第2話 不細工な月


 砂まみれのスカートに、傷だらけの腕。


 本当はあの時、あなたはわたしをめようとしていたのは解っていた。


 だけど、それでも優しくせっしてくれた。


 認めてくれた。


 その行為こういが、どれだけうれしかったのか、あなたは解っていない。


 わたしは素直ではなく、第一印象は最悪だっただろう。


 そう、わたしとあなたの出会いは、不細工ぶさいくな月明かりの下だったんだ。





一  不細工ぶさいくな月





 月明かりだけが照らし出す、山の細い獣道けものみち


 街灯など存在しない暗闇の中で、折坂 砂那おりさか さなは長いストレートの黒髪と、黒いロングコートをひるがえし、後ろに跳び退いた。


 いくら月明かりが有ったところで、暗闇の中。


 もちろん足場などの確認もせず後ろに跳ぶので、危険極きけんきわまりない行為だ。


 道の砂利じゃりで足を滑らせながらも、何とか踏み留まった砂那さなは、手をついた低い姿勢のまま、顔を上げて真っ直ぐに瞳を向ける。


 砂那さなは、十五歳の平均身長からすれば小さく、早生まれな為か、周りからも年相応に見られない。


 実年齢よりどうしても幼く見られてしまう。


 しかし、つり目から覗くその大きな瞳は、幼いながらも、意思の強さを感じさせていた。


 瞳の先の暗闇の中からは、二匹の犬がよだれを垂らしながら、砂那さなの顔をめがけて飛び出して来る。


 彼女は素早く立ち上がると、踊るようにコートを回転しながら犬達をやり過ごし、振り向くと犬をにらみ付けた。


 砂那さなの服装は、春らしい淡い若草色の長Tシャツに、寒色系の青を取り入れたチェックのプリーツスカート。


 太股まで包み込むオーバーニーソックスも少し砂埃すなぼこりで汚れているが、暑くもなく寒くもないこの時期に丁度よい格好だ。


 しかしそれは、あくまでも中の衣装の話である。


 夜でも徐々じょじょに暖かくなってきたこの季節で、上着に羽織はおっている黒いロングコートが、他人から見れば、少しとち狂って映るだろう。


 しかし、彼女も好きこのんで、こんな格好をしている訳ではない。


 これから行う作業に必要だからだ。


 ただ、流石さすがに暑いのか、コートと中の長Tシャツの袖は、軽く二つほど腕捲うでまくりされていた。


 砂那さなはロングコートの中に手をもぐり込ませる。


 そのロングコートの半ばからすそにかけては、ナイフと呼ぶには大きすぎる十六本もの刃物が収められている。


 刃渡りが二十二センチ、太さが八センチとナイフよりも大きく、小刀より小さい。丁度ちょうど匕首あいくびほどの大きさだが、諸刃もろはであることから、ダガーと呼ぶのが一番正しいだろう。


 砂那さなは、そのダガーを抜き取ると、今度はコートの胸元の内ポケットからお札を取り出し、ダガーの根元まで突き刺した。


 犬達は頭を低くした警戒の姿勢で砂那さなとの距離を測る。


 そんな犬達を前にして、危険なことに、砂那さなは目線を外して空を見上げた。


 空は雲一つなく、んだ空気の中、満月が終わり、満月でも半月でも無い中途半端な月が浮かんでいる。


 砂那さなはその月を見上げたまま呟いた。


「………情緒じょうちょに欠ける、不細工ぶさいくな月ね」


 そして顔を戻すと、二匹の犬に対して、彼女は口元をゆるめた。


「それでも、今から囲う・・から、覚悟してね」







 奈良県宇陀市ならけんうだし


 奈良の中腹部に位置する、宇陀市うだしにたどり着くまで、東京から新幹線に乗り、大阪でローカル線に乗り換え、更にバスに揺られてと、優に十一時間が掛かった。


 おかげで、朝九時に出たと言うのに、目的地に着いた頃には、辺りはすっかり暗闇に支配されていた。


 一日中座りっぱなしで、痛みと疲れを引きずった身体にむちを打ち、バスを降りたそうは、想像以上の移動時間に、早めに出て正解だったと一人で納得する。


 まったく、田舎の信じられないところだが、もう一時間遅ければ、最終バスに乗れなくて来るのが困難こんなんに成るところだった。


 終点のバス停は、道の駅と連なっており、バスはそうを下ろしてから、しばらく乗車用の扉を開けて止まっていたが、直ぐに扉を閉め走り去って行く。


 たしかに、現在バス停に居るのは、バスから降りたそうだけだから納得できる。


 しかし、まだ夜の八時を回った所だと言うのに、道の駅はもう店終いをしていて、飲食店が一店舗だけ何とか頑張っているようすは、街で暮らしているそうには信じられない光景だ。


