東京下町祓い屋奇譚1〈ライラックオレンジ〉

オトノツバサ

第1話 春先のひまわり

 合同会社アルクイン拝み屋探偵事務所にようこそ。


 どんなお祓いも、霊障も、呪いも、原因究明、即時解決。


 料金も総本山よりリーズナブルと成っております。


 ご相談だけならば料金は発生いたしません。


 霊でお困りの皆様、お気楽にお電話下さい。


 直ぐに係員を派遣いたします。


 明細は本文でお試しください。


 代表社員、ベネディクト・アルクインより。





 東京下町祓い屋奇譚1〈ライラックオレンジ〉





 はぁ、はぁと、はげしい息使いを立て、二十代半ばに差し掛かる、しなやかな肉体がペダルをめる。


 季節はやっと暖かくなってきた春先。


 街の中の道は、ほんのささやかな上り坂だが、距離が長いためどうしても汗が吹き出し息が切れてしまう。


 フランス人女性の、ベネディクト・アルクインは、ボトルケージからペットボトルを抜き取り、ゴクゴクと音を立てて水を飲んだ。


 ひまわり色をしたロードバイクに、自転車用のジャージとレーサーパンツ。


 本格的な恰好かっこうだが、ヘルメットまで被らず、スポーツメーカーのキャップを被って、帽子のしぼり口の穴から、長い金髪をたばね出している。


 ミルク掛かった白い自転車用ジャージのチャックは、みぞおち辺りまで開いており、インナーのスポーツブラをさらけ出しているが、本人はまるで気にしている様子はない。


 サイクリンググローブで額の汗を拭き、自転車はようやく坂の頂上を過ぎようとする。


 ここから残りは下り坂となり、目的地まで後わずかだ。そこでようやくジャージのチャックは上げられた。


 ギアを一気に上げ、身体をかがませながら、車に紛れて公道を走りぬける。


 切り裂く風が火照ほてった体に気持ち良いのか、ブルーの瞳は細められていた。


 広い通りから一本路地裏に入り、壁のペンキが剥がれ落ち、ひび割れが目立つ、古ぼけた小さなビルの前でブレーキは掛けられた。


 勢いの付いたまま自転車を降りたので、自転車の後ろタイヤは浮き上がる。


 ベネディクトは自転車の向きを変えると、押しながらビルに入っていった。


 このビルは、貸事務所として成り立っている場所である。


 古ぼけた外観のため、賃料が比較的に良心的で、個人事務所に使われる割合が多い。


 ベネディクトは三階の角部屋の、バカに成りかけている鍵を開け、自転車と共に入っていった。


 部屋の中は、外観からわかる通り、余り広くない。


 壁際には、キャビネットが備え付けられているが、元々書面で残せる仕事が少ないのか、趣味の雑誌や空気の割合が多かった。


 中央に置かれている、来客者用の革張りのソファーセットは、彼女いわく、アウトレットで見付けた掘り出し物らしいが、全体に灰色掛かった事務所に、原色の赤がどうも似合っていなかった。


 ベネディクトは、入り口付近の壁に自転車を立て掛けると、事務所の鍵を自分のデスクの上に放り投げ、キャビネットの横にある、仕切り板が有るだけの、ロッカーの前で着替え始める。


 自転車用のジャージとレーサーパンツを脱ぎ、下着姿に成ったとき、入り口が開き誰かが部屋に訪れた。


 現れた人物の検討は付くので、声は掛けず、タオルで体を拭き、手早く着替えを済ませる。


 髪の毛をほどき、タイトスカートのレディーススーツ姿で、仕切り板から現れたベネディクトは、先程とは違い、何処から見ても仕事の出来る女性に変身していた。


 ベネディクトは入り口の人物を見て、口元を緩めると、軽い口調で話し掛ける。


「早いな、右腕の無い少年」


 右腕の無い少年と呼ばれた未国 蒼みくに そうは、嫌そうに眉毛まゆげをしかめた。


「ベネディクトさん、いい加減その呼び方は止してください」


「なら、静香しずかのお兄ちゃんと呼んだ方が良いのか?」


 ベネディクトは、今度はからかった口調に変わる。


 そうはベネディクトにアルバイトとしてやとってもっていた。


 しかし、この二人の関係はただのやとい主と、やとわれている者とだけではない。


 二人はおたがいに、けっして口には出さないが、心ではそれを受け入れている、他人から見れば、理解できない関係である。


そうでも、末国みくにでも良いですから、名前を呼んで下さい」


 真面目腐まじめくさったそうの返しに、ベネディクトは鼻で笑うと「つまらん奴だ」と肩をあげ、自分のデスクに向う。


 窓から見える風景は、街路樹の桜の淡いピンクの花を真正面に眺められ、こんな都会の真っ只中でも、四季を感じられた。


 ベネディクトは窓を開けると、事務所の中に風を取り入れ、そして、その窓を背に、自分のデスクに腰かけた。


 彼女は楽しそうに机の引き出しから書類の様なのもを取り出し、そうに向かって差し出す。


「喜べ、そう。依頼は奈良だよ」


 そうは右手で書類を受けとり、頭をひねる。


 奈良に行きたいと言った覚えは無いし、どこを喜んで良いのか解らなかったからだ。


 昨日の夜に、急にベネディクトから電話が掛かり、「お前、春休みの最中で学校は無いだろ。なら出張を頼みたい」と言われ、本日、朝から着替えや仕事道具など、泊まりに必要な荷物を持って事務所に来るように指示されたのだが、その他の内容は全く聞かされていない。


