第3話 月明かりのオレンジ
「あの囲い師、こんな場所で何考えてる」
色々な
五つ囲いを使っているところを見ると、あの小さな少女は
まだまだ
かなりの努力と練習を積んできたのが
しかし、それを差し引いても、蒼には信じられなかった。
神社という場所で囲いを発動するなど、お
恐いもの知らずにも限度がある。
そんな蒼の目の前を、うっすらと暗い
蒼は再び顔をしかめた。
「オーブまで、肉眼で見え出しているじゃないか。ちょっとヤバイな」
本来、オーブ等の霊の切っ掛けに当たるものは、写真や映像の
しかし、それが肉眼でも確認できるとなると、氏神様はかなりのお怒りの様子なのだろう。
しかも、しばらく忘れ去られ、
実はこれが一番
お稲荷様は一度
直ぐにお稲荷様も喧嘩に加わって来るだろう。
このある程度、気温の高い夜に、辺りの空気だけは寒気が起こるほどに涼しい。
「こぐろ、しばらくここから離れてろ。相手は狐だ、これは、お前までとばっちり食らうぞ」
蒼は独り言のように呟き、もう少し我慢してその様子を
砂那はお札の付いたダガーを地面に
しかし、囲ったはずの地面に
「えっ?」
砂那は驚き、目を見開いた。
「ちょっと、なんで、囲いが発動しないの!」
犬は牙を剥き出しにして攻撃にうつる。
砂那は囲いが発動しない理由が解らず慌ててしまい、犬の攻撃を
それを勝機と見たのか、白い犬は飛び付き砂那の顔近くまで牙が迫る。
暑さでコートの
蒼は
自分でも
たった一つのトラブルで混乱しているのか、動きが止まって、何も対処が出来ていない。
「おい、囲い師! 左方のお札が破れている。お稲荷様が怒って
突然現れた蒼とその台詞に、砂那はさらに驚きと
「えっ、だっ、誰っ?!」
突然声をかけたのが悪いのか、砂那は犬から目を離し蒼に目をやる。
その
「標的から目を離すな! 囲いに使うお札が破れてるんだ。俺はお稲荷様を
「えっ? わ、解った」
蒼は早口でそう伝え、砂那は戸惑いながらも理解した様子だ。
社の前まで走りよると、蒼は伝えたとおりに行動を開始した。
二礼、二拍手、一礼。
そして、手を合わせたまま小さな声で、お稲荷様に話し掛けている。
砂那は落ち着きを取り戻し、犬を蹴り飛ばして距離を稼いだ。
この程度の低級霊相手に、助言を貰い、助けられるとは情けない。
これでは、まだまだ認めてもらえないだろう。
砂那は自分を恥じる。
しかし
彼女は囲う事を諦め、大きく溜め息を吐いた。
「もぅ、仕方ないわね!」
本当は使いたくは無かった手段だが、急を
砂那は
そこは、何も居てない空間のはずだが、ザワっと何者かの気配が現れる。
白い犬は、目を閉じて再び動きを止めた砂那に向けて走りよった。
砂那は立ち止まったまま、犬の攻撃を避ける気配も見せない。
砂那は全身の力を抜いた、自然体で空を
月明かりだけが、小さな砂那を照らしていた。
ソックスやスカートは砂埃で所々汚れ、きめ細かな
それが黄色い月明かりと重なり、オレンジ色に見えた。
「お願い、出てきて、我が
そう呟いて顔を戻すと、砂那は大きなつり目を見開いた。
彼女の前に白い犬の牙が迫るが、そんな状態でも口元を
チャンスとばかりに、犬は砂那の細い首に噛み付こうと足に力を入れる。
その時、突然に一メートル四十センチの大剣が、砂那を守るかのように、横向きの盾変わりにして、犬の目の前に突き刺さる。
ほぼ砂那の姿を隠す大きさだ。
犬は鈍い音をたてながら、大剣の腹に頭を打ち付け、驚いたように横に飛び
今まで何も無かった砂那の背中の空間から、彼女の頭を越えて、左手が差し出され、犬が頭を打ち付けた大剣が握られていた。
砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れる。
「
蒼はその時、眼を見開き二つの事に驚いた。
まず、その若さで
〈
一般的には偵察など細かい作業を行うものが式神と呼び、術者に取り
そして、蒼が驚いたのは
ごく
なので、囲い師や結び師など、祓い屋のなかでも、ある程度の名の通っている者ぐらいしか、
それなのに、この若い少女は
年齢からしても、囲い師としては出始めだろうし、経験も浅そうなので、多分後者の理由だろう。
しかしそんな驚きよりも、蒼はもう一つの驚きの方が先走った。
「しかし、この場所で出すか!」
思わず口にしてから、何度も頭を下げる。
「あぁ、重ね重ね申し訳ない! あなた様の地に、他の神を存在させたことを深く御詫び申します! どうか怒りをお
蒼の心配事を、目の前の若い囲い師はまるで解っていないだろう。
だから
それをこの地域の土地を守る、
そんなことも関係なく、砂那は自分の
口では「仕方ない」と言っていたが、その瞳は嬉しそうな眼差しだ。
砂那と
いつでも自分を守ってくれる大切な存在。
砂那の
薄く透けるような腰布は巻かれているが、上半身はほぼ裸で、大きく形が良い
二本の腕の他にも、背中に六本の腕を持ち、その手の全てには大剣が握られていた。
「
砂那のその声で、
白い犬は
白い犬は背中を反らせて、
そこから、
ドカドカと音をたてながら、大剣が犬に刺し込まれていく。
周りから見れば犬は大剣により針の
そして、その犬の体から、顔を
白い犬はその場に倒れ込むが、あれほど剣に刺されたはずが外傷はなく、直ぐに起き上がるとその場から山に向かって走り去っていく。
砂那はやっと肩の力を抜いた。
「ありがとう、
砂那の声に、
砂那はゆっくりと振り向くと、先ほど急に現れた蒼を見て、眉毛を上げて睨み付ける。
「……………何で邪魔したの、おかげで囲いに失敗したじゃない!」
完全な言い掛かりを付けてくる砂那に対して、蒼はお
その姿に砂那は「ぐっ、」と微かな声を上げるが、黙り込み待つ。
蒼がいましている内容は解っている。
砂那の起こした行動で、怒っているお
しかし、それが出来ると言うことは、彼も囲い師か結び師の、祓い屋なのだろうかと、砂那は唇を
蒼は額に大粒の汗をかきながら、ブツブツと小声で何かを呟いている。その様子からして、交渉は難航しているようだ。
そしてしばらく経ち、蒼はやっと手を下ろすと、砂那の方は見ようともせずに、急いで囲いに使ったダガーを拾い出した。
そんな蒼の態度に、砂那は無視されたと勘違いして、再び大声を上げる。
「ちょっと、わたしの話し聞いてる?」
「聞いてるが、先ずは片付けだ。話は
蒼はチラッとだけ
「見ろ、未だにオーブが見える。これ以上この場にいれば、お稲荷様に
蒼がそう言った瞬間、近くの枝がパチンっと弾けたような、ラップ音が鳴る。それを聞いた砂那も慌てた。
「たっ、確かに早めに出た方が良いかもね」
彼女も、お稲荷様が怒っているのは気付いていたのだ。
砂那は蒼の台詞に従い、素早く囲いに使ったダガーを拾い集めると、先に
再び枝がパチン、パチンと枝が二度鳴る。
これは、生半可な事では許してくれないと考え、砂那も慌てて蒼の後を追って、
彼女の腰丈ほどの草むらを抜け、獣道に出て蒼に追い付くと、やっと二人は正面から向き合った。
月明かりが二人を照らしだし、互いの目線が重なりあう。
今までは、暗闇でお互いに相手が良く見えなかったが、ここに来てはっきりと見えた。
蒼は想像以上に、砂那が幼く見えたのだろう。目を見開いて驚いている。
砂那は蒼を見上げまま眉を潜め、喧嘩を売るように睨み付けていた。
