第3話 月明かりのオレンジ



 そうは少し離れた木の影から、砂那さなの囲っている姿を覗きこみ、呆れた声を上げた。


「あの囲い師、こんな場所で何考えてる」


 色々な除霊じょれいを観てきたそうには、砂那さなの行動が信じられなかった。彼は顔をしかめたままその様子を眺める。


 五つ囲いを使っているところを見ると、あの小さな少女は囲い師かこいしで正解なのだろう。


 まだまだすきが多いが、囲いは早いし手際はいい方だ。


 かなりの努力と練習を積んできたのが垣間かいま見れる。


 しかし、それを差し引いても、蒼には信じられなかった。


 神社という場所で囲いを発動するなど、おはらいをする者の行動とは、とてもではないが考えられない。


 恐いもの知らずにも限度がある。


 そんな蒼の目の前を、うっすらと暗い発光体はっこうたいが、ゆっくり横切る。


 蒼は再び顔をしかめた。


「オーブまで、肉眼で見え出しているじゃないか。ちょっとヤバイな」


 本来、オーブ等の霊の切っ掛けに当たるものは、写真や映像の媒体ばいたいを通してしか見られない。


 しかし、それが肉眼でも確認できるとなると、氏神様はかなりのお怒りの様子なのだろう。


 しかも、しばらく忘れ去られ、まつられていないお稲荷様おいなりさまだ。


 実はこれが一番たちが悪い。


 お稲荷様は一度まつると、まつるのを辞める事を一番嫌う。


 すなわち、元から怒っている神様のお膝元ひざもとで、低級霊と喧嘩を始めたのだ。

 直ぐにお稲荷様も喧嘩に加わって来るだろう。


 このある程度、気温の高い夜に、辺りの空気だけは寒気が起こるほどに涼しい。


「こぐろ、しばらくここから離れてろ。相手は狐だ、これは、お前までとばっちり食らうぞ」


 蒼は独り言のように呟き、もう少し我慢してその様子をうかがう。


 砂那はお札の付いたダガーを地面にい付け、五つ囲いの準備を終わらせてから、左指で星を描き、白い犬を囲う結界を発動しようとした。


 しかし、囲ったはずの地面に五芒星ごぼうせいは表れず、白い犬はあっさり囲いを乗り越えて、再び砂那に向かってくる。


「えっ?」


 砂那は驚き、目を見開いた。


「ちょっと、なんで、囲いが発動しないの!」


 犬は牙を剥き出しにして攻撃にうつる。


 砂那は囲いが発動しない理由が解らず慌ててしまい、犬の攻撃をけるのが徐々じょじょに遅れていく。


 それを勝機と見たのか、白い犬は飛び付き砂那の顔近くまで牙が迫る。


 暑さでコートのそで腕捲うでまくりしていたのが悪かったのか、牙や爪は何度も腕を引っき、砂那の細い腕に紅いスジが幾つもできていく。


 蒼は木陰こかげから飛び出し声を上げた。


 自分でもはらい屋としては未々なのは解っているが、それを踏まえてでも、あの囲い師は経験が浅すぎる。


 たった一つのトラブルで混乱しているのか、動きが止まって、何も対処が出来ていない。


「おい、囲い師! 左方のお札が破れている。お稲荷様が怒って霊障れいしょうが起こってるんだ。囲い直せ!」


 突然現れた蒼とその台詞に、砂那はさらに驚きと戸惑とまどいで動きを止める。


「えっ、だっ、誰っ?!」


 突然声をかけたのが悪いのか、砂那は犬から目を離し蒼に目をやる。


 そのすきに犬の反撃はさらに増していた。


「標的から目を離すな! 囲いに使うお札が破れてるんだ。俺はお稲荷様をなだめるから、早いとこ決着つけろ」


「えっ? わ、解った」


 蒼は早口でそう伝え、砂那は戸惑いながらも理解した様子だ。


 社の前まで走りよると、蒼は伝えたとおりに行動を開始した。


 二礼、二拍手、一礼。


 そして、手を合わせたまま小さな声で、お稲荷様に話し掛けている。


 砂那は落ち着きを取り戻し、犬を蹴り飛ばして距離を稼いだ。


 この程度の低級霊相手に、助言を貰い、助けられるとは情けない。

 これでは、まだまだ認めてもらえないだろう。


 砂那は自分を恥じる。


 しかし霊障れいしょうまで起こっているなら、急いで除霊じょれいを終わらさなければ、お稲荷様いなりさまたたられるだろう。


 彼女は囲う事を諦め、大きく溜め息を吐いた。


「もぅ、仕方ないわね!」


 本当は使いたくは無かった手段だが、急をようする。


 砂那はあきらめ目をつむり、自分の真後ろ、背中辺りに意識を集中させた。


 そこは、何も居てない空間のはずだが、ザワっと何者かの気配が現れる。


 白い犬は、目を閉じて再び動きを止めた砂那に向けて走りよった。


 砂那は立ち止まったまま、犬の攻撃を避ける気配も見せない。


 砂那は全身の力を抜いた、自然体で空をあおぐ。


 月明かりだけが、小さな砂那を照らしていた。


 ソックスやスカートは砂埃で所々汚れ、きめ細かな瑞々みずみずしい肌は、犬の牙により傷付いて汗と混じり、いく筋かの紅い流れを作り出す。


 それが黄色い月明かりと重なり、オレンジ色に見えた。


「お願い、出てきて、我が式守神しきしゅがみ八禍津刀比売やがまつとひめ


 そう呟いて顔を戻すと、砂那は大きなつり目を見開いた。


 彼女の前に白い犬の牙が迫るが、そんな状態でも口元をゆるませた自然体のまま、身動き一つしなかった。


 チャンスとばかりに、犬は砂那の細い首に噛み付こうと足に力を入れる。


 その時、突然に一メートル四十センチの大剣が、砂那を守るかのように、横向きの盾変わりにして、犬の目の前に突き刺さる。


 ほぼ砂那の姿を隠す大きさだ。


 犬は鈍い音をたてながら、大剣の腹に頭を打ち付け、驚いたように横に飛び退く。


 今まで何も無かった砂那の背中の空間から、彼女の頭を越えて、左手が差し出され、犬が頭を打ち付けた大剣が握られていた。


 砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れる。


式守神しきしゅがみか!」


 蒼はその時、眼を見開き二つの事に驚いた。


 まず、その若さで式守神しきしゅがみに取りいてもらっていることだ。


 〈式守神しきしゅがみ〉とは、産土神うぶすながみに近い守り神である。


 産土神うぶすながみは土地にく守り神だが、式守神しきしゅがみの方は人にく、式神の一種である。


 一般的には偵察など細かい作業を行うものが式神と呼び、術者に取りきその者を守ったりする方を式守神しきしゅがみと呼ぶが、式守神しきしゅがみも誰かに憑いていないときは、式神と呼ばれるので少しややこしい。


