第11話 八坂神社



 砂那さなは大振りのダガーを握り締めたまま、社務所しゃむしょを見て固唾かたずを飲み込んだ。


 誰が囲ったか知らないが、パッと見ると、結びと囲いの結界の間が隙間だらけでいい加減な囲いにも見える。


 しかし内容は、十六もの多角な囲いなのに、角が測られたように正確で、キッチリと整えられた見事な囲いだ。


 自分も含めて、これほど正確で綺麗な囲いは見たことがない。


 砂那がその囲いを見てほうけている中、そうは囲いに使われている、お札を地面にい付けている道具を見ていた。


 道具は細長いステンレス製のくしで、百均などで簡単に手に入る品だ。これを使って居る人物は、蒼がさきほど頭を過った二人と一致する。


 その二人とは、蒼の実の姉にいたる人物と、友人の篠田という人物で、共に囲い師だ。


 しかし、二人とも使い勝手が良いので使っているだけで、この二人以外の者が使っていないとも言きれない。


 それに、こんなややこしい囲いを張る意味が解らない。この囲いの中に何が有るのか。


 蒼は囲いの中を覗こうとして目を細めた。だがやはり、囲いの中の霊視は出来ない。


「砂那、十六囲いは出来るか?」


 顔を戻さず、囲いを見たままの蒼の問いかけに、砂那は彼の言わんとしている意味が解った。


「蒼、まさか………囲いを切るの? そんな事をして大丈夫?」


 蒼が言ったことは、囲いを切ってから中に入り、砂那に囲いを張り直してほしいと言うことなのだろう。


 しかし、隙間が開いているとはいえ、その囲いが有るから大量の悪霊が出ないのだ。


 それを取っ払えば悪霊は一気にあふれ出すだろう。


 砂那の心配をよそに蒼は頷いた。


「言いたいことは解るが、とにかく、中を視てみないと何も出来ない。このままでは手が出せないし、先にお札を縫い付けておけば、囲いを切っても直ぐに代わりが囲える。………それなら、悪霊もそんなに外に出ないはずだ」


 それは、確かに蒼の言う通りだ。


 この辺りにけがれや、霊的障害の事故や憑き物が増えて来た理由は解ったが、まだ解決策はない。このまま何もせずに家には帰れない。


「十六囲いは出来るけど、囲いはどうやって切るの?」


 ロングコートの中には、丁度ダガーが十六本有る。


 その全て使った、十六囲いは何度か使った事が有るので出来るが、囲いや結びなどの結界は切ったことはない。


「すまないが俺は駄目だ。砂那は、九字は切れないのか?」


 〈九字〉と言うのは九字護身法くじごしんぼうで、神仏を表す九種類の印契いんげいりんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんを用いて、邪気や悪霊など祓う方法で、熟練者は囲いや結びの結界を切ることができる。


「ダメ、わたしの九字切りでは囲いは切れないわ。出来て願掛がんか程度ていどよ」


 砂那は祖母の華粧に、囲いだけを重点的に習った。


 だから祓い屋の知識や調査や、その他の技術関係をあまり得意とはしない。


「だったら、砂那の式守神しきしゅがみでこの囲いが切れないか? 霊体を切っていたから可能なはずだ」


 その問いかけに砂那は怪訝けげんな顔をする。


 昨夜に出会ったとき、神社で式守神しきしゅがみを出すのは考えた方がいいぞと注意したのは蒼の方だ。あれから彼女もその意味を考え、理解して恥じたというのに、今ここで式守神しきしゅがみを出せば、昨夜と同じことになるだろう。