つり目なので余計に迫力が出ている。
蒼は困ったように溜め息を吐いた。
除霊をする場所について、一言文句を言ってやろうと思ったが、ここまで幼くては知らなくても仕方がないだろう。
文句は言えない。
彼は唾を飲み込むと彼女を責めることを諦めた。
「………ほらよ、ナイフ」
「あっ、ありが……………」
蒼からダガーを受け取り、砂那は思わず礼を口にしそうになったが、何とか留まる。
根は良い子なのかもしれない。
「いや、そうじゃなくて!」
「それとな、気を付けろよ。あんな場所で除霊をしたら、
蒼は
その行動が余りにも、子供に対して接している様に見えたのだろう。
砂那はさらに血を登らせた。
「解ってるわ! わたしの勝手でしょ! それより、何で邪魔したの。わたし一人でも十分に対処出来た!」
「それは悪かった。邪魔したつもりはないが謝る。しかしだ、囲い師ならもう少し囲いや、
蒼はそこまで話してから屈み込むと、肩に担いでいた鞄を地面に下ろして、中から飲み掛けのペットボトルの水を取り出した。
砂那は蒼の行動が解らずに、その行動を見ながら話を続ける。
「だから、解っているわよ。わたしだって一人前の囲い師なんだから、バカにしないで!」
解ってやっている行動とは、とてもじゃないが思えないが、とりあえず蒼は頷いた。その他にすごい所は多かった。
「バカにはしていない。小さいのに、あの速さで囲うのは立派だ。他の囲い師より断然速い。そこは認める――――ほら、腕を出して」
「みとめ………」
蒼の言葉に、砂那は驚いたように、眼を大きく広げ、ジッと彼の顔を見つめていた。
彼は右手でペットボトルの蓋を開け、動きを止めた砂那を不思議に思い、見つめ返す。
砂那は慌てて、少しだけ頬を染めてから目線を外した。
「しっ、身長は関係ないでしょ。――――で、腕って何よ?」
身長の事ではなく、年齢の事なのだがと蒼は思ったが、小さいことを気にしていてはいけないので、間違いは訂正せずにそのまま話を進める。
「腕だ、腕。ほら、怪我してるから」
「ただの擦り傷よ。大した怪我で無いから大丈夫」
「大丈夫じゃ無いだろ。黒い犬は首輪していたから飼い犬だと思うけど、白い犬はどう見ても野良だ。犬の牙には菌が居るから
「いい、わたしの事はほっといて。わたしは一人で出来る、誰の助けも借りずに………」
砂那は右腕の傷を左手で拭ってから、ダガーをコートに仕舞いながらそう呟く。
その台詞は聞き覚えがあり、少しだけ蒼の
彼は思わず口を閉じて動きを止める。
砂那はつり目の、強い真っ直ぐな瞳の目線を外すと、そんな蒼の横をすり抜けていった。
「わたしは、一人でも出来たんだ――――」
まるで、自分に言い聞かせるようにその言葉を残しながら、しかし、それ以上は言葉に成らなかったのか、砂那は悔しそうに独り山を降りていく。
蒼は黙ったまま、頭の中で、その小さな背中と古い人物の背中を重ねていた。
友人であり、一番憧れていた人物。
蒼の同世代に当たり、周りから天才と呼ばれていた囲い師。
彼も、今の砂那と同じく一人で全てを終わらそうとしていた。
名前も知らない小さな背中に、懐かしい
あの時に庭に咲いていた、甘い香りのリラの花。
その花は紫色の中でも、赤のほうが強く、黄色い月明かりと重なり、砂那の傷と同じくオレンジ色に見えた。
蒼は鞄を担ぎ直し、自分も山を降りる。
未だ仕事は始まっていないのに、凄く疲れた気分だ。
オレンジ色したリラの花。
不細工な月明かりが照らし出した、あり得ない色のリラの花が、二人の出会いの色だった。
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