 そのせいなのか、辺りは深夜のような静けさがただよっており、人影はまるで皆無かいむとなっている。


 市と付く宇陀市うだしは、町や村が合併がっぺいして出来た、名前だけの市であった。


 だから、川沿かわぞいに民家の集落しゅうらくはあるものの、ほとんどが山と田んぼである。


 ただ、伊勢街道いせかいどうつらなる古民家は、歴史情緒れきしじょうちょあふれており、山に囲まれて緑の多いそこは、東京よりもまだ少しだけ涼しく、空気がんでいて気持ちは良い。


 観光に来るなら良さそうな土地だ。


 まぁ、あくまで観光としてだが。


 仕事としてとなると足がいりそうな土地だ。こんなことなら愛車のバイクで来れば良かったと、そうは少し後悔する。


 それから少し充電の不味いスマートフォンでナビを呼び出し、現在地と目的地を探した。


 一番危惧きぐされていた電波は良好で、目的地の民家は直ぐに見つかる。

 歩いて十五分ほどの場所だろうか。


 街とは感覚が違うので、掛かる時間が読みにくい。


 まぁ、ここまで来た時間を考えると、もうすぐ着くのに変わりがないと安易あんいに考え、そうは街灯のとぼしい道を、ナビを頼りに歩きだす。


 目的の場所には、道の駅から真っ直ぐ進み、徐々じょじょに山手に入っていく長い坂道を越えないといけない。


 その坂道は、山の横を抜ける峠なのだろう。


 そして、その峠をくだったところが依頼人の家なのだが、峠の頂上に着いた辺りで、そうは何かを感じたように横の山を見上げた。


 さほどに高く無い山だが、緑が濃く森は深い。


 その山の半場なかばあたりで、何かが微かに青白く光っていた。


 そうは嫌そうに顔を曇らせる。


 もう後、わずかで、長旅の疲れから解放されると言うのに、無視すればすむ話しだ。


 赤や黄色ならまだしも、高々たかだか青白いぐらいで、それをするのは馬鹿げている。


 そう解りながらも目に入ったものは仕方がないと、疲れた身体に再びむちを入れた。依頼人の家の近くなら、何か意味が有るのかもしれないからだ。


 これも自分のさがだと、うんざりしながら山に続く舗装ほそうされていない道に足を向ける。


 いつの間にか、そうの足元には黒い仔猫が寄りうように歩いていた。






 砂那さなは木々の間を避けながら、滑るように道の無い山肌をくだっていく。


 後ろには彼女を追いかけるように、首輪をした黒い犬が一匹と、首輪もしていない、白い色が茶色に見えるほど汚れた犬が一匹。


 両方とも前屈みになり走り、今にも跳びかかりそうな姿勢のまま砂那さなを追いかけ、長い舌を出して、ハァ、ハァ、と息を荒くさせていた。


 その犬達は、普通の犬と幾分も変わった所は見当たらない。


 素人目には、両方とも少し痩せた犬だと言う印象しがないぐらいだ。


 しかし、良く見てみると両方共に、鼻先が少し尖り、口元の頬が細くなり、顔付きが変わっていて、視点してんもあっていない。


 霊感の強い者が見れば、その犬達の中には低級霊の集合体が見えただろう。


 最近になり、この辺りには、どう言う訳かけがれが増えて来ている。


 それと同時に、低級霊やそれに取りかれた人や生物も増えてきているのだ。


 木々の生い茂っている場所では不利になるので、砂那さなは山の中でも開けた場所を探して移動する。


 上手い具合に獲物の犬達二匹も、砂那さなに着いて来てくれる。


 彼女は自分の思い通りの状況に、再び口元を緩めた。


 しばらくして、獣道の横の草むらの間に、草に埋もれた獣道を見つける。


 その先は、月明かりだけで見えにくいが、木々は少なく開けた空間があるようだ。


 砂那さなは迷わず草むらの中の獣道を選んだ。


 犬も直ぐに横から草に潜り込むが、ここで襲われたら不利になる。

 彼女は一気に草むらを駆け抜けた。


 そして、樹の枝に隠れていた何かをくぐり、開けた場所に出たあと、砂那さなはしまったと顔をしかめる。


 確かに草も短く木々が少ない、砂那さなには理想的な場所だが、あまり歓迎できない場所でもあった。


 そこは落ち葉が多く、やしろ燈籠とうろうなどに苔がびっしり生えた、見るからに古い様子の氏神様うじがみさまの神社だった。


 神社と言ってもやしろほこらのようなちっぽけな作りではあるが、神様がまつってあるのには変わりがない。


 しかも見たところ、よりにもよって、たたられる事が多いお稲荷様いなりさままつられている。


 先ほど枝に隠れていたのは鳥居とりいで有ったのだろう。


 この場所に氏神様うじがみさままつられているとは、彼女は知らなかった事だ。


 その境内けいだいに、他の低級霊を連れてきたことにより、お稲荷様いなりさまの怒りがビンビン伝わる。


 砂那さなは方向を変え、直ぐに場所を移そうとするが、犬にいている低級霊にとっても広い場所は攻撃がしやすいのか、はさみ撃ちで一気に詰め寄り牙をむいてくる。


 戦闘は避けられないだろう。


 やしろ燈籠とうろうなどに傷付けないように注意すれば大丈夫かと安易あんいに考えて、砂那さなはしかたなくこの場を借りる事にする。


 後できよめの塩と、お稲荷様いなりさまの好きな御供おそなえを持ってくれば、なんとか許してくれるだろう。


 最悪は、お稲荷様いなりさま事態を囲ってしまえば良い。


 砂那さなはそう簡単に考え、囲いによる犬達の除霊を開始した。


 黒い犬の二メートル右手前に、お札の付いたダガーを投げつけ、地面にそれを突き刺す。


 そこから横に移動しながら、素早くコートからダガーを抜いては、半径一メートルほどの円を描き、等間隔でお札の付いたダガーを投げつけ、地面にお札を突き刺して犬を囲っていく。


