第14話 月明かりの契約



 部屋の電気は点いてるはずなのに、何故かその時、蛍光灯の灯りはおぼろげに見え、月明かりに照らさらたそうの瞳が、砂那さなをとらえていた。


 砂那はどこか夢の中の風景の様に彼を眺め続けた。



 ――――――魔法の契約――――――



 それは今まで味わったことのない不思議な感覚だった。


 砂那は囲い師だ。


 彼女は折坂家の生業なりわいに従ったように、囲い師だけを目指してきて今まで頑張ってきた。


 元々ない体力をつけるために、スポーツ選手のように走りこんだ。


 大きなダガーを何本も収納したコートを引きずるようにして、山道を駆けずり回り、何度もダガーを投げることで、囲いの基本を覚え、囲いの正確さ速さを求めた。


 それだけに打ち込み、同世代の子のように、遊びやおしゃれや、色々なものから目を離し、傷を負いながら汗だくになる毎日を過ごした。


 そんな毎日を送っていたので、当然、友達も少ないし、異性との浮いた話も皆無かいむに等しかった。


 砂那の目の前には、男性と呼ぶには少しだけ早く、少年と呼ぶには少しだけ遅い彼がいる。


 その彼が、自分を魔法と言う未知なる領域りょういきいざなろうとしている。


 だからこの時砂那は、とても不思議で少し怖くて、それなのに、心のどこかでは喜んでいた。 


「………魔法の契約」


 少し興奮しているのか頬を赤らめたまま、砂那の小さな唇が、呟くように言葉を漏らし出す。


「契約と言っても、そう危険な物でも堅苦しい物でもないんだ。――――砂那をこぐろのサブマスターにする」


「こぐろの? さぶ、ますたー?」


 聞きなれない言葉に、砂那はたどたどしく聞き返す。


「サブマスターと言うのは、要するにマスターの代理、サブだよ。――――俺たち魔法使いは式神や、式守神しきしゅがみを使わない。その代わりに〈使い魔〉を使う」


「こぐろは使い魔なの?」


「その通りだ、こぐろは俺の使い魔になる。………使い魔は、偵察や攻撃を手伝ってくれたりする、祓い屋で言う、式神の様なものだ。それに、ここも式神と同じで使い魔も数の制限がない」


 式神は術者の能力に合わせて多くしたがえれる。


 しかし、砂那や他の囲い師たちが使っている式守神しきしゅがみは、確かに強力な霊力と攻撃力を持っているが、数の制限がある。


 一人一体。


 それは、二つ以上だと式守神しきしゅがみ同士が喧嘩をしてしまい、どちらも本来の力が出せず、最終的には両方とも術者から離れていくからである。


「内容的に使い魔は式神と良く似ているが、根本的には全く違う。………それは、使い魔には媒体ばいたいとなる肉体があるからなんだ」


「肉体があるとどうなるの?」


 蒼の言っている意味が解らず、砂那が不思議そうにたずねる。蒼は簡単に答えた。


「声を出せるし、物を持つことができる」


 その言葉で、砂那の目に一瞬、好奇心の光が入った。


「それでこぐろは話せたの?」


「そうだ」


 式神や、式守神しきしゅがみはあくまでも霊体である。


 一時的に物理的な攻撃や防御は出来るけれど、肉体がないので声帯を持っていない。

 だから声が出せないのである。


 しかし、蒼が本当に伝えたいのはそこではない。声はどうでもいいのだ。


 本当に伝えたいのは、もう一つの方だ。


「しかし、話せることは重要でない。使い魔は偵察だけでなく、物を運ぶことができる。ここが重要なんだ。………今回、五十囲いをするときの難点は、広い範囲にお札を縫い付けていく行為だ。これは案外、時間がかかる。その時に、俺が悪霊たちを抑えていたり手を貸せなくても、砂那が俺をかいせず、直接こぐろに命令できる」


