体長は四メートルは越える大柄な身体だ。


 巨大な体に赤黒い肌をもち、額に大きな角を二本持つ鬼。


 これは式守神しきしゅがみにしようとしてたので翠にはわかる。


 霧ヶ峰の人喰い鬼だ。


 確かに式守神しきしゅがみにするには向いていない様な存在だが、強力と言えばすごく強力な存在である。霊能力の乏しい、翠がこれを式守神しきしゅがみにすれば大いに役立ってくれるだろう。


 霊力ちからだけを考えれば、砂那さなの憑いてもらっている八禍津刀比売やがまつとひめや、篠田の憑いてもらっている三火八雷照みほやいかずちでりよりも、強力な存在だからだ。


 しかし、それはあくまでも、式守神しきしゅがみになってくれればの話ではあるが。


 そしてもう一人は、昨夜、砂那が連れてきた、篠田がハルと呼んでいた人物だ。


 そのハルは、昨日会った時はどこもおかしく無い、普通の人物で有った。しかし今は、人間では有りえない形態をしている。


 左右の腕の長さが合っていない。


 右腕は地面に着きそうなほど長く、二の腕のなかば辺りから、緑色のうろこに覆われている。指も三本で細長い。


 翠にはその腕が、物語に出てくるような龍の腕のように思えた。


 これが、篠田の言っていた想像を絶するものの正体であろうか。


 ハルは、鬼の振り下ろされる攻撃に、自分のうろこの付いた腕で弾き返す。全く持って信じれない光景だった。


 霊体の鬼に対して、囲いや結びと言った技ではなく、原始的な殴り合いの様に見える攻防。その力が同等なのか、ハルは鬼の攻撃を押し返している。


 しかし、その力が拮抗きっこうしていたのはわずかで、ハルは焦っているのか、他に心配事があるのか、集中出来ない様子で、次第に反応が遅れがちになる。


 ハルはイラついたように「ちっ」っと短く舌打ちすると、鬼のふところに潜り込み、緑色のうろこに覆われた長い腕を使い、渾身の力で鬼の胸元を一撃する。


 さすがは強力な霊体だ。その攻撃にも霧ヶ峰の鬼は動きを止めず、まったくダメージを受けた様子はなく立ちはだかる。


 ハルは後ろに跳び退き、鬼と距離をとった。


「これでは効きにくいか、くそったれ!」


 そう暴言を吐き、そして、短く呟いた。


「アンインストール!」


 その途端、緑色のうろこに覆われた右腕が消える。


 そして次の言葉を聞き、翠は驚きで大きく目を見開いた。


「ダウンロード、―――三火八雷照みほやいかずちでり!」


 次に現れた右腕は、炎をまとった発光体。バチバチと雷鳴を響かせる。


 これは何かの間違いであるはずだ、そんなことが有るはずがない。だってそれは――――、


「それは、篠田、さんの………」


 翠は独り言のように小さく呟いた。


式守神しきしゅがみ!」





 これから雨が強くなるのか、雷鳴が聞こえだす。


 砂那はダガーを握りしめ男に切りかかる。投げていては、いずれ底を付いてしまうから、直接攻撃に移ったのだろう。


 匕首あいくびの程の大きな刃物だ。当たればタダでは済まない。


 砂那はそんな大きな刃物を、切りつけながら男に問いかける。


「あなたは何者? なぜ、わたし達の邪魔をするの?」


 日本語が分からないのか、男は何も答えない。ただ、余裕が有るのか、男はハットを押さえながら、砂那の攻撃をギリギリでかわし、口元のゆるみは消えなかった。


 確かに砂那は、憑き物以外の者に、刃物を向けて攻撃するのは初めてで、相手を傷つけることに躊躇ちゅうちょして本気が出せていない。だからそれは、牽制けんせいの意味で攻撃しているのであろう。しかし、相手もそれを読んでいるのだ。


