第19話 雨の前



 山の頂上部分へと続く、曲がりくねった細いアスファルトの道を、一台のロードバイクが登って行く。


 ひまわり色したロードバイクに、青を基調きちょうとした自転車用のジャージを着た、フランス人女性のベネディクトだ。


 彼女は細い二の腕の筋肉に、血管を浮かび上がらせ、坂道にもかかわらず、リズム良く軽快に登って行く。


 時折、桜の花びらが舞い散る様な強い風が吹いて来るが、ひまわり色したロードバイクは安定していてブレることはない。


 ロードバイク難無く坂道を駆け上がり、頂上付近でブレーキが掛けられた。


 ベネディクトはロードバイクから降りると、ボトルゲージから自転車用のドリンクボトルを取り一口ふくむ。それから、ロードバイクを木陰に立て掛けると、そのドリンクボトルを片手に、近くのガードレールをヒョイと乗り越えた。


 そこは、視界の遮るもののない、山から町を一望出来るような、開けた場所だ。


 阿紀神社あきじんじゃのある山よりも標高が高く、ちょうどそこを見下ろせる場所でもあった。


「この辺りがいいか」


 ベネディクトはサングラスを取ると、警戒したようにキョロキョロと辺りを見渡してから、背中のポケットから鍵の束を取り出す。


 鍵の束がジャラっと音を立てた。


 それは、昔の牢獄ろうごく看守かんしゅが使っていた様な、鍵を束ねる直径十センチほどの輪っかになっているもので、そこには多種多様な鍵が付いていた。


 彼女はその中から、鍵のヘッド部分が赤と白のツートンカラーになった物を選び、まみあげる。


 そして、何もない空間にその鍵を差し出すと、回した。



 ――――ガチャ。



 何もないはずの空間は、鍵が解除される音を立てて、開いた。


 開いた空間から現れたのは、黒い一羽のカラスだ。


 しかしそれは、正確にはカラスと呼べないかもしれない。理由は足が三本あるからである。


「ヴォクレール、先に行ってくれ」


 ベネディクトは、そのカラスらしきものにそう言いつけると、今度は黄色いキーヘッドの鍵を摘まんだ。


「さて、私のかんが外れ、何も起こらなければ良いんだがな」


 そう言って目を細めて、遠くに見える阿紀神社あきじんじゃを眺めた。






 桜の花びらが砂那さなの目の前を過ぎる時、風にあおられ、浮かんだ様に彼女の前で一瞬止まり、そして飛んでいった。


 砂那はそれに見惚れてから、睨みつけたような鋭い目線を山に向ける。


 八坂神社に向かう、細いコンクリートで舗装された道は、山からの桜の花びらが飛んできては、雪の様に積り舞っている。


 その中を昨日よりも多い悪霊が、山を下っていく。


 前を走るそうは、邪魔になる悪霊だけを、ターンイービルで浄霊して進んでいった。


「お願い八禍津刀比売やがまつとひめ、出てきて」


 砂那も自分の式守神しきしゅがみを出して応戦する。


 二人の考えが甘かった。まさか、昨日の今日でこれほどの事になってるとは、考えも付かなかった。


 あの素晴らしいかった結びの結界は、裂けるスピードが上がったのだろうか、山の頂上から降りてくる悪霊の量は増え続けている。


 空が曇っているためでもあるが、午前中にも関わらず、木々の影が濃く、何処どこか暗く、誰かに見られている感覚がつきまとう。


 そして、急いで八坂神社の境内けいだいにやってきた二人は、結びの結界を見て驚愕きょうがくの表情でそれを見た。


 結びの結界は、隙間どころか大きく裂けている。それが今も進行中で、見る見るあいだに裂け目が大きくなっている。


 残り時間はわずかしか残されていないだろう。


「蒼、――――結びが切れる! このままじゃ暴れ神が結びから出ちゃう!」


 これは、翠を説得云々うんぬんではなく、早く囲ってしまわないと、解放された暴れ神によって、町が危険にさらされてしまう。


「砂那、翠さんを探している暇はない。直ぐに囲ってくれ!」


 蒼の後ろに、少女の姿に変わったこぐろが現れる。


 しかし、その決断に砂那は心配そうな顔を向けた。


「でも、囲うまで二十分以上かかるわよ。それまでこの結びが持たない!」


 今からでも、祖母の華粧かしょうか、阿紀神社の神主をしている結び師に応援を求めるた方が良いのかも知れない。


 しかし、どちらにせよ時間が間に合わないであろう。


 蒼は少しだけ目をつむると、覚悟を表せたように真剣な瞳を砂那に向けた。


「あぁ、解ってる。だから、――――囲いが発動するまで、俺が中に入って暴れ神をおさえる」


 単純に考えて、その台詞は気の迷いとしかとらえられない。


 見ていたから解るのだが、彼の持つ魔法のターンイービルにそれほど大きな浄霊の力が有るとは思えない。


 それなら別の方法があるのかも知れないが、それでも難しいだろう。


 それは、彼が囲い師ではないからだ。


 囲いや結び無しに、神様をおさえるということは、式守神しきしゅがみとの契約のように、神様にお願いをして力を抑えてもらうか、徳を積んだ熟練者が霊力ちからで抑え込むしかない。