 砂那の無言のうったえに、蒼は神様がまつられている本殿の方を見て頷いた。


「大丈夫、今この神社の神様の気配は希薄きはくだ。邪魔される心配はないだろうし、多分、こうなった時に、この囲いを使った囲い師におさえ込まれている」


 蒼の言うことが正しいなら、これを囲った囲い師は、神様を抑えている。

 かなりの力量を持っているのだろう。


 総本山で言うならAAAトリプルクラスの〈こつ〉に匹敵する。


「やった事は無いけど、八禍津刀比売やがまつとひめなら出来ると思う」


 よしと、蒼は頷いた。


「囲いの準備は手伝う。まずは俺達が入ってから囲う分と、出てから囲う分と、二回分お札を縫い付けていく」


「だけど、そんなにダガーの本数は無いよ」


「あぁ、最初の俺達が入っても、内容が分かれば直ぐに出るから、その分は、石か何かでお札が飛ばない程度で良い。最後に囲う分はダガーを使わせてくれ」


「解ったわ。それなら、わたしは右から行くから、蒼は左から回って」


 砂那は簡単にそう伝えると、ロングコートからダガーを八本抜き取り、お札と共に蒼に渡す。


 手に取って解ったが、素材が関係しているのか、そのダガーは見た目よりも案外に軽い。


「………すまない」


 蒼は一言だけ謝った。


 砂那のダガーは、全てこの場に置いて帰る事になるだろう。


 所詮しょせんは囲いの道具は消耗品だが、そのダガーは見るからに、細かい細工もほどこされており、値段も張りそうだ。


 そして何より、彼女は好んでそれを使っているふしがある。それを蒼は影ながらに捨てて帰ると言っているのを、彼女はあっさり承知しょうちしてくれたのだ。


 それが解ったのか砂那は首を振る。


「予備が有るから大丈夫よ。でも、もし、ここに何もなかったら弁償べんしょうしてもらうわ」


 砂那はそう言って、笑顔を蒼に見せた。


 その様子からして、彼女は冗談として言っているのだろう。


「あぁ、解った。何もなかったら、極力、安く見積みつもってくれよ」


 その冗談に対して、こちらも冗談で返した様に聞こえるが、一人暮らしの蒼にしては、けっこう本気な返しだった。


 一人暮らしは何かとり様がある。


 二人は同時に、囲いのふちを駆け出し、現在の囲いに使われているお札の、外側三十センチに新たなお札を、近場にある石で固定して行く。

 こちらは自分達が入って直ぐに囲う分だ。


 そして、そのお札のさらに外側三十センチに、今度は砂那のダガーでお札を縫い付けて行く。

 こちらは全て終わった後に始動する分だ。


 十六囲いの二セット、三十二枚のお札をセットして行く。


 もちろん隙間から結びの結界の中にも入り、お札を縫い付けていく。


 結びの結界の中は思いのほか悪霊が多いが、今は無視をして作業を進めた。


 何かとちょっかいを掛けてくる悪霊を尻目しりめに、十六枚目の最後のお札を地面に縫い付け、蒼は山の頂上部分を見上げた。


 頂上付近には真っ赤な危険色、大きな霊力を感じる。


 ここからでもわかるが、確かにあれは暴れ神だろう。あまり係わりたくない存在だ。


 隣には同じように頂上を見上げた砂那がいた。


 二人は三十二枚のお札を縫い付けて、再び社務所の前に戻る。


「よし、砂那、始めてくれ!」


「うん、八禍津刀比売やがまつとひめ、出て来て!」


 砂那は目をつむり、自分の背中に意識を集中させる。


 彼女の背後には、怒りの表情と、八本腕を持った女性体の鬼、八禍津刀比売やがまつとひめが静かに現れる。


 砂那は目を見開くと、キツイ釣り目で囲いを睨み付け叫んだ。


「お願い、この囲いを切って!」


 砂那のお願いに八禍津刀比売やがまつとひめは、右手の大剣を振り上げ、真っ直ぐに振り下ろす。


 勢いの付いた大剣は、囲いの結界に触れると、キィーンと乾いた音をひびかせ動きを止めた。


「っ、硬い!」


 結界を切るのは始めてで、他の囲いの固さなど解らないのだが、砂那は直感的に理解した。


 この囲いは他の囲いに比べて、格段に硬い。


 形といい、これほどの精度と硬さをもつ囲いを張った者は、只者ただものではないだろう。

 でも、今はそんな事に感心してられない。


「お願い! 八禍津刀比売やがまつとひめ――――切って!!!」


 砂那の叫びに、今度は八禍津刀比売やがまつとひめが背中の六本の腕の大剣も同時に振り下ろす。