「奈良、ですか?」


 そう呟き、受け取った紙に目を通す。


 依頼の内容が喜ぶべき所と思っていたが、その紙には、依頼人の名前と住所、電話番号の他に、インターネットからプリントアウトした、現地の地図が有るだけで、内容は皆無かいむだ。


 しかし、内容が載っていないのなら、書面に残せない仕事なのだろう。


 現に、今、そうが持っている紙も、すぐに捨てられるように、メモ用紙のような紙だ。


 そうなると、依頼の内容は口頭こうとうだけの案内となり、聞き逃がさない様にしないといけない。


 そうは少し鋭く上司に当たる、ベネディクトを見つめる。


 その様子に、ベネディクトは神妙しんみょうに頷いた。


「あぁ、奈良の宇陀市うだしだ。奈良にはアレがある。宇陀うだなら近い」


「アレとは?」


 奈良には吉野と言う地名がある。一般的には桜の名所や、登山としての観光地なのだが、そうやベネディクト達の職業には別の見方がある。


 吉野は古代からの霊峰れいほうや、縁の地ゆかりのちともされている。


しかし、その吉野でなく、その近くの宇陀市うだしは余り聞いたことがない。


 そうが知らない何かがあるのか。


 彼は鋭い目つきのまま、ベネディクトの次のセリフを待った。


大台ヶ原おおだいがはらヒルクライムだ」


 ベネディクトの一言で、そうは顔を激しく曇らせた。


 その表情を見て、ベネディクトは頷く。


「まぁ、言いたいことは解る。確かに九月前半の事だし、たかだか二十七キロの距離しか無いと言いたいのだろ。私も最初はそう思っていた。しかしだ、高低差、千三百メートルは中々のヒルクライムに成るし、今から何度か登っておけば、大会にはベストな状態で………」


「あの、ベネディクトさん、俺の言いたい事を、何一つ解っていません。奈良で開催される自転車レースの内容では無く、依頼の内容を教えてください」


 そうは疲れた様にベネディクト返した。


 彼女がどこまで冗談を言っているのか解らない。いや、こと自転車に関してなら、本気だったのかも知れない。


 ベネディクト声を上げて笑ってから、口の片隅を上げたまま答えた。


「冗談だよ。まぁ、依頼の方は、おはらい関係で、簡単な調査とされている」


 ベネディクトはそこで一旦話を止め、真面目な顔に戻った。声のトーンも一つ下がる。


「――――山にほこら氏神うじがみだ。………多分な、式神関係だよ。本来なら私達に来る仕事ではない」


 先程の冗談は、依頼の出元がきな臭い話なので、まずは肩の力を抜かせてくれたらしい。


 その答えにそうも頷く。


「確かに、総本山に行くような仕事ですね」


「そうだ。本来は囲い師かこいしか、結び師むすびしの出番となるはずだ。………だが、私達の方に来た」


 ベネディクトは椅子の背もたれにもたれ掛かり、延びをする姿勢で蒼を見た。


 その瞳は笑っていない。


「――――何かある。気を付けろ。本当なら私が出向きたいが、今、こちらでこなしている仕事は、お前一人では大事にしてしまう。片付いたら私も向かうが、嫌なら断っても良い。どうする?」


「やります」


 そう躊躇ちゅうちょなく答えた。


 その仕事に関する姿勢をみて、ベネディクトは優しく笑う。


「解った。なら、今から向かってくれ。宿泊は向こうで用意してくれるらしい。必要な荷物は静香しずかにでも手伝わせ、こちらから郵送する。詳しい話は現地で聞いてくれ」


 必要な準備はしてきている、送ってもらう物も無いだろう。


 そうは頷き、差し出された新幹線のチケットを受け取ると、ソファーに置いてある、大きめの鞄を左肩に担ぎ、右手でスマートフォンを操作し、場所と電車の乗り換えを確認する。


 関西までなら五、六時間といったところか。それでも早目に出た方が無難だろう。


「では、もう出ます」


「あぁ、給料は奮発しておいてやる、期待しておけ。それとな、余りトラブルは起こすなよ、右腕の無い少年」


 ベネディクトは、再びその名でそうを呼ぶ。


 そうはまたかと眉毛をしかめつけ、言い返そうと口を開いたが、無駄な努力と諦めたのか、代わりに溜め息を吐いた。


 それから、部屋を出るためにドアノブをにぎるが、今度は何かを思い出したように振り向く。


「それはそうと、俺が帰るまで静香しずかに妙な事を教えないで下さいよ」


 ベネディクトは心外しんがいだとばかりに顔をしかめた。


失敬しっけいだな、まるで私がらぬことばかり教えている様に聞こえる」


「あいつは、まだまだ子供だし、純粋なんです」


「あぁ、解っているよ、お前共々な」


 ベネディクトは面倒くさそうに手を振った。


 それは、十七歳の少年に向けて言うような台詞ではない。


 そうも年相応にひねくれているが、これ以上は言葉では勝てないと思ったのか、ドアノブを回す。


「では、行ってきます」


 ベネディクトは頷いただけで何も答えず、右手の書類を、パタパタと振って見送った。そうは目線を外し出ていく。


 そして、ドアの外に消えていく、その姿を目で追ってから、ベネディクトは浅く溜め息を残した。


「あとわずかしか無いと言うのに、本当、お前は甲斐甲斐かいがいしいよ」

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