 これは、囲い師と言う名前の所以ゆえんに当たる、囲いと言うものだ。


 〈囲い〉とは、お札を等間隔に並べて円を描き、ドーム状の結界をはる。そして、結界の中の霊を、死後の世界へと無理矢理に送り返す、おはらいの手法しゅほうである。


 砂那さなはダガーを使っているが、お札を地面に縫い付ける方法に決まりはなく、道具は何でも良い。


 風で飛ばないのなら、単純に直接地面に置いていてもいい。


 お札の枚数は霊の強さにより異なり、枚数が多いほど強力な結界がはれる。


 その中でも、一番単純な結界に当たるのが、五枚のお札を使う、五つ囲いと言う囲いだ。


 五枚のお札で五芒星ごぼうせいをという星を描き結界をはる。


 囲いにはルールが有り、図形の描けない一枚、二枚の囲いは無く、三枚や、四枚は芒星ぼうせいの結界図形に当たらないため使えない。


 図形はあくまで左右対称が基本で、七枚や、十一枚、十三枚などと言った五枚以上の素数も囲いが偏った図形になるため使えない。


 結界は一旦いったん発動すると、霊や魂はこの結界から出られない。


 もちろん、肉体も魂と繋がっているから、肉体も囲いは越えられないと言う訳だ。


 そして、今回使うのは最も単純な五つ囲いである。


 犬の身体に憑いているのは、霊の集合体とは言えど、所詮しょせんは低級霊、単純な結界でも打ち破るほどの力はない。


 砂那は犬を囲いから出さないように、お札の付いたダガーで牽制けんせいしながら囲っていく。今まで幾度と無く繰り返した作業で、この辺りは早くて慣れたものだ。


 そして最後の、五本目のダガーを突き刺すため、砂那はバックステップで距離を取った。


 それに合わせ、低級霊に憑かれた黒い犬は飛びつき襲い掛かってくるが、砂那はそれを避けながら囲うための様子をうかがう。


 出来れば二匹同時に囲いたい。


 しかし、そんな甘い砂那の考えとは裏腹に、犬はあらがうように何度も牙をむき出し何度も飛びついてきた。


 白い犬の方は、砂那が傷を負ってからとどめをさすつもりなのか、囲いの中で間隔を開け様子をうかがっている。


 砂那さなはその状態に、少しだけ焦っていた。


 本来なら取りつかかれた者は、おはらいされるのをこばむため逃げ出すものだ。


 たまに悪霊などはこうして立ち向かって来るが、ここまでしつこく追いかけてきたり、攻撃して来るのは珍しい。


 今回はまるで狩りだ。


 焦りで少し立ち止まった砂那さなに、黒い犬はそれを見逃さずダガーに噛みつく。


 犬の口元は刃物によって切れるが、そんなこともお構い無しで、牙が折れるほどに強く噛みつき引っ張ってくる。爪も強く地面を引っ掻くので、抜け落ちて出血しているが、一向に力を緩める気配はない。


 自身の身体の事を微かにも考えず、力任せに向かってくる。


 かれた者が立ち向かって来たときに、これが一番厄介なところである。