 そして、七本の大剣が重なった瞬間、勢いがついた大剣たちが通った。


 囲いはガラスを割った様な、パリッーンと言う音をたてて消え去っていく。


「蒼、早く!」


 砂那の声をきっかけに、蒼は社務所に跳び込む。砂那は走りながら、左手で空中に十六芒星ぼうせいを描いた。


 そして、二人が社務所に入った瞬間に囲いが現れる。時間は五秒と掛からなかっただろう。


 深く息を吐くと、思い通りの結果に、砂那は思わず右手だけで小さくガッツポーズを取る。


 囲いの発動は早く、悪霊たちもそんなに外には出なかったはずだ。


 二人が駆け込んだ社務所の中は、靴を脱ぐだけの踏み板の置かれた玄関があり、登り口に障子戸(しょうじど)の仕切りがあるあっさりとしたものだった。


 蒼はその障子戸をあけた。


 江戸間ではない、今では関西でも珍しい京間の、八畳二間の畳部屋の中には、巫女姿の一人の少女がうつ伏せの状態で倒れていた。


 二人は靴を脱ぎ捨て、慌てて駆け寄る。


「おい、大丈夫か?」


 蒼の問いかけに返答はないが、一応、息は有るようで、肩が呼吸に合わせて上下している。


 砂那はその少女に近付くと、見知った顔に眉毛をしかめた。


みどりさん?」


 砂那の声に反応してか、翠と呼ばれた少女はゆっくりと顔を上げる。


「おっ、折坂? ……なんで、あなたが、ここに、居るの?」


 枯れた声で息を切らしながら、視界が合わせにくいのか何度か目を細める。


 顔つきからして、砂那よりの年上なのだろう。


 肩に掛かるぐらいの髪が、しばらく洗っていないようにバサバサに乱れている。


 着替えもしばらくしていなのか、上着の白色の白衣びゃくえは卵色がかっていて、あかで首元が汚れていた。


 朱袴しゅばかまも着乱れ、しわくちゃである。


 ほほがこけていて、力が入れないのか腕で体を支えるように起き上がる。この状態からして断食していたのだろう。


 そして、この様な場所で断食している理由が二人には解った。特に砂那は一度経験までしている。


 これは、式守神しきしゅがみと契約する儀式である。


 蒼は目線だけで砂那に「知り合いか」と尋ねた。


「あっと、さっき言ってた、私以外の……………」


 砂那は言いにくそうに言葉を濁す。


 言いよどんだのは、先ほど話していた、三代前に衰退した囲い師が、いま目の前にいる彼女なのだからだろう。


 しかし、現在は霊能力が無く、囲い師ではないはずだ。それなら式守神の契約も出来ないはずである。


 戸惑った表情の蒼をそのままに、砂那は体を起こそうとしている翠を助けようとして、手を差し伸べるが、寸前のところで彼女に振り払われた。


 振り払った拍子で、翠は顔から前に倒れ込む。


 しかし気丈にも、もう一度起き上がり、真剣な眼差しを砂那に向けた。


「よっ、余計な事をしないで! 契約の最中よ!」


 砂那は慌てて手を引っ込めた。


 蒼は呆れたように話しかける。


「契約って、暴れ神を式守神しきしゅがみにするつもりだったのか?」


 たしかにそれは、可能なのは可能である。


 しかし、あくまでも可能なだけで、現実的には不可能に近い。


「………あなたは、誰?」


「折坂さんの知り合いだ。しかし、今は俺が誰かは関係ない、何でこんな無茶をしている?」


 翠は目を細め、必死に蒼を見ている。


 その様子からして、彼女は元々視力が悪いのかもしれない。


「無茶か………」


 彼女は少しだけ寂しそうな顔をした。


「あなたも、彼と同じことを言うのね」


「彼って?」


 翠は現在霊能力が無く、囲い師でないのなら、その『彼』がこの囲いを張った人物なのだろう。


 しかし、蒼の問いかけに翠は口を閉ざし、「もう、帰って」と呟くと正座をしなおし、山の頂上に向かって小声で話しかけていく。


 その様子からして、やはりと言うか、暴れ神に無視されていて、契約はあまり上手く行っていないのだろう。


 蒼はどうすると問いかけるように、砂那を見た。


 本人が自分の意志でそれをしている限り、蒼達に辞める事の強要が出来ない。


 砂那は翠の背中を寂しそうに見つめてから、小さく呟いた。


「蒼、戻りましょう。わたし達にできるのは、もう一度しっかりした囲いでここを囲い直すことよ」


