6
気がついたら、もう深夜。
なんならもうすぐ朝だった。
なんだか眠れなくて、でもウトウトとした気もする。
妙な浮遊感で、夢なのか現実なのか、起きてるのか寝てるのか。
よくわからないでいた。
変わらない机の上に、飲み終えたビールの缶が転がってる。腹減ってたくせに、大して食いもせず飲んでるからだろう。酔いもすぐに回った。
ふわふわとしたまま、ごろんと寝転がっては浅く意識が飛んでまた飲んで。
そんなことを繰り返していたら、目の前に花火かジリジリと焦げるように落ちて行った。
咄嗟にそれを掴もうと手を伸ばしていて、手に触れた気がしたのに熱くも眩しくもない。
ただ、赤い光がチカチカと点滅して見えた。
バチッと目が覚めて、のっそりと身体を起こした。
夢との境目を手繰り寄せるように、思わず、机に置いたメモを見てしまった。
「‥‥いま、俺。起きた、ん、だよな‥‥?」
ぶるるっと頭を振った。
安藤のまだ少し幼い字が、妙に目に焼きつく。
吐いた息が自分でもわかる酒臭さで、一気に水を飲んだ。
体に染みていく水分が心地いい。
やっと頭も起きてきた気がしてた。
こんな時間だった。
あの時も。
こんな、朝と夜の境目だった。
安藤の涙が、脳裏に浮かぶ。
あんなに綺麗なものがこの世にはあるんだ。
持ってたんだろうか、俺も。
それなら、どこに置いてきてしまったんだろう。
あんな風に。
ただ、ただ、まっすぐに想う気持ちを。
なるべく物音が立たないように、冷蔵庫を開けた。父ちゃんのビールまで飲んでしまったのがバレたら、またきっとうるさいだろう。バレる前に元に戻さなきゃ。
仕方ない。と、そっとサンダルを履いた。
少し先にコンビニが出来たんだ。
ついでに水も買い足そう。
なんでか喉もカラカラだ。
音が鳴らないように静かに玄関をあけたら、ふわっと、妙なデジャヴで背中がぞわっとした。
ぶるっと一度体を震わせて、尻ポケットに財布を突っ込んで、そのまま両手もポケットに入れたまま、のそのそ歩いた。
もう少ししたら、あの裏山の方から明るくなってくる。朝がくる。
それを待つような、逃げたいような、妙にそわそわして深く息を吸い込んだ。
夏の深夜。吸い込んだのは湿気を含んだ空気で、もやもやとした胸の中を洗ったみたいだ。しかも、水分は肌に貼りついて、剥がれ落ちないようコーティングされていく。
まさかこんな治療法があるとは思わなかった。
なんだかんだとあの夏から止まったまんまの自分。
俺は結局のところ、ずっと探してるんだ。
気持ちの納めどころを。
離れてしまった圭吾を探してる。
あの日、偽物の星を放ったはずなのに。
ずるずると引きずるように歩く癖のせいで、サンダルが、つん、と踏切で躓いた。
酔ってる足元に、へっと微妙な笑いが込み上げた。
そうしたらはぁ、はぁと荒い声が聞こえて、やばい奴でもいるのかと睨みつけてみたら、
「‥‥え。」
踏切の向こう、なんでだかゼエゼエと肩を揺らして、圭吾がいた。
大庭の部屋で見た、「オオハタケイゴ」だ。
ぐ、っと一気に呼吸できなくなった。首でも絞められたみたいに。
圭吾がいる。なのに、怖い。
「‥‥星野?」
驚いた顔で、俺を呼んだ。
目を丸くして、ちょっと口開けて。
けど名前を呼ぶ声が、あの映画のと重なった。
あぁ、そうか。
圭吾であって、この人は。
圭吾ではないんだ。
やけに納得してしまって無性にイライラした。苛立って、偽物を見てるようで。騙されそうな自分が嫌で思わず、
「すげぇ!オオハタケイゴだ!!」
多少残った酒のせいにしてはしゃいで言った。
ずっとずっと、あのいなくなった日からずっと。
胸ん中で留まり続けた、圭吾がいるのに。
『なおこ。』
あの映画のシーンが蘇る。
オオハタケイゴが出ていた、あの甘いシーン。
「なんだよそれ。」
「だって、芸能人じゃん!!握手してよ!」
駆け寄って確かめたかった。
圭吾じゃないんだって。この人はオオハタケイゴなんだって。
なのに、「来んな!」と彼は荒い声で止めた。踏切を挟んで、足止めをくらう。
彼はギリっと奥歯を噛むような、苦い顔をしてぐっと目を閉じた。
ぎゅっと拳を握りしめていて、その姿がなんだかあの時の自分のようで、すぅっと頭が冷えていった。
何、逃げてんだ。俺。
この期に及んで、まだ。
「‥何してんだよ。」
「そっちこそ。こんなとこで。芸能人が。」
「‥‥‥大三角形。見に来たんだよ。」
「何それ。」
「書いてあったろうが。見てみましょうって。」
ふ、と笑った。
それが、「圭吾」だった。
嬉しくて、嬉しくて。足元から震えがきた。
圭吾だ!