 そして、蒼が驚いたのは式守神しきしゅがみが術者に取りく条件が難しいからだ。


 式守神しきしゅがみは自分より霊能力が強いか、とくが高いかなど、幾つかの条件が満たされないといてくれない。


 ごくまれに、式守神しきしゅがみに好意をもたれると向うからいてきてくれるらしいのだが、あまり聞いたことがない。


 なので、囲い師や結び師など、祓い屋のなかでも、ある程度の名の通っている者ぐらいしか、式守神しきしゅがみいている人はいない。


 それなのに、この若い少女は式守神しきしゅがみいてもらっていた。


 年齢からしても、囲い師としては出始めだろうし、経験も浅そうなので、多分後者の理由だろう。


 しかしそんな驚きよりも、蒼はもう一つの驚きの方が先走った。


「しかし、この場所で出すか!」


 思わず口にしてから、何度も頭を下げる。


「あぁ、重ね重ね申し訳ない! あなた様の地に、他の神を存在させたことを深く御詫び申します! どうか怒りをおしずめ下さい」


 蒼の心配事を、目の前の若い囲い師はまるで解っていないだろう。


 だから式守神しきしゅがみをこの場所で出したのだ。


 式守神しきしゅがみと言えど神である。


 それをこの地域の土地を守る、氏神様うじがみさまの土地で出せば、怒るに決まっている。


 そんなことも関係なく、砂那は自分の式守神しきしゅがみを見上げると、優しく笑いかける。


 口では「仕方ない」と言っていたが、その瞳は嬉しそうな眼差しだ。


 砂那と八禍津刀比売やがまつとひめとは昔からの間柄あいだがらである。


 いつでも自分を守ってくれる大切な存在。


 砂那の式守神しきしゅがみは、怒りを表す様に顔をゆがませていて、角のような二本の突起とっきを額につけている。


 薄く透けるような腰布は巻かれているが、上半身はほぼ裸で、大きく形が良い豊満ほうまんな胸はさらけ出されており、幅の広いネックレスをいく十も首にかかげている。


 二本の腕の他にも、背中に六本の腕を持ち、その手の全てには大剣が握られていた。


八禍津刀比売やがまつとひめ、お願い! 肉体と、本来の魂を傷付けないように、切り刻んで!」


 砂那のその声で、八禍津刀比売やがまつとひめは砂那の元を外れ、かれた白い犬の目の前まで移動する。


 白い犬は式守神しきしゅがみの姿を見て、驚いて跳び退き、直ぐに方向をかえると脱兎だっとするが、式守神しきしゅがみはそれより早く、右手のメインアームが持つ大剣を犬に突き刺した。