 だから、わざとよけずに、砂那が攻撃の手をゆるめた瞬間に、人差し指と中指を振り下す。


 九字切りである。


 砂那はそれを目で追いながらも、男に近付きすぎて、その攻撃をかわせないと奥歯を噛みしめ、衝撃に備えた。


 そこに、こぐろが少女の姿で二人の間に飛び込み、砂那の代わりに、まともに九字切りを受ける。


「にゃっ!」


 こぐろが短く鳴いてはね飛んだ。


「こぐろ! どうして?」


『………すまん』


 蒼の電話越しの短い謝りで、砂那は咄嗟とっさに理解できた。


 今の謝りは砂那に対してでは無く、こぐろの対して言ったものだ。蒼は砂那を守るため、こぐろを犠牲にしたのである。


 それは使い魔や、式神、式守神しきしゅがみと言った、術者を助ける者の使い方としては間違いはなかったが、砂那は激昂げきこうした。


「蒼は手を出さないで! わたしが何とかする!」


 砂那はイヤホンマイクに向かって叫ぶ。そして、仔猫にの姿に戻って、草むらに倒れこんだこぐろに、一瞬目を向けて安否あんぴを確認してから命令した。


「こぐろは怪我してるんだから、蒼の言うことは聞かない! 休んでなさい! 直ぐ終わらせるから!」


 先ほどとは打って変わって、傷ついたこぐろを前にして、砂那の覚悟が決まったのだろう。ダガーを握る手に力がこもる。


 そこから砂那の攻撃は激しさを増し、さらに男に詰め寄った。


 相手が九字切りを繰り出せないように連続で攻撃する。それも、切りつけるのではなく突いてだ。こちらの方が殺傷力が強い。


 男はたまらず後ろに飛び退いた。その場所に一メートル四十センチの大剣が横に払う。砂那の式守神しきしゅがみ追撃ついげきである。


 運動神経のいい男だ。それもかがんでかわすと、さらに後ろに跳び砂那との距離を開けた。


 しかし、さすがに男の口元からは笑みは消える。


 砂那は八禍津刀比売やがまつとひめを直ぐに消して、再びダガーを構えた。


 式守神しきしゅがみも使い魔と同じで、九字切りとは相性が悪い。しかし消していれば式守神しきしゅがみに攻撃できない。だから攻撃するときだけ出せば、式守神しきしゅがみはダメージを受けないで済む。


 それが正解だったらしく、再び男に詰め寄ろうとした砂那は、その男の焦り声を聞いた。


「――――りん!」


 やばい!


 その一言で、砂那は鳥肌を立てた。


 九字切りの印契いんそううや、九回くうを切らないと現れない九字切りを、だだ、指を振り下ろしただけで発動していた男が、追い込まれたのか、初めて神仏を表す九種類の印契いんそうもうとしていた。


