第15話 薄らぐ痛み




「帰っていくよ? 諦めてくれたのかな?」


「いや、彼女がそう簡単に諦めたとは思えない。しかし、理由は解らないが、暴れ神を祓うのなら、彼女がいない方がこっちとしては都合がいい」


 それはみどりを無視して囲いを始めても、彼女が抵抗して邪魔される可能性が大きいからだ。


 そこは砂那さなも同意見だったのか頷いた。


「それにしても、あの男の人は何者だろう? あの人も囲い師みたいだね」


 砂那はその人物の囲いを目の前で見ている。


 あれほど綺麗で堅陣な囲いを張る人物なら、もっと歳のいった熟練者が囲っていたと思っていたが、今の姿を見る限りでは、そうと同じくらいの年代の少年で内心驚いていた。


 上には上がいるものである。


 囲いに自信のある砂那でも、その人物と同等の美しさと、強度の誇る囲いを張る自信は、今はなかった。


「あぁ、あいつは知ってる。篠田 俊しのだ しゅんと言う、総本山の囲い師だ」


 蒼の言葉に砂那は慌てて蒼を見た。


「総本山、の囲い師………知り合いなの?」


「昔からの腐れ縁ってやつだ。………それより砂那、意識を集中して囲いを見てみろ」


「?」


 蒼の台詞に従い、砂那はこぐろを通して篠田の囲いを見上げる。


 一度は自分の目で見たから解るが、あの時と変わらず、角度も測られたように正確で、強度も申し分ない素晴らしい囲いだ。


「さっきも見たから知っているけど、すごい囲いね。芸術性すら感じるわ。………だけど、それがどうしたの?」


「もっと、よく見てみろ。さっきと少し違うだろ」


 蒼の台詞で、砂那はもう一度囲いを見てみる。


 そこでやっと気付いた。


 確かに、あの時とは違う場所が二か所あった。


 一つは先ほどとは違い、隙間なく悪霊が出ないようにきっちりと囲っていること。


 そしてもう一つは……………。


「わたしが囲った時よりも、囲いが大きい? これって、………結びの裂け目が大きくなっていない?」


 砂那の意見に蒼はその通りだと頷いた。


 先ほどに八坂神社では、結びの裂け目と、篠田の囲いが合っておらず、隙間から悪霊が漏れ出すいい加減な囲いに見えたが違ったのである。


 元々、篠田は結びと囲いの隙間なく囲ってあったのだろう。


 しかし結びが古いため、裂けた場所が徐々じょじょに大きくなり、囲いとの隙間が出来てきて、そこから悪霊が出て来ていたのだ。


「裂け目が出来たことにより、結びが弱くなっている。このままでは、また隙間が大きく成って、悪霊が漏れ出す恐れがあるぞ」


「これは、早いとこ暴れ神を祓った方が良いわね。明日の朝直ぐに行きましょう」


 暴れ神を祓えば、悪霊もよってくることがなく、もう二度と阿紀神社の山を囲ったり、結んだりする必要もなくなる。


「それより魔法の契約が終わったなら、今から五十囲いが出来るか試しに行きたいけど………」


 構わないかと尋ねたように、砂那は蒼の表情をうかがう。


「あぁ、それは構わないが、その前に砂那、サブマスターになれたか確認のため、一度こぐろを呼び戻してくれ」


「どうすればいいの?」


「声に出しても構わないが、基本的には、頭の中でこぐろに話しかければいい」


 砂那は頷くと目を閉じ、小さく「こぐろ戻っておいで」と呟いた。


 蒼が意識を集中して見ていると、こぐろは素直に従って帰り道を急いでいる。

 蒼は満足げに頷いてみせた。






 あの時、月を眺めながら、砂那は語っていた。


『わたしも翠さんと同じなのよ。小さい時は何も出来なかった。………極端に体が弱くて、囲い師がどうのこうの言う前に、体力が全然無くて駄目だったの』


 軽くではあったが昔を話したことで、その夜、砂那は懐かしい夢を見た。


 思い出したくない、棘が心臓に刺さったような、痛い昔の思い出。


 本当は軽くない、心の傷。



 ――――――脳裏に焼け付いているのは、大人たちの困った顔だった。






 砂那は雷伴かみなりともなう嵐の真っただ中に生まれた。


