8
大庭の店で、甘いチョコケーキを二個買った日。
やっぱり安藤は同じ絵を描いていた。
星空の絵だと思っていたら、その上に花火をこそっと書き足していて、俺まで恥ずかしくなってしまう。
いつものように、午前中で終わった部活の時間。
ちょっとだけ来ていた部員が帰ってく中、安藤だけがぽつんと残っていた。
その背中がかわいらしくて、いじらしくって…懐かしい。
「…帰んないの?」
準備室から、ちょっとだけドアを開けて声をかけた。
驚いたのか、ひゅっと息をのんだ安藤の手元が震えて、また余計な線が波のように這ってる。
「センセ、居たの?」
「居るよ。さっき来たろ。」
「帰れ―って言ってたのに。」
「それは、お前らにだろ。」
「…私にも?」
安藤は、じっと俺を見てる。
その瞳の意味を、なかったことにするのはきっと簡単で。
でも、わかってしまう。
圭吾にそっくりだと思ったあの視線はきっと、あの頃の俺と同じなんだ。
「…ちょ、こっち来い。」
手招きしたら、弾かれたように椅子から立ちあがった。なのに恐る恐るゆっくりと準備室にやってきた。その緊張が俺にまで伝わる。
ひとつひとつの安藤の動作が、とにかく愛おしかった。
静かに、準備室に入ってきた安藤に、丸椅子を引いて、一つ渡してやりながら冷蔵庫を開けた。
「あ。」
と呟いた彼女の前に、大庭のケーキの箱を出した。
やっぱりよくわからないマークが印刷されてる。
「置きっぱなしにしたら食われちゃうからな。だったら、ここで食ってけよ。」
「え?これ…。」
「とろけるぞ?すげー甘い。でも、こんなくっそ暑いときにこんな暑い部屋で食うもんじゃないよ。…ホントなら。」
プラスチックのフォークを渡してやりながら、皿なんかないから箱を広げた端と端でケーキを乗せた。一応冷えた麦茶を紙コップに入れて置く。
そうしたら、唇をぐっと噛んだ安藤はふるふると首を振った。
差しだしたフォークを受け取りもせず、甘い甘いチョコケーキを手で掴むと、パクリとかぶりついた。そのうちにボロボロと、涙流してそれが口にも入って。
でも、止めなかった。
ただ、ぱくぱくとケーキを黙って食べた。
最後の一口を、むりやり押し込むように口にいれて、ずずっと鼻をすすった後、やっと袖で目元を拭った。
「…センセ、知ってる??」
「…なに?」
「チョコって、カカオ増えたら苦くなるんだよ?」
「…へぇ。」
「どんどん、どんどん苦くなるの。」
「…うん。」
思わず、ぽんっと頭に手を乗せた。
でも髪をクシャクシャにはできなくて、するすると撫でることもできなくて。
ぽん、ぽん、と何度か跳ねるしかできなかった。
「言ったろ?たくさん、いろんなもの見ておいで。」
「センセ…。」
「旨いケーキ食って、甘くて。そのうち苦くなるかもしんないけど。でも。」
「…。」
「苦味もうまいって思えるようになったら、楽しみが一個増えんだよ。」
「…はい。」
「そうなったら。それでも、俺でいいなら。今度はビール飲ませてやるから。」
「行っといで、広いとこに。な?なおこ。」
また唇を噛んだ安藤は、また袖で目をぬぐった。
けど、次に目を開けた時はニカっと笑って、フォークを取ると俺のケーキにグサッと刺した。
「ちょ!おい!」
「言ったでしょー!センセー。置きっぱなしたら食べられてしまうんだよ?」
「あーあ。俺の…。」
「だから!気を付けてね?ちゃんと見ておこうね?」
大きめにすくったケーキを、でっかい口空けてほおばった。
頬を真ん丸に膨らませて、知らん顔してもぐもぐと口を動かしてる。
あぁ、そっか。
って、何かたくさん胸ん中に落ちてきたけど、でも。
頬杖付いて、安藤を見てた。
「…なおこ。口にチョコいっぱいついてる。」
「ねぇ、飲み込める??」
「あーあ。ほら、飲めってお茶。」
「ふふふ。なおこちゃん、目ぇ真っ赤。」
多分、それは。
今俺が一人占めしていいものでは、
ない。
聞こえるわけがないのに、花火の上がるドンとした音が遠く耳に届いた気がした。
けど知ってる。
花火って、散ってこそ、きれいなんだよ。
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