第9話 祓い屋の定義
思えば、あなたの事を強く想うように成ったのは、何時からだろうか。
セミの声が五月蝿い季節だったのか、
目を
恋人達が共に過ごす様な記念日や、わたし達にとっての特別な日。
一、二個の思い当たる場面は思い描けるけれど、どれもこれも、これと言って的確なものは存在しない。
時が経つにつれてしだいに、わたしはあなたを眺めている事が多くなっていた。
見ているだけで、幸せだった。
しかし、それだけで無いはずだ。
そこで、ある風景を思い描き、わたしは納得した。
あぁ、そうか、……………それは、
それは、桜の花びらが舞い散る季節だった。
彼の後ろに見えた、不細工な月明かりに照らされた、あり得ないオレンジ色したライラック。
一目ぼれに近い感覚。
わたしはもたれ掛かっていた樹に、後ろ頭をぶつけて、口元を緩めていた。
今まで思い出とは、苦しくて、思い出したくないものばかりだった。
なのに、今は思い出だけでこんなにも幸せになれる。
知らなかった。
思い出とはこんなにも、温かいものだったんだ。
三 祓い屋の定義
左手を差し出した先では、悪霊が淡い光に包まれていく。
「――――魔法使い」
淡い光は悪霊を包み込んだまま、小さく
蒼は前を向いたまま呟く。
「そうだ、俺は魔法使いだ」
別に隠している事ではないので、蒼は素直に口にする。
しかし、隠していないとは言え、普段は自分からは出来るだけ口にはしないようにしていた。
祓い屋や拝み屋やと言うだけで、霊感の無いものには十分に怪しい職業である。
さらにその上、実は魔法使いで有ると言えば、嘘臭さの方が先に付くので信用されにくい。
砂那は驚いた様に目を見開いた。その様子からして、彼女も魔法使いを見るのは初めてで、戸惑っている様子である。
「魔法使い………………あなたは、
砂那は独り言のように、小さく口にする。
「祓い屋さ。………祓い方が、囲いでするか、結びでするか、魔法でするかの、ただそれだけの差だ。………だから、俺は祓い屋だ」
砂那は口を開けたままの、少し間抜けな顔で蒼を見続けた。
蒼はその様子に仕方がないといったように、さらに言葉を続けた。
「確かに俺は、囲い師や結び師の才能が全くなく、祓い屋に成れなかった落ちこぼれだ。………けど、魔法使いとしてなら、悪霊を
蒼は前を向いたまま、もう一度、
再び、悪霊が淡い光に包まれていき、小さく
その様子に砂那も前を向いて、
砂那には微かではあったが蒼の心境が解った。それは、彼女も同じような思いをしたから。
他の者が出来ることを自分が出来なく、ただ、唇を噛みしめて見ていることしかできなかった、あの時………。
彼にも色々とあったのだろう。そして、自分の目指している祓い屋になれる方法を、彼はやっと見つけた。それを他人の祓い方とは違うだけで、とやかく言うのは間違っている。
「わたしには、魔法使いが何なのかは解らない。………だけど、今日はずっと蒼を見ていたけど、あなたはちゃんとした祓い屋よ。それ以外に有りえないわ」
砂那は前を向いて、力強く答える。蒼はその台詞が嬉しくて微笑んだ。
その後すぐに、砂那の
「ありがとう。……だけど砂那、まだ悪霊が居るぞ、お
照れ隠しなのか、蒼はすぐに話題をけ変えてきた。しかし、少しだけ彼の内情を
「解っているわよ! 蒼こそ油断しないで」
お互いに激を飛ばしながら、顔を見合って口元を緩める。
そこからは早かった。
お互いに背中合わせで、またたく間に砂那は式守神で、蒼は魔法で悪霊を浄霊していく。
すぐに悪霊たちの浄霊を終わらせ、二人は次の場所に急いだ。
しかし、次を調べて真相に迫りたかった蒼の考えとは裏腹に、そこは無駄足に終わった。
場所は川沿いの民家で、そこにも憑かれた者も居なく、弱い悪霊が漂っているだけで、さらに龍脈も通っていなかったのだ。
仕方なく二人して簡単に祓い、その後も数ヶ所回ったが、龍脈に繋がるような答えもなく、砂那が依頼を受けたような強い悪霊も見当たらなかった。
「これは、仕切り直しだな…………」
蒼は短く結論付けた。
黒塗りのベンツが、細い伊勢街道の田舎の町の中にある旧道を、我が物顔で猛スピードで駆け抜けていく。
対向する車がやっと行き交わせるような細道である。
観光に訪れているカメラを掲げた男性は、道の端によって迷惑そうにその車を見送った。
そのベンツは一軒の饅頭屋の前で停まる。
その饅頭屋は看板が掛かっているものの、店舗内はカーテンに覆われていて、現在は廃業している様子な店舗だ。
「何度来ても、しけた町だな」
