7
当たり前だけれど、圭吾と酒を飲んだことなんかなかった。
休みがちになった中学は、卒業式すら来ないまま、この地を離れてしまったから。
散々、飲んだ後だったのもある。
けど言った手前、ビールを二本カゴに入れながら違和感がものすごかった。
もう十分大人なのだけれど、お互い。
でも、向かい合って乾杯するイメージがどうしても湧かなかった。
同じ仲間内とはたまに飲んだりもするのに。
ホントは一緒にアイス食いたかった。
パピコ半分ことか。
けど、そうしたら多分、やりなおしじゃなくって巻き戻すだけなような気がした。
きっと意味がない。また同じところからスタートし直すだけだ。
きっと俺の少し後ろを気怠そうに歩く圭吾は、俺がこんなごちゃごちゃ考えてるなんて、思ってもないだろう。何にも言わないで、当たり前みたい付いてきてることにホッとしてる。
なら、酒の力もいらない、多分。
「センセーありがと。」
コンビニを出たらからかうように言った圭吾を小突いた。痛てぇ!って大げさに抑えながら、へへって笑ってる。
嬉しくなってそのまま、髪をくしゃっとして撫でた。びっくりした顔で俺を見上げてきたもんだから、薄茶の目がまだ陽の足りない時間でもよく見えた。
変わらない。仔犬みたいな目。
なのにスッと細められたそれは、一気に大人になった。
俺の知らない圭吾。
「手、繋ぐ?」
「バカじゃねーの。」
「いいじゃん。センセ?ほら、ビール持ってない方の手、開いてるでしょ?」
「やめとけって!バカ!」
クククっと喉の奥で笑ってる。
変なのかもしれない。あれほど焦がれていたっていうのに。
でも、手をつなぐよりずっとうれしかった。
ふざけながら歩いてくうちに、裏山の奥がじんわりと明るくなってきた。
大三角形は、もうかすかにしか見えない。
「センセー、間に合わないんじゃないの?」
すっかりセンセ―呼びになった圭吾は、遠くの空を見て手をかざした。
別に、俺も圭吾も「夏の大三角形」を見たいわけじゃない。
ただ、自分にとって大事なものを置いてきた日に、そういうイベントがあった、それだけのこと。
とは言え、もう言い訳として散々使い込んできたから必要なんだ。
本当の話をする為の、偽物の理由が。
「こっち。こっちで見れるよ。」
「俺、もう今から山駆け上るとか無理よ?」
「何言ってんの、こっちだよ。」
首をかしげてる彼を引きずって、勤める中学校へ向かった。
裏山への道から路地を曲がった瞬間、圭吾の腕がぐっと強張ったのが分かる。
やり直すなら、裏山よりここだ。
三角形も後悔も、全部あるのはここだ。
「山行かなくても屋上行けば。その方が早いだろ。」
「不法侵入じゃねぇか。」
「俺、センセーなんだって。」
裏門を開けた俺の後ろから、校舎を見上げた圭吾はそっと一度目を伏せた。
「ほんとに先生なんだな。」って聞こえないくらいの声で呟いて。
それからもっと小さい声で「…ただいま。」って言った。
「おかえり。」
「…聞くなよ。」
「聞こえるにきまってるだろ。」
「なんだそれ。」
「むしろ聞き逃すと思うか?俺が。」
「…なんで?」
鍵を開けて入り込んだ校舎はひんやりとしてる。緑のスリッパが、パタパタと音を鳴らすから、静まり返る校内で、一段ごとにびぃんと鉄筋に響かせた。
アンプを繋がないギターのようで、頭の奥でズキズキと鳴り響いた。
上るほどに気持ちがゆっくり静かになってく。
でも頭の中はビリビリしてく。
星の砂もらった日とか、
空き地でアイス食ったときとか、
当たり前に毎日一緒だった日々とか、
それから5人でいるようになった頃とか。
雨の踏切と、赤い点滅。
放った星。
泣いた夜。
オオハタケイゴ、を見つけた日。
それからさっき。
やっと言えたこと。
一段一段、頭の奥で響いて巡って、そして、静かに静かに上手に仕舞われていく。