 雨が激しく、停電の心配をされながら生まれた彼女は、未熟児ながらも、折坂家待望の子供だと喜ばれた。


 親戚や職場からもお祝いが届き、砂那を真ん中において何枚もの写真が飾られた。


 両親はしつけや、歴史をおもんじることにはきびしかったが、それでも笑いが絶えず、幸福にちた時間が訪れた。


 しかし、それはとても短く、すごく簡単に変わっていった。


 砂那が成長していくにともない、父親の善一郎ぜんいちろうも、母親の小百合さゆりも余り笑わなくなっていった。


 それは砂那が幼稚園に行き出した辺りからだ。


 砂那には最初は解らなかったし、そんなものだと思っていた。


 元々、体が小さく体力も無い彼女は、よく先生に付き添われていた。その時も解らなかった。


 ハッキリしたのは、年長に上がった運動会の時だった。


 二百メートルのトラックを、半周の百メートルずつ走るリレーだった。


 練習の時から砂那はどこかおかしく思っていた。


 皆が百メートル走るのに対して、彼女だけが四分の一周、五十メートルだった。


 彼女だけは皆と同じように走らせてくれない。


 先生は「ゆっくりでいいからね」と、何度も砂那に微笑みかけた。


 学級で一番大柄な男の子が、砂那の代わりに百五十メートル走っていた。


 他の子ができることが、わたしは出来ない。


 そう気付いた砂那は、手を繋いでくれていた先生を見上げて、「わたしも、皆と同じように走りたい」と訴えた。


 先生はただ困った顔をしていた。


 幼いながらも、それが嫌で、悲しくて、砂那は泣きながら両親に訴えた。「幼稚園に行きたくない。運動会に出たくない」と。


 善一郎も小百合も、幼稚園の先生と同じように、ただ困った顔をしていただけだった。


 砂那が幼いからだろうか、大人たちは理由も言ってくれないし、怒ってもくれなかった。


 ただ、困った顔をするだけ。


 明確ではないが、幼い彼女にもある程度は理解できた。


 ――――わたしは、皆よりもおとっている。皆が出来ることができない。


 それは、その者にならないと解らない、絶望。


 砂那は少しだけ、父親と母親に会いたくなくなった。


 彼女は運動会当日、皆より短い五十メートルを泣きながら走った。


 皆よりもおとっている自分が、情けなかったし悔しかった。そして何より、両親に申し訳なくて。


 砂那は大きくなるにしたがって、しだいに自分は伝統ある折坂家の脚を引っ張る愚かな者だと、そう考えるようになっていった。


 結局砂那は、東京にある総本山に勤める善一郎に着いて行かず、両親から離れ、この地にとどまり最大限の努力をした。


 華粧かしょうに囲いを習い、体力作りのために小さい頃から走りこんだ。


 友達と遊ばず、生傷が絶えないまま浄霊を行った。


 もともと体力の無い彼女には、他人が思う以上に辛かったが、絶対にあきらめなかった。


 その理由を口ではよく「折坂家に恥じぬよう」とこぼしていたが、本当はもっと単純で、彼女はただ、両親や祖母に認められたいだけだった。


 おかあさんによくやったと抱きしめられ、おとうさんに頭を撫でられながら、頑張ったなと言われたいだけ。


 ただ、それだけの願望。


 それが時が進むに連れて、認めてもらうために囲い師のトップ、総本山に入りたいと目的が変わっていく。


 しかし、他に比べる者がおらず、自分の実力が解らずあがいていた。強がってみせた。


 そんなときに蒼と出会ったのだ。


 不細工な月明かりの下、何気ない蒼の「バカにはしていない。あの速で囲うのは立派だ。そこは認める」の台詞。


 他人から見ても立派に思う囲いが出来るようになった事実。


 その言葉が彼女にしてみれば、どれ程嬉しかった事か蒼には解らない。


 何故だろう、見たくない嫌な夢なのに、今わたしはそんなに胸が痛くない。


 そう思って砂那はゆっくり目を開いた。

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