 昨日、結びの結界の中に入って、暴れ神の霊力を見たから解るが、この暴れ神は、篠田が抑えていた、辺りの氏神様達とは比べものに成らない。

 そこまで霊力が強いだろう。


 砂那の常識が当てはまるなら、この暴れ神を囲い無しで抑えれるのは、力ある総本山でくらいの高い囲い師達が、作戦を立ててやっと抑えられるレベルの神様なはずだ。


 蒼には悪いが、彼がそこまで徳の積んだ祓い屋には見えない。


 なのに彼は単独で時間を稼ぐと言う。


「だけど、危険だよ。わたしの八禍津刀比売やがまつとひめに頼んで………」


「駄目だ、それだと砂那が囲いを張りにいけない」


 砂那は蒼の反論に黙り込んだ。


 蒼の言う通りで、式守神しきしゅがみは確かに強力な存在だが制限も多い。憑いているものから、そう遠くに離れられないのである。


「けど………一人では危険すぎる!」


「解ってるが、応援を呼んでる時間が無い!」


 それは砂那も解っている。誰かが時間を稼がないと、暴れ神は砂那が囲いを発動する前に、この山から出ていくだろう。


 そうなると、翠がやっていた式守神しきしゅがみの契約に生け贄を差し出すどころではなく、確実に犠牲者が出てしまう。


 だからと言って、蒼を犠牲にしたくなかった。


 彼はアルクイン拝み屋探偵事務所にきた仕事を終えている。


 この件に関しては、関係無いのに無償で砂那を手伝ってくれている。


「砂那、忘れるな。――――俺は魔法使いだ」


「あっ、」


 その台詞で砂那は思い出した。


 砂那の先ほどからの考えは、あくまでも祓い屋にとっての常識である。


 彼女にとって魔法とはまだまだ未知の領域。砂那の知らない何かを蒼は持っているかもしれない。


「だから、大丈夫だ。俺を信じてくれ!」


「何か手はあるの?」


「あぁ、本来なら、あまり使いたくない手だがな」


 蒼は軽く肩を上げた。


 砂那はしばらく、ジッと蒼の瞳を見ていたが、彼女はその不可能に近い台詞にやっと頷く。


「解ったわ、早めに囲うからお願い!」


「任せてくれ。囲いの方はたのむぞリーダー。それから、暴れ神を祓うまで電話は繋げたままにしてくれ」


「解った。こぐろ行こう!」


 砂那はそう言うと、こぐろ用に持ってきたお札や串の入った肩掛けカバンを彼女に渡し、イヤホンマイクを耳に付けると横を向いた。


 カバンを受け取ったこぐろは、彼女とは反対方向を向く。


 蒼は山の頂上を向くと頷いた。


「じゃ、頼んだぞ!」


 蒼の声に、各自に頷くと走り出した。


 そして、しばらくしてから、蒼の後ろを追うように、翠は結びの結界の中に入っていく。






「お前っ! 気が狂ってるのか!」


 蒼たちから遅れて、篠田と辰巳も八坂神社に現れるが、その現状を見て辰巳は思わず声を上げた。


 二人の目の前の結びの結界は、大きく裂けていて、そこから悪霊があふれだしている。


 しかし、そんな辰巳の暴言には反応せず、前を向いたまま篠田は眉毛をしかめた。


「あの子、小さいのに、この山を囲うつもりか。流石は囲い師のエリート。ちょっとマズイな」


 篠田が見ていたのは、結びの結界の裂けている場所ではなく、砂那が囲いの準備をしているお札の付いた竹串で、どうやらそれをされると、篠田の考えに合わないらしい。


 篠田は仕方ないと言うように、腰バックからスマートフォンを取出し操作する。


 そんなのんきな篠田に、イラつきを隠せず辰巳は睨みつけた。


「おいっ! そんなことしてる場合か! お前、あの結びを切ったのか?」


「ありゃ、俺じゃ切れない。だから人に頼んだ」


「っ、」


 当たり前の様に答える篠田に、辰巳は一度言葉を失ってから、彼の目の前に迫ると、トーンの下がった真剣な声をあげる。


「そういう事を言ってるんじゃない。お前、この状況を解って言ってるのか?」


「あぁ、解っている」


 篠田はスマートフォンをいじりながら、再度、当たり前の様に答える。


「解っていたら何故そんなにのん気でいれる! 暴れ神がここから出た時の、被害がわからないのか? 何十、いや、下手すりゃ、何百もの死人が出るんだぞ!」