 それなら悪霊も出てこれ無くなるだろう。


 そして、翠の式守神しきしゅがみの契約が、成功にしろ、失敗にしろ、終われば阿紀神社の神主に頼んで、再びこの地を結んでもらえば今回の件は解決する。


「翠さん………無理はしないでね」


 砂那のその声は聞こえたはずだが、彼女は聞こえなかったように、そのまま山の頂上に向かって話しかけている。


 砂那は顔をそむけると。蒼の意見を聞かずに玄関に向かった。


 蒼は何も言わず、砂那のその行動に従った。


 翠を見ていた砂那の表情から、少しだけ、彼女の影が読み取れてしまったから。






 十代後半の少年が、コンビニのビニール袋をひっさげて、八坂神社に向かう足場の悪い坂道を登る。


 耳に覆いかかる髪は男性にしては少し長めで、男前で整った顔立ちな割には、笑うと愛嬌のある八重歯やえばが口元にのぞいた。


 服装はひざの抜けたブーツカットの細身のジーンズに、真っ白いTシャツ。


 上着に薄めのスカジャンを羽織り、中指と小指にシルバーのリングをはめている。


 足元は、ここまで坂道を登ってくるには不慣れな、革のとんがりブーツである。


 歩いている姿は、どこと無く力が抜けており、余裕を感じさせる様でもあり、軽薄に感じさせる様でもあった。


 少年は草むらから現れた、悪霊や憑かれた生物をヒョイヒョイと、ステップを踏むようにかわし、目を向けることも無く、何事もなかったようにコンビニのビニール袋の中から、微糖の缶コーヒーを取出して片手で器用にプルトップをあけた。


 そこから、ビニール袋を持ち替えてから、缶コーヒーに口を付け、赤く塗った手創りの燈籠とうろうの間を通り、鼻歌交じりに八坂神社の社務所の前まで来てから、怪訝けげんそうに缶コーヒーを飲んでいる手を止めて、片眉毛を上げた。


 自分の張った囲いではないのが解ったためだ。


「誰か来たのか? ――――ふーん、結構いい囲い張ってんじゃん」


 それから、少年は一番近場の、お札を縫い付けている道具を見て一言つぶやいた。


「………折坂 善一郎おりさか ぜんいちろう?」


 それは、総本山に所属する、折坂 善一郎おりさか ぜんいちろうの使っているダガーに酷似こくじしていた。

 というか、そのままそれだ。


 こんな珍しい道具を他の囲い師は使わないし、そもそも、折坂のそれは特注品だろう。


「いや、違うか」


 少年は少し目を細めた。


 お札を縫い付けている道具は同じだが、お札を縫い付ける角度やくせが彼とは違う。


 そこで何かに気付いたのか、少年は「あぁ」と納得した様子で頷く。


 どこで聞いたか忘れたが、そう言えば、折坂 善一郎の出身は奈良だと言っていた。


 それなら折坂家の別の人間かも知れない。


 まぁ、本当に折坂 善一郎本人が来ていたらいささ難儀なんぎだが、難儀というだけで問題はない。


 それより今の問題は、囲いの中に入る事だ。


 自分の張った囲いなら、簡単に解除できるが、他人の張った囲いは切らないと中に入れない。


 しかし、目の前の囲いは角度といい形といい、中々素晴らしい囲いで、これなら強度も十分あるだろう。


「うーん、俺の九字では五分五分かな。ナインワードのおっさんは帰ったし――――仕方ねーな」


 少年はため息交じりに自分の背中に意識を集中すると、声を上げた。


「出てこい、我が式守神しきしゅがみ―――三火八雷照みほやいかずちでり


 バチィ!っと、ひときわ大きな音を立てて、彼の後ろに人影が現れる。


 炎をまとった発光体。


 真っ赤に燃えた人型で、雷を体内から発している。発光がまぶしく詳しくは見えない。


三火八雷照みほやいかずちでり、この囲いを切って、俺が囲いを張り直すまで悪霊どもを抑えてろ」


 少年はやる気のない声でそれだけを伝えると、缶コーヒーをその場におき、けだるそうに肩を鳴らした。


 それから、ベルトループに付けるタイプの腰バッグから、細長いステンレス製の串とお札を取り出す。


「面倒掛けやがるね」


 少年はチラッと草むらに目をやり、それに対して、その台詞を投げかけた。


 近くの草むらでは、黒い仔猫が獲物を狙うように、頭を下げた姿のまま、その様子を眺めていた。

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