 砂那はなるほどと頷いた。


「お札を縫い付けるのを手伝ってもらうのね」


「あぁ、こぐろは足も速いし役に立つと思う」


「それを、わたしが指示するの?」


「細かい指示できるから、そっちの方が便利だろ?」


 蒼の話の内容に砂那は頷いた。


 今回は山の頂上をぐるーと一周囲うのだ。誰かに手伝ってもらわないと時間がかかる。


「うん、それは嬉しいけど………」


 しかし砂那はそこで口籠る。


 蒼は危険なものでは無いと言ったが、砂那には魔法は未知の領域。


 昔話や童話、色々な情報から想像するに、魔法使いの契約と言えば、どちらかと言うと暗いイメージが付きまとう。


 だからついついこんな言葉が口に出た。


「ほんとに大丈夫? 寿命が縮むとかない?」


 その返答に蒼は苦笑いした。


 砂那はさっしが良い。


 無条件で大きな力を手に入れる方法は、この世の中にあまりにも少ない。


「そこまでの危険は無いが………確かに、その契約の方法はあまり心地よくはない」


「心地よくないの?」


 砂那は恐々と聞いてくるので、蒼は言いにくそうに次の台詞を続ける。


「あぁ、心地よくないと言うか、嫌悪感を抱くかもしれない」


「どういうこと?」


 砂那の問いかけに蒼は説明を開始した。


「こぐろのマスターは俺だ。その代理をするサブマスターの砂那が、俺から許可を得て命令している事を、こぐろに解ってもらわないといけない」


 そこまでは納得したのか砂那は頷く。


「だから、におい付けと言うか、俺の魔力をこぐろに感じさせるために、俺の一部を肉体に取り入れなくてはいけないんだ」


 言いにくいことなのか、先ほどから蒼は目線も外し、遠回しでなんとも歯切れは悪い。


 砂那は解りづらい蒼の話を聞いて、少しだけ首を傾げた。


「要はどうすればいいの?」


「あぁ、方法としてはマスターの血を飲むしかない。………要するに、砂那が俺の血を飲まなくてはいけないんだ。――――ほんのわずかだけ」


 蒼は親指と人差し指を小さく開けて、少量を強調する。


 実は蒼はこう説明したが、契約の方法は他にもあるのだ。


 一番の契約の主流は、今しがた蒼が言ったように、マスターの肉体の一部を口にする事である。

 しかし他にも、輸血したり、肉体関係を持ったりなど契約の方法も多々ある。


 だがそれには、医療器具を用意したり、肉体を重ねたりなど、そう簡単にはいかない。


 肉体の一部を口にするも、重要な部位の方が効果的で、髪や爪や唾液だえきなどは効力が薄く、使い魔があまり言うことを聞いてくれない。

 もちろん排泄物においては論外だ。


 一番すぐれているのはマスターの脳や心臓らしいが、それはさすがに提供できない。


 その点において、血を飲むという行為は良く契約時に使われる。


 理由は簡単で、血液やリンパ液などは、体内を回る需要な要素でもあるし、提供もしやすいからだ。


 だだ、他人の血液を口にするという、嫌悪感がぬぐいきれないのがネックではあるが。


 砂那は話の内容を聞いて、安堵あんどした様に蒼を見ていた。


 自分の体の一部を取られたり、寿命が縮むとかに比べれば、他人の血を飲むくらいは我慢できる。


「それぐらいなら良いよ。蒼の血を飲むだけでしょ?」


「あぁ、ほんの少しだけな………だけど、本当にいいのか?」


 蒼は砂那の顔色をうかがうが、砂那は躊躇ちゅうちょなく答えた。


「いいわよ。やる」


 普通なら、魔法という理解出来ない力に対してもっとおくするものだが、砂那は思い切りが良い。


 こちらから誘ったとはいえ、蒼はそれに感心していた。


「解った、それなら準備をする。途中で気が変わったら言ってくれ。直ぐに止めるから」


 砂那は頷いた。






 部屋の電気は消され、ロウソクを小皿に載せた物が六個、正六角形に畳に上に置かれている。


 ロウソクは全て淡い炎を灯しており、その中心に蒼と砂那が、膝立ちした姿で向かい合っていた。


 蒼の身長は男性の中でもごく平均的なものだ。しかし、砂那と並ぶと頭一つ分は高い。


 だから、蒼は少しだけ顎を引いて目線を下げ、砂那は少しだけ見上げた格好で、お互いの瞳を見ていた。


 砂那は緊張した面持ちで頬を赤らめている。


 ロウソクの炎は離れているので、二人を照らすだけの明るさは無く、月明かりだけが二人を照らし、畳の上に長い影を作り出していた。


「今から契約を行う」


 蒼の声に、砂那は小さく頷いた。


 真っ直ぐに砂那を見つめていた瞳を閉じると、蒼は契約用の詠唱えいしょうを唱える。


知識ちしき無きわれが本を持ち、ほう無き我が外界げかいの法をよういて、使い魔の権利を共有する」


 そこまで言ってから、蒼は目を見開いた。


「我が使い魔の権利を、我が血に乗せて、折坂 砂那に分け与える」


「わたしは、マスターの春野 蒼はるの そうの血を受け入れることで、使い魔の権利を得る」


 練習通りに砂那が台詞を言う。


 魔法には本名が重要な意味を持っている。

 ここで使われた春野 蒼という名は、今では語ることの無くなった蒼の本名だ。


 蒼はカッターナイフの刃を出すと、自分の左手の人差し指を浅く切り、血が流れたまま砂那に指を向けた。


 砂那は恥ずかしいのか、頬を真っ赤にして、ゆっくりと蒼の人差し指をくわえる。