「それなら問題ない。大丈夫だ」


「いい加減にしろよ、てめー!」


 先ほどの翠の家から、あまりにも根拠が無く、いい加減な態度の篠田に対して、等々、辰巳は我慢出来ずに、操作しているスマートフォンを手で払い、彼の首根っこを握る。

 篠田のスマートフォンは近くに落ちた。


「暴れ神が出た時の被害も測れず、よくそれで、のうのうと大丈夫と言えるな!」


「あんたの物差ものさしで、勝手に測るなよ」


「確かに俺は、お前より囲い師としての能力は劣ってるよ! だがな、死人を出してまで何かをするのは間違ってることぐらい、俺でも解る!」


 篠田はその状況に、呆れたように溜息を吐いた。


 全く、自分や阿部を手伝っているにも関わらず、この辰巳という男は真面目すぎて面倒くさい人間だ。


 だが、篠田はこの男が何処なぜか憎めなかった。


 そういった場所が、少しだけ蒼に似ているからかも知れない。


 篠田は仕方なしに、やっと説明を始めた。


「あのなー、この場に、俺を含めて、あの暴れ神をどうにかできる人間が三人居る」


 どうにか出来るとは、祓ったり、壊滅したりと言う意味だろう。


 辰巳は篠田の首根っこを握ったまま、呆気あっけにとられた顔で彼をみる。


 そして裏返させた、間抜けな声を上げた。


「………あれを祓える人間が、三人も? あれを祓えるのか?」


「あぁ、祓える」


 篠田は面倒くさそうに答えてから、首根っこを握られたまま、見にくそうに空を眺めた。


 空には一羽のカラスが迂回している。


 それを見て、篠田はさっきの台詞を訂正した。


「いや、悪い。四人だ。………いや、あの囲いからして、折坂の娘もいけるな。五人かな?」


 最後の辺りは自信なさげに答えると、解ったかと言いたげに辰巳を見る。


 辰巳はまだ間抜けな、信じられない様な顔で、篠田を見ていた。


「お前等、あれを、本当に祓えるのかよ?」


 辰巳の知る限り、あのクラスの暴れ神を祓うには総本山でも、こつの〈AAAトリプル〉レベルの囲い師ぐらいだ。


 もちろん、総本山でもAAAトリプルの位を持ったものは多く居ない。


 なのに、それがこの場に五人も居るとは信じがたかった。


「あぁ、祓える。それに、それだけ居たら、暴れ神が出たところで、誰かが何とかするだろ。それが大丈夫の答えだ。………解ったら、いい加減に離せよ」


 辰巳は曖昧な表情で篠田を離すと、もう一度、信じられない様に裂けた結びの結界の中の、薄っすらとうかがえる暴れ神を見た。


 そこからは高い霊力を感る。


 それを祓うのは辰巳が知る限りては、総本山でも大仕事になるだろう。


 なのにこの場にいるのは、篠田と自分も含めたBクラスの人間二人と、残りは総本山にも所属していない様な人物達である。


 それに、五人のうちの残りの二人はどこにいるのか解らない。


 確かに、篠田はただのBクラスで無いとしても、普通に考えれば、この場にいる全員でかかっても難しい話だ。


 それが、一人一人がこの暴れ神を祓えるとなると、正しいはずの辰巳の常識がおかしく感じる。


「本当に五人も居るのか? でも、もし居たとしたら………」


 辰巳はそこで一旦いったん、言葉を区切って唾を飲み込んだ。


「………この地は、化け物の集まりかよ!」


 篠田はスマートフォンを拾いあげる。土の上に落ちたので壊れなかったようだ。


「ちゃんと居てるし、それは努力した結果の話だ。化け物は一人だけだよ」


 軽口を叩いてから、首元が伸びそうになったTシャツを正し、スマートフォンを耳に当てる。

 そして、相手が電話に出る短い間に付け加えた。


「だから安心して見てろ。まぁ、俺は仕事が終わったから、手伝う気は無いがな………もしもし、ナインワードか? 頼みたいことがもう一個できた」


 相手が出たのか、篠田は電話をしながら、その場に腰を下ろす。


 再び、辰巳は信じられない顔で篠田見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る