第3話 800文字の「ありがとう」
若い頃は写真が嫌いだった。 自分が残ることに嫌悪感があったからだ。
年をとって、大人になって、カメラを買った。 残したい人が出来たからだ。
娘はレンズを向けると「止めてよ―!」と言って顔を手で遮る。
私は「かわいいよ」と機嫌を取る。
旦那は「女の子なんだから笑った方がかわいいよ」などとおだてる。
年頃の女の子は難しいもので、いつも怒ってどこかへ行ってしまう。
その顔を撮るから彼女の写真は怒ってばかりだ。
だけど私は知ってる。 一年に一回だけ彼女が笑う日があることを。
その日は、親として必ず娘を笑顔にしなければいけない。
忘れてはいけない。
3月11日、東日本大震災が起きた日。 8年前のあの日は、彼女の10歳になる誕生日パーティーの用意をしていた。
毎年開く恒例会だ。参加するメンバーも一緒だが、遠くに離れた幼馴染とも再会できるから、あの子は毎年の楽しみにしていた。
だけど、あの日以降、彼女は開くのを止めた。 プレゼントのおねだりもしなくなった。
1年に1回だけの特別な日を悼む日に上書き保存されてしまった娘。
私達も、その日への向き合い方が分からずに困った。
そんなあの子は、笑顔で「じゃあクリスマス期待するね! 神様の誕生日だっけ? そこに私も乗っかる!」と言ってくれた。
子供が下手な気遣いを親にした。 それだけで嬉しくて、情けなくて、温かくて……私たちも精一杯におどけて「じゃあ神様に杏樹をくれてありがとうっていう日にしよう!」と返した。
あれから8年、杏樹は大きなローストチキンとクリスマスケーキの前で旧友たちに囲まれて笑っている。
そんな杏樹にシャッターを向けるのだ。たまに気がついて「もー!止めてよ!」と言われるが、この日だけは特別だ。
彼女は、誕生日を取り戻すべく楽しむことに集中しているのだから。
本当に伝えるべき相手は分からないが、今年も「ありがとう」と思いながらシャッターを切る。
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