 白い犬は背中を反らせて、痙攣けいれんしたまま動きを止める。


 そこから、寸秒すんびょう足らずで左腕の大剣だけは残し、残りの腕の大剣を次々と犬に突き出す。


 ドカドカと音をたてながら、大剣が犬に刺し込まれていく。


 周りから見れば犬は大剣により針のむしろだ。


 そして、その犬の体から、顔をゆがました何体もの小動物が現れ、直ぐに消えた。


 白い犬はその場に倒れ込むが、あれほど剣に刺されたはずが外傷はなく、直ぐに起き上がるとその場から山に向かって走り去っていく。


 砂那はやっと肩の力を抜いた。


「ありがとう、八禍津刀比売やがまつとひめ。もう戻って良いよ」


 砂那の声に、式守神しきしゅがみは暗闇に薄れていく。


 砂那はゆっくりと振り向くと、先ほど急に現れた蒼を見て、眉毛を上げて睨み付ける。


「……………何で邪魔したの、おかげで囲いに失敗したじゃない!」


 完全な言い掛かりを付けてくる砂那に対して、蒼はお稲荷様いなりさまおがんだまま、左の手の平を向け「待て」とした。


 その姿に砂那は「ぐっ、」と微かな声を上げるが、黙り込み待つ。


 蒼がいましている内容は解っている。


 砂那の起こした行動で、怒っているお稲荷様いなりさまをなだめてくれているのだ。


 しかし、それが出来ると言うことは、彼も囲い師か結び師の、祓い屋なのだろうかと、砂那は唇をとがらせながらそう考えていた。


 蒼は額に大粒の汗をかきながら、ブツブツと小声で何かを呟いている。その様子からして、交渉は難航しているようだ。


 そしてしばらく経ち、蒼はやっと手を下ろすと、砂那の方は見ようともせずに、急いで囲いに使ったダガーを拾い出した。


 そんな蒼の態度に、砂那は無視されたと勘違いして、再び大声を上げる。


「ちょっと、わたしの話し聞いてる?」


「聞いてるが、先ずは片付けだ。話は境内けいだいから出て聞く」


 蒼はチラッとだけやしろに目線を向けてから、小声で自分の頭の上を指差した。


「見ろ、未だにオーブが見える。これ以上この場にいれば、お稲荷様にたたられるぞ!」


 蒼がそう言った瞬間、近くの枝がパチンっと弾けたような、ラップ音が鳴る。それを聞いた砂那も慌てた。


「たっ、確かに早めに出た方が良いかもね」


 彼女も、お稲荷様が怒っているのは気付いていたのだ。


 砂那は蒼の台詞に従い、素早く囲いに使ったダガーを拾い集めると、先に境内けいだいを出ていく蒼を後目しりめに、最後にお稲荷様のやしろに向かってそっと手を合わせた。


 再び枝がパチン、パチンと枝が二度鳴る。


 これは、生半可な事では許してくれないと考え、砂那も慌てて蒼の後を追って、境内けいだいから出ていった。


 彼女の腰丈ほどの草むらを抜け、獣道に出て蒼に追い付くと、やっと二人は正面から向き合った。


 月明かりが二人を照らしだし、互いの目線が重なりあう。


 今までは、暗闇でお互いに相手が良く見えなかったが、ここに来てはっきりと見えた。


 蒼は想像以上に、砂那が幼く見えたのだろう。目を見開いて驚いている。


 砂那は蒼を見上げまま眉を潜め、喧嘩を売るように睨み付けていた。

 つり目なので余計に迫力が出ている。


 蒼は困ったように溜め息を吐いた。


 除霊をする場所について、一言文句を言ってやろうと思ったが、ここまで幼くては知らなくても仕方がないだろう。

 文句は言えない。


 彼は唾を飲み込むと彼女を責めることを諦めた。


「………ほらよ、ナイフ」


「あっ、ありが……………」


 蒼からダガーを受け取り、砂那は思わず礼を口にしそうになったが、何とか留まる。


 根は良い子なのかもしれない。


「いや、そうじゃなくて!」


「それとな、気を付けろよ。あんな場所で除霊をしたら、氏神様うじがみさまたたられるぞ」