 人差し指は生暖かい感覚に包まれ、蒼は一瞬だけ目を細めたが、身動きはしないように努力をした。


 砂那はそのまま目を閉じて蒼の指を吸うと、二、三度喉を鳴らす。


 そして砂那は口から指を離すと、目を開き、蒼の血を飲んだと頷いた。


 蒼は言葉を続ける。


「血の契約により、折坂 砂那が我が使い魔のサブマスターとなった事を、新しい法として定める」


 蒼のその発言で、ロウソクの炎が勢いを増し、二人を囲う正六角形の魔方陣まほうじんが青色に淡く輝く。


 砂那は少し視点の合わない瞳で、何処どこか夢心地にそれを眺めていた。


 蒼の血を飲んだことにより、胃の辺りから徐々に、身体の内側に火が入ったように熱くなっていき、膝立ちしていることさえ辛いほど、体に力が入らない。


 恐い事のはずなのに、このままこの誘惑に溺れていたいという感覚におちいっていく。


 ゆっくりと、ロウソクの炎は元に戻り、これで契約は終わったのか、蒼は立ち上がると、急いで部屋の片隅に置かれた、水の入ったペットボトルとタオルを取り、砂那に渡した。


「気持ち悪かったろ、早く口をゆすいでくれ」


 砂那は力が抜けたように、畳にペタンと腰をつけると、曖昧な感じで頷き、差し出されたペットボトルを受け取った。


 しかし、それには口を付けようとはせず、受け取った姿のまま、しばらく動きを止めて、焦点の合っていない目で、ぼーっと畳の一点を見つめていた。


 その様子に蒼は慌てて問いかける。


「大丈夫か?」


「えっ? うん」


 心配を顔に表せて問いかける蒼に対して、砂那はやっと正気を取り戻したように、視点を彼に会わせると、赤い頬をさらに赤くして慌てて頷いた。


 実は言うと、蒼はベネディクトにより魔法の契約を受けたことはあるが、使うのはこれが初めてである。


 しかも彼は、詠唱魔法はターンイービルの一つしか使えない、落ちこぼれの魔法使いだ。

 だから魔法の契約がちゃんと出来のか不安があった。


 今回はロウソクの動きや、砂那の状態を見るに限り、自分がベネディクトに受けた魔法の契約と、同じ状態や結果が現れたので、成功と見ていいだろう。


 砂那は受け取ったペットボトルの水を口に含み、くちゅくちゅと口をゆすいでいたが、何かを感じ取った様に突如に目を見開くと、目線を外に移動して、そのまま口の中の水をゴクリと飲みほした。


 口の中の水を、庭にでも捨てると思っていた蒼は、その様子に驚く。


「どうした?」


「………蒼、」


 砂那は顔を戻して蒼を見る。


 その表情は驚きと焦りが入り混じっていた。


「これってなに? 翠さんが見える。それに知らない男の人も………」


「ん?」


 砂那の問いかけに少しのタイムラグを取り、意味の解った蒼は目を瞑り、意識を集中してこぐろに問いかける。


 こぐろから送られてきた念波の映像は、囲いを解除し、八坂神社の社務所から出てきた、翠と蒼の友人の篠田という若い囲い師の姿だった。


 翠はふらつきながらも自分の脚で歩いて行く。篠田はそんな翠を支えるわけでもなく、スマートホンを耳に当てて、談笑したまま、すでに下準備を済ましていたのか、左手で十六芒星じゅうろくぼうせいそらで書き、囲いを発動させる。


 囲いは直ぐに現れ、篠田もその場を離れると翠の後ろについて歩きだす。


 音声は聞こえないので、この映像を見る限りでは、何とも軽薄に見える態度である。


「ねぇ蒼、これって何なの?」


「あぁ、こぐろが見ている物が見えてるんだ。砂那がサブマスターになった証拠だ」


 そう言いながら、蒼は砂那にたいして感心していた。


 普通なら意識を集中して使い魔と連絡を取らない限り、使い魔の見ている映像は見えることはない。


 しかし砂那は、意識を集中しなくても、こぐろの見ている映像が見えた。


 これは彼女は蒼よりも、こぐろとの相性がいいのかもしれない。


「これはこぐろの?………翠さんが境内けいだいを出て行こうとしてるよ、成功したのかな?」


 砂那は問いかけてくるが、蒼にも意味が解らない。


 しかし、囲いが途切れた時には、まだ山頂にいる暴れ神の存在をこぐろが確認しているので、成功したわけでは無いだろう。


 それならば諦めたのか知れないが、先ほどの砂那の話を聞くかぎり、翠がそう簡単に諦めて帰るとも思えない。


「暴れ神はまだ山頂に居るから、成功はしていないはずだ。……………だけど、なぜだ?」


 蒼は映像に集中しているところで、翠が小石に足を取られ倒れそうになる。


 篠田はスマートフォンを持っていない左手で、翠の右手を取って倒れないように支えた。


 相変わらず電話をした状態ではあるが。


 そこで丁度、こぐろと篠田の目が合い、篠田はスマートフォンを耳に当てたまま、受話器を口元から遠ざけ、口元を弛めてから、こぐろに向かって大きく口を動かせた。


 声は聞こえなかったが口の動きから、蒼には『待っているぜ』と言ったように見え、思わずつばを飲み込む。


 砂那は蒼のように、篠田の口の動きから内容は読み取れなかったが、その少年の笑顔を見て、なんて自信にあふれた笑顔だろうと思っていた。


 翠が頬を赤らめながら二、三言、支えられた篠田に何か伝え、彼は手を離した。


 そして、二人してこぐろの前を通りすぎると、八坂神社の境内を出ていく。

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