四十代半ばに差し掛かる年齢で、真っ黒い瞳の見えないサングラスに金ぴかの腕時計、派手なビンテージのアロハシャツに、高級ブランド物の白色のスラックスを穿き、足元はピカピカに磨かれた黒い革靴で固めている。
一つ一つは高価な物ばかりだが、組み合わせの悪さから、それらをものの見事に台無しにしている格好で、右手には有名なガリガリするアイスが握られていた。
黒塗りベンツの運転席には、高級ブランド物で固めた、スーツ姿の二十代の若い運転手。
一見して、筋者の様ないでたちの安部は、我が物顔で挨拶もなしに、戸をあけてその家に入っていく。
周りから見れば、借金の取り立てでも来たのかと思うだろう。
店の中は空のショウケースが並び、そのガラスはしばらく掃除していないのか、薄っすらと
「おい、篠田! 居てるか!」
大声で叫びながら奥に進んでいく姿は、常識の欠片すらない、見ている者を不愉快にさせる態度だった。
その声で、店の奥から現れたのは年老いた老人だ。安部は当てが外れたように顔をしかめた。
「なんだよ、
老人は怯(おび)えたような態度で安部を見たが、それでも声を上げた。
「………八坂神社から、まだ帰っとらん」
「まだなのかよ、あれから二週間だぞ! ………篠田のやろーサボってんじゃないだろうな。大丈夫なのか?」
安部の言う大丈夫とは、誰かの安否を心配したものではなく、仕事の成功を心配した
「わしに言われても解らんよ。それより、
「解ってるよ! 何度もウルセーな。ちゃんと、俺から総本山に推薦しておいてやるって言ってんだろ!」
その言葉に上高井の老人は、心底安心した表情を見せた。
しかしそれと逆に、安部はイラついたようにアイスをかじると、アイスのせいか、上手く行っていない内容のせいか顔をしかめた。
「やることが終わったといえ、九字切りの外人は勝手に帰りやがるし、こっちは篠田だけか」
独り言のようにそう呟いた安部は、そのままベンツまで戻り、運転席の窓を叩く。
運転手の
「おい、亮太!
車を降りてから、すぐに戻ってきての突然の問いかけに、辰巳は焦ったように目を泳がせていたが、二秒ほどのタイムラグで理解したのか早口で答えた。
「えっと、……桂は、たしか、
「かーっ、あいつは、女のケツばっかりかよ! 役に立たねーな」
安部は、指先まで垂れてきた、溶けかけのアイスを地面に投げ捨て、何かを値踏みするようにジッと
「よし! だったら、お前は残れ」
「えっ、俺、残るんですか?」
今思いついたような突然の命令に、驚きと、嫌だという雰囲気を入り混じらせて聞き返す辰巳に、安部は簡単に頷いた。
「あぁ、篠田はいまいち信用出来ない。あいつ一人にさすのは危険だ」
「けど、……………解りました」
反抗できないのか、渋々といった様子で辰巳は頷き、車から降りる。
心の中では、信用も何も、お互いの利益だけの集まりなのにと、
「とにかく、もうそろそろ女は限界だろう。あいつらに動きがあったら、何時でもいいから連絡しろ。………どの道あの女には無理だ。もう一度、人選を見直さなくてな」
それだけを伝えると、安部は自らベンツの運転席に乗り込みエンジンをかける。
「解り、ました」
最初から相手の返答を考えていないのか、辰巳の返事を半ばにして、ベンツは走り出す。
辰巳はしばらくそのテールを見送っていたが、それが見えなくなると重い溜め息をはいた。
囲い師として能力の低い、彼がこちらに残ったところで出来る事は無いだろう。
それに、
適当に報告だけすれば、ほっておいても問題はないだろう。
彼は店の中にいる老人を一目した。
上高井の老人は背が低く、安部がいた時とは打って変わって、不満を抱かえているような、ムスッとした顔をしている。
こちらがいつもの顔で、小さなことに対して、文句を言いながら過ごしている様な人物だ。
辰巳は、高圧的な態度な安部といい、不満を周りに吐き散らす上高井の老人といい、どちらも好きにはなれなかった。
彼は、上高井の老人に聞こえない程度の小声で、軽蔑したように吐き捨てる。
「こんな思いまでして、肩書きにしがみついて、それで満足かよ!」
それから、ズボンの後ろポッケトから財布を取り出すと、中身を見て顔をしかめた。
最初から、ここに残る予定はなかったので、手持ちの現金が危うい。
コンビニでも探してATMで現金を降ろさなくてはホテルに泊まる事もままならない。
「まずはコンビニか銀行を探してから、宿を探すか」
彼は上高井の老人の世話になる事だけは避けたかった。
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