泣きそうだった。
けど、きっと夜通し飲んだビールのせい。
あんまり寝てないから、そのせい。
つまりそれは、俺のせい。
屋上までの階段で息が上がってる酔っぱらったおっさん二人。
ぜぇ、はぁ、っといいながら笑う。
笑ってた。
「…なんでって。」
「ああぁ?」
「だって、俺。圭吾に、おかえりって言いたかったんだもん。、ここで。」
屋上のドアを開けた。ギリギリまだ間にあった。向こうの方のオレンジが、星を食べてしまう前に。
「ほら、間にあったろ?」
「ほんとだ、まだ見える。」
「だろ?」
飲んだ体に、階段はキツイ。
そこまで若くもない。
さらにハートにもさっきからぐさぐさと、矢だったり綿だったりがやってきてる。
もう、HPもMPも全くなくなって、ごろんと転がった。
はぁ、っと思わず深呼吸した。
足元の方から、なんにもしてないのにどんどん星が食われてく。
隣に寝転がった圭吾は、見えにくくなった星を指さしながら「‥俺さぁ。」と呟いた。
「どれとどれ繋いだら三角形になるか、わかんないの。」
「なんだそれ。」
「教えてよ、センセー。」
「そんなの簡単だろ。」
「‥マジ?」
昨日。同じここで安藤はきれいに泣いていた。
そっくりな目で、圭吾はコロンと首をこっちに向けて、喉を鳴らして笑う。
手を伸ばしたら、圭吾の手が掴めた。
暖かい。痛くない。
何にも持ってない。だから、繋げる。
子供の時みたいにぎゅっと手を握った。ここにいる。もう嬉しくて嬉しくて、何よりホッとして。
トントンと俺の胸で跳ねさせた。
欲しかったのは、きっとこういうのなんだ。
安心したかったんだ。
「どれよ。どこ繋いだら三角できんの?」
黙っちゃった俺をせかすように圭吾が、腹で跳ねてた手に力を込めてきた。
ぐへっとなってちょっと咳込んだ俺を見て、ケラケラ笑ってる。
「…好きなように、すりゃいいじゃん。」
「‥ふうん?」
「好きにしたらいいんだよ、そんなの。正しいことがあったって、それはそれなんだから。」
ふぉっと風が吹いて、ビールを入れてたビニール袋がガサガサと鳴った。そういえば、と手を伸ばしたら、倒れた缶がゴロゴロと転がってく。
圭吾は何にも言わなくなった。でも今度は手をポンポンと俺の腹で跳ねさせて、ゆっくり眠気を運んでくる。
あ、寝れそう。
今度は、ゆっくり。
自分で言ったことなのに、ものすごく大きいことのような気がした。
そっか。
正しいとか、正しくないとか、それはそれなんだ。
そっか。
うん。
そっかぁ。
………・・・・ぼふっ
強めに入った一発で、さっきとは比べ物になんないほどに、ぐえぇぇっとくの字になった俺を、圭吾があははは!!っと高い声で笑った。おんなじように、腹抱えて。
おかげで目が覚めて、すっかり食われた星のない空を見る。
オレンジが広がった空は早くも暑さもつれてきていて、コンクリートの熱がジリジリと染み込んできた。
明けたんだから、やり直すのなら今だ。
笑い転げる圭吾の方を見て言った。
「‥圭吾。」
「んー??」
「俺、ずっとファンだよ。」
「‥へ?」
「ずっとお前の、オオハタケイゴのファンだから。」
「……うん。」
「だから、何も気にしなくていい。」
きっともっと一杯、口走ったんだと思う。けど、もうこれで丁度いい気がした。
誤魔化してんじゃないかって悩むくらいなら、
握りしめて痛いって泣くくらいなら、
それを圭吾にぶつけてしまうくらいなら。
この距離がきっと、ちょうどいいんだ。
「家、着いたら教えてよ。今の住所も。ファンレター書いてやるから。」
「なんだそれ。」
「欲しいだろ?ファンレター。」
だからほら。
これくらいふざけて言える、余裕が生まれるんだ。
はぁ?!ってしかめていた眉根を、ふっと解いたかと思ったら圭吾はニヤリとした。
「俺のこと、大っ好きだな!ほんっと!」