 本来ならむだけでは効力が薄いのだが、何もしなくてあの威力だ。確実に今までより威力は上がるであろう。


ぴょう! とう! しゃ!」


 男の印契いんそうはカウントダウンの様に続けられる。


「出てきて、八禍津刀比売やがまつとひめ!」


 あせる砂那は式守神しきしゅがみと共に、一気に詰め寄り攻撃するが、男はその攻撃を全てかわし、印契いんそうを詠むのを止めない。


かい! じん! れつ! ざいくっ、」


 そして、あと一文字の所で、男は口を閉じて、大きく体をひねり、今まで使っていた通常の九字切りで攻撃を放つ。それは砂那達に向いてではなかった。


 男は彼女たちとは、逆方向の草むらに向かって三度放つ。それから警戒した様に、指を構えて砂那の後ろを見た。


 今の戦闘は、砂那たち以外に、他の攻撃が混じっていたのだ。


 砂那も男が印契いんそうを止めたことで、一度呼吸を整える。


 その真横を大型の黒豹くろひょうが通り過ぎた。


「………えっ?」


 砂那は突然現れた、大型のネコ科生物の姿に目を奪われる。


 黒豹は頭を下げた攻撃態勢で、男との距離を測っている。背中の筋肉が盛り上がり、すきあれば飛びつこうとしている。


「今度はなに? 黒い、トラ?」


『砂那、それはベネディクトさんの使い魔だ』


 イヤホンマイク越しに蒼が安堵の溜息を吐く。何だかんだと言いながら助けに来てくれたのだ。


「蒼の上司の?」


『あぁ、そうだ。ベネディクトさんの使い魔は強い。砂那、そこは任せて大丈夫だから、こぐろを連れて、囲いの準備に戻ってくれ』


 そう言われても、やられっぱなしでしゃくさわるが、このまま戦闘を続けては、人喰い鬼と対峙している蒼に危険がおよぶ。


 砂那はしばらく男をキツイ釣り目で睨んでいたが、諦めたように頷いた。


「………解ったわ」


 それから、こぐろを抱きかかえると傷の状態を見る。ぐったりとしているが外傷は無く、砂那が受けた様に疲労のような状態がきつくなったものだろう。


 砂那は胸を撫でおろし、それから再び男を見た。


 男は黒豹に注意を向けながらも、余裕が有るのか、砂那に対してハットを少し持ち上げ、挨拶のような真似をする。それからは、目の前の黒豹よりも、後ろの草むらを気にしていた。


 砂那は黒豹に「気を付けてね」と呟くと、再び囲いを張るために走る。


 蒼の声を聞いている分にはまだ余裕がありそうだが、危険な状態なのも変わりない。それに、また、別の邪魔をしてくる者が現れる可能性もある。


 この外国人の男は何者で、なぜ砂那達の邪魔をしてきたのか解らないが、急いだ方が良さそうだと、戦闘によって疲れた身体を無理やり動かせた。





 ベネディクトは隣の山から、阿紀神社あきじんじゃのある山を見下ろしていた。


「ウィギンズ、そいつからの攻撃は気を付けろ、サガン、お前は読まれている。ウィギンズの攻撃で注意が切れたら仕留めろ」


 ベネディクトは使い魔に的確に指示を与えていく。


 今回の戦闘に当たって、ベネディクトは三体の使い魔を用意した。


 持ちての黄色い鍵〈ベネディクトはジョーヌの鍵と呼ぶ〉で呼び出す、大型の黒い豹ウィギンズ。主に直接的な物理攻撃担当で、形態からわかるように、スピード、パワーともに優秀な、ベネディクトが一番よく使う使い魔である。


 次は、持ちてが白と赤のツートンカラーの鍵〈ベネディクトはア・ポワの鍵と呼ぶ〉で呼び出す、三本足の八咫烏(やたがらす)のヴォクレール。主に偵察に使う使い魔だ。現在も空から男の動向を監視している。


 最後に、持ちての緑の鍵〈ベネディクトはヴェールの鍵と呼ぶ〉で呼び出す小動物。トカゲのようだが動きが早くて明細が不明なサガン。後ろ足に致死量ちしりょうの毒の爪と、動きを止める神経毒の爪を持つ、危険生物だ。小さくて動きが早いことから、本来は暗殺用に用いられる。先ほどから男が警戒しているのはこちらの方だ。


 この三体はベネディクトが普段からよく使う使い魔で、名前は全て、有名なフランスの自転レースの、トップジャージを取った選手から付けたものだ。


 蒼に言わせれば、彼女の使い魔達に、その名は似合っていないらしいが、ベネディクト本人は満足しているようである。


「やはり妙なのが混じって居たな」


 ベネディクトのかんが正しかったのだ。


 彼女は目を細め、上空のヴォクレールから視界の片隅に見える篠田を意識する。


 雨が降ってきたことにより、篠田は社務所の日陰にはいり、雨宿りしている。もう一人の男は、雨に濡れるのも御構い無しで、結びの結界が消えることにより、山から出てくる悪霊を囲っている様だ。


 そこで、篠田は何かに気付いたように、フッと顔を上げる。


 その顔は、少しだけ笑って居て、挨拶をするように右手もあげた。


「今回は、お前の思惑通りか。あまり楽しく無いな」


 ベネディクトそう呟くと、黒豹のウィギンズが相手する男に視線を戻す。


 男の仕事は砂那の足止めだけだったのか、今は逃げる機会をうかがっている。ベネディクトは使い魔達にワザと隙を作るように指示をして、男の退路たいろを作った。


 男は素直にそれにしたがい姿を消す。


「でも、私はここまでにするよ。後は二人で何とかしな、右腕の無い少年」


 ベネディクトは傍観者を決め込んで、ヴォクレールに砂那の後を追わせた。

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