叫び出したいのに、まだ握りしめてるあの手をなんとかしたくて、しかたなくて、ぐっと奥歯を噛んだ。
「お前は、なにしてんの。」
圭吾が自分を呼ぶ事が泣きそうなぐらいに、懐かしい。
なのに、必死で耐えた。
「今、センセ。」
だからだろうか。なんでだか、安藤が俺を呼ぶ言い方で、そう言っていた。
「はぁ?」
「はぁ?ってなんだよ。ちゅーがくのセンセーだよ。」
「‥そこじゃねぇだろ‥つか、先生?」
「うん。中学で美術教師やってんの。だってほら、5人とも揃ってたところだから。」
まだあそこに留まりたがる自分を、なんとなく隠したいような、圭吾にだけは伝えたいような。
もぞもぞとした胸で言った。
らしくなく、少し早口になったからだろう。
彼は、また目を丸くしたけど、なんでかものすごく優しく笑って口元を腕で隠した。
へぇ、って。なんでもなさそうにつぶやくくせに、目元がくしゃりと下がってる。
あぁ、もう子供じゃないんだ。
そんな大人びた表情、見たことなかったよ。
なのに、仕草は変わらないんだ。
アンバランスに混ざってく。今、とあの時、と思い出がぐるぐると混ざってく。
「‥‥ねぇ。」
「ん?」
「風間くん、なにしてんの?」
「ん?どっか会社勤め。社名は忘れた。なんか長いから。知らないの?」
「じゃ、キクは?」
「実家継いで呉服屋さん。」
「大庭は?」ケーキ屋」
「食い気味かよ。」
「買いに行くもん。いっつも。すごい美味いよ。甘い。とろけるってさ。言ってた。」
「‥‥‥‥へぇ。」
圭吾の緩んでく笑顔で、そっか、と知る。
みんなの今を知らなかったんだ、って。
それで、そうか、と理解した。
「知らない」で、いてくれたんだ、と。
この場所を俺に置いて、圭吾は離れたんだ。
言ってはならない想いに、勝手に焦がれて勝手に潰れてく俺の周りに、せめて仲間がいるように。
俺が一人にならないように。
なんだ、俺。
守られてたのか。
あ、と足元を見た。
あるわけないのに、一粒でもあればと目を凝らしてしまった。
あの日投げた星がもしかしたら、一つでもなんて。
それを誤魔化すように「で、圭吾は何やってんの?」なんて聞いたものだから。ニヤリとした彼は、ひょいっと踏切を越えてきた。
「俺、芸能人なの。知ってる?個性派で、名脇役のオオハタケイゴっての。」
さっきまで、潰れそうに握られてた手がふわんと開いて、俺に差し出された。
なんだかもう。
胸がいっぱいだ。
「握手、してくれます?」
そうおどけたら、「もちろん。」なんて笑う。
安藤には、言わせなかったけど。
あんな綺麗なものじゃないけど。
でも、圭吾が俺を大事だと思ってくれてるのはわかる。
多分、それは。
今も。
「ずっとファンだったんです。」
圭吾の手に触れたら、ぎゅっと握ってくれた。
やっと、と思ったら止まらなくなった。
「ずっとずっと。ずっと、好きだったんです。」
見つかりもしない星が、きっとこの辺りにはある。だって、俺、ここで放ったんだもん。
「‥‥元気にしてた?」
「割とね。」
圭吾がぷっと吹き出して、それがスイッチになって、なんかもうずっと笑った。
笑って笑って、でも手を離さなくて。
空にのぼってった気がした。
そっか。だから、俺。
あの絵を描いてたんだ。
解き放ちたかったんだ。
夏の大三角形。その星の絵を、天井に敷き詰めそうなほどに。
「そこのコンビニにさ、行こうとしてたんだよね。」
踏切から見えるコンビニは、ぼやっと光っていた。あそこがもはや、タイムスリップへの入り口のように思えた。
「‥大三角形見る?センセがビール買ってやるから。」
やり直そう。あの日を。
そうしたらもう、きっと大丈夫だ。
圭吾の手にも俺の手にも、星なんかなかった。
そんな都合のいいもの、どこにも落ちてもなかった。
でも、ちゃんと繋いだら伝わった。
それはもう。
星を捕まえるのと、同じくらいの奇跡にも思えたんだ。
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