 生物は本来、自分の身体に負担が掛かることは、脳が無意識にセーブして出来なくしている。


 当たり前だが、自分の骨が砕たり、筋や血管が切れるような、無茶な行動は出来ない様に成っている。


 しかし、いた悪霊にとって、他人の身体をかばう必要はない。骨が砕けようが、手がちぎれようがお構い無しだ。

 だから普通の犬よりも数倍力が強い。


 噛み付かれれば、砂那さなの細い手首ぐらいなら、簡単に食い千切られるだろう。


 砂那さなは黒い犬に噛み付かれ、離せなくなったダガーを諦めて、直ぐにコートの中から新しいダガーを抜き取ってお札をさす。


 相手の力は強く、無茶な行動をするので、二体同時に囲う事は出来ないかもしれない。


 しかし、囲いが上手く行かずに、かれた本体を傷付けては、囲い師とは呼べない。


 彼女は無理な体制からダガーを投げつけ、何とか囲いの元を完成ると、黒い犬を蹴り跳ばして囲いの中に入れる。


 犬を傷付けるのはこれで最後だ。


 白い犬は蹴り跳ばされた黒い犬を避けて、囲いの中から飛び出す。


 先ほどと逆になってしまったが、このまま囲ってしまおうと砂那さなは意識を集中させ、左手の指で空中に五芒星ごぼうせいの描き、結界を発動させた。


 左手は奥の手の原語に当たり、囲い師のかなめに成る。


 砂那さなの左手と連動するように、地面に五芒星ごぼうせいが現れ鋭い光を放ち、透明な結界が犬の周りに発動する。


 蹴り倒された黒い犬は、直ぐに立ち上がり囲いから出ようとするが、結界にはばかれ立ち止まった。


 これで黒い犬の方は囲えた。


 白い犬は走り砂那さなに迫ってくるが、彼女はそちらを無視して、囲いに意識を集中し、黒い犬に乗り移っている霊を押し返す為に左手を握り締めた。


かえりなさい!」


 左手には、薄い氷やガラスのような、卵大の物を握り潰す感覚があり、低級霊の集合体は、流れるように囲いの中心に吸い込まれて行った。


 それと同時に囲っているお札が破れ、結界が消える。


 囲いは成功だ。除霊は上手くいった。これで残りは白い犬一体となる。


 黒い犬はその場に屈んだが、直ぐに意識を取り戻し、驚いたように直ぐに立ち上がると、山に向かって逃げ出した。


 取り憑かれていた者が無くなり、正気に戻ったのだろう。


 砂那さなは内心の喜びを隠し、身体を反らして白い犬の攻撃をかわした。


 そして、手の甲で額の汗をぬぐってから、新しいダガーを取り出し身構える。


 一度使った囲いは、お札が破れてしまうために使えない。もう一度、最初から囲いを張らなくてはいけない。


「あと一匹、覚悟してね」


 再び犬の攻撃をかわしながら、砂那さなは再び囲いを開始した。

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