 蒼はさとすように砂那に説明する。


 その行動が余りにも、子供に対して接している様に見えたのだろう。


 砂那はさらに血を登らせた。


「解ってるわ! わたしの勝手でしょ! それより、何で邪魔したの。わたし一人でも十分に対処出来た!」


「それは悪かった。邪魔したつもりはないが謝る。しかしだ、囲い師ならもう少し囲いや、式守神しきしゅがみを出す場所は考えた方がいいぞ」


 蒼はそこまで話してから屈み込むと、肩に担いでいた鞄を地面に下ろして、中から飲み掛けのペットボトルの水を取り出した。


 砂那は蒼の行動が解らずに、その行動を見ながら話を続ける。


「だから、解っているわよ。わたしだって一人前の囲い師なんだから、バカにしないで!」


 解ってやっている行動とは、とてもじゃないが思えないが、とりあえず蒼は頷いた。その他にすごい所は多かった。


「バカにはしていない。小さいのに、あの速さで囲うのは立派だ。他の囲い師より断然速い。そこは認める――――ほら、腕を出して」


「みとめ………」


 蒼の言葉に、砂那は驚いたように、眼を大きく広げ、ジッと彼の顔を見つめていた。


 彼は右手でペットボトルの蓋を開け、動きを止めた砂那を不思議に思い、見つめ返す。


 砂那は慌てて、少しだけ頬を染めてから目線を外した。


「しっ、身長は関係ないでしょ。――――で、腕って何よ?」


 身長の事ではなく、年齢の事なのだがと蒼は思ったが、小さいことを気にしていてはいけないので、間違いは訂正せずにそのまま話を進める。


「腕だ、腕。ほら、怪我してるから」


「ただの擦り傷よ。大した怪我で無いから大丈夫」


「大丈夫じゃ無いだろ。黒い犬は首輪していたから飼い犬だと思うけど、白い犬はどう見ても野良だ。犬の牙には菌が居るから破傷風はしょうふうに成りかねない。最悪は狂犬病に感染する。洗い流すだけは今しておいて、帰ってから消毒しろ」


「いい、わたしの事はほっといて。わたしは一人で出来る、誰の助けも借りずに………」


 砂那は右腕の傷を左手で拭ってから、ダガーをコートに仕舞いながらそう呟く。


 その台詞は聞き覚えがあり、少しだけ蒼の琴線きんせんに触れた。


 彼は思わず口を閉じて動きを止める。


 砂那はつり目の、強い真っ直ぐな瞳の目線を外すと、そんな蒼の横をすり抜けていった。


「わたしは、一人でも出来たんだ――――」


 まるで、自分に言い聞かせるようにその言葉を残しながら、しかし、それ以上は言葉に成らなかったのか、砂那は悔しそうに独り山を降りていく。


 蒼は黙ったまま、頭の中で、その小さな背中と古い人物の背中を重ねていた。


 友人であり、一番憧れていた人物。


 蒼の同世代に当たり、周りから天才と呼ばれていた囲い師。篠田 俊しのだ しゅんと言う人物だ。


 彼も、今の砂那と同じく一人で全てを終わらそうとしていた。


 はなから落ちこぼれの蒼には言えなかった台詞。


 名前も知らない小さな背中に、懐かしい情景じょうけいを見ていた蒼は、その背中を見送った後、山を降りようと横の草むらを見て、コイツの匂いのせいかなと、言い訳をつけ、その花を指で弾いた。


 あの時に庭に咲いていた、甘い香りのリラの花。


 葛西臨海公園かさいりんかいこうえんでベネディクトに教えて貰ったから、確か名前は合っているはずだ。


 その花は紫色の中でも、赤のほうが強く、黄色い月明かりと重なり、砂那の傷と同じくオレンジ色に見えた。


 蒼は鞄を担ぎ直し、自分も山を降りる。


 未だ仕事は始まっていないのに、凄く疲れた気分だ。


 オレンジ色したリラの花。


 不細工な月明かりが照らし出した、あり得ない色のリラの花が、二人の出会いの色だった。

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