5
どっかで見たことあると思った。
その、驚いた顔。
あの踏切の圭吾とおんなじだ。
目を丸くして、口なんかぽかんと開けて。
「センセ、やっぱまだいたの?」
「いや、それよりかさ。お前は何をしてんの、ここで。」
「だって。」
「ん?」
「花火、大会‥だから。」
「やっぱ穴場なの?ここ。」
ふふっと笑ってしまったら、安藤は少し俯いて小さく首を振った。肩までの髪を揺らして。
「ここから、花火見えるかなんて知らなかったです。」
「‥‥ふぅん。」
「‥‥でも、見たかったの。」
「‥‥‥‥。」
「ここ真上だから、美術室の。もしかしたら、センセーも見るかなぁって。そしたら、ちょっと角度違うかもだけど、同じ景色見るかなぁ、って。」
Tシャツにデニムの安藤は、そう言ってはにかんだ。少しだけど見えた遠い花火が、ドン、ドンと鼓動のように響きながら届く。
パラパラと散っていく火花が、燃え尽きるように落ちていく。
「‥ひとまわりと、少し。かぁ。」
「え?なに?」
「お前と俺の年の差だよ。」
手すりに体を預けて、ボソッと言った一言はさらに安藤の頭を混乱させたらしい。
戸惑いをそのまま瞳に浮かべた安藤は、潤ませた目をそっと閉じた。
ぽろん、と一つ雫が落ちる。
綺麗だった。
俺が、痛くてたまんなくて泣いたあの日とは、ぐしゃぐしゃに泣いた涙とは、まるで違う。
それが不思議で、逆に。
あぁ、そうか。
想いを受ける方は、ただ綺麗だと思えるんだ。
儚さが、美しいとさえ。
妙にわかった気がして、空を仰いだ。
手すりに体を預けきって、反るように見上げた空に、チラチラとする微かな星。でも。
花火の煙が隠してしまう。
まだ、見ない方がいい。
そんな風に言われてる気がして、困った顔のまま固まってる安藤の頭をくしゃりと撫でた。
柔らかい髪。
きっと、あっと言う間に大人になるんだ。
「ほら、帰るぞ。送ってやる。徒歩だけど。」
「‥‥センセ!あの、わたし。」
「いい、まだ。」
「‥‥え。」
「もうちょっと、閉じとけ。その目。」
「センセ‥どう言う‥‥。」
潤んだ薄茶色の目がクルンと揺れる。
子犬みたいな、無垢な視線。
「‥まだまだ、見るもんがいっぱいあるよ。安藤には。狭い世界見るのは、広いとこ見てからでも遅くないよ。だから‥‥。」
「俺を見る目は、一旦。閉じとけ。」
また涙をこぼし始めた、綺麗な目を見ないように下を向いた。そしたら、握りしめた安藤の手が見えていたたまれなくなった。
あの中に、こいつも星を握ってたりするんだろうか。
痛くて痛くて、堪らないでいるのだろうか。
思わず手を伸ばして、そのこぶしを開いた。
驚いた安藤の涙がピタリと止まって、空っぽの彼女の手の中に、俺がホッとした。
「‥センセ。」
「ん?」
「あのね、わたしの名前知ってる?」
「知ってるよ?」
「“安藤”じゃないよ?」
「うん。」
「‥‥なおこ。だろ?」
ギュッと、手を握った。
首にかけたイヤホンが、からからと揺れてループしっぱなしのサントラが少しだけ聞こえた。
「あのさ。」
「‥‥はい。」
「俺ね、腹減ったの。なおこが俺のケーキ食っちゃったから。」
「‥甘かったよ?」
「だろ?すげぇ、甘かっただろ。」
「うん。とろけた。」
「だからさ、そろそろ帰って飯食わなきゃ。俺、腹減って死んじゃう。」
握った指を、ひとつひとつ外してく。
ドン、と鳴る花火の音が少しずつ遠くなってく。
「なおこが星の数くらい、いろんなもの見て、知って。それでも、俺みたいなおっさんが良かったら。その時は、また相談に来なさい。」
「‥‥センセ。」
「うん。」
「そん時は、あなたを名前で呼べる?」
あはっと、笑った俺になおこは不機嫌そうに唇を尖らせた。その口元を解いた指でペチンッと叩いた。
「生意気なんだからもう、まったく。」
薄茶色の目が、子犬みたいにコロコロとよく動いて、叩かれた口元を両手で抑えたなおこは、へへっと笑った。
「ほら!送ってくから、帰るぞ!安藤。」
はぁい、と少しだけ寂しそうに言った彼女は、俺の後ろからついてくる。
まだまだ、あどけない笑顔で。
もうすぐ花火も終わる。
きっと駅あたりは人でごった返すだろう。
生徒指導にあたっていないのに、生徒と2人でいても、多分ややこしい。
なるべく人の多くない道をつかって、安藤の家の近くまで送った。
その先の家に入ってく背中を見送りながら、またペリっと何かが剥がれ落ちた気がした。
でも、大丈夫。
なんでか、そんな痛くない。
置きっ放したら、
また食べられてしまうからね?
なおこのそのメモを、昔から変わらない机に置いて、ぼんやりと酒を飲んだ。
光源氏かよ、なんてつぶやきながら。
なんとなく眠れなくて。
ぼんやりと、酒をまた飲んだ。
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