また。ケラケラ笑うのが嬉しかった。
すっかり日が昇って、校門の前で飲まなかったビールを、土産がわりに渡したら、
「始発電車でビール飲んでるやつ嫌でしょ。」
って、唇尖らせた。そりゃそうか、って思いながら多分泡だらけでぬるくって、美味しくないだろうビールを、圭吾は古いトートに入れた。
それに妙に安心してる。
「じゃぁ。」
「うん。」
あんまりにも、同じ光景。
また明日な!って手を振ってく、毎日毎日当たり前にあったこの景色。
だから、出てくるセリフも何も変わらなかった。
おかしいなぁ。
あんなに重たかったのに。
痛かったのに。
「バイバイ。またな。」
何かを捨てたら、何かを得る。
そんなどっかの名言集にありそうな、抽象的な言葉に興味なんかなかった。
想いを捨てたら、そこに至るまでの全てを失うのだと思ってた。
必要かもわからない新しい事を手に入れるために、そんな身をちぎるような犠牲払えないって思ってた。
けど、「またな。」って手を振る自分にまるで違和感がなかった。
サントラをループしながら、オオハタケイゴの声をひたすらに聞いては、次会えばしがみついて泣くんじゃないか、なんて思ったのに。
手を振って、「またな。」なんて、「バイバイ」なんて。
言えることに。
言えたことに。
ビール一本、袋をガサガサ言わせながら歩き出した。
圭吾も俺も、もう戻るのだ。
今、に。
「‥星野!」
突然のでかい声に、びくりとして振り返った。
朝の靄が空気を柔らかくして、その中にニノが立ってた。
またな、と言ったところから一歩も動かないで。
「ありがとうな!」
「‥へ?」
「‥好きって言ってくれて!ファンだってのも全部!!ありがとな!!」
さっき酒のせいにした涙が、嘘みたいに込み上げてきた。でも意地だ。
泣いてたまるか。
ぐっと空気を吸い込んで、吐いて何とか落ち着こうとしたら、「口閉じろよ。」って圭吾がニンマリとした。
懐かしいこと言うなよな。
散々、ガキ頃言われた事を。
「またな。」って歩いてく背中を見送った。見えなくなるまで。
圭吾は一度も振り返らなかったし、それでよかった。
友達とは、そう言うもんだ。
家に向かう途中、大庭の店を覗いた。
もう仕込みで店で準備する横顔が、外からも少し見えた。
コンコン、とノックすると「え!なんで!」っと慌てでドアを開けてくれた。
「おはよ。」
「おはよって!なに?どうしたの!」
「ちょっとね。散歩。」
「こんな朝早く?」
「うん。」
「‥ビール持って?」
「‥‥うん。」
そっか。と、大庭はなんでだか俺に布巾を差し出した。
「生クリームついちゃったけど。ごめんね、ハンカチ今ないから。」
って。
「泣かねぇわ!」
「そぉ?」
「‥‥ねぇ。今日チョコケーキある?」
「うーんと‥‥‥ある!出すよ?」
「じゃぁ、それ二つ。後でくるわ。」
「二つ!1日2個!?食べ過ぎだってば!」
「違うよ。一緒に食うの。」
「‥‥ふぅん、誰と?」
ニヤニヤした大庭に、布巾を返した。
ちょっと涙染み込んだけど。変わんないよ、生クリームと。こうなったら甘そうだもん。俺の涙。
「‥夏休みでも部活来てるから、特別だよ。」
「お。先生!ご褒美?」
「まぁ、そんな感じ。」
「‥‥なら、二個でいいの?」
「‥‥‥いいの。だって、すぐ大人になっちゃうから。今日だけ特別。」
「じゃぁ。作る。」
「とろけるやつにして。美味しかったみたいだから。」
「全部美味しいですーぅ。」
「知ってる。ありがと。」
帰ったら、少し眠ろう。
そんで、圭吾の出てた映画見よう。
俺、ファンだから。
ファンレターも書いてやるんだ。
自宅に直で届くやつ。
そんなの、きっと他にはないから。
特別だ。
特別だよ。
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